オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

お稲荷さんと揚物

2011-11-17 | Weblog

11/17(木) 今日の深夜も前日と同じ時刻に目覚めた、ラジオから低く流れていた歌は“ダンスパーティの夜”「君とはじめてあったの~は、ダンスパーティの夜だった 踊りリ疲れ~て・・・甘~く切ない ブル~スの・・・」と、曲が微かに聴こえてくる。

歌っているのは林伊佐緒か、高音の伸びとリズムは、私が知っている黒木憲の歌とは少し違う。本家本元の歌は初めて聴くように思ったが、良かった。

暫くして、番組はインタビューへと変った。今夜はダークダックスだった。そこで思い出した、昨夜に、「明日は昭和25・6年の歌を・・・、ダークダックスから・・」とアナウンサーが言っていたことを。第1回のダークのインタビューが終り、暫くすると5時のニュース、布団の中でニュースを聴いてから、本とタバコを持ってリビングへ。

本は「関東大震災」、吉村昭さんの著書。東日本大震災から八ヶ月、そろそろあの時の大変さを忘れる頃だ。次は関東かと言われていることを思えば、今一度噛み締めることが肝要であろう・・・。(3月11日午後2時46分、私は丁度郷里に帰った頃、東京の大変さを知らない)

6時前、そろそろ弁当の準備にと冷蔵庫を覗く。出来合いの煮稲荷パックがあった。今日は「稲荷寿司」でいくこととした。菜は、これも冷凍出来合いのコロッケを揚げることに、併せて川エビ(四万十川の手長エビ)も揚げる。

                      

煮物は里芋と椎茸、手長エビも一緒に煮付ける。最後は定番、お弁当の友「卵焼き」に落ち着く。しかし、弁当箱に納まりきらんだろう・・・。

                      

稲荷のご飯は生姜・茗荷・胡麻が入るだけ。柚酢の【てまいら酢】を使って混ぜ、稲荷に詰めれば出来上がり。簡単である、早やい、それに旨いと三拍子。

                  

皮を剥き、切り、刻み、まぶして揚げて、溶いて焼く、最後は詰める。それだけのことで、三人分の弁当が出来上がり。案の定、納まりきらん稲荷・お菜が残った、残った・・・のである。

                      

 

 第三木曜日

今日は11月第三木曜日、世界的にボジョレヌーボの解禁日。かってのような賑わいのイベントや盛り上がりはないだろうが、習慣化したようだ。昨夜。帰宅するとボジョレが届いていた。但し、木曜日になるまで飲まないで、と釘をさされてはいるが・・・。

格段ボジョレを飲みたいとも思わぬが、浮き世の義理とばかりに毎年購入している。お客様に届けるのが半分、後は社内で飲むか知人に渡す。今更、有りがたがられもしないが、旬なのでと・・・。

値段は結構する。居酒屋辺りで飲む思いをすると相当な割高である。当然味は良い筈だが?一本3000円弱となる代物でる。未だ飲んでいない・・・さてどんな味か!

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鶏肉煮と深夜ラジオ

2011-11-16 | Weblog

11/16(水) 家を出て駅に向かうすがら空の青さに気付く。初冬の風が心地よく過ぎていく。それやそうだ、風呂から上がって間もない・・・(風呂は出かける前の朝風呂と決めている)。

拙いblogを始めて丁度三年となるか。その頃にアップした写真を見ると「八丈島」での明日葉ビールや島の地魚の握り寿しがでていた。それは、先週末からのチェジュ島と同じメンバーによる八丈島訪問であった。

さて、今日の弁当は「鶏肉と根菜煮」「豚バラ肉炒め」「卵焼き」である。根菜は昨夜始めて訪れた「土佐の高知」と云う店で買った椎茸・九条ネギにレンコン・人参である。

                        

余談ながら、「土佐の高知」なる出所明らかな店は、10月22日にJR駒込駅から程近い場所にオープンしたばかり。高校の先輩から行ってくれと言われていた。昨夕、偶々巣鴨にて打ち合わせがあったので顔を出せた次第。間口二間ばかりの小さなお店であったが、ご夫妻で商っているそうな。野菜は新鮮で、安かった。

弁当に戻る、豚ばら炒めにはシメジ・タマネギ・長ネギ・人参とウィンナーのオリーブ炒めを添える。豚バラは酒・醤油・生姜で炒める。卵焼きにはチリメンジャコと刻みネギを入れてみた。

                        

