メキシコ次世代を担う新たなる才能の誕生だ。
弱冠36歳のミシェル・フランコ監督が、終末期の患者をケアする看護師の献身愛と葛藤を、サスペンスフルに描き切った。
非常に大きなテーマに挑戦した、意欲的なヒューマンドラマだ。
カンヌ国際映画祭脚本賞の受賞作で、現代人の誰もが抱える社会的な問題を、これまでにない新しい視点で見つめた貴重な作品だ。
人間の、そして生命の尊厳とは何であろうか。
主人公デヴィッド(ティム・ロス)は、病気や事故で寝たきりになった患者の自宅に通ってケアをする、中年の看護師だ。
妻ローラ(ネイレア・ノーヴィンド)と娘ナディア(サラ・サザーランド)とは、息子ダンの死をきっかけに疎遠となり、一人暮らしをしていた。
デヴィッドは、余命半年以内の終末期患者サラ(レイチェル・ピックアップ)を看取った後、脳卒中で半身麻痺の老人ジョン(マイケル・クリストファー)を担当するが、仲の良さを家族から不信の目で見られ、セクハラの非難まで受けて職を失った。
やがてデヴィッドは、末期がんに侵された中年女性マーサ(ロビン・バートレット)を担当することになる。
最初は彼に心を閉ざしていた彼女だったが、彼の献身的な態度に、徐々に心を許していく。
しかし、化学療法の副作用に苦しんでいたマーサは、身も心も追いつめられていた。
そしてある日、マーサがデヴィッドに「手を貸してほしいの・・・」と、安楽死の幇助を意味するかのような言葉で懇願する・・・。
マーサは嘔吐や脱糞などの症状で、どんどん人間的な尊厳が失われていく。
そして看護師のデヴィッドに、「ひとりで死にたくない」と言って、安楽死を求めるのだった。
主演のティム・ロスはハリウッドの人気俳優だ。
彼はこの作品の製作指揮も行い、役作りにも力を入れ、静かな死と向き合いながら、自身で寡黙な人間像を作り上げた。
セリフは少なく、画面は静謐に満ちている。
終末期の患者の心を共有することなど、出来ないのだ。
映画は長回しの固定画面が多く、しかしラストの移動撮影は秀逸だ。
優しい眼差しで作られた映画である。
愛する人の最期を、家族はプロに任せることが本当にできるだろうか。
見知らぬ看護師に任せられるだろうか。
この作品で、デヴィッドは患者の葬儀に出ることはあっても、親族との会話はほとんどない。
ドキュメンタリータッチの撮影技法にこだわって、臨床風景がより一層際立つ演出となっている。
衝撃のラストシーンをどう見たらよいか。
考えさせられるところである。
ミシェル・フランコ監督は、実際に自分の祖母と看護師の話から脚本を書いたそうだ。
メキシコ・フランス合作映画「或る終焉」を観て感じることは、人生も人間も謎めいたものであり、その世界には誰にも裁くことのできない領域が横たわっているのではないかということだ。
美しくも強烈な余韻を残す、一作である。
[JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点)
次回はアメリカ映画「教授のおかしな妄想殺人」を取り上げます。