今泉光司第一回監督作品は、日本・フィリピンNPO合作映画である。
家族と共に生き、自然と共に生きる。
日系フィリピン人家族の絆の物語だ。
アボン(小さな家)は、実に多様な背景を含んでいる。
100年も前から、フィリピンに移住し、戦時中には日本軍にも米軍にもスパイ扱いされ、フィリピン人からも様々な虐待を受けてきた日系人たちがいる。
彼らは、今でも山岳地帯にひっそりと暮らしているのだ。
そこには、豊かな自然が残り、伝統的でつましい生活が息づいている。
確かに、文明の発達した社会だけが、決して人を幸せにするわけではない。
世界中に、いろいろな文化や風習を持った人々がいる。
地球が抱える問題も、加速しつつある。
太陽の光、空気、水、そして動植物など、地球環境があれば、人は生活していくことが出来る。
たとえ、お金がなくても、食物があり、いつも仲間がいて笑いが溢れている。
それだけで幸せになれる・・・。
そんなことを、この物語は静かに語りかけているいるようだ。
西暦2000年、フィリピン・ルソン島の北部・・・。
フィリピンの日系三世であるラモット(ジョエル・トレ)は、3人の子供をかかえ、バギオで乗り合いバスの運転手として真面目に働いている。
だが、生活費を稼ぐため、妻イザベル(バナウエ・ミクラット)は、海外へ働きに行くことになり、子供たちは実家のある山奥の村に預けられる。
電気も通っていない村に、子供たちは戸惑うが、自然に祈り、自然と共に生きる生活に次第に慣れていく。
しかし、妻は、不法斡旋業者の偽造パスポートが見つかり、逮捕されてしまった・・・。
出稼ぎ資金で、多額の借金をかかえたラモットは、一攫千金の算段をするがうまく行かず、子供たちと共に、不法居住地区の家も追われる。
路頭に迷った父子は、仕方なく祖父母が待つ故郷の村へ戻る・・・。
ラモットは、そこで家族が生きてゆく本当の場所を確認する。
物語の中には、小さな湧水がいくつも映し出され、それがやがて一本の沢となり、山全体を映し出すのだ。
それぞれの個性に満ちた登場人物の語る言葉、クローズアップされる自然界の生物たちの多様な形や色が、物語をあたたかな豊かさで優しく包んでいる。
地図で見ると、北部ルソンの急峻な山岳地帯は、山裾から海抜2000米あまりの高地まで続く棚田でも有名だ。
世界文化遺産である。
そこで暮らしている人々を総称して、イゴロットと呼ぶのだそうだ。
彼らは先住山岳民族で、低地域とは異なる独自の生活様式、社会、宗教、伝統を今でも保持している。
そこには、かつて植民地化したスペイン支配のあとがうかがえる。
この山岳地帯が、日本と深い関係があって、今なお多くの日系人が暮らしていることは、あまり知られていない。
彼らは、この100年の日比関係の歴史、とりわけその不幸な部分(戦争、出稼ぎ)に翻弄された人々であった。
1900年代初頭に、この地にたくさんの日本人がやって来て、急峻な山の斜面を切り開く道路建設の難工事に従事したと言われる。
彼らは、工事が終わっても、多くはこの地に残り、イゴロットの女性と結婚して家庭を築いた。
しかし、やがて日本帝国軍がやって来て、米軍との戦争が始まった。
戦争末期、同行を余儀なくされた日系民間人たちは、脱走する日本兵と共に飢餓線上をさまよい、多くの尊い命が失われたのであった。
戦後は、残虐行為を行った日本軍に加担したということで、戦犯として処刑されたり、激しい憎悪と差別の対象となった。
日系人は、その後長い間日本名を隠し、山地で身を隠すようにして暮らし続けたのだ・・・。
ここ数年、日本国内で暮らす日系フィリピン人は急増しているが、彼らが被った苛烈な歴史を知る人はあまりいない。
今泉監督は、 「眠る男」の小栗康平の助監督を経て、単身フィリピンの山岳地帯に移住、そうした日系フィリピン人の戦時中の苛烈な体験や、山岳民族イゴロットの独自性に触れ、丸七年の歳月を費やして、この映画を完成させた。
今回、今泉監督のトークショウに接し、物語の背景を知って、その奥深さに改めて驚かされた。
上演前、上演後の彼の解説と質疑応答が、この作品に対する生半可な理解を助けてくれたのだった。
それらをふまえて、この映画「アボン 小さな家」を観るとき、途上国の様々な問題と共に、自然と共生する人々の逞しさと家族の絆に、ユーモアとペーソスを交えた、究極のスローライフ・ムービー誕生の意味が解る気がしたのであった。
この作品で、主役を演じるジョエル・トレは、フィリピンを代表する国民的俳優として有名だが、今泉監督は、映画製作の苦しい台所事情もあって、今でも約束の出演料の半分しか支払えていない実情を、申し訳ないように語った。
今泉監督は、主演俳優から、残りのギャラはもう心配しないで下さいと言われたそうで、自主制作の映画の厳しさを覗かせる一幕もあった。
スローライフの世界なので、鑑賞中に幾度か睡魔に襲われもしたけれど、後味は悪くなかった。
フィリピンは、国内だけで地方によって100以上もの言語があるそうで、今回の作品の中では、ほんの一部でタガログ語が使われているほかは、全編に渡って、英語で統一したという。
そのことで、俳優陣の英語のイントネーションなど、ややぎごちなさも気になって、違和感は拭えなかった。
ただ、複雑な背景をふまえて、難しいテーマをよくここまで丁寧に描いたものだと感心させられる。