こうしてみると毎回同じような物ばかり『変り映えしないね』と言われそうだが、仰るとおり。我ながら面白くない。但し、味付けだけは少しづつ変えている。今日の味は濃い、濃すぎた・・・。自分が弁当を持たないからと、手を抜いている分けでは決してないが。

                   

妙に美味い「椎茸昆布佃煮」の残りを飯の上に載せ、三人前の弁当が完成した。所要時間は40分、ご飯の炊きあがりと同時に出来上がった。

 

 「深夜のラジオ」

この頃ラジオを点けている。TVの番組はどれも似たようなオチャラケばかり、チットも面白くない。CDの春日八郎・ひばり・ちあきなおみ・布施アキラ、も聞き飽きて近頃老人族の人気を得ていると云う「ラジオ深夜便」なる番組にダイヤルを合わせている。

深夜、微かに流れる唄に目覚めた。のか、目覚めて耳に入ったのか。懐かしい「想いでまくら(小坂恭子)」の静かなメロディーと詩が聞こえてきた。妙に落ち着いた気持ちで、聞き入った・・・。この詩が流行ったのは二十代の半ば頃であったか、その頃の或るシーンが甦った。

時刻は三時半であった、そのまま微かな音に聞き入った。四時となり、作家の津村節子さんのインタビュー二日目が始まった。そうか、昨夜もこの一回目を聞いていたんだ。と、思い出した。

残念ながら津村さんの作品は読んでいない。精々銀座の情報誌「銀座百店」で職人さんをインタビューする記事を何年か前に読んでいただけ。しかし、ご主人の「吉村 昭」さんは好きな作家であった。

吉村さんとの思い出、作風について、そして「三陸海岸大津波」に触れるのは必然であった。微かなラジオの音に耳を傍立てる・・・。

吉村昭さんの作品に関心を持ったのは「深海の使者」(文芸春秋)が、月刊誌に連載されてからである。その頃、文芸春秋は愛読書であった。吉村さんの丹念・緻密、徹底した取材から生まれてくる文章には、引き込まれ、面白くて飽きることがない。

偶々だが、氏の「史実を歩く」(文迎春受)という文庫本に、二ヶ月程前に巡り会い読んでいた。その本にも書いている『言い伝え、伝承は貴重だが、鵜呑みにしていけない』と。史実を丹念に探査し、突合し、其処から生まれたものが文章となる。だから飽きない、愉しい。

津村さんが訥々と語る、夫というよりは作家・吉村昭の姿がよかった・・・。

暫くはラジオが続きそうだ、また睡眠不足か?

 

 

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焼肉、穴子巻き、旅

2011-11-15 | Weblog

11/15(火) 深夜三時半に目覚める、夢をみていた。そのまま本読み、ラジオを聞き朝を迎える。六時前に弁当作りに着手となった。

今日は昨夜に買ってきた「牛もも肉の焼肉」がメイン。それに根菜の温サラダと小松菜の煮浸し。焼肉の添えには、バター炒めのエリンギ・ピーマン・モヤシ。根菜は、人参・ジャガイモ・卵を茹で、オリーブオイルと塩胡椒で軽く和える。

                          

最後の一品、小松菜を生揚げと一緒に和風味の煮浸しにしてお仕舞い。今日も三人前の弁当となった。

                     

 

 「またしても穴子巻き」

昨夜、隣の「高松」にて軽くU老と“金魚湯割”を飲んだ後、日本橋の穴子料理店「玉ゐ」までブラブラと歩いた。旨かった穴子巻きを購おうという算段である。

店の場所は凡そ分かっていた。先週、渡邊さんに神田の支店に案内された折、パンフレットを貰ったのだ。U老の帰り道に近い、日本橋の本店に立ち寄ろうとした次第。

此処で土産用の穴子巻きと箱飯を求めた。準備のできる間、ビールを一本飲む。本当は穴子酒と行きたかったが、時間が掛るとのことで断念した。

今朝、U老の開口一番は「旨かった」であった。巻きを一本進呈し、味見をして貰ったのだ。
本当に旨い、旨い穴子料理である。鰻の歯触り舌触りとはチョッと違い、身味は柔らかくて食し易い、タレの味付けと抜群にマッチして鼻孔をくすぐる。

穴子の程よい脂と、マッタリながら、後を引かないタレの味は、程よいと言うよりはチョッと濃い目か。これがまた食味を誘って何ともいえぬ味わい。
U老が御礼だと、不味いと云うミカン一個とジョアを一本くれた。心掛けがいい・・・。

 

