小春日和の或る日、母親は、取り込んだ洗濯物を片付けながら、ひとり呟いた。
「あら、この靴下もう履けないわね」
手にした、娘の花柄の靴下のつま先が、破れていたのだった。
母親は、その靴下を、さりげなく傍らのくずかごに投げ入れた。
その時、どこで見ていたのか、小学校から帰って来ていた、3年生の娘が母親のもとに跳んできて、叫んだ。
「駄目!それ、捨てないで!」
「ええっ~?!」
母親は驚いた顔をして、娘の方を見た。
娘は、少し悲しげに口元をゆがめて、言った。
「ママ、あたし、それ気に入ってるの。だから、捨てないで!」
「だって、同じもので、新しい物を買ってあげるわよ」
「いいの。それ、縫ってちょうだい」
母親はどきっとした。
「・・・これを?」
「お願い。・・・捨てるのは、本当に履けなくなってからでもいいでしょ?」
娘にそう言われて、母親は一瞬言葉につまったが、思い直したように、
「・・・分かったわ。縫ってあげる」
少女は、にっこり微笑んでうなずいた。
母親は、内心小さな動揺を隠せなかった。
そして、自分の胸に、何か熱いものがこみあげてくるのを感じた。
母親は、物を大切にすることにかけては、自信があった。
しかし、この娘(こ)は、どこで、そのような心を培ったのだろうと、大人の自分を恥じ入った・・・。
少女は、この夏の体験学習で、元小学校の年老いた校長先生から、戦中戦後の物資窮乏の時代の話を聞かされていたのだった・・・。
少女は、そこで物を大切にする心を培ったに違いなかった。
いま、原油価格が高騰している。
・・・世の中、物資は豊富である。
しかし・・・、現在の豊かな(?)暮らしは、永遠に続くのだろうか。
物資はいつか底をついて、明日の見えない未来が来るかも知れない。
いや、いつかきっと来る。
まだまだあどけない10歳の少女の一言は、地球未来の限りある資源に対する、警鐘とも聞こえなくはない・・・。
食物にしてもそうだ。
食べられる物を無駄にしてはいないだろうか。
早朝、繁華街のごみ箱をあさって、ホームレスが賞味期限の切れた、パックに入ったままの弁当や、パンの耳、人の食べ残しを拾って歩いている。
時には、白米のおにぎりがそのまま捨てられている。
詳しく見たわけではないが、そうした物の中には、捨てなくてもいい物まである。
毎日、無造作に捨てられるゴミの中に、広告チラシがある。
毎朝配達される、新聞に折り込まれてくる、あれだ。
それに、市役所や地区センターなどで配布される、各種催し物のチラシ、パンフレットの夥しい量をご存知だろうか。
それらは、いつも有り余って、古新聞と同様に回収されるか、ゴミ箱へゆく。
このチラシ類、印刷されていない裏面を利用すると、立派なメモ用紙となるのだ。
そうして利用している人も結構いるのだ。
スーパーのレジ袋の廃止運動も盛んだ。有料で、顧客に配っている店もある。
店側もいろいろと考えているようだが、賛成派もいれば、あった方がいいと言う反対派もいる。
廃品業者の手を通して、中古電化製品がリサイクルされ、東南アジアや中南米に安く輸出されている。
まだまだ十分使用に耐えうる品物ばかりで、現地の外国人には大人気だそうだ。
彼らは言っている。
「日本人て、まだこんなに使える物を、どうして捨ててしまうのだろう。勿体無い」
確かにそうだ。
新しいもの好きの日本人は、古くなるとすぐ新しい物に取り替える。
今の飽食時代、どんどん新しい製品が量産される。
そして、使える物でも捨てる。或いは新しい物と交換する。
今でこそ、破れたほころびを縫い繕って、シャツやズボンを着用している人はほとんどいないが、戦後の物資のなかった時には、つぎはぎだらけのシャツなど着ていたものだ。
ワイシャツの襟が汚れたり、すり切れたりすると、表を裏にしたりして繕い、着られるだけ着た時代であった。ゆるんだゴムひもは、新しいひもを入れなおして再利用した。
「使える物は、最後まで使う」・・・この単純な、分かりきった哲学が、人間に物の大切さを教えてくれる。
ところが、いま使える物が捨て去られる時代である。
「ほころびを縫って、靴下を履く」
何とも、いい話ではないか。
バスや電車の中で、化粧をすることさえ何とも思わぬ世代の子供たちにも、この今の飽食の時代だからこそ、いかに物を大切にして生きるかを教えてあげなくてはいけない。
それは、自分の身の回りから、地域へ、世界へ、地球へと広く物を考える一歩につながっていくことだろう。
『粗衣粗食』から、学び、教えられることのいかに多いかを、もう一度見直す必要があるのではないか。
『暖衣飽食』(粗衣粗食の反対)なんて、決してよいとは思えない。
「欲しがりません、勝つまでは・・・」と言うではないか。
古い言葉だが、「襤褸(ぼろ)をまとっても、心は錦」といい、いたずらにブランド品を身にまとい、高価な装身具で身を飾り、美食にあけくれることが、素晴らしいことだとは思わない。
たとえ、どんなに裕福であったとしても・・・。
こういう時代だからこそ、親も子供も、誰もが、物を大切にする、美しい心を培って欲しい気がします。