オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

トンカツなど

2011-12-16 | Weblog

12/16(金) 先日、二月ぶりに取り寄せている佐賀の酵素豚肉が届いた。何でも、肉をお願いをしているSさんが、足首を骨折して暫く休んでいたと、添え書きが入っていた。

今日は、その肉の中からヒレ肉を使い「トンカツ」をメインとすることにした。揚物ついでに、ポテトと人参・ピーマン・椎茸も素揚げ等にする。

                          

そして煮物であるが、竹輪と板蒲鉾をスライスした甘辛煮付けと、小松菜・油揚げの煮物。小さなカマスの丸干しを焼く。

                          

以上が本日の菜である。何時ものように、ご飯三合を炊き三人分の弁当を用意する。炊きたての飯が旨そうなので、Kに塩ムスビを二つ付けてサービスとした。

                          

 

 昨夜は営業チームの「オフサイトミーティング」が開催された。要は、一杯やりながらコミュニケーションを高めようという趣旨。何時も顔を合わせているとは云いながら、中々本音の話やプライベートな部分のことは話さないもの。ざっくばらんに何でも話すのがルールといえばルールか・・・。

四半期に一回、会社の負担で費用を賄うと云う仕掛けである。日頃パソコン相手の仕事柄、こんな仕組みを制度化したのだが、効果や如何に?

先日まで、田舎から出てきた親父さんと同居してたAoki君。親父さんが帰郷したとたん会社に泊まりこむという元のスタイルに戻ったことや、早やく嫁を貰えとか・・・親離れ・子離れせんといかんぞと、ネタにされる。

二時間飲み放題の宴が終わった後、コンペ企画のプレゼンを終えてホット一息のAokiが、珍しくカラオケへとやる気十分。結局二人で、前夜も行ったseijuに入った。

今夜も、他には客の姿はなし。店のママさんの言うことでは「3・11の震災以降はさっぱりです」とのことだが・・・。ハイボールを啜りながらAokiの唄を聴き、自分もマイクを握ることとなった。

零時過ぎに帰宅、何と越前カニ(コウバコと呼ばれるメスカニ)が届いていた。このメスカニは、カニ味噌を食すもの。食事も終わっていたが、カニを目の当たりにして見逃す手は無い。

二ハイをかぶりついた。が、いや~その旨さ、カニ味噌のなんともいえぬ味わいと甘さは、小生には表現ができない程の旨さであった。訊けば、金沢在住の義妹が三国漁港(福井)で仕入れて送ってきたそうな。(よく出来た義妹ではないか

この何年かのうちで、一番の美味な味であった。思わずビールに手が行きそうであったが、翌日のことを考えて漸く止まった。イヤー、旨かった・美味かった!

 

 

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チキンライス・オムレツ風

2011-12-15 | Weblog

12/15(木) 師走も半ばとなり、そろそろ年賀状の準備に掛からぬとならない・・・。年賀状はできるだけ出すように努めているが、長い年月の間には住所が不明となったりで、何時のまにや欠礼をする仕儀も多い。

そんな中に、何人かの気になる友人やお世話になった先輩・上司の方々が含まれている。頂戴した賀状を見ながら、元気で居られると安心したり、ご無沙汰続きの方には一度お目に掛かりたいと思ったり・・・ご厚誼を頂いた時代時代のよすがを偲ぶ。

中には、「高齢により今年限りで賀状は欠礼します」と云うものもあるが、私からの賀状は可能な限り送りたい。『恥ずかしながら小生、未だ生きております』と云うメッセージのようなものだが・・・。

さて、今朝の弁当は「チキンライス」とした。昨夜遅くに帰宅して、飯釜を覗くとご飯が中途半端に残っていた。そんな次第で、炒め飯にすることとした。

そうなれば、菜は無くてもいいようなものだ。申し訳程度に、茹でソーセージとマカロニ&根菜サラダ(ジャガと人参)だけを用意した。

                          

チキンライスには、鶏肉の他にタマネギ一個とシメジ・ピーマン・人参が入った。炒めて塩胡椒・ケチャップにウスターソースを少々使うのが私流。

                          