 「小旅行」

先週、金曜日の早朝に家を出た。7時半が空港での集合時間、前泊しようと誘われていたが何とか間に合う時間。問題は前夜の深酒が心配であったが、何とか凌いだ。

行き先は当ててほしい・・・成田から二時間強の土地である。満席の機内から現地に降り立ったのは昼過ぎ。そのままガイドに従って、当地の名所といわれる場所を何ヶ所か巡った。朝の内は雨が相当に降ったようだが、午後には厚い雲ながらも雨粒は落ちてこなかった。

曰く、龍の首の岩とか、この地に最初の人間(3人の男)が生まれた場所(三穴)とか、市場云々、夜は海鮮鍋(大したことは無い代物)を食した後、カジノでスロットマシンで軽く運試し。運は無かった!

               

一行は四人、毎年八丈島へ行く会であるが今回は趣向が変った。何の興味もない処であったが、長年の付き合いから同行することとなった。

                        

                                                    初日の海鮮鍋

翌日の土曜日、簡単な朝食を飯屋で済ます。相変わらず雲は重かったが、東海岸の目的地に着くとすっかり晴れた。溶岩流の長~い洞窟や、映画のロケ用に作ったと云う城(某氏に言わすと、太秦の映画村よりはしっかり作られているとか)や、藁葺きの村(民族村と云うそうだ)を訪ねて昔の暮らしを聞く。日本でも昔は同じようなことであろうが・・・。

               

この村で、説明をしてくれた村の女性の巧みさに惑わされてか「冬虫夏草」を買うこととなった。これまで何の関心も示してこなかった代物だが・・・。

                         

そして、これも映画のロケの為に作られたという海岸に建つ「教会」へと向かった。海の色と燈台の白、教会の佇まいが妙にマッチしていた。岬に咲く野菊の紫・黄色が印象的で沁みた。

              

その夜は四人でまたしても海鮮料理店へとなった。これが結構なボリューム、ビールと焼酎を飲み一人5000円弱。

                        

最後の日曜日、当初予定しなかったコース(南の海岸)の視察に参加することとなった。これもガイドの上手さが為せる技。案内する話の端々に客を誘う話題を織り込み、刷り込む。(当社のスタッフにも学ばせたいような巧みさである。これは、大いに参考になった、最大の収穫)

南に向かうルートには一面のミカン畑。ミカン・ミカン・ミカンの畑が延々と続く、たわわに実って美味そうであった(実際、美味かった。甘いだけでな、く甘酸っぱい)。最近は貿易自由化の煽りで値下がりし、農家は大弱りとか。なんでも、ここ南部は和歌山と同じ気候で作っているミカンも紀州ミカンと聞かされたが・・・。

                               

5000年前の溶岩流が海岸に織りなした岩模様、1000年前の寺院を再建したお寺etc。昼に食した「雉シャブシャブ」が美味かった。小旅行で食した中ではベスト、ビールがマッコリが大いに進んだ。

              

                 

さて、此処は何処だろう・・・?。大陸から盲腸のように突き出した半島、その先の東シナ海に浮ぶ島(大阪府と同じ面積とか)です。
図らずも幹事役のK氏、かの地のドラマのファンであるとか。そんなことから、かような企画となったようだ・・・。(私ゃ、何の関心もないが!)

 

 

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煮物&炒め物

2011-11-14 | Weblog

11/14(月) 暖かな日が続いている、金曜日は寒いはずの土地に行ったが異常なほどに暖かかった。土地の方も「この気温は本来の姿ではありませんよ」と強調していた。

さて、週明けの今朝の弁当だが何だか疲れており力が入らぬ。それでも弁当屋としては何かを作らねばならぬ。昨夜の段階では、川エビの唐揚か煮付けを目論んでいたが、今朝になって気が進まぬ。

結局、根菜の煮物「牛蒡・人参・筍・蒟蒻」を和・中折衷の味付けで煮る。炒め物は相も変らぬ豚小間とシメジ・ピーマン・パプリカ・タマネギの中華味炒め、卵焼きは趣向を変えてエノキのバター炒め入りにする。そして時鮭の焼き物を添える。

                     

弁当は三人前、自分は持たない。今月は弁当抜きの予定。金曜から日曜にかけての小旅行では飽食・満腹の安物喰い旅行となった。先週始めからの、ささやかな小食の試みも台無しとなった。今週から改めて仕切り直し・・・。

                      

家人・長女・K君の弁当が勢ぞろいし、今朝の弁当屋の仕事を漸く終えた。

 

