オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

遅延・・・

2017-12-14 | Weblog

12/14(木) 今日のテーマ「遅延」は、お金のことじゃないよ。電車のことだが、私が毎朝通勤に利用する私鉄は東急電鉄の渋谷~中華街ルートのTYラインである。数年前までは、渋谷~桜木町間の運行であったが、現在は地下鉄副都心線から東武・西武電鉄まで相互乗り入れとなった。

そんなことで、渋谷駅前と地下が大改造されて東急線も地下三階がホームとなっている。このホームが狭いことや地上に出るまでの不便さは何度か記した。更に、相互乗り入れで電車の遅延は日常のこととなっている。謹厳実直(?)な勤め人としては迷惑も甚だしい限り。

そんな次第で、今朝も大幅な遅延。その所為で急行電車は満員で乗車できず、後の渋谷止まりの各駅停車に乗車して、二駅先の中目黒で始発の日比谷線に乗り換えた。腹立たしいのは「本日電車が遅れ、ご迷惑を・・・」のアナウンスを毎朝のように聞くことになる。

このアナウンスを聞く度「違うだろう!ちがうだろう!」と、落選した豊田大先生の如くに言いたくなるのだ。先日、中目黒駅だかで、一度だけ「本日電車が・・・・」のアナウンスを耳にし、ちゃんと喋れるじゃないかなどと納得?した。

車中の草臥れ顔や艶のない面面を横目にしながら、世の中の進化と便利が如何に人間を駄目にしていくか、などと思った。車内・外は奇麗で冷暖房が効き、快適になっているにも関わらず、人々からは笑顔も活力も伝わってこない(お前も同類、と言われれば正にだが)。

東横線の渋谷駅ホームが高架で、渋谷から折り返していた頃が懐かしいね!。その電車が濃いグリーンで、車内には扇風機が廻っていた頃、。夏の最中にも通勤客の大半は白いワイシャツ、ネクタイ姿であったし、活き活きとしていた。私が東横線を利用し始めた四十年も前のことながら、妙に感心をした覚えがある。

その頃は、かく云う私も糊の効いたワイシャツに小ジャレたタネクタイを〆、腕に夏上着を持って通勤していた。今はといえば、ネクタイはおろかYシャツを着ることも稀だ。ネクタイ姿なんぞは、とうに様にならなくなってしまった。けじめのつかない、ない時代が到来したようだ。そう思えば、電車の五分・十分の遅延に目くじらを立てることもないか・・・・・。

されど、渋谷駅の東急線ホームの混雑・危なさだけは納得する訳にはイカンザキだ。なんとかせいや、東急さん。

 

今日は朝から、怒りの小金治(古いねぇ~)になってしまった。反省、気は長く人生は短く潔くだな・・・・。

今朝の起床は五時半。体調も宜しいようで、朝から「ちあきなおみ」の演歌なんぞを聞いて、早々と夜の部に備えた?。今日の弁当はお一つなので、「オムスビ」を作ることにした。

菜の方は、卵焼きでいいかと思いつつ、時間も有るので揚げ物をやることにした。鶏唐揚げ・豚ヒレ唐揚げ・牛蒡唐揚げの、唐揚げ三兄弟の揃い踏みと云うところだ。

                           

豚ヒレ肉は、トンカツにしたい処だがパン粉が切れていた。牛蒡唐揚げは、今夕、土曜日の料理教室に備えてオヤジ料理を作ることになったが、HOYA兄いのリクエスト「牛蒡唐揚げ」のテストを兼ねて作ってみた。

「オムスビ」は、鮭と梅干と至ってシンプルである。オムスビを作るたびに思い出して残念に思うには、佐藤初女さんのオムスビを頂けなかったことだ。HIROさんは云う、「初女さんに頂いたオムスビは絶妙だった」と。年が明け、二月になると初女さんが亡くなって二年、仏事で云えば三回忌だが、初女さんはクリスチャンだったので、キリスト教に年忌法要なんてあるのか?。

                            

今夜は忙しくなりそうだ、オヤジ達との料理&懇談会。それに先ほど、佐賀・地球市民の会副理事長OONO氏から電話が有り、来日中のミャンマー国趣首相とその夫人達の歓迎会に呼ばれ、上京する旨の電話がさっきはいった。遠方からの客人を粗末にできない。人形町に来て貰い一緒に飲む?しかないか・・・・・。

 

 

 

 

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チキン

2017-12-13 | Weblog

12/13(水) 今朝の起床は、なんと七時になっていた。その前に一度、目が開いたようであるが・・・・。それだけ眠かったと云うこだろう。寝る子は育つとか云うが、これ以上育っても、また育つわけもなしだが、眠れるのはいいことだ。