仕上げに柔らかめの卵焼を載せて完成となる。今朝も三人分の弁当であった。

                    

 

 「久々に友人と」

昨夜は、多摩の在に住む友人のAjiさんが神田まで出てくれた。夏にW氏の常務昇進祝いで会って以来である。Ajiの勤務場所が、立川となったことから余計に疎遠となっている。

神田の駅で待ち合わせ、会社から徒歩で迎えに行った。道すがら、「彼と会うのじゃ、絶対的にカラオケは外せないな・・・」と思いが至った。落ち合った後に、カラオケのある店を知っている会社の傍まで戻った。

その店が空く時間(なんと八時過ぎないと開かない)まで、隣のソバ屋「高松」にて、仕事のこと家族のことなどを訊きながら焼酎をやっていた。

彼を知ったのは25年前か、隣の課で当時人気を博したテレホンカードの販売主管だった。私なぞは、上司の部長の威を借りては人気テレカを召し上げていた。(当時の私を指して、態度の悪いやつだと思っていたそうだ。仰せのとおり・・・)

それから3年ほど後、同じ部で勤務するようになり、丸二年を一緒に過してから深い付き合いとなった。私の処にも何度か泊まったし、彼の在の家まで行ったこともる。

家が遠い彼は、会社にもよく泊り込んでいた。尤も仕事の方も忙しかった。情が厚い男で、何でもよく相談をしてくれたので、家庭のこと仕事のことと彼のことは分かっているつもりだ、丁度同い年でもある。本当は何年か前、彼を我が社に呼ぶつもりでいたが、其々の事情で実現しなかった。

そんな昔のことの経緯などを肴に飲んだ。漸くカラオケの歌える店が開く時間となり、久々に彼の味のある唄を聴くことができた。客は二人だけであった。唄い捲くり・・・の夜となった。

 

 

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天川村~吉野~那智勝浦(1)

2011-12-14 | Weblog

 12月1日(木)~3日(土)にかけて奈良・天川村から吉野、紀州の那智勝浦・熊野大権現へと出かけた。

目的は、吉野・金峯山寺で得度し「大峯千日回峰行」を成し遂げた、塩沼亮潤・慈眼寺(仙台市)住職の足跡に縁の地を撮影しようという企て。

私が行く必要もないのだが、それはそれとして自分の目で確かめたいという好奇心と、那智勝浦で漁師となった「斉藤君」に会い、脱サラ漁師の心を、話を訊きたかった。

残念ながら、十津川越えの熊野大権現への道が、先の台風により崩れており大峯奥駈けのゴールとなる熊野大権現に至ることは叶わなかった。結局、吉野川沿いに川上村からのルートで那智へと向かったが、川上村の山崩れの大きさと、こんな場所が崩れるのかと驚いた次第。

 初日、生憎の天候であったが、奈良・天川村で修験道の聖地となる大峯山寺(山上ヶ岳)へと至る門を視察し撮影した(同行のTokioの役目だが)。上り口から山上までは約3時間とあった。

ここは、天川村の洞川(どろがわ)という処にある。登山道に至る手前には、昔ながら温泉宿が並び、「陀羅尼助」という特産の和漢胃腸薬を製造販売する店が並んでいた。

「陀羅尼助」は、会社のチーフ・スタッフであるNoboru君から何度か頂戴しており馴染み深い。関西では、大峯山寺を信仰する講も多いとか、Noboruも父親に連れられて何度か行ったことがあるそうな。そんなことを思うと、何故かこの地を身近に感じた。

                        

                         右端の山に大峯山寺が

小雨交じりで夕闇も迫ろうかと思わせる天候、ましてや人気も無い山の中である。幽玄な気配を殊更に感じる。

面白いのが、女人結界(信仰上から、それ以上に女性が立ち入ることを許さないライン)の場所が、昔と今では違っていること。何でも、観光バスが入るのでガイドの女性が、登山道に或る程度近づけないと説明できなと云うことから500m程奥に結界が上がったそうな。ルール・規則・決め事とはそんなものか?(大相撲でもそんな論争があったナ)

