オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

帰京後・・・

2022-09-12 | 日々の暮らし

9/12(月)先週の木曜日、予定どおりに帰京。翌、金曜日の夕は歯科検診後「うまし」にて何時ものメンバーが揃って歓談。翌日から岩国に一緒する同級生のHOSOKAWA君もチケットを受領がてらに参加した。

「うまし」から「こま吉」へ、最後は「ちょっぷく」でお開きにした。翌朝が早いフライトのため、23時前に帰宅した。

                

そして土曜日、羽田空港9:05分発のANA便岩国行にHOSOKAWA君と搭乗した。着陸前のアナウンスで「軍事上から空港の写真・ビデオの撮影はできません」との注意が流れた。米軍との共同利用?と云うより、民間機が利用させてもらっているだね。米軍のオスプレイヘリが多数並んでいた。

岩国空港と云えば、先の大戦の折に亡父が所属したのが岩国が本隊の海軍航空隊だった。ここから敗戦濃厚な五月下旬、練習機も底を尽き、教官たちも教えるものがなくなったと串良航空基地(鹿屋の隣)に特攻隊として行ったと聞いた。当時の錦帯橋辺りでのセピア色した写真が数枚残っている。

そんなことも思い出さす中、岩国空港に着いた。

空港で同級生のHAMAOKA君が迎えてくれた。彼の車に同乗して、リクエストしてあった周防大島(屋代島)へと向かう。多分一時間ぐらいの行程であろうが、途中の道の駅でボリューム満点のランチを食した。

                 

               これに天婦羅、コーヒーがついて1300円

島へは大橋を渡る。この島へは十年ほど前になるが一度来ている。情報誌の取材と、島出身の民俗学者・宮本常一さんへの憧憬だった。

                    

宮本常一記念館、星野哲郎記念館、戦艦・陸奥記念館と巡り、おおよそ島を半周して、岩国市のホテルに入った時は夕刻であった。

町役場の支所の中にある宮本常一記念館は、以前訪ねた時より整理されて随分と綺麗に、かつ見やすくなっていた。

                

支所の隣に在る星野哲郎記念館は瀟洒な佇まいで、館内は簡潔に整理されており心地よかった。TV番組制作を生業としているHOSOKAWAは大喜び。週明けの番組収録にゲスト出演するチータ(水前寺清子)と、作詞家が一緒の写真を前にして「話のネタができたな」と!。

           

私は私で、前回訪問した折に島に帰っていたTUGAWAさんの元スタッフJUNKO女史や、島出身の先輩・後輩たちとの思い出が甦った。

友人の案内で夜の市内を歩き、予約したあった酒場にて地酒を飲み比べながらの歓談。半世紀以上も前からの友人である。話は尽きない・・・。

翌日の日曜日、もう一つの楽しみであった鉄砲隊の演習(練習)を見物させてもらった。朝のうちは生憎の雨模様であったが、十時ころから上がった。隊のメンバーであるHAMAOKA君から実施するとの連絡をもらい会場の錦橋下公園に向かった。

昨年の秋であったか?、我が田舎に参集した折にHAMAOKA君が古式の鉄砲隊に参加してるということを話した。それじゃ見なくちゃ!と、いうことになっていたのだ。

鉄砲足軽の姿で公園の一角に現れたのは十数名。隊長の指揮のもとで、戦場に倣った形式での試射(勿論空砲)が三十分ほど展開された。黒色火薬の臭いと、爆音が響き・煙が漂った。

          

岩岩国藩吉川家の鉄砲組は、四境戦(長州征伐)の折に出撃したと、令和の隊長は訓示していたが・・・。また、かつての組員は250人と云うが、令和の隊員は三十数名とのことで維新は遠くなりにけりだ。

鉄砲はすべて二百年以上も前のもので、美術工芸品としての登録がされているとのことです。

 鉄砲組の演習を見学後は、短い時間遊覧船に乗って舟遊びの気分に浸り、錦帯橋を渡って汗を掻く 。錦帯橋を渡るのはこれで三度目となるか・・・。    

そんな短い、旧交を温めた一泊二日の旅。日曜日の午後七時過ぎに羽田空港に戻った。妙に草臥れ感があった。

 

さて、弁当の方だが。帰京した翌日の金曜日と、月曜日の今日の二回だけである。テーマが弁当BLOGなので一応掲載します。

         

 

 

 

 

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