1994年、不朽の名作といわれる「太陽に灼かれて」に続いて、2010年「戦火のナージャ」、そして2011年本編「遥かなる勝利へ」と続く。
ロシアの巨匠ニキータ・ミハルコフ監督の三部作は、足かけ19年遂にここに集大成として完成を見た。
スターリンの大粛清から第二次世界大戦にかけての、ソ連激動の時代を背景に、男女三人の痛切な愛憎を紡ぎあげた大河のようなドラマの、最終章である。
本作は、戦争という残酷な悲劇性はもちろん、ロシア映画としては、三部作を締めくくるにふさわしい渾身の大作となった。
1936年夏、ロシア革命の英雄コトフ大佐(ニキータ・ミハルコフ)は、避暑地で家族と過ごしていた。
大粛清実行の秘密警察のドミートリ(オレグ・メンシコフ)の恋人マルーシャ(ヴィクトリア・トルストガノフ)は、いまはコトフの妻となっていた。
ドミートリはそんなコトフを恨んで卑劣な罠にはめ、彼を政治的に抹殺した張本人だ。
コトフは、マルーシャがすでにこの世を去ったものと思い込んでいたが、それもまた偽の死亡診断書を送りつけたドミートリの策略であったことがわかった。
だが、コトフを恨むドミートリは、彼をを貶めるための計画を実行する。(「太陽に灼かれて」)
1941年、スターリンに呼び出されたドミートリは、銃殺されたはずのコトフ元大佐が生きていることを知らされる。
ドミートリは、過酷な収容所や戦場を渡り歩き、コトフの足取りを追う。
一方、父の生存を知ったナージャ(ナージャ・ミハルコフ)は、その行方を探して戦火の中へ飛び込んでいく。(「戦火のナージャ」)
・・・そして本編は、1943年から始まる。
ドイツ軍の要塞を包囲するソ連軍の中に、コトフは生きていた・・・。
そこへドミートリが突然現れ、マルーシャが今も生きていることをコトフに告げた彼は、コトフを、忘れもしない1936年のひと夏を過ごした避暑地へと連れて行く。
コトフが別荘に足を踏み入れると、そこに居合わせたマルーシャは、まるで幽霊のように現れた元夫との7年ぶりの再会に衝撃を隠せなかった・・・。(「遥かなる勝利へ」)
全編を通して見たほうがわかりやすいが、本編だけでも、過去を回想、交錯させる部分もあって、よく見ていけば理解できる筋書きであろう。
ニキータ・ミハルコフは三部作を通して、監督と主演を兼任する。
実の愛娘ナージャ・ミハルコフが、ナージャ役という父と娘の共演に注目だ。
この壮大な人間ドラマは、どこか田園地帯のノスタルジックな情景の中に、サスペンスの要素の入り混じった映像画世界からスタートし、コトフ大佐とナージャとは生き別れたまま、前作では第二次世界大戦の独ソ戦に巻き込まれていくのだったが・・・。
とにかく、苛烈を極めた戦闘シーンといい、ドラマティックに描かれる父と娘の物語にぐいぐいと引き付けられる。
複雑に絡み合ってきた登場人物の、人間模様の行き着く果てを見届けていく。
ミハルコフ監督はこの作品「遥かなる勝利へ」で、戦争の不条理とともに「人はなぜ生きるのか?」とテーマを追い求めてきた。
名もなき兵士や庶民のバイタリティを、ときにユーモアを交えた迫真のタッチで活写する。
とりわけ、ドイツ軍襲撃のさなか、ナージャがひとりの妊婦の出産に居合わせるエピソードは、印象が鮮烈だ。
ロシアの大地を舞台にした正統派の戦争映画は、大層重い作品ではあるけれど、ヒューマンスペクタクルの趣きが強烈で、重厚さは特筆ものである。
[JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点)
あるいは、家族の未来へと続く、新しい旅への始まりの物語とでもいおうか。
ドイツから故郷トルコへのはるか3000キロ・・・、異文化の中で生きる親、子、孫の三代が、この現代的なテーマを細やかに綴っていく。
女性監督ヤセミン・サムデレリが、実妹ネスリンとともに、実体験をもとに50回も脚本を書きなおして完成させた作品だ。
文化の違いに戸惑う人たちの姿が、ときに回想シーンを交ぜながらユーモラスに描かれる。
ドイツでは7ヵ月間のロングランヒットとなり、150万人の観客を動員したというのもうなずける。
ちょっと素敵な、楽しいドイツ映画だ。
ドイツでがむしゃらに働き続けて50年になる。
イルマズ家の主人フセイン(ヴェダット・エリンチン)も、今や70代だ。
孫もいる大家族の、おじいちゃんになっていた。
一見平凡に見える家族だが、それぞれが悩みを抱えていた。
まだ大学生の孫娘チャナンは、内緒で付き合っているイギリス人の恋人との間に子供ができて、誰にも話せず混乱の真っただ中で、孫息子で6歳のチェンク(ラファエル・コスリース)は、父がトルコ人で母はドイツ人、自分はいったいどこの国の人なのかと、アイデンティティの悩みに直面している。
また、息子のヴェリとモハメドは兄弟なのに、大人になった今でも相変わらず仲が悪い。
そんなある日おじいちゃんが、突然、故郷のトルコの村へみんなで行こうと言い出したのだ・・・。
ドイツ映画「おじいちゃんの里帰り」は、孫を含めた一家総出演で、それぞれのエピソードを散りばめ、家族の抱える悩みを軽やかに描き出している。
それも、結構手際の良いまとめ方で、胸がきゅんとなったり、おかしくて笑いが止まらなかったりと、トルコとドイツという異文化の中で生きる家族を、くすぐったいような演出で綴っていく。
好感のもてる、楽しいヒューマンドラマだ。
異文化における難しさは、家族や文化といった大きなテーマもあるが、ちょっとした見方や考え方の違いであって、そういうことが相手を傷つけることもある。
日常どこにでも潜んでいて、何気なく口にした当人はいささかも気づいていない。
21世紀は明らかに、国籍や人種や宗教が昔語りになるような時代なのだろう。
戦後ドイツは、数多くの外国人労働者を受け入れてきた。
当初は、単身で出稼ぎ労働にやって来た外国人たちが、滞在が長期化すると家族を呼び寄せドイツに定住するようだ。
いまのドイツ映画は、こうした移民や外国人の活躍なくしては語ることができないし、ひとつの国の映画が実は国境を越えて、グローバルな映画世界へとつながっていると見てよさそうだ。
ドイツからトルコへ、一家を引き連れて里帰りするおじいちゃんの話はそれだけでも面白いが、主人子フセインがはじめドイツの家族を迎えてから、子供たちが異文化にぶつかっていく様子も愉快だ。
それぞれが、国の違いや意味の取り違えが終始笑わせるではないか。
3世代10人の大家族は、おんぼろバスでトルコを目指すことになるのだが、このおじいちゃんにとっての半世紀ぶりの里帰りが醸し出す、ヒューマンドラマの味わいが結構いける。
まあ、登場する当人たちはみんな大真面目なのだが、それだけに時代遅れのドタバタ劇に映るかもしれないが、そこはお許し願うしかあるまい。
[JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点)