            

         ここから入山する    今の女人結界       昔の女人結界

洞川の後、天河神社に参拝した。 この神社には以前から訪れたいと思っていたので念願が叶った。社域は想像していたより狭かったが、拝殿の荘厳さは格別であった。

            

天河神社の視察と参拝を終え、夕闇に急かされるように吉野へと向かった。

 

 

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煮物と炒め物

2011-12-14 | Weblog

12/14(水) 昨日のBLOGで「自然薯まつり」と記したが、跳んだ大間違いで「山芋まつり」が正しかった。ステージの看板写真をアップしながら斯様な間違いをしでかすとは・・・。こんな様では、スタッフの校正間違いを責める資格は、ないな~。

しかし、山芋よりも自然薯とした方が有り難味があるように思うが?。この芋は、粘りがありすぎるので食べ方を工夫した方がいい。それと、お値段が良すぎるのが難点であるが、旨いことは折り紙付き。私は安いのを(細い)を少し買ってきたので、週末には食べ方を工夫して料理の予定だが・・・。

さて、今朝の弁当は「鶏肉と大根・椎茸・人参煮」少しだけ刻み揚げを入れた。何時ものようにお酒をたっぷりと使い、汁が無くなるまで煮炊きする。

                         

そして「豚肉と白菜・ピーマン炒め」、定番の卵焼きとした。炒めものに白菜を使うことは希である。

                         

以上が仕上がった頃に、次女が遅くに帰ってきたのを思い出した。彼女にオムスビを用意すると云ってあったのだ。

急いで紅鮭のカマを焼き、梅干を取り出した。手軽な、鮭と梅のオムスビとした。鮭は余るので、お弁当のご飯の上に乗る。

                         

私は弁当の変わりに、残ったお菜で軽めの朝食。単なる味見に非ず、昼抜きにしているので朝は少し腹に入れて弁当の気分を味わうのだ・・・。

                    

以上で、三人分の弁当とオムスビ二個が完成となった。

 

 

 

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ミカン畑で・・・

2011-12-13 | Weblog

12/13(火) 高知から、午後の便で帰京した。今回の帰郷では、日・月と二日間の作業予定等を計画していたが、日曜日に田舎のイベント「なかやま自然薯まつり」があり、昼前から酒を飲み一日を棒に振った。

私の故郷は、今は安田町(高知県)となっているが、古くは中山村という山あいの村落であった。その中山地区の特産品を作るということで、老人クラブ(尤も老人ばかりの地区となってしまった)が中心となり、山のムカゴ(自然薯の種芋)を採取し、畑に植えて自然薯の栽培を始めたのが定着したそうだ。

「なかやま自然薯まつり」には初めて顔を出した。元の小中学校跡を使い、自然薯や田舎すし・天ぷら・自然薯汁&蕎麦やビール・酒の屋台を集落の人たちが販売する。町の駅から、送迎の車を出してのイベントであった。(学校は数年前に町の学校に統合され、普段は使われてないのだ)

                          

体育館の中に茣蓙を敷き、長テーブルを並べて飲食いができる。屋台で買ったものを食しながら、ステージ上の素人演芸を楽しみ、じゃんけん大会や福引で盛り上がる。最近はトンと目にしなくなった、田舎の祭り。この日、一日のイベントだが、1000人近くの人出はあったようだ。

                    

老いた親父と座り込んで、ビールや酒を飲む。知り合いが前に座り、更にお酒が進むという塩梅。程ほどで切り上げたが、帰宅してコタツに入ると寝てしまった。帰宅の途中、安田川を望むと初冬の陽射しに川面が煌めき、実に長閑であった。

                          

そんな次第で、ミカン畑の方がすっかり疎かになった。畑に行くと、なんと蜜柑の木が二本倒れていた。根本を見ると、どうもカミキリムシにやられたようだ。添え木をして措置したが、生き残ってくれるかどうか・・・。

