Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

山崎聖天<観音寺>(2015年10月24日参拝)

2015年12月28日 | 仏閣
石清水八幡宮は今回華麗にスルーし、
八幡市からサントリーウィスキーの山崎蒸溜所がある大山崎町へ移動。

この辺りの寺社もまだ未訪でしたので、
この機会に訪れることにしました。

まずは山崎聖天を参拝します。



所在地:京都府乙訓郡大山崎町大山崎白味才62
宗派:真言宗系単立
御本尊:十一面千手観音
創建:昌泰2年(899)
開基:宇多法皇


【縁起】
寺伝によると平安時代の昌泰2年(899)に宇多法皇が、
御願寺として創建されと伝えられます。

その後、衰退しますが江戸時代初期に摂津箕面勝尾寺の僧・木食上人以空が、
この地にあった聖徳太子の作と伝えられる十一面千手観世音菩薩を御本尊とし、
中興開山します。

それ以後、歓喜天を祀り、霊元、東山、中御門天皇の厚い帰依を受け、
商売繁盛家運隆昌を願う住友家、鴻池家、三井家などの信仰や、
京都、堺など商人の参詣を得て大いに発展します。

このことで御本尊の十一面千手観音菩薩よりも 歓喜天への信仰によって、
「山崎の聖天さん」として知られるようになり、
江戸時代の観音寺は大いに賑わいます。

しかし江戸幕府末の禁門の変の際、元治元年(1864)、
長州の尊皇攘夷派の部隊が山崎の地に陣を取ったことにより、
戦火に巻き込まれ、山崎は幕府軍と長州派の戦いにより、
天王山一帯は壊滅的な被害を受けます。

観音寺もこの時の火によって、事前に避難させた十一面千手観世音菩薩と
歓喜天像以外を残して焼失してしまいました。

明治時代に入り観音寺は順次復興され、現在ある建物は西観音寺の本堂や、
聖天堂や鐘楼などを移して再建されたものです。


【稲荷社】




初めて訪れるだけあって、
どこまで車で進めるか不安になりながらも進むと稲荷社発見。

軽く参拝してから更に上に登っていく。


【仁王門】




仁王門の横まで車で登れました。
大変助かります。(^^

歩くのが好きな方はもっと下から階段で登れますよ。


【仁王像】





【石段】


どっちを選ぶといえば左に決まってますよね。(笑)


【境内】



【本堂】





【内陣】







【鳥居】



【狛犬】



【聖天堂】







【光明殿】



【鐘楼堂】



【開基薬師堂】



【放生池】



【宝篋印塔】



【地蔵尊】



【御朱印】


一体何があったんや?
以前は授与していたのに。

「御朱印はできません」って暫くの間出来ないのか、
それとも止めてしまったのか、よく分からん。