前夜は、十五年も前に在席た剣道部の納会&忘年会に参加。十八時時過ぎから二時間ほど田町にある某社のクラブで和気あいあいの飲み会。挨拶を促され、「十五年も経て、こうして会に呼んでいただけることに感謝」と伝えた。部や部員のために、幾許かの協力・支援が出来ればとは思うが、心もとない限り。

会に向かいながら、自分が若かった頃にふり返った。私が、どうにかサラリーマン人生を全うし、それなりに終えたこと。また、その後の歩みにおいても然りだが、剣道部に在籍したことでどれほど恵まれたか。先輩や先生方のご指導や引きで、表街道を、階段を上ることができた。そこには感謝しかない。

生意気盛りの二十代から三十代、先輩の戒めや上司の指導。その本当の意味を理解できたのは、何年も何年も後のことだ。今更、そんなことを若い人たちに話しても馬の耳に念仏、説教オヤジにしか思えないだろうが。仕事も人生も、気付きだと思う。自分が気付き、自らが学んでいく。それくらいのことは、伝えてもいいだろう・・・・、具体的な事例で。若い剣士に、少しだけそんなことを話した次第。

会がお開きになって、またしても人形町に戻った。一日の〆は、この町でハイボールの一杯を啜ってからにしようと。馴染のカウンターに腰を落ち着け、シャッキとしたハイボールを飲む、これに勝る至福のひと時はない。

そして馴染のメンバーが居り、軽い会話が弾めば更に云うことなしだが・・・・。この夜、ローカーボに居たのは、マッチャンとスタッフのAOKI、それに中村王子だった。HOYA兄いと、その友人がさっきまで居たそうだが、河岸を変えた後。

王子とAOKIは閉店のニュースが流れた「白バラ」に行ったそうだが、来月の閉店まで予約客で一杯と断られ、戻ったという。マッチャンは、前夜の酒で記憶喪失に陥ったようで、手前勝手な御都合論議を開陳する。

ニ杯も飲まないうちに眠くなり、お先にと失礼をした。帰宅は23時であった。

夕方、料理コーディネータのJIN先生とメールのやり取り。週末、土曜日に迫ったオヤジの料理教室のメニューについてだ。自分たちで作る、春巻き、タコの酢の物、鶏団子鍋と、牛蒡の唐揚げについて、材料手配などの確認。明日の木曜日、このメニューをマッチャンの事務所で予行演習をすることにした。習うより慣れろ、実行が一番である。暇なオヤジたちである・・・・・。人生は面白く、そして可笑しくがモットーなのだ。

 

七時に起床、台所には五分後に入った。今日のメニューは「チキンライス」だが、前日の残りご飯を前夜の内に確認してあったので、炒めご飯と云う次第。

今日は二つ弁当だが、台所のスタートが遅いので余裕がない。ここは手早くと云うところだが、頭と体がいうことおをきかないのだ。愚図愚図とタマネギをピーマンを人参を刻み、鶏肉を解凍する。菜の方は時間もないので、鮭を焼き、ピーマンの肉詰めを作るだけにした。

これまで何十回となく作って来たメニューだ。目新しい調理をする訳じゃなし・・・淡々と進む。時間の方も刻々と進む。家人が「もうすぐ七時半よ」と、長女の来る時間が迫っていることを告げた。

                           

長女が来て、五分を経過しれから漸く弁当箱に詰めることができた。ギリギリのセーフ!、という処だった。

                    

オイラの人生そのものが、常にギリギリだからねぇ~。それでも何とか凌ぎ凌ぎでやってきたわけだが、このギリギリ、塀の内か外か、危ないことの繰り返しだが、神のご利益か先祖のご加護か、幸せな男と云えよう・・・・。

 

 

 

 

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忘年会

2017-12-12 | Weblog

12/12(火) 師走も半ばとなり忘年会も真っ盛り。かく云う私も、既に三件の忘年会に参加したが、まだまだ続く。今夜はサラリーマンの最後に在籍した会社の剣道部忘年会から声が掛かっている。

竹刀はもとより、稽古着や防具を付けないものが今更OB面で参加することに気が引けていた。今朝ほど届いた参加者名簿に目をとおしたら、来賓の欄に名前があった。ホットする反面、少しさみしい思いも・・・・。乙女心と同様にオヤジの心も微妙で、揺れるのであった。

とはいえ、退社してから十五年が経過している。未だに声を掛けてくれる後輩たちがいるのは嬉しい限り。一方で、体調不良で参加されないとか、ご逝去された先輩方もいる。足が痛いの、膝がどうのとか言いながらも、声が掛かる、出歩ける元気に感謝しなければなるまい。

思いおこせば、二十代の頃は剣道関係の忘年会だけでも五~六回は出ていた。師走になれば、毎夜が忘年会であった。それに比べれば回数は減っている。来週からは、極々内輪の小人素での忘年会と称する邂逅や再会の宵がつづくだろう。これも楽しいひと時であろう・・・・。要は、毎晩飲むと云うことだ。