私の蜜柑の木は、まだまだ幼木。実を付けささぬ方がいいのだが、それはそれとして少しは実を付けていないと面白くない。そんなことで、甘夏の木に5~6個、八朔の木に10個ほど実を残してある。そして近頃は見かけない「紅蜜柑」の木に10個ほど実っていたを残した。

                     

                       甘夏               八朔

紅蜜柑は、小さな蜜柑の実を付け(ピンポン球ぐらい)、色は名のとおりに紅色、味はサックリしたポンカンのようで水気が少ない。昨年、高知の日曜市で苗を見付けて植えたもの。その実が何個か紅色になっていた。懐かしいな~といいながら、畑で味見。う~む、昔懐かしき味が口の中に甦った。

                          

                              紅蜜柑

小学・低学年生の頃、学校に向かう途中の坂の上の道端の畑に「紅蜜柑」の大きな木が在った。時々貰って食べた味が、未だ忘れられないのだ。

結局畑仕事は、柿の木の選定と文旦を100個程収穫しただけ。柿の木をは甘柿が五本と渋が五本だけだが、素人の選定は時間を喰う。さらに、親父が池の掃除をしたいと云うので時間を取られた。

                     

冬野菜を植えようと思っていたが、これも手付かず。来月の課題となったが、来月は柚蜜柑の手入れをしなくてはならぬ時期。朝晩の飯作りは勿論、何かとやることがある。そうそうはノンビリとできないが、時間の流れはゆったりとしている。

最後に、半分ほど取り入れをした「土佐文旦」の写真をお目にかけよう。大きな実が鈴なりになって、下の枝は地面に着きそう。あたかもグレープの如くに稔り、果実はグレープフルーツと同じぐらいか。食べた方や食味は全く異なる。今が取り入れどきだが、真夏まで残して夏ブンタンとか称して販売している例もある。

                          

これから、二ヶ月ほど貯蔵して追熟さして食べ頃となる。が、我がブンタンは旨くない。美味いブンタンを食している我輩には、我が家のはアカ~ンである。それに、実を稔らしすぎでいる。蜜柑作りと云うのも、ことほど左様に難しいのであります。道は険しく、遠い。

 

 

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品数勝負

2011-12-09 | Weblog

12/9(金) 今日は菜の品数が増えた。当初の目論見では鶏肉と野菜の煮物であった。処が、台所に立つと気分が変わり急遽変更。毎日同じようなもので面白くないと、鶏肉は親子風に仕立てることとなった。味は濃い目、チョッと甘めが親子のポイントと考えたが・・・。

二品目は貝柱(小ぶりのホタテ)とインゲンのフライとなった。そして焼き物は、鯖文化干し。ミートローフと人参の素揚げ、と続く。

                          

野菜は、茹で人参&ジャガイモとレタス&リンゴが加わったサラダ。味付けは少量のオリーブオイル・酢に塩胡椒&マヨが少々である。

                           

親子煮はタマネギと長ネギ、仕上げに二個の溶き卵でとじる。フライ用で残ったパン粉・小麦粉・溶き卵でエノキとじを作る。無駄なものを出さないという心掛け・・・。

                            

Kの弁当には、昨夜家人が煮た大根と小芋&鶏の煮物も詰める。何しろ今週は二段重ね弁当なのでたっぷりと入る、それでも親子は丼風にしないと納まらないのだが。(来週はレギュラー弁当箱に戻るぜ!)

                       

今日も三人前、私は残りのお菜を軽く試食。my弁当は年明けあたりから復活か?

 

 「誕生祭」

今日は何十回目かとなる誕生日を迎えた。迎えてしまったと云うべきか、ただただ馬齢を重ねてきただけのことである。

すっかり恒例となったスタッフからのお祝いを先ほど受けた。恥ずかしながらではあるが、折角の皆の気持ち、とあり難く受けた。

                            

昨夜は、池袋「野武士」にてK大兄やN大先輩・O先輩、北斗Iketani常務、と総勢五人での忘年会だった。野武士に行くのは久し振り、女将さんの心づくしの料理が待っていた。

この店は、K大兄の行き付けである。6時半から四時間も居座ってしまった。興が乗ってき、皆さんマイクを持つ時間が長くなってくる。勿論、私は控え目、抑え目である。何しろ一番の若輩である・・・。

