徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「つやのよる~ある愛に関わった、女たちの物語~」―さまよえる大人の愛のかたち―

2013-02-06 12:30:00 | 映画


 井上荒野
の同名小説が原作だ。
 青春群像劇を十八番とする行定勲監督が、この作品で、一風変わった大人の群像劇を作り上げた。

 性に関して奔放なひとりの女性をめぐる、男と女のラブストーリーだ。
 こういう常識を外れたドラマが、たまにあってもいいではないか。
 行定勲監督も、なかなかの恋愛映画の名手と見た。
 豪華なキャスティングで、原作者をして、映画化が難しいのによくぞここまでと言わしめた作品だ。
 この恋愛群像劇、確かにこの映画を見る時だけは、道徳や倫理を忘れて楽しむドラマだ。

 原作も十分楽しめる小説だが、長篇といっても、様々な話が一見何の脈絡もないようにバラバラなのに、非常にあいまいな部分を含めて、この省略の多い作品を映画は巧みにつなげている。
 そのあたりの演出は冴えている。
 まず、よくできた作品だ。

      
ドラマの中心には、死の床にある艶(つや)という女性がいる。

だが、この映画が描こうとしているのは艶ではなく、彼女をめぐる男たちであり、さらにその男たちと関係のあった女たちなのである。
その艶と松生春二(阿部寛)は、大島に駆け落ちしてきたが、奔放な妻の不貞に悩まされ続けていた。
そんな艶が病に冒され、昏睡状態になっている。
幾度となく裏切られても、愛してきた彼女を失うことには耐えられない。
そんな時に、松生は、過去に艶が関係を持った男たちに、愛の深さを確かめようと思いつく。
松生は、艶の現在の夫で、どうしようもない愛を純粋に全うしようと、ひたすら愛のために生きようとする男である。

幼い艶を犯した、艶の最初の男の妻(小泉今日子)は、「愛を闘う女」だ。男は艶の従兄である。
艶の最初の夫の愛人(野波麻帆)は、不動産屋に勤めるキャリアウーマンで、いつだって「愛を確かめようとする女」だ。
艶の恋人だったかもしれない男の妻(風吹ジュン)は、一年前に夫が自殺し、いまは惣菜屋でパートをして働いている、「夢に寄り添う女」だ。
艶にストーカーをされた若者の恋人(真木よう子)は、いつも「愛を待つ女」だ。
艶のために父親から捨てられた娘(忽那汐里)は、女子大生だが、いまでも艶を憎んでいる「愛を問いかける女」だ。
そして、艶に夫を奪われた元妻(大竹しのぶ)は、その女子大生の娘と仲睦まじく暮らす「愛を包み込む女」だ。

つまり、艶の危篤を知らされたこの6人の女性たちのドラマなのだ。
物語は、緩やかに結びつきながら、男と女のデリカシーを散りばめながら、進んでいく。
松生には妻子がいたが、艶と駆け落ちまでし、しかも彼女の不貞に悩まされ続けてきた。
その艶が、重い病の床についた。
松生は彼女を失うことは考えられず、艶が関係を持った男たちに、彼女の死期が迫っていると伝えることで、自分の愛を確かめようとする。
そこに、6人もの女たちが登場するのだから、少々ややこしい。
でも、その女たちとは、松生が直接会話をやり取りする場面はほとんどない。
ドラマの中心にいる、タイトルの女性艶(つや)は、最後まで顔を見せない、ミステリアスな存在だ。

要するに、東京で一見平穏な生活を営む、何組かのカップルや家族に、突然艶の話がもたらされるのである。
それを聞いた夫の、恋人の、父のそれぞれの様子から、艶という未知の女との性的関係に気づいてしまった女たちは、突然自分たちの人生に割り込んできたこの艶という女の存在に困惑するばかりだ。
ここでは、道理や正論などいとも軽やかに飛び越えてしまって、美しく怪しげな刺激に彩られたセンセーショナルな愛の物語として、観る人によって、多様な解釈が許される作品になっている。

井上荒野の原作小説も、結構読みごたえがあるが、その映画化ということで、行定勲監督「つやのよる~ある愛に関わった、女たちの物語~」は、豪華女優陣が、一人の女性に関わりを持った男を通して、それぞれの生き様を露わにし、男性側から観ても女性側から観ても、どうしてどうして興趣尽きない、大人のための恋愛映画である。
可笑しくも悲しい物語だ。
様々なエピソードを詰め込んでいるので、かなりの窮屈感があるのは致し方のないところだが、それはそれとして楽しめる部分も多い。
上映時間2時間18分、行定監督の力作である。
       [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点