文学作品のページを繰るように、味わう映画だ。
アメリカの現代文学作家、ピーター・キャメロンの同名小説が原作である。
現在84歳、現役最高齢の名をほしいままに、ジェームズ・アイヴォリー監督は、愛することの孤独と戸惑いと、そして真実の愛を見つめる。
こ の作品が、「眺めのいい部屋」「日の名残り」など数々の文芸作品を手がけた彼の、集大成となるのだろうか。
南米ウルグアイを舞台に、、田園地帯のけだるさの中に、匂い立つような(?)映画のエレガンスが綴られる。
大人の人生の機微を細やかに描いているが、作品が緩く感じられる。
もっと、引き締まった方がよさそうだ。
ウルグアイ北部の、人里離れた邸宅に暮らすのは、自ら命を絶った作家ユルスの妻キャロライン(ローラ・リニー)、ユルスの愛人アーデン(シャルロット・ゲンズブール)と小さな娘、ユルスの兄のアダム(アンソニー・ホプキンス)とそのパートナーの男性ピート(真田広之)たちである。
彼らは、孤立し朽ちかけた屋敷で、人生を諦めたかのような、奇妙な共同生活を送っていた。
そこへ、突然亡き作家ユルスの伝記を書きたいという、アメリカの青年オマー・ラザキ(オマー・メトワリー)がやって来る。
だが、妻のキャロラインは頑なに伝記の執筆を拒み、兄アダムは、公認を与える代わりに、青年オマーにある提案を持ちかける。
それは、母親から受け取ったジュエリーを持ち帰って、アメリカで売ってほしいという密輸の提案であった。
アダムは、25年間連れ添ってきたパ-トナーのピートを、自分のもとから立ち去らせ、自由になるためのお金を手に入れようと考えていたのだ。
プライドの高いキャロラインは、夫が伝記を望んでいなかったと主張し、頑なに公認を拒み続ける。
アーデンは、オマーとともに時間を過ごすうちに、彼に共感を寄せ、伝記執筆について公認を与える決意をする。
やがて、二人は離れがたい感情を抱き合うが、アーデンは、これまで自分がとても孤独であったこと、人を愛することを恐れていたことに気づいて戸惑うが、その気持ちを必死で抑えようとする。
でもオマーの出現で、アダムとピートの関係は終焉に近づき、キャロラインも新たな生活を模索し始める。
またオマー自身も、これまでの生き方への問いを投げかけ、アーデンとともに生きようと決意する。
・・・やがて、5人それぞれが人生の“最終目的地”に向かって、静かに動き出してゆく・・・。
ひとりの訪問者が、止まっていた運命を動かし、そしてやがてたどり着くそれぞれの居場所・・・。
真田広之の役は、作歌の兄のパートナー、つまりアンソニー・ホプキンスの恋人役というわけで、このゲイの役に、真田広之もはじめは戸惑いを禁じ得なかったようだ。
こんな人里離れた邸宅が舞台で、誰もがみな退廃的に暮らしている。
ジェームズ・アイヴォリー監督の演出は、美しく繊細で格調高い。
時間はゆっくりと流れ、うっかりしていると退屈な時間となってしまうが、そうしたムードや繊細なウイット、美しい情景と運命的なロマンスは文学作品の趣きで、実にデリケートに映像化されていることに気づく。
最終目的地というのは、結局愛なのであり、孤独を脱して生きていくことのようだ。
ドラマには、オマーの恋人ディアドラ(アレクサンドラ・マリア・ララ)も登場するが、個性豊かな人物像を描き出している。
詩情の豊かな、あくまでも静かな物語であり、それを評して、漂うように生きていている人たちという表現もできるだろうか。
凛としたたたずまいと裏腹に、過去に苦しみ、青年の伝記執筆を拒み続ける作家の妻キャロライン役のローラ・リニーとアンソニー・ホプキンスの存在感が光っている。
ドラマのなかで、舌鋒鋭いキャロラインとディアドラの二人については、意志の強い、どちらかといえば思いやりに変えた女性を描いていて、結構作品としてのメリハリは効いている。
ただ、性格などはよく描き分けられているものの、人物の相関関係については、あまり深く入り込んでいない。
淡々と、表面的には穏やかな場面が続くのだが、物足りないと言えばこのあたりか。
アメリカ映画「最終目的地」は、ひとりの亡き作家をめぐる複雑な人間関係、利害、愛憎の物語で、登場人物も多種多様で錯綜している。
少し整理しにくいが、しかしよく読み込んでいくと、それらはあざなえる縄のように繋がっていることがわかる。
[JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点)