徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「アース earth」ー目を見張る自然の美しさー

2008-08-10 12:00:00 | 映画

「・・・これまで、カメラに収められたことのない、地球上で最も美しいものを目にする、これが最後のチャンスである・・・」
誇張もあろうがアラステア・フォザーギル監督の、自信に満ちたこの言葉は、果たして観客を裏切らなかった。

映画「アース earth」は、今年の初めに公開された、ドイツ・イギリス合作のドキュメンタリー映画だ。
遅まきながらも、素晴らしい、貴重な映像美に出会う機会があった。

広大無辺の宇宙で、人類、生物が息づいていることが確実な天体は地球だ。
その神秘と美しさに溢れた、地球という星の素顔の素晴らしさに目を見張った。
そこには、まだ見たことのないダイナミックな光景、想像を超えた奇跡的な瞬間、生き物たちの未体験のスペクタクルに出会う、見事な映像が活写されている。

製作期間5年、撮影日数延べ4500日、撮影全世界200個所以上に及ぶ。
世界に数台とない防振装置、一秒間に千コマ以上もの撮影が可能と言われる超ハイスピードカメラなど、最新の撮影技術で捉え、しかも最高のハイビジョンで放つ映像は、もう圧巻の一言につきる・・・。
自然や動物の映像は、息を呑むような、壮大な美しさと迫力で迫ってくる。

氷の地北極から、地球を縦断して、熱帯の森、深海に及ぶ壮大な旅の案内をするのは、ホッキョクグマ、アネハヅル、アフリカ象、ザトウクジラの親子たちだ。

彼らのナビゲーターのもと、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のフルオーケストラに乗せて出会う、究極の命のドラマは、観ているものに計り知れない驚きと感動を呼ぶ・・・。

とくに、世界の峰、八千メートルを超えるエベレストの険しい山稜を、極寒の乱気流と闘いながら、死力を尽くして飛行を続ける、アネハヅルの大群にはひときわ強い感動を覚えた。
これはまさに、命がけである。
どうして、そこまでして南へ渡っていかなければならないのか、不思議な驚きと謎であった・・・。

いま、地球の温暖化の危機が叫ばれている。
北極の氷はどんどん溶けていき、このままでいくと、30年後にはホッキョクグマの絶滅まで危惧されているのだ。
・・・かけがえのない地球、人類のほこる地球が、人類によって滅ぼされようとしている。
ドキュメンタリー映画アース earthは、人類に警鐘を鳴らし続けているのではないか・・・。

今年の上半期、映画興行は、洋画が去年より3割近くも落ち込んで、不調だと言われている。
その中でも、ドキュメンタリー映画「アース earth」は、興行収入25億円を記録したそうだ。
おそらく、「環境」というテーマがヒットにつながったのかも知れない。



「中国毒入り餃子事件」ー不都合な真実ー

2008-08-08 15:35:00 | 寸評
立秋を過ぎて、なお暑き炎天の日々・・・。
聞こえてくるのは、降りしきる蝉時雨ばかりである。

中国北京では、この世の様々な火種をかかえたまま、祝宴の幕が開いた。
そのことに、水を差すつもりなど毛頭ない。
しかし・・・。

長い間、真相の究明があいまいなままになっていた、中国の冷凍餃子の中毒事件について、ここにきて、驚くような事実が明らかになった。
いったん回収した、冷凍餃子を食べた中国人が、6月中旬に中毒症状を訴えていたのだ。
中国はこのことを認め、その事実を、7月の洞爺湖サミット直前に日本政府に伝えていたのだった。
しかし、報道で明らかになるついこの間まで、国民には一切知らされてはいなかった。
政府は知っていたが、中国側から公表しないでくれと言われ、公表しなかったのだ。