 「いい夜、旨い酒」

 先週は連夜の酒漬けであった。小旅行に出かける前夜の木曜日、夕方早くからフィランスロピーの大御所「渡邊一雄」さんにご一緒、「玉ゐ」の穴子料理を馳走になった。

会社からも程近い神田にある支店の室町店であったが、予約がないと入れない盛況とか。渡邊さんが無理にお願いをして早い時間の席が取れた次第。初めて行ったが、旨かった!穴子尽しの肴も上々、穴子酒も進んだ。(この店はいい、絶対にお勧め)

早い時間から始まった席は、次の予約客の為に早めにお開きとなり八時前には店を出た。実は渡邊さん、土曜日に落語の高座に上がるとのことであった。二年間の修行の末、師匠から『三遊亭大王』なる大層な芸名を貰っての初高座、大いに意気が上がっていた。触りの処を聞かせ貰う。大したもの、流石に話の大家であった。

何があっても聞きに行かなくてはならぬ処であったが、生憎前々からの約束で東京を離れている。せめて、お祝いの花を送ることで気持ちを伝えることにした。

氏と別れて、一旦は会社に戻った。実は、次の予定があった。某省の官僚となったM君が遅くに来ることとなっていた。M君とは「地球市民の会(」NPO)の活動の関係で彼が学生時代からの付き合い。故古賀武夫氏の愛弟子である。

地方の県庁に出向したり、本省に戻るなり忙しい国の機関に出向となり、中々話をする機会がなかった。偶々その日遅くなら時間が取れるとTelを貰い、会社の傍まで来て貰うこととしていた。

更に、前夜にご一緒したお嬢達も合流してM君に引き合わすことにしてあった。八時半過ぎ続々とTelが入る。結局、店は隣の第一迎賓館と呼ぶ「高松」と云うことにした(単に私の利便だが)。

何しろお嬢達は元気一杯。大虎娘にウワバミ娘である。M君もたじたじのことであったろう・・・。

                             

前夜に引き続き、梁山泊か大江山、魑魅魍魎の状態になりつつあったが、私はぐっと堪えて酒を抑えた。明日の朝は四時半起きだ・・・今回ばかりは、飛行機の発つ20分前着では拙い。

そんな連夜を続けながら、翌朝は無事に空港に到着。夜は見知らぬ街での飯と酒&?であった。この話は、追々と・・・。

 

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シンデレラ・オジサン

2011-11-10 | Weblog

11/10(木) 家に辿り着いたのは昨夜も午前様、二本の針が垂直に重なったのを見届けてから中華街行き最終電車に揺られての帰宅。駅から自宅までの道のりを南瓜の馬車も無く、トボトボと歩く。急に寒くなったような気がする宴の後。

昨夜は何時もの渋谷「奈加野」。県人会の幹事として活躍してくれるIke嬢他との顔合わせ。月末に迫った県人会忘年会の打ち合わせや会場となる奈加野の店主との折衝を兼ねての懇談であった。I嬢の社のお嬢(小虎)が風邪とのことで欠席、代打なのかよう分からなかったが、H嬢が遅くに来てくれた。

H嬢、私がサラリーマン生活最後の職場となった会社の社員であった。幾つかの共通な話題もあり盛り上がった。大虎を自称するI嬢は豪快にして繊細・緻密、今時には得がたいキャラである。焼酎の水割りをグビグビとやっていた。

折角渋谷にきたので(何時もか)、お二人のお嬢にmr.kanso渋谷店を紹介することにした。気に入れば使ってくれるだろう・・・。

mr.kansoは先日とは違い賑わっていた。それもうら若き女性たちばかり、華やかな空気が漂っている。同伴したのは女性陣、男はオヤジただ一人の珍しい光景となった。

                           

そして今朝、昨日の轍は踏まぬよう起床。弁当の準備となったが、残りご飯があったので「炒飯」弁当とした。ピーマン・タマネギ・人参を刻み、焼いた紅鮭を入れた鮭炒飯を作る。

                      

菜はお手軽にホーレンソウの胡麻炒め、卵焼き、大根を豚バラ肉で巻いた煮物・椎茸と油揚げも一緒に煮る。何れも上々の味付けであったが、私は今日も弁当を持たない。チョッと残念な気分となった。

                      

 

今夜は渡邊一雄氏と会う予定、その後某省の官僚となっているM君が界隈に来る予定。何軒か廻ることとなりそうだ・・・。

明日の朝は5時30分には家を出なくてはならぬ。飲みすぎはしゃぎすぎに要注意だ。飛行機に乗り遅れると同行のメンバーから大目玉を喰らう。(何しろ搭乗時間20分前に成田空港到着の実績がる、このときは奇跡的に搭乗できたのだが)

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弁当オヤジ失格!

