季節だけは、確実に春に向かっているというのに・・・。
全世界に、テレビを通して放映された惨憺たる光景は、もはやこの世のものとは思えませんでした。
みちのくの人々の暮らしのすべてを呑み込み、多くの街々が、一瞬にして消え去ってしまいました。
いま、無情の時だけが過ぎていきます。
連日の新聞、テレビの報道に接して、もう他人事とは思えず、余震もあってか、いろいろなことが脳裏をよぎって、ゆっくり寝つけない日々を送っています。
東日本大震災で、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様、そのご家族の方々に、心からお見舞い申し上げます。
どうか、一日も早い復旧復興をお祈り申し上げます。合掌。
M9クラスの大地震と大津波の威力について、どれだけの認識を持ち得ていたでしょうか。
おそらく、誰もが想定外のことだったわけで、津波の本当の恐ろしさが、全くと言ってよいほど伝えられていなかったように思えます。
地方の行政は、これまで何をしてきたのでしょうか。
防災対策は万全だったと、言えるのでしょうか。
追い打ちをかけるように起きた、相次ぐ原発の爆発事故では、放射能による大量被爆の新たな恐怖に直面し、なすすべもないのでしょうか。
日本の発電の3割を占めるそうですが、地震大国の日本で、沢山の原発施設が必要なのでしょうか。
それよりも、電力消費の無駄な部分を、もっと見直してはどうですか。
原発とてダムと同じで、政管癒着の構造の中で、一部の業者や役人の利益になっているというではありませんか。
いまの日本のそうした社会構造に、大いに問題があります。
福島原発は、安全性の面で、根本的な疑問を投げかけています。
いまや、核被爆国たる日本に、その選択を抱えている問題を、大きく見直す必要があるといえます。
どこが安全なものですか。
「安全神話」は、まやかしに過ぎません。
日本に、原発は向いていないと思うのが自然です。
福島原発は、1基で、広島の原爆700発分以上の核を燃やしているといいます。
かりに1基分の1%といえども、原爆4発以上に相当するから、もし放射能が漏れるようなことがあったら、大惨事は免れないでしょう。
そう思うと、ぞっとします。
地震、津波に、さらに追い打ちをかけるような惨事の連続です。
それで、本当に「安全」なのですか。「大丈夫」なのですか。
決して予断の許されない状況が、いまも続いています。
大津波の惨事といい、原発事故といい、「想定外」といいますが、大惨事というのはいつだってそうした「想定外」で起きるものです。
途方もない数の人々が避難民となり、行き先もままならないままさらに増え続けています。
最終的には、50万人(3月16日現在・朝日新聞)に達するとういう声もあります。
食料や医薬品なども、ここへきてようやく被災地に届き始めたばかりです。
頼りにすべき菅民主政権は、千年に一度(?)の大災害を前に、おろおろするばかりです。
東京電力の計画停電についても、もう少しやり方を考えて、住民にわかりやすい伝達を心がけてほしいものです。
グループ分けもそうですが、いつどこでということが、初めはよくわかりませんでした。
停電は、やむを得ない措置です。
ただ、時間帯、場所、対象をよく考えて、住民の生活を最優先に、統一性のある方策が考えられないものでしょうか。
そんなときに、東京ドームでの、プロ野球のナイター開催が決まりましたが、何故、いまナイターなのか、理解に苦しみます。
国民に勇気を与えるための強行だそうですが、さあどうでしょうか。
開催時に、ナイター分だけで約4万キロワット(一般家庭5000世帯分)の電力を消費するそうです。
多くの市民が、計画停電に黙々と従っている時に、ずいぶん現実離れのした話ではありませんか。
東電については、計画停電もそうですが、突然の鉄道運休でも大きな混乱を招きました。
あれは、何なのですか。
駅に行くまで知らなかった人が、ほとんどだったといいます。
東電については、情報の徹底といい、その対応のまずさが指摘されました。あまりにも官僚的で・・・。
原発事故は、初期の監視段階で異常を早く見つけられなかったことが、事態の深刻化を招いたのです。