中国は、北京五輪への悪影響を恐れ、餃子事件の事実の公表を遅らせようとしたのか。
だからそうしたのだと言っても、それを日本の中国への「外交配慮」などと讃えていいものかどうか。
日本の国民には、知らせる必要がなかったのか。
臭いものにふたをしたと受け取られても仕方がない。
公表しないでくれと言われて、はい分かりましたで済ませてしまっていいことだろうか。
国民の健康と安全よりも、外交を重視したということか。
それで、「国民の目線」で政治を行う内閣と言えるのだろうか。

中毒の原因をめぐって、今度こそ、有機リン系農薬成分メタミドホスが、中国国内で混入された疑いが濃厚となったわけだ。
言ってみれば、中国は加害者ではないか。
それが、はっきり分かった以上、「俺たちのしたことを、国民に言わないでくれ」と言うのは、如何なものだろうか。
日本の国民を、馬鹿にしてはいないだろうか。

言うべきは言い、主張すべきは主張し、拒否するものは拒否する。
日本は、アメリカや中国の言いなりになる必要はない。
福田改造内閣は、「安全」実現内閣を謳ったばかりではなかったのか?

現実に、この毒入り餃子を食べて、死にかけた人がいるのだ。
総理大臣も外務大臣も、目線をどこに置いているのか。
国民の食生活にとって、かかる大事なことを公表しなければ、何の意味もない。
ある人は、国民に対する重大な冒涜だとまで言っている。
関係者は、事件の捜査に配慮したと言うが、中国で被害があったという情報程度は公表すべきではなかったか。
国民には、知る権利もある。
いまだに、都合の悪い(?)ことには、秘密主義、隠蔽主義が抜け切れていない。

福田改造内閣は、繰り返し言うが、「国民目線の安心実現内閣」が旗印ではなかったのか。
これでは、消費者庁の創設まで見据えた内閣のあり方に、不信感は拭えない。
消費者に目線を置くと言っておきながら、口止めされれば何も言わない。
政府は、どっちを向いて政治を行おうとしているのか。

報道で発覚するまで、公表しなかったと言う事実に対して、あちらこちらから批判の声が上がっている。
当然のことである。
だって、事実を事実として明らかにして、日本の国民を納得させ、中国産の食品離れを解消することが出来れば、それこそが両国の国益なのであって、それを隠蔽するなど全くの逆効果ではなかったろうか。

・・・中国産は、にせもの、毒入りばかり、靴下は二回履いたら穴だらけ・・・。
中国人自身が、ネットにこんな自嘲的な書き込みまでしているそうだ。

  ~閑 話 休 題~
本旨とは関係ないのですが・・・。
インド洋での、海上自衛隊による給油活動を延長する対テロ新法の改正案を、政府はまたも「再可決」のはら構えなのか。
他国に油を配るくらいなら、ここは民主党の言っているように、国内の農魚業者たちにこそ配るべきではないだろうか。
いずれにしても、圧倒的多数の民意は、一日も早い解散、総選挙を望んでいることを忘れないで欲しいものです。


映画「闇の子供たち」ーこの世の理不尽ー

2008-08-06 07:00:00 | 映画

これは事実か、真実か、現実か。
映画化は難しいとされていた、梁石日(ヤン・ソギル)原作阪本順治監督作品である。
久々に、日本映画に秀作が生まれたという感じがする。
硬質の社会派ドラマだ。

誰もが目を背けたくなる現実を、ひるむことなく、真正面から凝視した衝撃のドラマである。
何の罪もない子供たちがいる。
その子供たちに、幸福な未来は約束されていなかったのか。
純粋無垢な子供たちが、欲望まみれの大人たちのエゴに蹂躙され、虫けらのように扱われる。
売春宿に監禁された彼らは、ペドファイル(幼児性愛者)と呼ばれる、先進国の外国人客の玩具にされて、虫けらのように扱われるのだ。
子供たちが、心身ともに耐え難い傷を負い、病気にかかればゴミ同然に捨てられる。
人の命は金では買えないなどという言葉は、この闇の世界では、何の説得力も持たない。

阪本監督は、近作に、壮大な海洋アクション「亡国のイージス」(05)女性の転機を見据えた人間ドラマ「魂萌え」(07など、一作ごとに新たな試みに挑戦し、意欲的な映画作りを実践している。
最近では、クライムアクション「カメレオン」(08)も公開されたばかりだ。

