オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

遊びはリバーサイド

2017-12-04 | Weblog

12/4(月) 週末から水辺の遊びがつづいた。今日のタイトルが陽水の「リバーサイドホテル」を捩っている分けじゃないが・・・。金曜日の夜は、月例の「セイジュ会」があり、店のカウンターに陣取ってハイボールとカラオケ三昧で、後から来た客は煩さに耐えかねたか早々に退散した。酒場といえば水商売、そこで騒いでいた我等は水遊びとも云えようか?

                       

土曜日は本格的な水辺遊びに・・・。行先は勿論「平和島のボート場」である。ここではボートに乗ることができない、みて舟券を買っての遊びだが、この日は会社のスタッフ二名が、社会見学をしたいとの申し出で挙行となった。

泡よくば冬のコートをゲットしたいと言ったFも、馬さんの資金をと目論んだTも、意気込んでいたオイラにも女神の降臨はなかった。こんな日は早くきり上げようと、無料の送迎バスに乗り大森駅前へ。駅前の廻る寿司やで、安寿司を摘みながらハイボールなどを飲って解散した。

そして日曜日、この日がメインイベントだった。人形町駅に十時集合し、メトロを乗り替えて「矢切駅」へ。そこから江戸川を渡す、矢切の渡し舟で対岸の柴又へ。柴又と云えば寅さんと帝釈天、鰻飯である。と云う散歩が予定されていたのだ。

この日のメンバーは幹事がマッチャン、パトロール隊のHOYA兄いと小生、不肖ARIさんだ。これに「高松」の店主ミッチャンと、「うまし」の店主夫妻となっていた。集合の改札前に行くと、マッチャンだけは反対側の改札に居るという間の悪さ。出端から先行きに風雲急を感じた・・・。

マッチャンがこっち側に来たはいいが、「館山から叔父が来ることになり、行けなくなった」との詫び言葉が・・・・。一行は五人となり、舵取り不在のままで出港となった。10:23人形町駅発の都営浅草線、日本医科大行に乗車。隅田川を潜り、江戸川を渡って千葉県側まで行くのだだが・・・、遠いと思っていた矢切駅までは、なんと三十分弱で着いた。

然し矢切駅から、矢切の渡しまでが遠い。駅員に尋ねると「遠いですよ、三十分はかかりますね」と・・・・。こっちは膝も足の甲も痛いんだ、泣き言をいいたいぐらいだが、それを言っちゃ散歩の楽しみがなくなる。

駅で貰った地図によると、途中に古戦場跡や、伊藤左千夫「野菊の墓」記念碑があり、江戸川側へとつづく野菊の道が記されていた。地図を頼りに、渡し場を目指して一行はスタートした。風もない小春日和の穏やかな中を歩く・・・・。

台地から江戸川へと向かうY路地の先に、なんとミッチャンのカミさんの実家が在るとか。若かりし頃の思い出話(のろけ話か)など聞きながら歩むと、野菊の墓の記念碑が、道路から十段ほど上がった所に建っていた。

台地の端にあたるその小さな公園から、江戸川へと田園が広がりつづいていた。見晴らしがいい。野菊の墓を読んだのは中学生ぐらいか?内容はすっかり忘れているが、妙な懐かしさを、ノスタルジを感じ、暫し佇んだのであった。

                      

段丘の上から昔は江戸川の河原であったであろうと思われる扇状地へ下る。下りきると畑と田圃がつづき、あちらこちらがネギ畑である。丁度冬の収穫期か、ネギの香りが漂う中を歩むと、今度は「野菊の小道」と記した案内表示が。この道を抜けて行くと江戸川に当たるようだ。されど…未だ遠い。

のんびりのんびり、のたりのたりと歩み、川岸に辿り着いた。辿り着いたとこは竹藪に囲まれた猫の額ほどの広場が渡し船の待ち合わせになっていた。テント張りにのような売店があるのみで、昼なお暗しというようなとこだ。端っこに「矢切の渡し」の碑があり細川たかしの文字が・・・。

                      