言ってみれば、原発事故は、明らかに人為的なミスが、大事故につながったと考えられます。
どうも、確かな情報がいまだに後手後手に回り、1分1秒の時間との戦いになっています。
果たして、国民には、間違いなく本当のことが、伝えられているのでしょうか。疑わしくもなってきます。
どうか、原発被害を最小限に抑えて、どんなことがあっても、怖れている最悪の事態を回避して頂きたいものです。
スーパーをのぞいてみました。
被災地でもないのに、食料品(牛乳、パン、納豆、卵、米)の品切れが続き、おひとり様1個までと書かれたトイレットペーパーを、家族4人で4個も買い占めていく人たちを見ました。
首都圏にまで広がってきている、ガソリン不足は言うに及ばず、家電量販店では、乾電池、蝋燭、懐中電灯まで、姿を消してしまいました。
余震やら、今後起きるかもしれない災害への不安から、多くの主婦たちが買いあさっている姿を目にしましたが、これとても政府が当てにできないからで、食品パニックがあちらこちらで起きているのです。
そして、このことが、今後の食料品価格の急騰にだってつながりかねません。
解りきったことですが、こういう時は不要な外出も控えて、本当に必要なものだけを買い求めればいいのではありませんか。
いたずらに、妙な群集心理に惑わされずに、買い占めは控えたいものです。
いま、被災地では、物資が不足しています。
鉄道や陸路が寸断されているなら、自衛隊の空輸で、どんどん空からの投下作戦だって考えられるはずです。
あらゆる手段を講じて、救難作業の道を急がなければ、冷たい寒さの中で避難している人たちを救うことはできません。
生存者の救出、被災者のケア、原発対応、復興支援、これらすべてを同時進行で、的確かつ迅速に履行しなければならないのです。
それが、政治というものです。
「水をくれ、食べるものをくれ、毛布をくれ、暖房器具を!」
かつてなかった深刻な危機が、喫緊の救援を求めています。
いま、国会議員の皆さんは何をしていますか。
どうぞ、飢えと寒さに苦しんでいる人たちの、悲痛な叫びを聴いて下さい。
国は、総力を挙げて、国民の生命と財産を守るべき義務があります。
国家未曾有の大災害のただ中ですから、もう不便や我慢は覚悟の上で、誰もがともに助け合い、この困難と戦っていく努力が求められています。
被災地で頑張っている、自衛隊員が言いました。
「これは、もう戦争だ」と。
日本人は、これまでも幾多の困難と戦ってきた、強い国民なのです。
人は誰でも、何か出来ることがきっとあるはずです。
たとえば、節電だっていいではありませんか。これぐらいは出来ます。
日本人は、みんな仲間です。
困ったときには、支え合って、ともに生きる同胞です。
重大かつ深刻な国難、この未曾有の危機を乗り越えて、必ず新しき明日の来ることを信じて・・・。
合掌。
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普段聴かない音楽などに耳を傾けてみると良いのかも。鬱々としたニュースばかりを見ていると、心が死んでしまいそうです。
それもそうでしょう。
いまは、それどころではありません。
まあ、当然の“政治介入”でしょう。
こんな時は、‘お笑い’も自粛してほしいですね。
勇気づけられるどころか、不快です。
大げさかもしれませんが、全国民が、喪に服するくらいの気持ちで、こころ静かに、悲しみを分かち合えるような過ごし方ができればと思います。
おっしゃる通りですね。
テレビは、各局横並びで、ときにセンセーショナル(民放)で暗いニュースばかりです。
こんな時は、FM放送とかCDで、ショパンかモーツアルトでもいかがですか。
停電があったりしますから、トランジスタ・ラジオを聞くのも悪くありません。
最前線での決死の作業には、本当に頭が下がります。
いまの政権があまりにも頼りなく、だからといって、野党(自民党)の党首に入閣を要請するなど、全く何を考えているのでしょうか。
原発事故も、避難所への物資補給も、少しずつですが進み始めているようで、日本の国民の忍耐と底力が、必ずや未曾有の大惨事を乗り越えて、復旧復興を成し遂げる日が来ると信じます。