阪本監督の今回の作品は、かけがえのない子供たちの生命のきらめきをすくい取るとともに、性的虐待を冒すペドファイルの醜さやマフィアの暴力を、オブラートにくるむことなく、直視し、映像化した。
もし、これらの‘描写’に拒絶反応を示す観客が出ようとも、この映画のテーマに肉薄するには、向き合わざるを得ない現実だからである。
そのことが、子供たちの生命の尊さと向き合う、衝撃のドラマとなった。

新聞記者の南部浩行(江口洋介)は、日本人の子供が、タイで臓器移植手術を受けるという情報を得た。
闇社会の事情に通じるタイ人に金を握らせて、南部は臓器密売の元仲介者と接触した。
その元仲介者から聞き出したことは、提供者の子供が、生きたままで、臓器をえぐりとられるという衝撃の事実であった。
彼は、取材を決意した。

その頃、東京の大学で社会福祉を学んだ音羽恵子(宮崎あおい)は、バンコクの社会福祉センター<バーウンアイラック>にいた。
アジアの子供たちのために、何かをしたいという思いで、彼女はこのセンターにやって来たのだった。
女性所長、ナパポーン(プライマー・ラッチャタ)のスラム街視察に同行した音羽は、そこでバンコクの貧民層の現実を目の当たりにする。
ナパポーンの気がかりは、読み書きを教えていた、アランヤーという少女が、最近センターに姿を見せなくなったことだ。
ナパポーン音羽は、取材のためセンターを訪れた南部と出会った。
そして、彼から、子供の臓器移植手術の情報を聞かされ、慄然とするのだった。

少女アランヤーは、実はチェンライの街の一角にある売春宿に売り飛ばされていた。
マフィアが仕切るこの売春宿には、大勢の子供たちが、劣悪な監禁部屋に閉じ込められ、欧米や日本から来た幼児性愛者の相手を強いられていた。
客の要求を拒んだ子供は、容赦ない暴力で痛めつけられ、病気で弱りきった子供は病院に連れて行かれることなく、物のように捨てられてしまうのだ。

ある日、売春宿から、トラックに乗せられた黒いゴミ袋には、エイズを発症したヤイルーンという少女が包まれていた。
ヤイルーンの故郷は、国境の向こうの美しい山間部の村であった。
捨てられたヤイルーンと入れ替わるようにして、彼女の妹センラーがマフィアの男に連れられて、バンコクの売春宿にやって来た。
今日から、センラーも外国人客を相手に身を売ることになるのだ・・・。

金のために、子供の命までもが容赦なく奪われる実態・・・。
理想を胸に、バンコクのNGOの団体に加入した音羽恵子は、子供たちがさらされているあまりにも悲惨な現実をまざまざと見せつけられ、心は痛むばかりだ。
音羽は、商社マンの男梶川(佐藤浩市)を訪ねる。
彼こそは、タイで手術を受けようとしている子供の父親なのだ。
彼女は叫ぶ。
 「あなたは、人の命をお金で買うんですか!」
音羽は、今まさに命の危機にさらされている子供を助けたかった。
一方、新聞記者の南部は、一人を救っても新たな犠牲者が出るのだから、それを食い止める方法を見つけるべきだと主張してゆずらなかった。
子供を救いたいという目的は同じでも、二人の間には決定的な亀裂が生じていた。

どこの国にも、臓器移植によってしか助からない子供がいる。
国内で手術を受けることはもちろん、アメリカなどに渡ってドナーがあらわれるのを待つ猶予はないのだ。
だから、東南アジアで移植を受ける。
東南アジアでは、貧しい子供が買われ、生きているのに殺され、ドナーにされる。
一人の子供を助けるために、ほかの子供を殺すのは明らかに間違っている。
貧しい子供を犠牲にすることでしか、金持ちの子供は生き残れないのか。
そうでなければ、金持ちの子供はだまって死を待つのみだ。
その子供の親に向かって、「あなたは、自分の子供の命をあきらめるべきだ」と告げる勇気があるだろうか・・・?