2011-11-09 | Weblog

11/9(水)今朝は寝坊をしてしまった、一旦目覚めながら二度寝の始末。家人に声を掛けられた時は7時10分となっていた。これから飯を炊き始めると弁当には間に合わぬと諦めた。

それでも、長女のサンドイッチだけは有りあわせのコンビーフと卵焼で用意をしたが・・・コンビーフは好きではないとのことであった。半ば強要して持たしたが。

それにしても今朝の体たらく、昨夜の酒精の所為か、はたまた日頃の不摂生が祟ったのか?

昨日、知人の新規ビジネスの企画等をhiroさんと二人で拝聴した。要は出資の依頼であるが、事業計画・収支計画も明らかでない案件では誰も金を出しませんよと、余計な忠告に留めた。企画そのものは面白いと思ったが・・・。

そんな話の後、二人で有楽町へと出た。何れにせよ、私は6時から或る飲み会が有楽町で予定されていた。それまでの間、昔よく通った“うた”で一杯やりながら話をしようという魂胆。

“うた”は先週にも或る集まりで行ったばかり、懐かしかった。この安酒場、日比谷に勤務していた当時、hiroさんと週に二・三度は待ち合わせた店である。ここで、生ホッピー・電気ぶらんソーダ・ウィスキーハイボールの三種を飲み、あれやこれやと雑談。hiroさんを残して次の場へと向かった。

次の店は「阿波踊り」という徳島料理の大店。実はこの店にも三週間ほど前に或る会で来ている。私は阿波踊りが好きなわけではないが、幹事役がここの常連でそうなった。

会の名は「埼玉家の会」という。十数年前、横須賀の研究所に勤務した折に単身者用の寮にいた。その寮の隣りに在ったのが「埼玉家」という寿し&食事の店。管理人不在の入寮者への荷物を預かってくれていた。そんなこともあり入魂な付き合いであった。

私は十年ほど店主夫妻と会っていなかった。尤も店の方は長男夫妻に任せ、今は天婦羅屋をしているとか。そして寮の方も廃寮となった。当時のメンバーで懐かしむ会を催している。

                          

                                                      埼玉家のご主人Oさん

お世話になった「埼玉家」のご夫妻が来てくれた。迎える側は六人(現役2・OB4人)の総勢八人での懇談。ご夫妻は変っていない、あの当時のまんまであった。二時間飲み放題の時間があっという間に過ぎ、お定まりのカラオケとなった。(唄好きなメンバーが多い)

                           

                              熱唱のN&Uさん

生ビールからハイボールへと移り、後はハイボール一本槍。カラオケは口火の一曲だけで、後は唄好きな方にマイクバトンを渡した。

                           

                                                        奥さんと某大学のK教授

あっという間に時間がきてお開きとなった。横須賀まで帰るお二人を見送り、ミッちゃんと二人で並木通りの店へ。ミッちゃんには取材の案件や、それ以前には仕事を回してもらったりと随分と世話を掛けた・・・気のおける陽気な仲間である。

三件目となる小さなBarでもハイボール、ミッちゃんとの与太話や昔話で気が付けばここでも二時間程経った。ようように愉しい時間を切り上げたが、帰り着くと午前様。今朝の弁当作りは断念となった次第・・・。

                           

                             陽気なミッちゃん

今夜も明日も、酒精を抜くことはない。ハードな一週間がつづく・・・。弁当や、如何に!

 

 

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冷凍物で・・・

2011-11-08 | Weblog

11/8(火) 今日は立冬とか、それにしては暖かい。中目黒駅のホームに立ち始発の日比谷線電車を待つ、ふと眼差しを上げるとホームの屋根の間から青い空が覗いていた。山手通りに目を転じると小春日和の陽光が煌めいている。俯き加減に歩を進める癖がある。漸く今朝の陽光に気付くとは・・・。

今朝は五時半から台所へ、相変わらず眠りは浅い。今朝の弁当メニューを考えようと冷蔵庫の野菜部屋を引き出す・・・そこで思い出した。昨夜、今朝のメニューを考えて冷凍庫から食材を移してあった。朝から、とんだ呆け振りである。

今日は、「冷凍水餃子」、それに冷凍の「ブラックタイガー(小)の揚物」を中心に据えたメニューの手はずを整えていたのだ。水餃子用のスープを拵えて、人参・白菜・オクラ一緒に茹でる。(茹で汁が沢山余った、スープとして呑む。旨い!)