 

さて、今朝の弁当は二つ。何時もながらの家人と長女の分である。今朝の起床は六時半、夜中に目覚めることはなかった。昨夜は、神奈川五区選出の衆議院議員「さかい学」氏の政治資金パーティが、新橋の第一ホテルであり、これに顔を出した。

さかい学氏とは、地球市民の会・佐藤会長の紹介でご縁ができ、氏が初出馬した折からささやかながらも協力をしてきた。政治資金パーティも、以前は横浜の貸ホールから始まり、駅前のシェラトンホテルへ。そして昨年からは東京でも開催できるようになった。これも当選四回の、副大臣二度目の重さであろう。

官房長官や総務大臣の挨拶もあり、参加者も相当な人数であった。乾杯の後、さかい氏に挨拶をしてから会場を後にした。そのまま帰宅すればいいものを・・・・。

そうはイカンザキと云うのが我が人生。人形町に戻り、人気のない「ローカーボ」で、ハイボールを飲りながら喉を潤した。暫くしてマッチャンが姿を現し、歓談。マッチャンの強引な誘いで、そこから「こま吉」へと移動した。こま吉では、いつものホッピー割を飲んでいたが・・・。

其処に、こま吉の常連?らしき二人連れの姐さんがやって来た。違うテーブルに着いたが、アルコールが入っているようで饒舌。マッチャンが茶々を入れて、我等の横に呼んだ。こっちは酔いも廻り、そろそろ引き上げようかと思っていたのだが・・・・。

帰りそびれ、挙句に酔いにまかせて、相当下らん会話をしたような記憶がある。好みの姐さんならいざ知らず、相手をするのも面倒になった。後はマッチャンにまかせて、お先にと失礼したのは十時を過ぎていた。家に帰りついたのが11時40分だったので、店を出たのは十時半頃かも?。酔ってました

その所為か、六時半まで眠っていた。だが爽やかな目覚め、と云うほどではなかった。

弁当は二つ、今日のメニューはフライである。冷凍庫から豚ヒレ肉とホタテを取りだして解凍。鮭を一切れ焼き、前夜の残りの鶏肉煮を親子煮に仕立てなおした。ブロッコリーとパプリカを湯通し、サラダにする。

                             

ホタテ、豚ヒレ肉、タマネギをフライにして、今日の弁当はお仕舞。これだけで、小さな弁当箱は満杯だ。丁度、ご飯が炊きあがったところであった。

                       

長女の弁当は「親子丼風」に、丼仕立てを嫌う家人の弁当には鮭をちらした。

 

 

 

 

 

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渡し船&二色弁当

2017-12-11 | Weblog

12/11(月) 今日も深夜に目覚めてから眠れなくなった。目が覚めたのは午前二時、エアコンを点けたまま寝たのが悪かったか、体が汗ばんでいた。こういうのを自業自得と云うんだろな・・・・。

早目に蒲団に入るとよくある現象ともいえるが、かといって翌日の午後あたりになると眠気がやってくる。こっちは暇なものだから始末が悪いのだ。てなことで、本日も眠くなるはずだ。その頃合いに外出でもして眠気を避けるか?。

今日の弁当は一つ、家人の弁当のみだったので蒲団から出たのはゆっくり。眠れないままに夢現の中で時間の過ぎるのをまち、弁当作りのタイムリミット七時になって蒲団を出た次第。

菜の方もご飯も、昨夜の残りものがあった。とは云え、なにか作らねば落ち着かない。そこで「小松菜の煮浸し」「小松菜と胡麻卵炒め」、夕飯の手巻き寿司で少量残っていた鯛&ホタテとウインナーをバターソテーした。これに昨夜の「鶏煮」が加わる。が、これだけじゃ面白みがない・・・・・。

                          

そこで、ご飯の上に挽肉と卵のソボロを乗っけて二色弁当にすることに。暇なOYAJが思いつきそうねイージーさだが、ちょっと見、奇麗じゃないか?な。お味の方も?ながら・・・・・。

                      

 

12月9日の土曜日、生誕祭であった。祭りは余計か。今更、誕生日なんて一年の内の一日、生きてりゃ巡ってくるに決まっているものを、どうこう思いもしない。所詮あの世への一里塚、着実に近づいたことを再認識するだけのことだ。

近づいたことを実感した上で、その準備でもすればいのだが、所詮はものぐさOYAIだ。思うだけのことさ・・・・。

そんな誕生日ながら、暇な土曜日の夕に近所の魚屋を覗くと小鯛を売っていた。その安さに魅かれて「鯛めし」を炊くことが浮かんだ。幸いにも魚屋だ、市場と違って願えば鱗も内臓も始末してくれる。面倒が省けると云う算段である。

