徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「モンテーニュ通りのカフェ」―人生にエスプレッソを―

2008-12-22 13:00:00 | 映画

ダニエル・トンプソン監督の、少々粋なフランス映画だ。
パリ8区のモンテーニュ通りというと、パリのありとあらゆるエスプリで美しく彩られた場所だ。
あのエッフェル塔のよく見える、街の一角に息づく人たちの、どこか切なさとほろ苦さを感じさせるドラマだ。
モンテーニュ通り・・・・、そこは出会いと別れの交差するところでもある。

その通りに、劇場、オークションハウス、メゾン、由緒あるカフェなどが立ち並ぶ。
そのカフェに集うのは、世界的なピアニスト(アルベール・デュポンデル)や、初老の美術収集家(クロード・ブラッスール)、そして有名女優(ヴァレリー・ルメルシエ)や劇場の管理人など・・・。
様々な思いを持った人々の人生が、通りの一角に実在する。

祖母がかってあこがれた街、パリ・・・。
そのパリへ、ジェシカ(セシール・ド・フランス)はやって来て、カフェの“ギャルソン”となる。
彼女は、蝶のように軽やかに飛び交い、そこに集い来る人々の人生を一緒に奏でていくのだった。

人生の成功者である人々の一見華やかな外見と、その心の底にある焦燥感や不全感、彼らがやがて得る愛に溢れた人生が、きらびやかなパリの風景と人間の日常が映す普遍と融合した、人間讃歌のドラマを誕生させた。

カフェで交差するそれぞれの人生を描きつつ、詩情豊かなパリの一面を覗かせる。
ジェシカは、そんな憧れの人々の素顔に触れて、自らの人生に心躍らせるのだ。
登場する人物同士に相関関係はなく、それぞれに独立した物語があって、それがセーヌの流れるパリの街、モンテーニュ通りのキャンバスの上に展開するという構図なのだ。

ドラマティックな人生のあるがままを、暖かで品のあるユーモアに包み込み、愛情に溢れたドラマに昇華させようとした努力が見える。
いまここにあるものが見えず、遠くにあるものに思いをはせることで生まれる苦悩・・・。
登場人物たちの抱えた、切ない想いが伝わってくる。
コンサートの会場で、ピアノを弾きながら自分の胸に去来する想いに熱くなるジャン・フランソワ、初日の舞台を迎えようとしている女優カトリーヌ、思い出の彫像に思いを凝らすグランベール、彼らの人生が緩やかに幕を開け、ほろ苦い余韻と共に幕を下ろすのだ。
しかし、彼らの幸せに満ちたエンディングに向けて・・・。

人それぞれの人物描写もなかなかだが、さりげない対話の数々が、会話劇としても際立っている。
コンサート会場でフランソワ(アルベール・デュポンデル)が、演奏中に突然暑いからと脱いだ上着をステージに投げ出し、演奏が中断するハプニングなどは、思わず笑いを誘う場面だ。

ドラマの中で、父親と向き合うことが出来ずに悩む、グランベールの息子フレデリックを演じるクリストファー・トンプソンの実の母は、この映画の監督ダニエル・トンプソンなのだ。
しかも、この二人の共同脚本というのも興味深い。
フランス映画 「モンテーニュ通りのカフェは、パリの空の下で暮らす人たちの、悲喜こもごもの人生模様が楽しい。
作品自体、これといって派手さはない。
東京国際女性映画祭、フランス映画祭横浜などでも、好評を博した作品である。。


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