      

      I氏とK大兄         ご機嫌のN氏           O氏とN氏          熱唱のI氏

二次会の声を後に、師走の風を背に帰宅した。 

 そして、明日(土用日)から来週の火曜日まで、恒例・月例の帰郷となる。

 

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煮物&炒め物

2011-12-08 | Weblog

12/8(木) 今朝の弁当作りは、鶏肉と里芋をメインに考えていた。これに冷凍の烏賊と豚バラ肉が加わった。脇を固めるのは、長ネギ・マイタケ・ピーマン・小松菜などである。

鶏肉は煮物ではなく、ローズマリを入れた洋風の炒め煮にする。が、何時の間にやら和風味に傾斜していた。長ネギとマイタケを最後に加えた。

                         

里芋は下茹でをしてから、油揚げの千切りと小松菜を加えて煮浸しにする。

                         


冷凍烏賊は、里芋と一緒に煮る予定であったが、これだと先日と同じメニューになると中止し、バター炒めにした。ニンニクスライスを熱してオリーブオイル&バター炒め。

                         

豚バラ肉は醤油・ウェイユー味で、ピーマンとエノキが参入してオリーブオイルで炒めた。最後に、定番の卵焼が登場してお仕舞いとなった。お菜四品と卵焼きである。

熱々のご飯の旨さに負けて、残り菜で軽く一膳を食した。旨いね~!

                     

お菜の上にパセリを散してみた、見栄えを気にする程のものでもないが、折角パセリを植えてあるのに使うことが無かった。今朝、ローズマリを摘みながら気付いた次第。

「或る、一族」

  昨夜も渋谷「奈加野」で一杯やる。相手は相棒のヒロさんと、ヒロさんの甥のTomoki君であった。Tomoki君と会うのは一年半ぶりとか、昨年の5月Tomoki君の義理の両親がベトナムから来日した折に会って以来とのことであった。その時は既に術後、元気になって酒が飲めるようになったら連絡を、と云った覚えがある。

あれから一年半、苦しい時を過してきたのであろうが、元気になった姿を見せてくれたことになる。

Tomoki君は或る運輸関係の会社に勤務。希望していたベトナム駐在となり、かの地で結婚した。帰国して暫くし、自転車事故で大怪我をしたり、大腸に悪性の腫瘍ができて手術と災難が続いた。何とか乗り越え、漸く元気になったようで嬉しい限りであった。

Tomoki君はベトナムから一時帰国をする度、会社に立ち寄ってくれ、かの地の暮らしや、仕事について聞かせてくれた。それだけに、私もヒロさんの一族のような気分である。

Tomoki君が怪我をしたときは、仕様がないなと言って笑ったが、病気になった時は心配をした。彼は二人兄弟の弟、彼らは若い頃に両親を亡くしている。ヒロさんの直ぐ上の姉が、彼らの母であった。

ヒロさんの一族・兄弟は、今は姉二人、兄ひとりとなったが皆、仲がいい。仲のいい兄弟が、両親を亡くした甥達のことを見守っている。
仲良き一族に接していると、私の気分まで晴れやかになる。

Tomoki君と別れ、ヒロさんと二人「mr.kanso」にてハイボールを飲み、お開きとなった。少々酔っていたか・・・。

 

 

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牛煮他

2011-12-07 | Weblog

12/7(水) 今朝は牛煮がメインメニューとなった。昨夜の帰宅時、東急ストアにて肉を購った時点では、焼肉(韓国風プルコギ)をイメージしたのだが、朝になり冷蔵庫の糸蒟蒻を発見、とたんに方向が変った。変わり身の早さが私の信条・・・?。

そして、冷凍のブラックタイガーを解凍して天ぷらに、一応世間では「エビ天」とか云うそうだが、大仰にいう程の大した代物ではない。付け足しで、芋を素揚げにする(この芋は由緒正しき、種子島産・安納芋と、敢えて申し添える)。これに、定番の卵焼きが加わり今朝のメニューが確定した。