家人はこの日も仕事に出ていった。飯を作っても罰は当たらんと、持ち帰った鯛二匹で「鯛めし」を、ご丁寧に土釜で炊くことにした。この週、鯛めしは三度目になる。手慣れ過ぎて面白くないぐらいだが・・・・。

木曜日の朝、出勤前に炊き。昼のランチ会で炊きと、この夕は三度目。ともなれば新しい仕掛けや工夫があってもいいものだが・・・・なんにもなし。

鯛を洗い、熱湯を掛けて臭みをとる。と云うのも、この鯛は下関産とあったが養殖か天然物か?活け締め鯛ならこんなことはしないのだが。この鯛に軽く塩を振って焼いた。

米は三合弱を洗って水切りをしておいた。飯を炊く出汁は、鯛のアラで摂ったのが一番だが、小鯛なのでそのまま炊きこむことにしたのだ。程々に焼いた鯛を、塩・酒・醤油に昆布を敷いて更に白出汁を加え、土釜に入れて炊いた。今回は、薄揚を刻んで入れてみた。

炊きあがった頃合いを計り、十五分ばかり蒸らす。丸々二匹、釜から一旦取りだして頭やアラ、骨を丁寧に覗いて、身を釜に戻して混ぜる。たったこれだけのことだ。

                          

出来栄えや如何に?だが、ご飯をもう少し固めにしたかった。土釜で炊きこみをやると何故か、軟らかめの飯になってしまうのだ。土釜の所為か?。

目出度くもあり、目出度くもなしの誕生日はこんなことをして遊んでいた。歌姫、橋本葉子(誕生日が一緒)さんからは、田町のレストランBARに出演するのでと誘われていたが、冥途への行く末を考える時なんのでと断った。が、家に居ると出歩くのが面倒になるのだ。ボートレース場だけは別格だが。

随分と長~く生きてきたものだ。もう渡し場の直ぐそばまで来ているはずだが・・・、で思い出したのは、既に渡し船に乗ったことだ。乗って向こう側じゃなく、こっち側に来てしまったことだ。先週の、そう「矢切の渡し」だ。

                       

柴又から矢切へ。じゃなくて、矢切から柴又へ渡っちまったからね。東から西へ、北から南へと。これじゃあ、あっち側に行けない。反対だもの。神様が、改めて向こう側へ渡れと云うまで待つしかないか・・・・。そんなことを思う一日であった。

 

 

 

 

 

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ランチ会

2017-12-07 | Weblog

12/7(木) 今日の昼はランチ会がある。月に一度だけOYAJIにも出番があり、今日がその日であった。今日に備えて、YOSHIOとのランチタイムではメニュー検討を重ねてきた。最終的にメニューを決めたのは先週末であった。

メニューが決まったとは云え、レシピは幾通りもある。その中からどんな調理方法にするか、週明けから検討してきた。と、記せば、大層なものを考えているとか、出来そうだと思われたら大違いだ。

なんといっても作り手は小生、小うるさい助手がYOSHIOなのだから。本日のメニューも極々ありふれたもので「根菜の煮物」「鶏唐揚げ」、メインと云えるのが「鯛めし」で、炊き込みご飯である。これに、吸い物は潮汁てな次第。

このありふれたメニューをどんなふうに作るか?。自宅でも度々作っているが、もうひと手間というかひとひねりすべく、ネットのレシピを検索しては呻吟していた。そう何度も試作する時間もない…。菜加野のオヤジに電話し、下ろした鯛の保存の仕方を確認もしたし、板長からのサデッションもあった。

そして、昨日の夕方にレシピを固め、食材の手配などを終えた。そこから、下準備に入って万端整ったのは午後八時を過ぎていた。この間、根菜を煮込み、鯛の出汁をとり、鶏を出汁に漬けと、暇なOYAJIならではの準備をしたのだ。そして、試しに帰宅してから作る所存であったが・・・・。

然し、会社を出たのが八時半を廻っていた・・・。前夜の試作を諦め、一杯飲んで帰ろうとローカーボの扉を開けたのであった。帰るはずのYOSHIOが、金魚の糞よろしくくっいていた。店には、何時ものメンバーが揃って歓談の最中。これじゃ一杯で帰れるはずもないか・・・・。義母が亡くなったばかりのYOSHIOは一杯だけで返した。

                     

一時間ほど雑談をし、お先へと席を立った。まだまだやることが、買い物が残っていた。最寄駅のスーパーに入り、上新粉・鶏モモ肉と、オイラの来るのを待っていたかのような「鯛切り身」を贖うことができた。