向こう岸はグランドが広がり、微かに野球をする少年の声が・・・・。川面は蒼く穏やかで、流れがないような穏やかさであった。冬場は、この渡しは土・日しか運航しないとあった。向こう側から十人ほど乗せた舟が、船頭が櫓を漕ぎながらやってくる・・・・。穏やかな水面なのでエンジンは使ってないようだ。

                     

渡し船に乗り込む時に料金を徴収されたが、大人二百円であった。向こう岸まで十分足らずか?ゆっくりと櫓を漕ぐ船頭。オイラ達はUチューブで「矢切の渡し」を流し、細川が、ちあきがと、好みをいいあって情調はない。スマホから流れる矢切の渡しを聞きながらあっち側の葛飾区に上陸した。 

                

ここから帝釈天までは遠くない。食事のウナギを何処で食すか?それが最大のテーマになってきた。川甚か川千家か?それとも・・・。とは云いながらも、まずは帝釈天を拝してからだ・・・・。

                     

 参拝後、参道を散歩したが流石に日曜日だ。人出が多い、加えて参道が狭いので余計に多く感じるのだろう。寅さん所縁の団子やを横目に、駅前まで歩く。鰻屋を物色しながら・・・・。

柴又駅は小さな駅、駅前広場も寅とサクラが立っているだけで、十分の一はスペースを喰ってるか?。そんなことはないが、狭い。観光客は一様に寅の像と並んで撮りたがる。が、こっちにゃ邪魔だ。HOYA兄いがスマホを構えて待ってるが、一向に他人が切れない。とうとう『ちょっと待ってくんなし』と制し、漸く一枚が・・・・。

                       

そんなことの後、参道に戻って食事処を探す。二軒ほど覗き、有名店だと聞いた店で『タバコ吸えますか?』と訊くと、NOだと言われ、その前に在った綺麗とは、美味そうだとも思えぬ店にした。これ以上戻るのが嫌だったのと、タバコが吸えると云うのに妥協して。

その昔は座敷であったろう二階のテーブル席に案内され、飲み物や食事をオーダーする。旨くもなかろうと安い「鰻丼」にした。夫々にオーダーし、アルコールを飲みながら暫し歓談する。運ばれてきた膳の鰻丼の鰻丼は丼は立派だが・・・・。皆の膳が揃ってから一斉に蓋を取ることになった。

ミッチャンは、鰻重でオイラの鰻丼よりは千円高い。他は夫々ながら同じ値段であった。ではでは…蓋を取る瞬間がおとずれた。

             

丼と重じゃ随分と鰻の大きさも違い、焼け具合も向こうの方が美味そうだぜ・・・・・。値段からすればこんなもんだろうヨ! 。

皆から徴収した会費、各自一万円を持って会計した。想定より安い!、勘定間違えてんじゃないか?。全部で一万八千円弱だった。中瓶ビール(750円)を五本、ウーロンハイと焼酎水割りだかを2~3杯飲んだが。

駅に向かう途中の、最初に声を掛けた居酒屋風の店であらためて飲む。狭い店で家族ずれがカレーを食べ、蕎麦まである店だった。ごぼう唐揚げ、ウナ册串、煮込みなどの摘みと、日本酒やウーロンハイにハイボールと、てんでに好きなものをオーダーした。暫し歓談するも狭い店で参ったよ。

柴又・帝釈天・矢切の渡しと、今日を振り返りながらの帰りの電車。人形町に戻ったのは16時頃であったろう。今日の会散会と、正田屋なる居酒屋でホッピーを飲む。一時間後に本当の解散を宣した。

ご丁寧に、「日山」にて今日の弁当用の牛小間(880円/100g)を贖ってから帰宅したのであった。流石に草臥れたね・・・・・だって足痛いんだもん。

 

で、今朝の弁当は前日に買った「牛小間炒め」、北海道の友人から届いたばかりの「ホタテのバターソテー」に「野菜のサラダ」と定番「卵焼き」以上であった。

                     

残念なことに、今朝も弁当は一つだった。

                     

 

 

 

 

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