                  

準備を進めるうちに、昨夜遅くに次女が帰ってきたのを思いだす。急遽、オムスビ用に鮭カマを焼く。そして梅干を取り出した。鮭と梅の二種が次女の弁当オムスビとなる。

牛煮には日本酒をたっぷりと使う、タマネギ・糸コン・シメジ・木綿豆腐・白菜が少し入る。これをすき焼き風に煮炊。すき焼丼にしたいところだが、上品にお菜の牛煮に徹した。

                       

鮭カマは、時と紅の二種を焼く。オムスビは2~3個しか作らないので、余った分は弁当に登板となる。卵焼きには、長ネギを刻んで入れた、醤油味。

             

以上が今朝の成果物である。次女はオムスビ二個、Kには今朝も二段弁当、後は家人と長女である。が、余の飯の旨そうな香りに引かれて、私も梅干オムスビを一つ持参することとした。

                        

 

 「夢」、最近はよく夢をみる(毎晩見ているのかもしれないが)。夢をみながら目覚めることが多い。目覚めて、その続きを更にブラッシュアップすることもあるが、それはビジネスに関すること。完璧なストーリーや企画が出来上がるのだが、仕事に繋がったことは未だ無し・・・。

先日の夢では、「ピストルで撃たれる」と云うのがあった。昔に作った背広を着ていた、色も仕立も、持っていたものと全く同じであった。

二発撃たれたが、撃ったやつはそのまま去った。起き上がって見ると、最初の玉は左の腕を掠めており袖口が煤けていた。二発目は何処にも当っていなかった。最初の玉の衝撃で倒れたのが幸した。と、夢の中でシュミレーションしていた。

今朝方の夢は、通勤電車に乗り出かける夢であった。どの便が最適か検討していた。どうにも意味が無い夢であった。
若い自分が出てくる夢もある。今更に、若い頃に戻りたいと云う願望などないのだが・・・。

夢占いというのがあるそうだが、差し詰めどんな占いの結果がでるのであろうか?関心もないが、ふとそう思った。

 昼間にみる「夢」。夢想だとか空想だとかと云う夢、叶わぬ願望、これなら時々だがある。未だ、雑念が消えないようだ。

 

 

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フライパンと電子レンジ

2011-12-06 | Weblog

12/6(火) 本日の弁当調理は全てフライパンと電子レンジの利用で作った。私にしては珍しい試みであった。元来が、旧石器人的な発想と行動様式なのだが、冷凍食材が多かったこともあり、少ない調理器具で如何に作るかとなった。

今日のメニュー、先ずは「ジャガイモと人参の温サラダ」で、パスタとソセージを加えてオリーブオイル・塩胡椒でまぶした。野菜は、レンジ茹で、何時もだと鍋で湯掻いてだが・・・。

次は「ピーマンの肉詰め」、タマネギを刻み合挽肉と、つなぎにパン粉を加えてフライパン炒め。これをピーマンに詰めて、レンジでピーマンに熱を通した。

次いで「豚バラ肉とシメジ炒め」。生姜をスライスして、肉に醤油・酒を垂らしてオリーブオイルで炒める。仕上げに、シメジも加えて一緒に炒めて出来上がり。

最後は「ブリの照り焼き」だが、フライパンにバターとオリーブオイルを熱し、ニンニクのスライスを入れて香り付け、解凍したブリの切り身に塩胡椒をパラリ・日本酒を少々、蓋をして蒸し焼き風に炒めて完成、醤油を一滴垂らす。おまけで、ミズ菜を刻み残り汁で炒めてみたが・・・。

                        

以上の間に、三合のご飯が炊きあがった。熱々の飯は、ほんまに旨そうや!これで、今朝は三人分の弁当を用意する。勿論、飯は残るので、余った菜と一緒に小僧が食している。が、最近は食す量が少ないようだ。団子より花か?