帰宅したのは十一時頃か、これからじゃメニューの試作は無理だと諦めて翌朝にやることにした。かくして、昨夜は眠りに就いたのであった。

開けた今朝、六時から前夜の食材を取りだして予習の試作を開始した。課題は、鶏唐揚げの衣をどうするか、であった、片栗粉を使うのは常の事だが、ネットで見た上新粉や小麦粉を使った衣の検討をしたかったのである。溶いたり、混ぜたりと三種を作って揚げる。

                

鯛の切り身を焼き、出汁と酒、塩・醤油の塩梅を考えながら鯛飯を炊く。何れも今日の弁当に使える品々であり、一石二鳥と云うことだ。俺は妙なとこで真面目になる性格のようだ、どうでもいいようなところで手が抜けない・・・・。飯屋のオヤジに最適かな?。

                            

そんなことをしながらのランチ会、悪かろうはずがないが・・・・。鶏肉2Kg、鯛めしを一升二合、根菜煮を大鍋いっ杯、鯛の潮汁、デザートは信州のリンゴ、以上で今日のランチ会は12時30分スタートとなった。

味の評価は食した面々が決めること、こっちとしてはプラン通りに運べたと云う次第。メデタシメデタシ・・・・・。

 

 

 

 

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オオボケ

2017-12-06 | Weblog

12/6(水) 前日が草木も眠る丑三つ時に目覚め、そのまま眠れなかった所為か、今朝は六時半まで目覚めなかった。睡眠不足は翌日まで響くのだ。

さて、爽やかな目覚めとはいえぬが、それなりに気分はよかった。台所へも元気には入り、先ずは鍋でご飯を炊くことにした。と云うのも、前日の炊き込みご飯が電気釜に残っていたからだ。鍋飯を炊きながら、今日は「オムスビ」だったなと、鮭を取りだして焼く準備をした。更に冷凍の明太子を取りだした。

オムスビの日は、原則的に卵焼きを付けるだけなのだ。が、姿を見せた家人に『菜をなにか付けようか?』と訊くと、要らないとの返事。ではではと、卵焼きの準備を進めた。鮭が焼け、ご飯が炊きあがるとオムスビにするだけだ。

出汁巻風の卵焼きを作り、炊きあがったばかりのご飯をボウルに移して軽く塩をふった。鮭をばらしてオムスビを作る。家人は二個しか持ってかないが、自分の朝飯用に一つ余分に握る。しけた明太子も一つ握り、卵焼きを六等分に切った。今日は長女が休みとのことで、弁当作りはこれにてお仕舞い。

電気釜に残っていた炊き込みご飯もオムスビにしたが、これは会社に持って行くことにした。

                          

出来上がったオムスビをラップに包み、出来たぜと家人に渡す。と、そこでテーブルの上に載っていた食パンが目に・・・・。そこで、ハタッと気付く・・・・。

昨夜のこと「食パンが残ってるので明日は、サンドイッチにして」と、言われていたのだ。『そうだね~、昨夜サンドイッチって言われたんだ。とんだ惚けをかましたもんだよ』と、照れ隠しに云ったのであった。

サンドイッチが何故、オムスビに変化するのか?我ながら不明だが。今朝目覚めた時点で「おむすび」のワードが点滅していたんだ。之じゃボケ老人のことを笑えないぜ・・・・。

 

会社に持参した炊き込みご飯のオムスビは、YOSHIOとFUJIKURAに分けて、北風の吹く公園のベンチに並んで食した。物足りないぐらいの量なので、会社の一階に在るマイバスで、安いバナナを買って一本づつ食べた。この量だと、何時もYOSHIOとのランチタイムに食す量を凌駕している。何時もは、小さなハムトーストを二人で一つ、これにコーヒーを付けるだけなのだ。二人で、950円也のランチだ。

ランチタイムの痕、ハナマサへ明日のランチ会の食材、野菜などを買いに行った。調味料と食材は揃ったが、肝心の米が足りるかチェックしなきゃ・・・。足りなきゃ自宅から持参か、マイバスで買うかだが。デザートに後輩たちから頂いたリンゴも持参するか?

明日は師走の全体ミーティングとランチ会だが、小うるさい助手役のYOSHIOの動向がはっきりしない。と云うのも、彼の奥さんのお母さんが昨日亡くなられた。火葬場の手配が整わないこともあり、今日も会社に出てきたが・・・・。

奥さんの傍に居てやれよと云いながらも、実のところ彼が会社に居ないと困る仕事がある。印刷会社に入稿直前のデータや、コンペ案件のデザインワークと・・・何かと忙しい身なのだ。それを承知している故に、亡くなられた昨日も昼から出社してくれた。

 奥さんは母子家庭で、お母さんもご苦労されたと聞いているのでこんな時ぐらい傍に居てやれよといいながらも、彼の頑張りに感謝である。奴も苦労を、せずともいい苦労を重ねてきたっであろうから踏ん張りが利くのだろう。無理をさせて申し訳ないが、感謝である。

