オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

ここは南極?

2021-01-09 | 弁当

1/9(土) 歌の文句に南国土佐とか云うのがあるが、嘘だろう~。南国ならぬ南極だよ!。

と云うのも、今朝の寒さは半端じゃなかったようだ。北国にはかなわぬだろうが、雪が降らぬだけのことで寒かった。滅茶寒だった!。

そんな朝で、陽が射し始めてから従姉のKATOUKOさんが庭先に来たのでお茶を飲みながら暫し話をしてから、遅いブランチの用意を・・・。

処が水は出るが湯の出が・・・、ちょろちょろだ!。どうなってんだと思いながら食事を摂っているとジャ~ジャ~と音が聞こえる。水を撒く大きな音が台所の外から聞こえるのだ。嫌な気がする・・・。

外に出て台所の方に回ると、なんと我が家の水道管から大噴水が出現しているではないか。凄い勢いの噴水だ!。

お慌ててもしょうがない、先ずは元栓を締めるだけのことだ。前に同級生の水道屋KAWAMURA君に教えてもらった元栓を締めて水ならぬ湯の噴水を止めた。元栓を締めたので湯は勿論、水も止まった。止まったはいいが、これからが・・・。

こんな日は、我が家だけならぬ方々で同じような現象が起きているはずだ。友人の水道屋が一番の頼りだが彼も大忙しだろう!、と思いながらも頼りにするのは友人だ・・・。

電話をすると案の定、大忙しのようだ。「時間が取れたら見てよ」と言って電話を終えた。

土曜日、我が手では何ともならないと姪の店が開いているのでコーヒーを飲みに行った。今朝の惨状を妹と姪に知らせておかなければ・・・、笑い話だが。

店から故人となった従兄の連れ合いと長女が出てきたのに行き合わせた。二十年ぶりくらいであったか、従兄は商売に失敗して夜逃げ同然に逃げ、その後その地で亡くなった。向こう気の強い、器用で漁をしても上手だったが遊びが過ぎたようだ。が、人に好かれた。そんな従兄を私は好きであった。

なにかの拍子に、そんな従兄のことを思い出していた。子供時代や高校生時代の頃のことを。従兄が亡くなってから郷里に戻った聞いていたその連れ合いのことも。何もしてやれないながら、元気に暮らしているだろうかと。

年相応にも元気な様子に出会えてよかった。遊び好きな亭主に苦労をされたが、娘と一緒にこうして亭主の実家のある山里に姿をだしてくれ、ありがとう、と届かぬ声を今伝える。

帰宅してから破裂したところを見たがサッパリ分からない、其処にKAWAMURA君の仕事車が着いた。いや~助かった!。

駄目になっていたのは湯の管だけでなく、二階の水の方の繋ぎからも水漏れしていた。二時間程を要して両方の修理を終えることができた。その間にも彼の携帯に何度も修理依頼の着信があった。忙しい中を来てもらい、友人なればこそ。おまけに、費用は滅茶安い、学割か友人割?か。ありがとう!。

 

こんな日の夕食、七時になってから始めた。昨夕は五時半からしょくじであったのに。食事を始めたのは八時から・・・。

スキ焼風煮にカマスの開きを焼き、味噌汁に漬物。2~3日も食べ続けているクリームシチュー、茄子煮、自家製の千枚漬けである。寒いので、ぬる燗の土佐鶴がお供であった。

          

独りの食事ながらも作るとなると一人分は半端になり、作る量は多くなる。そんなことで、テーブルに並べてみても食べきれるもんじゃない。従って、料理によっては二日も三日も並ぶのが常である。

その典型とも云えるのが昨夕(下の写真)である。これだけ並ぶと見ているだけでお腹が一杯だが、それでも一生懸命頂く。これじゃ肥りますわねぇ~。これも因果応報?。

          

 

 

 

 

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