徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「鏡は嘘をつかない」―死と絶望の闇から再生と希望の光へ―

2016-08-24 18:00:00 | 映画


 父は、海に出たまま帰って来なかった。
 インドネシアの、美しい珊瑚礁の海が舞台だ。
 そこはワカトビといわれる海域で、海の遊牧民とも漂海民とも呼ばれる、バジョ族が暮らしている。
 2002年にインドネシアの国立海洋公園に指定され、2005年にはユネスコの世界遺産として推薦された。
 海には多様な生物が棲息し、ダイビングの聖地としても有名だ。

 インドネシアカミラ・アンディニ監督は、十代の頃からダイビングを通して、ワカトビの海とバジョ族の文化、風習に魅了されてきた。
 彼女はこれまで、自然に関するドキュメンタリー映画を主として製作してきたが、この作品は、彼女の初めての長編劇映画だ。
 映画が進むにつれて、現実と虚構が交錯するドキュメンタリードラマの様相を帯びてくる。
 バジョ族の生活に分け入って、神話的な世界を漂わせながら、海に生きる人々の心に寄り添うように作られた、エキゾティックな作品である。




ワカトビの浅瀬には高床式の小屋が建ち、バジョ族が暮らしている。
10歳の少女パキス(ギタ・ノヴァリスタ)は、漁に出たまま戻って来ない父の無事を信じ、自分の鏡に父の姿が現われるのをひたすら願っていた。
バジョ族にとって、鏡は人や物を探す時に用い、真実を映す神聖なものと信じられてきた。
母タユン(アティクァ・ハシホラン)は、鏡に固執する娘を心配するのだが、彼女もまた夫の死を受け入れられず、その不安を隠すかのように、顔を白塗りにしているのだった。

ある日、イルカの生態を研究する青年トゥド(レザ・ラハディアン)が、ジャカルタから村にやって来る。
村長の指示でパキスの家が彼の下宿先になるが、パキスは父親の家を他人に貸すことが気に入らない。
学校にイルカの話をしに来たトゥドは、友人ルモ(エコ)らを連れて海に出るが、かつてここで多く見られたというイルカの姿はない。
この美しい海域ワカトビでも、地球温暖化や天然資源の開発が生態系に影響を及ぼし始めていた。
トゥドは日を追って村に馴染み、パキスもいつしか彼を慕うようになって、ルモや母タユンもお互いを意識する日々が訪れ、彼女たちの生活に少しずつ変化が現れ始めていた・・・。

父の帰りを待ち続ける母と娘の心模様が、繊細に描かれている。
本当のことは、海と鏡が教えてくれる。
そう信じる海の民、バジョ族・・・。
彼らの暮らしを丁寧に描いていて、好感が持てる。
母親と青年以外のキャストは、現地で抜擢されたバジョ族の人たちだ。
豊かな海の恵みを受けて生活する村人たちの姿が、いきいきと新鮮で興味深い。
神話のような伝説を交えて、美しい海の映像がこれまた素晴らしい。
ここで描かれる小道具の〈鏡〉は、海であり、人であり、魂なのだ。

母親と娘と青年の三者の微妙な関係も、ギリシャ悲劇のような人間の深層を思わせ、ある部分ではドキュメンタリーの要素も見られ、総じて無駄のない画面が抒情性豊かに展開する。
バジョ人は、文字による歴史を残してこなかったので、その代り口頭伝承を発達させ、それを歌に乗せ、親から子、そして孫へと伝えてきたのだ。
映像は、そうした海の民の声を、文明のひとつ向こう側にある、またひとつの文化としてとらえている。
彼らの歌声も、海によって育まれてきたものなのだ。
カミラ・アンディニ監督は1968年ジャカルタ生まれで、まだまだ今後に期待される監督だ。
インドネシア映画「鏡は嘘をつかない」は、豊饒なエキゾチシズムを十分過ぎるほど感じさせる小品だが、とりわけその映像美にはため息がもれる。
稀有な作品である。
        [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回は、これもまた大変めずらしいカンボジア映「シアター・プノンペン」を取り上げます。