                        

定番の卵焼用に、三個の卵がスタンバッていたが、どうもに弁当に納まりきらんと作るのを見送った。

Kの弁当、今日も二段重ねにした。今週は、Kの栄養補給週間か?下の写真が「K弁」である。ご飯の上は、食欲増進の辛子味噌。

                        

以上、今朝のお楽しみでした。それでは、また明日・・・。

 

「昔のメンバーと・・・」

そう云えば、昨夜は渋谷・奈加野にて東京・広報時代のメンバーと一杯やった。今はグループ会社のPとなっているN氏(当時の部長)、悠々自適の先輩のO氏(女子高のテニス部コーチとして二十年)、後輩達で現役のS・M・Kの三氏であった。

一緒に働いた当時のこと、会社や仕事の現状と話は尽きない。後輩達も早や、一緒に仕事をしていた頃の私の年齢を遥かに超している。それを思うと、年月の経つ速さを実感する。

話を聞いていると、何時の時代も、問題や課題があるものだと実感する。

もっぱら聞き役に徹しながら、何時までも先輩面をしている時代でも年齢でもないと云う思いが強くなる。

現役の三氏には、夏の終りに開いたW常務の昇進祝いで、事務方として骨折りを頂いた。その御礼と、当時の部長だったN氏とゆっくりと話す機会は少なかろうと来て貰った次第。

そんな場を作るのも、亀の甲を経た者の努めだと思ってはいるが・・・。果たして、喜んでくれたであろうか。

 

 

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炒飯&煮物

2011-12-05 | Weblog

12/5(月) 深夜に目覚める、夢も見ていたようだが・・・、家人の仕事用の呼出電話で目覚めた。結局朝まで眠れず、深夜ラジオと本を呼んで朝を迎え、台所へ向かった。

今日の弁当は二人分でいい。長女は仕事が休みなので要らないとのこと。昨夜のご飯が残っていたので炒飯弁当にすることとした。発想が単純であるが致し方なし。

炒飯の具はホタテにする、冷凍ホタテを解凍して炒める。他にはタマネギ・人参・ピーマンが入る。菜は、鶏肉と人参・大根・インゲンの煮物、卵焼きであるが、Kの弁当には、昨夜の残り菜「白エビと川海苔の天ぷら・牡蠣フライ」や花豆煮・小芋煮なども加えることとした。

              

省エネの極致と思える生活を送るKのこと由、カキフライなどや花豆煮は食していないだろうと推測、栄養補給の算段。それに先週の木曜日から東京を空けた、その埋め合わせもある。今朝は、炒飯と菜の二段弁当と張り込んでみた。

炒める煮るは慣れっこ、あっと云う間に炒飯や菜が出来上がった。二つの弁当に詰めてお仕舞い。

                         

 

「アニメソングな夜」

話は変るが、昨日の日曜日の夜。「銀座タクト」と云うライブハウスで、或る音楽のイベントがあった(発表会のようなものか)。これに、会社の傍のドトールに働くTagoさんが出演した。

二月も前からこの会の話を聞かされており、足を運ぶ約束をしていた。何しろ毎日コーヒーを飲み行っているので義理を欠かすわけにはいかぬ。

一人じゃ厭なので、会社のU老とAkagiの暇暇クラブのメンバーを無理に誘った次第。イベントの数日前になって、隣の蕎麦店「高松」の女将も行くことが判明。当夜は、四人で並んで聞くこととなった。

音楽イベントといっても、アニメソングが専門なので、音響・マイクのボリュームに圧倒されるのだ。最初から、Tagoさんの出番が終われば退散しようと申し合わせていた。処が、彼女はトップバッターであった。結局、四組程の歌を聴いてから退散した。

                   

熱唱するTagoさん(芸名は、「鼎」カナエとか)。マイクで顔が隠れているのは偶然のこと、意図的ではないと釈明しておく・・・。

まだ耳に響く、といいながら近場のビヤホール「ライオン」で反省会?と称して一杯会となった。それでも22時前には帰宅。日曜の夜では、馴染みの酒場も休みなのが幸したか・・・。

                        

銀座の通りはクリスマス気分を盛上げるイルミネーションが輝いていた。ほろ酔いの三人を記念撮影した。(控え目に、チョッと遠間からの写真とした)

 

 

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