後は、年内に競馬当てろよ!。

 

 

 

 

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築地で鯛を・・・

2017-12-05 | Weblog

12/5(火) 目覚めたのは深夜の二時半。目覚めてそんな時間とは思わずにそろそろ弁当の準備に掛かろうかなどと蒲団の中で考えていた。精々六時頃かと思っていたのが大違いだった。

眠気もおきないので本を読んで時の過ぎるのを待った。五時になったので、少々早いが台所に向かった。ネコが餌をくれと纏わり付いてくるのは何時もどおり。こいつに餌を遣らないことには仕事に入れないのだ・・・・。

今朝の段取りは昨夜から考えていたし、目覚めてからも夢うつつの中であれこれと手筈を思案していたのだ。前夜に家人から「カワハギをもらったので、唐揚げにしてよ」と、言われていた。揚げ物ついでに「ホタテフライ」もやる考えでいた。後は「肉じゃが」である。

最初はご飯であるが、これは五目御飯の素を使って炊きご飯にすることに決定。ホタテも一緒に炊きこんで、五目御飯とホタテのコラボにした。揚げ物を作るなら、トンカツも作ろうかとヒレ肉を冷凍庫から出したが・・・、弁当に収まりそうもないと取り止めた。

肉ジャガの準備からスタートして煮始めてから揚げ物に掛かる。椎茸とホタテのフライを先行し、最後にカワハギの唐揚げ。このカワハギが一枚だけであったが中々立派なやつだった。魚を揚げたので使用した油は固めることになった。

                   

肉じゃがが煮あがlり、揚げ物が済んで最後の一品はオムレツ風卵焼き。炊きあがった炊五目&ホタテご飯は香りよし・・・・。

菜も沢山出来上がったが、今日の弁当は二つ。幸いである。

                        

早々と弁当事が済、風呂に入る。身を清めた後は築地市場へと向かった。出勤前に築地で鯛を買っていくのだ。なにを呑気なことを、と言われそうだがこれには事情がある。明後日の木曜日は月例のランチ会を予定しているので、これに使う鯛を買うのだ。レトルトのご飯の素は止して、鯛めしにした。

明日の水曜日は、市場は休み。当日の木曜日の朝は、全体会があるので時間的に無理。そこで今朝の買い出しとなった次第。

築地は相変わらずの人出だった、今朝は場外市場を抜けて場内へ入ったが、どちらも観光客の姿が目立った。築地のブランド力、人気に衰えはないようだ。

何時もの仲買の店にいると、なんとなんと「うまし」の大将が現れた。同じ店で仕入れていたとは、お釈迦様でも帝釈天さんも知らなかったろう。大将とは日曜日、矢切りの渡し~柴又・帝釈天と一緒に散歩し、鯛のことなども話したばかりだ。毎日築地に行っている大将だが、出会ったのは初めてだし、同じ店で仕入れていたとは・・・・・。

小ぶりのタイを二匹買ってから出社。出勤するなりキッチン籠ってタイを下ろして冷蔵庫に仕舞った。タイの処理は面倒なので小ぶりにしたが・・・・。鯛を捌くために自宅から出刃包丁と鱗取りを持参した。これが無かったら小さ目の鯛とは云え、とてもとても・・・・だったろう。

奈加野のオヤジに教わったように、鱗を取る時は鯛を入れてきた大きなビニール袋の中でとった。これは効果があった!、鱗は袋の中で飛び散ってくれた。

今になって眠気がやってきた・・・・・。拙いぜ! 

 

 

 

 

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遊びはリバーサイド

2017-12-04 | Weblog

12/4(月) 週末から水辺の遊びがつづいた。今日のタイトルが陽水の「リバーサイドホテル」を捩っている分けじゃないが・・・。金曜日の夜は、月例の「セイジュ会」があり、店のカウンターに陣取ってハイボールとカラオケ三昧で、後から来た客は煩さに耐えかねたか早々に退散した。酒場といえば水商売、そこで騒いでいた我等は水遊びとも云えようか?