映画「闇の子供たち」「夜を賭けて」「血と骨」などでも知られる梁石日(ヤン・ソギルが、実際にタイのアンダーグラウンドで行われている、幼児売買春、人身売買の現実をすさまじいまでの筆致でえぐり出した問題作である。
当然、読み手がページをめくることさえ躊躇するほどの、衝撃のテーマ、内容だけに、映画化は不可能と思われていた企画が、タイでの大がかりな現地ロケによって実現したのだった。

阪本監督は、持ち前の骨太の作風に磨きをかけながら、多彩なジャンルの作品を世に送り出してきた。
その彼が、“子供の悲劇”を扱う映画が陥りがちな、甘いセンチメンタリズムには目もくれず、硬質で上質な、サスペンスみなぎる映像世界を創り上げている。
彼は、みずから脚本を執筆し、ドラマの驚くべき‘落としどころ’では、ニュース番組やドキュメンタリーとは異なる、映画作家ならではのアプローチと嗅覚を武器に、この世の理不尽な闇へ果敢に切り込んでいった。

だから、安易に同情を誘うような子供の表情を撮ることもしなかったし、善悪で割り切れる犯罪ものにしたくないと考えた、監督の意見は傾聴に値する。
この映画は、その意味では成功している。

そうは言いながら、最後のシーンで、センラーヤイルーンが川で水遊びをするシーンは、当初の脚本にはなかった場面で、急遽思いついたという。
ここは、全編を通して、ただひとつ心癒される救いのシーンかも知れない。
ドラマの幕切れはいささかあっけないのだが、阪本監督映画「闇の子供たちは、お金を払って観ても損はない。
日本映画の、重厚な力作と言ってもよいのではないだろうか。

阪本監督は、人間の内に潜む心の闇を描いて、これまでの彼の作品を超える一作を世に問うた。
・・・作品の提起する問題の、たとえようのない重さと深さを改めて考えさせられる。
出演はほかに、妻夫木聡、鈴木砂羽、豊原功補らで、ドラマはリアルに、かつ洗練されたつくりで十分楽しめる。
ただ、この映画は子供には見せられない。(PG-12)

映画の余韻が覚めやらぬなかで、エンドロールに流れる主題歌「現代東京奇譚」にも注目だ。
この作品の問題意識に賛同して、阪本監督にぞっこん惚れ込んだ
桑田佳祐によるオリジナルナンバーだ。
この曲(作曲・作詞・歌唱)も、なかなかいいではないか。
聴いていて、胸が熱くなった。


一枚マンガの折り返し展ー日本新聞博物館ー

2008-08-04 07:00:00 | 日々彷徨

「地球も環境も人もターニングポイント(転機)!」がテーマだ。
小島功、福田繁雄ら第一線で活躍する漫画家や、イラストレーター32人が書き下ろした漫画が一堂に会した。
すべて1コマ漫画で、87点・・・。
これも、大変ユニークな展覧会だ。

地球環境の悪化や薄れゆく人情、多くの人が「時代の転機が必要」と感じている。
現代の世相をシンプルにずばりと表現し、新聞紙面などでピリリとしたスパイスを効かせる、あの1コマ漫画が、コミックを凌ぐパワーで、「未来への折り返し」につなげるメッセージを発信する。

会場は、横浜情報文化センター内の日本新聞博物館(ニュースパーク)だ。
一枚マンガの折り返し展は、どれも勿論傑作ぞろいだが、なかには結構難解(?)なマンガもある。
(→リンク先の「ギャラリー」では、作品のうち32点の1コマ漫画を、ひとつひとつ拡大して見ることができます!)
1コマ漫画だけに、直感での判断が難しく、漫画の前で立ちすくんでしばらく考え込んでしまう人もいる。
しかし、なかなかどうして、風刺や機知に富んだ面白い作品が並んでいる。
9月13日(土)まで開催されている。