一見、それは寓話的な世界だ・・・。
家族と共に生き、自然と共に生きる。
日系フィリピン人家族の絆の物語だ。
アボン(小さな家)は、実に多様な背景を含んでいる。
100年も前から、フィリピンに移住し、戦時中には日本軍にも米軍にもスパイ扱いされ、フィリピン人からも様々な虐待を受けてきた日系人たちがいる。
彼らは、今でも山岳地帯にひっそりと暮らしているのだ。
そこには、豊かな自然が残り、伝統的でつましい生活が息づいている。
確かに、文明の発達した社会だけが、決して人を幸せにするわけではない。
世界中に、いろいろな文化や風習を持った人々がいる。
地球が抱える問題も、加速しつつある。
太陽の光、空気、水、そして動植物など、地球環境があれば、人は生活していくことが出来る。
たとえ、お金がなくても、食物があり、いつも仲間がいて笑いが溢れている。
それだけで幸せになれる・・・。
そんなことを、この物語は静かに語りかけているいるようだ。
西暦2000年、フィリピン・ルソン島の北部・・・。
フィリピンの日系三世であるラモット(ジョエル・トレ)は、3人の子供をかかえ、バギオで乗り合いバスの運転手として真面目に働いている。
だが、生活費を稼ぐため、妻イザベル(バナウエ・ミクラット)は、海外へ働きに行くことになり、子供たちは実家のある山奥の村に預けられる。
電気も通っていない村に、子供たちは戸惑うが、自然に祈り、自然と共に生きる生活に次第に慣れていく。
しかし、妻は、不法斡旋業者の偽造パスポートが見つかり、逮捕されてしまった・・・。
出稼ぎ資金で、多額の借金をかかえたラモットは、一攫千金の算段をするがうまく行かず、子供たちと共に、不法居住地区の家も追われる。
路頭に迷った父子は、仕方なく祖父母が待つ故郷の村へ戻る・・・。
ラモットは、そこで家族が生きてゆく本当の場所を確認する。
物語の中には、小さな湧水がいくつも映し出され、それがやがて一本の沢となり、山全体を映し出すのだ。
それぞれの個性に満ちた登場人物の語る言葉、クローズアップされる自然界の生物たちの多様な形や色が、物語をあたたかな豊かさで優しく包んでいる。
地図で見ると、北部ルソンの急峻な山岳地帯は、山裾から海抜2000米あまりの高地まで続く棚田でも有名だ。
世界文化遺産である。
そこで暮らしている人々を総称して、イゴロットと呼ぶのだそうだ。
彼らは先住山岳民族で、低地域とは異なる独自の生活様式、社会、宗教、伝統を今でも保持している。
そこには、かつて植民地化したスペイン支配のあとがうかがえる。
この山岳地帯が、日本と深い関係があって、今なお多くの日系人が暮らしていることは、あまり知られていない。
彼らは、この100年の日比関係の歴史、とりわけその不幸な部分(戦争、出稼ぎ)に翻弄された人々であった。
1900年代初頭に、この地にたくさんの日本人がやって来て、急峻な山の斜面を切り開く道路建設の難工事に従事したと言われる。
彼らは、工事が終わっても、多くはこの地に残り、イゴロットの女性と結婚して家庭を築いた。
しかし、やがて日本帝国軍がやって来て、米軍との戦争が始まった。
戦争末期、同行を余儀なくされた日系民間人たちは、脱走する日本兵と共に飢餓線上をさまよい、多くの尊い命が失われたのであった。
戦後は、残虐行為を行った日本軍に加担したということで、戦犯として処刑されたり、激しい憎悪と差別の対象となった。
日系人は、その後長い間日本名を隠し、山地で身を隠すようにして暮らし続けたのだ・・・。
ここ数年、日本国内で暮らす日系フィリピン人は急増しているが、彼らが被った苛烈な歴史を知る人はあまりいない。
今泉監督は、 「眠る男」の小栗康平の助監督を経て、単身フィリピンの山岳地帯に移住、そうした日系フィリピン人の戦時中の苛烈な体験や、山岳民族イゴロットの独自性に触れ、丸七年の歳月を費やして、この映画を完成させた。
今回、今泉監督のトークショウに接し、物語の背景を知って、その奥深さに改めて驚かされた。
上演前、上演後の彼の解説と質疑応答が、この作品に対する生半可な理解を助けてくれたのだった。
それらをふまえて、この映画「アボン 小さな家」を観るとき、途上国の様々な問題と共に、自然と共生する人々の逞しさと家族の絆に、ユーモアとペーソスを交えた、究極のスローライフ・ムービー誕生の意味が解る気がしたのであった。
この作品で、主役を演じるジョエル・トレは、フィリピンを代表する国民的俳優として有名だが、今泉監督は、映画製作の苦しい台所事情もあって、今でも約束の出演料の半分しか支払えていない実情を、申し訳ないように語った。
今泉監督は、主演俳優から、残りのギャラはもう心配しないで下さいと言われたそうで、自主制作の映画の厳しさを覗かせる一幕もあった。
スローライフの世界なので、鑑賞中に幾度か睡魔に襲われもしたけれど、後味は悪くなかった。
フィリピンは、国内だけで地方によって100以上もの言語があるそうで、今回の作品の中では、ほんの一部でタガログ語が使われているほかは、全編に渡って、英語で統一したという。
そのことで、俳優陣の英語のイントネーションなど、ややぎごちなさも気になって、違和感は拭えなかった。
ただ、複雑な背景をふまえて、難しいテーマをよくここまで丁寧に描いたものだと感心させられる。
一見、それは寓話的な世界だ・・・。