                       

土曜日は本格的な水辺遊びに・・・。行先は勿論「平和島のボート場」である。ここではボートに乗ることができない、みて舟券を買っての遊びだが、この日は会社のスタッフ二名が、社会見学をしたいとの申し出で挙行となった。

泡よくば冬のコートをゲットしたいと言ったFも、馬さんの資金をと目論んだTも、意気込んでいたオイラにも女神の降臨はなかった。こんな日は早くきり上げようと、無料の送迎バスに乗り大森駅前へ。駅前の廻る寿司やで、安寿司を摘みながらハイボールなどを飲って解散した。

そして日曜日、この日がメインイベントだった。人形町駅に十時集合し、メトロを乗り替えて「矢切駅」へ。そこから江戸川を渡す、矢切の渡し舟で対岸の柴又へ。柴又と云えば寅さんと帝釈天、鰻飯である。と云う散歩が予定されていたのだ。

この日のメンバーは幹事がマッチャン、パトロール隊のHOYA兄いと小生、不肖ARIさんだ。これに「高松」の店主ミッチャンと、「うまし」の店主夫妻となっていた。集合の改札前に行くと、マッチャンだけは反対側の改札に居るという間の悪さ。出端から先行きに風雲急を感じた・・・。

マッチャンがこっち側に来たはいいが、「館山から叔父が来ることになり、行けなくなった」との詫び言葉が・・・・。一行は五人となり、舵取り不在のままで出港となった。10:23人形町駅発の都営浅草線、日本医科大行に乗車。隅田川を潜り、江戸川を渡って千葉県側まで行くのだだが・・・、遠いと思っていた矢切駅までは、なんと三十分弱で着いた。

然し矢切駅から、矢切の渡しまでが遠い。駅員に尋ねると「遠いですよ、三十分はかかりますね」と・・・・。こっちは膝も足の甲も痛いんだ、泣き言をいいたいぐらいだが、それを言っちゃ散歩の楽しみがなくなる。

駅で貰った地図によると、途中に古戦場跡や、伊藤左千夫「野菊の墓」記念碑があり、江戸川側へとつづく野菊の道が記されていた。地図を頼りに、渡し場を目指して一行はスタートした。風もない小春日和の穏やかな中を歩く・・・・。

台地から江戸川へと向かうY路地の先に、なんとミッチャンのカミさんの実家が在るとか。若かりし頃の思い出話(のろけ話か)など聞きながら歩むと、野菊の墓の記念碑が、道路から十段ほど上がった所に建っていた。

台地の端にあたるその小さな公園から、江戸川へと田園が広がりつづいていた。見晴らしがいい。野菊の墓を読んだのは中学生ぐらいか?内容はすっかり忘れているが、妙な懐かしさを、ノスタルジを感じ、暫し佇んだのであった。

                      

段丘の上から昔は江戸川の河原であったであろうと思われる扇状地へ下る。下りきると畑と田圃がつづき、あちらこちらがネギ畑である。丁度冬の収穫期か、ネギの香りが漂う中を歩むと、今度は「野菊の小道」と記した案内表示が。この道を抜けて行くと江戸川に当たるようだ。されど…未だ遠い。

のんびりのんびり、のたりのたりと歩み、川岸に辿り着いた。辿り着いたとこは竹藪に囲まれた猫の額ほどの広場が渡し船の待ち合わせになっていた。テント張りにのような売店があるのみで、昼なお暗しというようなとこだ。端っこに「矢切の渡し」の碑があり細川たかしの文字が・・・。

                      

向こう岸はグランドが広がり、微かに野球をする少年の声が・・・・。川面は蒼く穏やかで、流れがないような穏やかさであった。冬場は、この渡しは土・日しか運航しないとあった。向こう側から十人ほど乗せた舟が、船頭が櫓を漕ぎながらやってくる・・・・。穏やかな水面なのでエンジンは使ってないようだ。

                     

渡し船に乗り込む時に料金を徴収されたが、大人二百円であった。向こう岸まで十分足らずか?ゆっくりと櫓を漕ぐ船頭。オイラ達はUチューブで「矢切の渡し」を流し、細川が、ちあきがと、好みをいいあって情調はない。スマホから流れる矢切の渡しを聞きながらあっち側の葛飾区に上陸した。 

                

ここから帝釈天までは遠くない。食事のウナギを何処で食すか?それが最大のテーマになってきた。川甚か川千家か?それとも・・・。とは云いながらも、まずは帝釈天を拝してからだ・・・・。

                     

 参拝後、参道を散歩したが流石に日曜日だ。人出が多い、加えて参道が狭いので余計に多く感じるのだろう。寅さん所縁の団子やを横目に、駅前まで歩く。鰻屋を物色しながら・・・・。

柴又駅は小さな駅、駅前広場も寅とサクラが立っているだけで、十分の一はスペースを喰ってるか?。そんなことはないが、狭い。観光客は一様に寅の像と並んで撮りたがる。が、こっちにゃ邪魔だ。HOYA兄いがスマホを構えて待ってるが、一向に他人が切れない。とうとう『ちょっと待ってくんなし』と制し、漸く一枚が・・・・。

                       

そんなことの後、参道に戻って食事処を探す。二軒ほど覗き、有名店だと聞いた店で『タバコ吸えますか?』と訊くと、NOだと言われ、その前に在った綺麗とは、美味そうだとも思えぬ店にした。これ以上戻るのが嫌だったのと、タバコが吸えると云うのに妥協して。