ところで、この日本新聞博物館は、2000年10月にオープンしたニュースパークだ。
わが国の日刊新聞発祥の地が、横浜だったそうだ。
新聞は、誰にとっても、いつも身近にあるメディアだ。
世の中の出来事を、歴史のひとこまひとこまとして伝えてきた新聞が、社会でどんな役割を果たして来たか。
約20万点の所蔵資料から選ばれた、実物資料、映像、シュミレーション装置などをふんだんに用いた展示を見たり、聞いたり、触れたりすることができる。
時間があれば、常設展なども、結構ばっちりと楽しめる。
普段、私たちの知っているようで、知らない新しい発見もある。

新聞製作工房というのがあって、ここでは自分だけの新聞をつくる体験ができる。
また、各紙の創刊当時から、日露戦争勃発、関東大震災、太平洋戦争当時などの貴重な新聞紙面を見ることもできて、大人も子供も社会科の見学といった気分だ。

館内の学芸員も、親切な説明をしてくれるので有難い。
意外性があって、夢いっぱいという感じの、新聞博物館だ。

江戸末期から現代まで、新聞が歩んできた道のりをたどる展示も楽しい。
新聞は、時代を写す鏡とはよく言ったものだ。
言論の自由に対する、統制や弾圧があった暗黒の時代から、様々な事件にまきこまれながらの波乱に満ちた新聞の歴史を見るとき、日々何気なく接している新聞が、妙に愛おしく思えてきたりするから不思議である。

特別企画展のないときであっても、のぞいてみるといいかも知れない。
パソコンを使って、記事を入力し、自分の写真が載った新聞づくりを体験できるのは好評のようだ。
新聞は、全国各紙百紙が揃っていて、ライブラリーも充実している。
新聞のことなら、ここで解らないことはまずないだろう。

この博物館のある建物は、旧横浜商工奨励館(横浜市認定歴史的建造物)を保全・活用したものだ。
それから、この建物の8階から上には、放送番組専門の公開施設・放送ライブラリーがある。
こちらの方も、立ち寄りついでに楽しむこともできる。



みんなでエキスポ ー小さな万国博覧会ー

2008-08-02 05:00:00 | 日々彷徨

本格的な夏の盛りだ。
強い日差しを避けて木陰を歩いていると、浴衣すがたの数人の若い女性たちとすれ違った。
花火大会が近くであるらしい。

それは、日本大通にあった。
昭和の時代を中心に、都市横浜の歴史を語る横浜都市発展記念館、そしてユーラシアのさまざまな文化を紹介する横浜ユーラシア文化館が、ともに開館5周年を迎えた。

実のところ、あまり知らなかったのだが、この両館はふるさと横浜の地域性、豊かな国際性を持つ文化施設ということで、ここでいま「みんなでエキスポ ー小さな万国博覧会ー」と称して、横浜への思いにまつわるエピソードを抱え持つ‘お宝’が、160点余り出品展示されている。

出品した人たちの思いは、子供の頃の宝物や旅のお土産、芸術作品など多岐にわたっている。
それぞれが、懐かしい昭和の横浜を物語っていて、国際都市ならではの異文化を知る品々が、見る人の足を留めている。
古い映画のパンフレットや記念切符、戦前の足踏みミシン、貨幣、陶器、アクセサリーなど・・・。
ああ、こんなものが有ったんだなあと、あらためて納得する。

都市形成(まちづくり)、市民の暮らし(住まい)、ヨコハマ文化(娯楽とにぎわい)の三つをテーマに、8月31日(日)まで催されていている。
夏休みとあって、家族連れで立ち寄る人も多い。
小さいけれどワールドワイド、両館ならではの「ミニエキスポ」だ。

関連企画として、鉄道写真展「横浜発ー日本を走る/日本発ー大陸を行く」は、みなとみらい線日本大通り駅コンコースで展示されている。
なお、こちらの方は、会場の都合で見られない期間もある。