コロンビア出身のロドリゴ・ガルシア監督の描く、哀切のドラマである。
自由を得るために、男性として生きなければならなかった女性の物語なのだ。
このドラマのヒロインとなる、アメリカの大女優グレン・クローズは、ジョージ・ムーアの原作を舞台で演じてから30年にもわたって映画化の実現を悲願とし、今回の作品では製作、脚本の面でも協力を惜しまなかった。
ドラマは、深刻な社会問題を背景に、女の本性に切り込んでいく。
19世紀のアイルランド・・・。
政情不安定なこの時代、首都ダブリンは、飢餓と失業に苦しむ人たちで溢れていた。
街の中心にあるモリソンズホテルで、住み込みの給仕として働くアルバート・ノッブス(グレン・クローズ)は、人付き合いを避け、ひっそりと暮らしていた。
アルバートは、長年誰にも言えない重大な秘密を隠してきた。
それは、アルバートが貧しく孤独な生活から逃れるため、男性として生きてきた“女性”だったということだ。
アルバートはいつも黒いタキシードに身を包み、寡黙で、喜怒哀楽を見せず、わずかばかりのチップを帳面に書きつけては、人目につかないような床下に貯め込んでいた。
そんなつましい生活をしていたアルバートは、あるとき大男のペンキ屋・ヒューバート(ジャネット・マクティア)に、自分の秘密を知られてしまった。
だがアルバートは、自分らしく生きるヒューバートの存在に影響され、自ら築き上げてきた偽りの人生を崩し、本来の自分らしさを取り戻していく。
アルバートは、同じホテルのメイド、ヘレン・ドウズ(ミア・ワシコウスカ)とのかなうはずもない結婚まで夢見た。
ヘレンには悪い情夫がいて、その男はアルバートの金まで狙った。
アルバートは、女からも敬遠され、どこにいても孤独であった。
男装が当たり前になってしまっても、男ではない彼女は、もはや今さら女には戻れない。
全ては、不遇な人生を生き抜くためだったのだが・・・。
アルバートは、孤独の悲しみを隠し、疎外されながらもなお必死になって、自分の居場所を探し求めていたのだった。
彼女は、上流階級の不倫の子であった。
自分の本名も知らず、生まれてすぐ里子に出され、養母の死後施設へ送られるが、そこで性的暴行を受け、男装して身を守る以外、生きる術がなかった。
この物語の背景にあるのは、貧困と貧困への恐れが大きな影響力を持った、19世紀後半のダブリンで仕事や地位を失うと、数週間のうちに路上生活者になってしまうような時代だったのだ。
生きるために、男性を装う女性アルバート・ノッブス・・・。
男性使用人として、長く働かざるを得なかった彼女は、自分の身をわきまえていた。
養母は彼女に名前も告げなかったが、教えてはならないと口止めされていたのだ。
アルバートは、自分も人並みに結婚しようと思った。
しかしそれもかなわず、ドラマは何とも悲しい結末を迎える。
女性としての真のアイデンティティを見失ったヒロインが、自分らしく生きるとはどういうことだろうか。
アイルランド映画、ロドリゴ・ガルシア監督の「アルバート氏の人生」は、ひっそりと暮らすひとりの女性の精神生活を感動的に描いた、ヒューマンドラマだ。
コロンビア人監督ガルシアは、ノーベル文学賞作家ガブリエル・ガルシア=マルケスの息子だ。
14歳でホテルに入って、生きる術もない彼女は、人生のすべてをこのホテルで生きたのだった。
老いたるヒロイングレン・クローズの物言わぬ存在感が、そくそくと悲しい。
現代的なテーマを扱いつつ、自分自身を消し去ったひとりの女性の物語で、心を突き刺すようなあっけないラストに、ふと目頭も熱くなった。
[JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点)
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壮絶な事でありますね。
しかし、こういう作品に限らず、人間を描く以上、心の暗い闇を抜きにして、本当の人間や人生を語ることなどできませんものね。
映画にしろ、小説にしろ、それらを描き切ることが、作家には求められていると思います。