その昔は座敷であったろう二階のテーブル席に案内され、飲み物や食事をオーダーする。旨くもなかろうと安い「鰻丼」にした。夫々にオーダーし、アルコールを飲みながら暫し歓談する。運ばれてきた膳の鰻丼の鰻丼は丼は立派だが・・・・。皆の膳が揃ってから一斉に蓋を取ることになった。

ミッチャンは、鰻重でオイラの鰻丼よりは千円高い。他は夫々ながら同じ値段であった。ではでは…蓋を取る瞬間がおとずれた。

             

丼と重じゃ随分と鰻の大きさも違い、焼け具合も向こうの方が美味そうだぜ・・・・・。値段からすればこんなもんだろうヨ! 。

皆から徴収した会費、各自一万円を持って会計した。想定より安い!、勘定間違えてんじゃないか?。全部で一万八千円弱だった。中瓶ビール(750円)を五本、ウーロンハイと焼酎水割りだかを2~3杯飲んだが。

駅に向かう途中の、最初に声を掛けた居酒屋風の店であらためて飲む。狭い店で家族ずれがカレーを食べ、蕎麦まである店だった。ごぼう唐揚げ、ウナ册串、煮込みなどの摘みと、日本酒やウーロンハイにハイボールと、てんでに好きなものをオーダーした。暫し歓談するも狭い店で参ったよ。

柴又・帝釈天・矢切の渡しと、今日を振り返りながらの帰りの電車。人形町に戻ったのは16時頃であったろう。今日の会散会と、正田屋なる居酒屋でホッピーを飲む。一時間後に本当の解散を宣した。

ご丁寧に、「日山」にて今日の弁当用の牛小間(880円/100g)を贖ってから帰宅したのであった。流石に草臥れたね・・・・・だって足痛いんだもん。

 

で、今朝の弁当は前日に買った「牛小間炒め」、北海道の友人から届いたばかりの「ホタテのバターソテー」に「野菜のサラダ」と定番「卵焼き」以上であった。

                     

残念なことに、今朝も弁当は一つだった。

                     

 

 

 

 

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炊き込みご飯

2017-12-01 | Weblog

12/1(金) 今日から師走、早いもので今年も一ヶ月を残すのみとなった。そんな師走の、最初の弁当は「五目炊き込ご飯」としたが、炊き込みご飯の素を使ったお手軽ご飯である。

前日、YOSHIOとのコーヒータイムの折に、今月のランチ会のメニューをどうするかとなった。炊き込みご飯に、根菜煮・鶏唐揚げなどを考え中だと話、炊き込みご飯の内容について思案中と伝えた。ス―パーに行けば、山のように多種多様な炊き込みご飯の素が並んでいる。これが結構美味いことは、承知している。

お手軽な炊き込みの素を使うか、或いは築地で鯛を仕入れて「鯛めし」にするか思案・模索中なのだ。鯛を買ってくると下拵えが面倒なことと、包丁(出刃)は自宅から持ってこなくちゃならない。兜煮は人数の関係で無理だが、鯛のアラで潮汁ができる・・・。手間暇を厭うか、面白い方に掛けるか・・・・解は出ていない。

前日そんな会話をした所為か、今朝になって急に炊き込みご飯にすることを思い立ったのだ。前夜のうちは「オムスビ」にするつもりであったが。急転直下、台所に入った瞬間に気が変ったのである。オムスビにするつもりで茹で卵なんぞを始めながらも。

買い置きして置いた炊き込みご飯の素の中から選んだのが「六三亭の五目御飯の素」である。道場六三郎の銀座店の監修になっているが、この銀座店に昔に行ったことがるが、感心しなかった。なのに、ここの監修と云う五目御飯の素にしたのは米二合用とあったからだ。

菜の方は、オムスビ用にしようと思って焼いた鮭と、茄子&茗荷に豚バラ肉の味噌炒め、急遽作った「鶏唐揚げ」である。唐揚げもランチ会のメニューとして検討している所為だが。

                         

炊き込みご飯が炊き上がった時間に、菜の方も整った。今日も弁当は二つである。

                      

 

昨夕、TUGAWAさんが来社して二人で懇談。「高松」が貸切とのことで「うまし」にて始まり「ローカーボ」へと流れた。ローカーボに入った時は客の姿が無かったが、暫くすると何時もの面々が姿を見せた。いつの間にか外は小雨から時雨となり、最後の店「ちょっぷく」へと・・・・。

                    

何時もと変わらぬ夜を過ごしたが・・・、歌姫・橋本葉子さんからの出馬要請は反故にしてしまった・・・・。男同士、オヤジ同志の酒が一番よくなったようだ。

 

 

 

 

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