オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

相棒と銀座のクラブ

2008-12-21 | Weblog
ヒロさんとはよく飲んだ、飲みに飲んだ。

何時しか、店が定まった。「銀座のクラブ」これが合言葉だった。
ヒロさんから電話がないときは、僕から掛ける。何処かで仕事をしていようが、飲んでいようがお構いなし。必ず来てくれた。

それじゃ「銀座のクラブ」で、何時ごろにと云う。
たまに僕が先に着く事もある。クラブの親爺が言う、「連れは未だだよ、奥にいるよとか」結構に人の出入りが多い店だったが、すっかり顔馴染となった。それやあそうだ、多い週は、ほぼ毎日だった。

有る時、PR誌の編集をサポートしてもらっていたO氏と打合せの後、「銀座のクラブ」へ同道した。僕とヒロさんが熱燗を頼む。彼も同じ物を注文した。
一口含み、ノタマワッタ。「こんなものを飲んでちゃあ体を壊すよ」。酒は四谷の何とかと言う、彼の行きつけの店の上物でなけりゃいけないと。
僕等は口を揃えて云う「じゃ~今度飲ましてみろよ」・・・一度も実現するはずもないが。
それ以来、O氏とは酒も飲まない、仕事もしなかった。

僕等の「銀座のクラブ」はN社のビルから程近い、有楽町のガードの脇にあった。あたり一辺に焼きとりの臭いと、煙が何時も立ち込めている。
カウンターか、長テーブルにへばりついて飲む。そんなオヤジ御用達の店だ。ただ飲むための、ウダウダと話をする為の店なのだ。
冬は、煮込みと焼き鳥を何本か頼み、熱燗を飲る。夏は、ビ-ルとやっぱり同じツマミ。

一年の四分の三はヒロさんと一緒に居た。それ以上かもしれない。仕事とプライベート、そんな区切りのない日々を過していた。
毎日に毎晩、話した、聞いた。それを繰り返しても、繰り返しても、尽きなかった。

そんな日々の中で、僕は元気をとり戻していた。
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