                           

揚物は、小麦粉と片栗粉を半々で下味を付けたブラックタイガーにまぶす。そしてジャガイモの素揚げが今朝の揚物。

                           

もう一つ、卵料理のオムレツを作る。バター炒めをしたシメジを具にした。以上、三品が菜である。簡単といえば簡単な料理だが、手の込んだ物を作る気にはなれない。

                           

今日も三人前と思いきや、長女は弁当は要らないとか・・・昨夜からそう云われていながら、すっかり忘れていた。家人とKの弁当を詰めた後、折角だからと長女の弁当も作りTelする、弁当の押し売りだ。

                     

 

 昨夜は久し振りに「ちょっぷく」へと立ち寄った。一月近くは行っていないような気がする。同伴は何時ものU老である。先月の下高時に食した、「蒲鉾・天ぷら(江戸では薩摩揚げと呼ぶらしい)・ジャコが旨かった・・・高知にいるのでTelして頼もうかと思った」という。私は一言「重くていやだよ」と・・・。

高知の蒲鉾・竹輪は確かに美味い。この手の物は全国津々浦々、当地こそはと自慢する処が掃いて捨てるほどにある。が、私の味覚からすると『土佐物が一番』である。少なくとも十種類以上、十ヶ所以上の産地品を食しているに過ぎぬが。歯触り・食感・色合い・香り・甘辛と総合して最高と思う。(そこいらのソバ屋、居酒屋の品はもとより論外だが)

世間を渡り歩いてきた、古稀を過ぎたU老までもが”旨かった”買ってきてほしいと云うぐらいだ。お墨付きをもらったも同然。上物は、ちっと値が張るのがたまに疵か・・・。

 そんなこと言っている内に、仕事の件で呼び出したNoboruが到着した。更にハイボールが進む・・・。

私のハイボール歴は筋金入りと云える。二九歳の頃、シンガポールのシャングリラHでブランデー&ソーダを飲んで以来、アルコールはロック・カクテル・ビール以外はハイボール、炭酸割に徹してきた。これに勝るものなし、家で取り寄せている水も微炭酸水と、一途である。

 

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何時もの如く・・・

2011-11-07 | Weblog

11/7(月) 昨日の日曜日、夕方に高知から帰京した。木曜日の早朝に羽田を発っ、朝早かった所為かデジカメを持参忘れ。由に畑の写真が撮れなかった。(携帯電話では撮ってみたが・・・)

高知では雨が続いた。まともに畑仕事ができたのは金曜日だけ。その日も親父と叔父が田圃のコスモスを見に行こうと朝から急かされた。午後二時で畑仕事を切り上げ、羽根町大畠地区(室戸市)の山の田圃に播種されたコスモス見物に同行した。

小さな川沿いの山里。何枚かの田圃の稲刈り後に、地元の方々が種を播き咲かせている。村興しの一つか・・・。花丈は短いが、晩秋の柔らかい陽射しを受けて可憐に揺れていた。

                         

この羽根町を通る度に思い出すのが、今春に亡くなられた岡宗先輩のことである。先輩の生家は、この町の医院であった。大学に入る春、家を訪ねて色いろと話を聞かせて貰った。それ以来、ご厚誼を得てきたが不慮の事故に遭われた。国道沿いのその生家跡を通過する度、数十年も前となる春のことを思いだす。

さて、畑は10月の中旬に帰省して手入れをしたばかり。夏も終り、草の伸びも鈍って草刈は楽であった。その代わりに、畑を耕して絹サヤ・空豆・タマネギ・小松菜などを植え撒いた。植えたのはタマネギである。タマネギの小さな苗球を150本ほど植えた。

                          

                        文旦がたわわに稔り、色付き始める

土曜日も雨、畑仕事ができない。午後から、両親・叔父と従姉で田野町に在る「二十三士温泉」へと出かけた。風呂に浸かり、魚などを購って夕食は自宅にて叔父も交えてであった。帰省する度、一度は叔父も交えての食事となる。叔父は拙宅の隣に一人暮らし。兄弟同然に育ってきた従弟のアキラが早世して早や二十数年となる。娘は遠くに嫁に行き、妻はここ数年意識不明のままで入院。そんな叔父だが、愚痴は言わない・・・。

