人の心の深奥に迫りながら、人間の孤独と愛しさを描いた作品だ。
ゆったりとした、くつろぎと優しさの込められた、めずらしい北欧のフィンランド映画である。
クラウス・ハロ監督によるこの作品は、その作風からしていかにも地味で、古風であることは否めない。
しかし、かなり密度の濃いドラマだ。
物語は、美しい田園地帯の牧師館を中心に織りなされる。
全編にわたって響き渡る、哀しみの調べは強い。
12年間を、模範囚として刑務所で暮らしたレイラ(カーリナ・ハザード)は、恩赦で出所した。
彼女は、片田舎に一人で住む、ヤコブ牧師(ヘイッキ・ノウシアイネン)の家で働くことになった。
レイラは、聖職者のヘルパーになって、古い館に住み込む。
彼女の仕事は、盲目の老いた牧師のために、毎日ヤコブに届く手紙を読み、返事を書くことであった。
毎日届く手紙を楽しみにしているヤコブだが、レイラは、心を閉ざしたまま、嫌々ながらこの仕事をこなしていく。
郵便配達人(ユッカ・ケイノネン)は、ヤコブのなじみの男だった。
ヤコブは、たぐいなくひたむきで、清廉な魂を持っていて、盲人ゆえに心の目で人の心を見ている。
そして、牧師らしく、人々からの悩みや魂の叫びに答えることで、なぐさめ、励ましを与え続ける。
レイラの方はというと、彼女は宗教や慈善も信じようとせず、いつも自らの感情移入を避け、心は凍てついていた。
いわば、この二人は社会から隔絶された格好で、生活を始めたのだった。
郵便配達の男は、突然現れたレイラに不信感を抱く・・・。
そんなある日を境に、ヤコブへの手紙がぷっつりと途絶える。
ヤコブは、生きがいだった手紙が届かず、「目の不自由な老いぼれは、もう必要ないのか」と、日に日にふさぎ込み、懊悩する。
レイラは、牧師館を去ろうとして車を呼ぶのだが、行く先はなかった。
彼女は自殺を図ろうとするが、ふみとどまって、ヤコブに重い心を開く。
そして、レイラはヤコブ牧師に、手紙が届いてもいないのに、「手紙が来ましたよ」と告げる。
彼女は、「親愛なるヤコブ牧師さま・・・」と、今まで誰にも告げなかったことを、自らヤコブに語り始めるのであった・・。
このドラマは、人のつながりや友情といったものを、一番求めてやまなかったのに、それをあきらめてしまった人たちが、それでもなお、つながり(連帯)や友情を探し求める物語だ。
ドラマの中で、なかなか噛み合おうとしない、ヤコブとレイラの間を取り持っているように見えるのが、郵便配達人だ。
その彼が夜ヤコブの家に侵入したり、ヤコブに毎日届けていた手紙も突然届かなくなったりと、わからないことも多い。
どうにも何らかの説明がほしいところだが、それがない。
しみじみとした作品の終盤は、いかにも切ないラストシーンなのだが、それでも、一片のほのかな明るさも暗示して・・・。
フィンランド映画「ヤコブへの手紙」には、全編を通して暗く哀しいトーンが漂っていて、でもそれは敬虔な祈りのようでもある。
ささやかなくつろぎもないではないが、人間の孤独と寂しさを感じさせる、心にしみるような小品だ。
いろいろと気ぜわしい今の世の中に、こうした静謐な作品があってもいい。
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そんな気がします。
そして案外「自分のため」に行っていることが人のためになっていることも・・・。
他人に、そう見せているだけで・・・。
国のためにしなければいけないのに、どうも、自分の保身のためにしか考えない、そういう人、ことに政治家には多い気がします。
人のためと言いつつ、実は自分のことしか見ていない人です。