田舎は老人ばかり也、老老介護の現実がある。妹が近所にいるのでおお助かりだが、老人を相手にする彼女の負担を思うと申し訳ない。そんな田舎なれど、吾が故郷・・・。

 何時ものような弁当なれど・・・

今朝、五日ぶりに弁当を作る。メニューといえば変り映えなしの「鶏肉と根菜の煮物」「豚肉と野菜の炒め」「卵焼き」「鮭焼」であった。夜中にで目覚めてそのまま起きた出したのだ。新聞をじっくりと読み、愚図愚図と飯を炊き、菜を作る。

                     

食材は鶏・豚・大根・人参・椎茸・タマネギ・ピーマン・シメジ・甘塩時鮭・卵三個であった。作った弁当は三人前、今日から暫しの間、私は弁当を持たないこととした。田舎で食の細くなった両親の飯を作り、殆どを私が食す有り様。控えなくては・・・。

                         

何時ものペースで菜を作り、余った余った・・・。ご飯の上は、椎茸昆布の佃煮(これが旨い)。デザートに柿でも入れようと準備はしてみたが、入りやしない!

 「余 話」

 二十三士は、幕末・土佐勤王党の盟主であった武市瑞山の思想に呼応した安芸郡の郷士23名のことである。何故に二十三士かというと、入牢の武市釈放を嘆願するために立ち上がり捕縛される。今、温泉施設が建つ、奈半利河原において斬首された。明治となり名誉回復、その遺徳を顕彰した「二十三士の慰霊碑」が在ることから、温泉名もそれに因んでいる。

 の件だが、夢中で私はサラリーマンだった。既に亡くなった昔の上司からオーダを受けて、後輩の部下に対応を指示していた。夢から覚め、他の手立てが幾つか浮んだ。夢の続きを、対応策をウツツの中で検討していた。三つ子の魂、百までか・・・。

 

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タケノコご飯

2011-11-02 | Weblog

11/2(水) 今日は予定どおりに「四方竹のタケノコご飯」を炊いた。今が旬(否そろそろ終わるか)の四方竹を2mmぐらいにスライスし、揚げとマイタケ・椎茸を少々入れた。何と出汁昆布が不在。酒・醤油に塩を一つまみで炊く。

簡単といえば簡単な飯である。炊き上がる間に「糠漬けサンマ」を焼き、コロッケ(冷凍物)を揚げる。揚物ついでに、四方竹と桜海老の掻揚げなんぞも用意。

                           

炊き込み御飯と焼き物・揚物の弁当ができた。一応、四人分の弁当を準備したが、私は昼前に人を訪問する。ランチを一緒に取ることとなろうに・・・。

                        

今の時期、新筍のご飯とは乙なものではないか?

 

 「渋谷にて・・・」

去る祭りの日に訪れてくれた知人が”mr.kanso”なる店を始めたと云う。この方Oさんは、今取組んでいる情報誌がスタートした頃のご担当であった。その後、転職をされて友人三人でお店をスタートさせたとのこと。

昼間は暇な私だが、夜のスケジュールだけは立てこんでいた。漸く昨夜、時間が取れたので渋谷のお店へと表敬訪問することができた次第。

同行は相棒のhiroさん。相棒もOさんに会い御礼を言いたいと常々いっていた。渋谷の109スクエアで待ち合わせた。火曜日の午後7時、信号が変る度、人波が動く。

流石に東京・渋谷だなと感心する。面白い衣裳を着け、写真を撮っている人がいる。それでも人波の流れは変らず、誰も関心を示さない・・・。

                     

繁華街が途切れる辺り、円山町にそのお店はあった。小さなビルの三階、エレベターは付いていない。キツイ階段を昇りながら相棒に云う「こりゃ酔っ払ったら大変だ」。

ドアを引き店内を覗くと小さな空間であるが、よく整い酒場とは思えないような佇まい。客の姿はなかった。

小体な店内は、オープン間まないことを窺わせるかのように微かに木の香が漂っていた。Oさんが明るい声で迎えてくれた。この方はいつも感じが良く、優しく応対をされる。

                         

店を始めても、所謂水商売的な雰囲気が全くないのがいい。清々しささえ感じながら、ハイボールを飲む、この夜はハイボール一筋で通すこととした。

 「客が来たら引き上げますよ」と云って飲み始めた・・・。

                              

店のスタイルは「缶詰Bar」、摘まみは全て缶詰。酒は生ビール・日本酒・焼酎・ウィスキーと揃っている。壁にはとりどりの缶詰が並び、其処から好みを選ぶ仕組み。この夜は、牛缶の大和煮・ウィンナー・鯖味噌を供とした。

客は一向に姿を見せない。缶詰の品揃えや、客単価の上げ方、リピータ戦略と勝手なことをホザキながら酒が進む。何時のまにや、僕等の古い旅の話となっていた。

「そういや、hiroさん。ラパス(ボリビア)で酷い目に遭ったよね・・・」と、標高3900mの街中を歩き回って高山病になったhiroさんの古傷を突付く。ホテルの部屋を訪ねると、hiroさんは酸素ボンベを抱いて唸っていたのだ・・・。

 未だ客が来ない、更にグラスが空く。hiroさんは棚の缶詰の品定めしながら「キャビア食べたかったな・・・、雲丹は?」と、無いものねだりで遊ぶ。

「hiroさん、その内全部の缶詰をカウンターに並べろ。全部喰うぞ!何て、言うんじゃないの?」と、これもまた古い出来事を持ち出す。

これは、リマ(ペルー)のすし屋での出来事。現地のNGOに派遣されていた日本人の女性が案内してくれた”すし屋”のカウンター。客は私たち三人だった。相当に酔いも廻っていた。

6~7人座れば満席となるようなカウンターだったが、hiroさんは言った。
 「このカウンターの端から端まで握れ、並べろ」と。並びましたよ、寿しが。(ただし、舎利が・酢が良くない。少ししか喰えなかった)

そんなことがあったと、笑い話をしながら呑んだ・・・。とうとう、客が来るのを待ちきれずに引き上げとなった。階段から落ちないようにと・・・。Oさんが、気を使った先に下りてくれた。(客の様子をみて、そうするとか・・・俺達も足下が覚束ない老人ということか。納得!)

 mr.kanso渋谷店、東京では三店目となるフランチャイズの店だそうな。笑顔の素敵な店主が迎えてくれますよ。一度、覗いてみては如何か。(webサイトで検索あれ)

 

 明日からまた、ミカン畑に出かける。今回は冬・春の野菜の植付けをしたいが・・・。それでは、来週に会いましょう・・・。

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四方竹

2011-11-01 | Weblog

11/1(火) 11月最初の今日は小春日和。なれど気分は優れず、どうせ「二日酔い」だろうって?ご指摘のとおり。昨夕、知り合いの会社で新社長に就任したN氏が訪れてくれた。そのお祝いと云うことで盛り上がった結果が、この体たらくである。

その会社は新和プラニングというが、先々代の社長佐々木さんにお世話になった。佐々木さんにお会いしたのは丁度バブル真っ盛り、昭和の終りから平成へと時代が変ろうという頃であった。

ゴールデンウィーク明けの電話の輻輳対策のポスター制作が、差し迫ったスケジュールで何処の代理店も受けてくれなかった。その時に知人を介して面識があった佐々木さんに相談したところ快く引き受けてくれた。休み返上・夜を徹しての作業であったろうが上手く行った。その時のポスターの内容は、未だ記憶にある。

それ以来、入魂な付き合いをしてきたが、数年を経ずしてガンで逝去された。まだ若かった。

そんなご縁で、先代の社長とも親しくして頂いたが最近は仕事の方でも遠くなっていた。社長が交代したとの挨拶状を貰い、就任のお祝いを申し上げる前に、先方から来て頂いた。

三代目社長就任の名ばかりのお祝いをと、人形町の何時もの店で痛飲した結果が二日酔いである。しかし、祝い酒だ勘弁願おう。

深夜までリビングで寝込み、布団に潜り込んだのは深夜というよりは明け方。目覚し時計に起こされての弁当作りとなった。

今日は「四方竹」をメインに構成した。昨日、築地のヤッチャ場で購ったものである。このタケノコは今が旬という変りダネだが柔らかくて美味いのだ。

先ずは、四方竹と鶏肉・刻み油揚げの煮物、四方竹の細切りとシメジ・ベーコン炒である。肉系は一口ハンバーグと冷凍シューマイ。これに卵焼きならぬジャガイモ・ベーコン入りのオムレツとなった。

                     

四人前の弁当にオムスビ二個、オムスビは次女が昨夜遅くに来宅したとのことで急遽登板した。

                          

しかし、この四方竹と云うやつは美味いんだよね!明日はこれを使ってタケノコご飯にしてみるか。どんな結果となるか?それに北海道では定番との触れ込みの糠漬け秋刀魚を焼くとするか・・・。

 

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