孤独と友情、そして人間解放を描く笑いと涙の物語だ。
人間、心のままに生きることの何と難しいことか。
でも、大切なものを失い続けるとしたら、そんな人生ほどわびしいものはない。
正しいと信ずる生き方に執着するあまり、自分を失いかけた男が、名前さえも持たない男から幸せを学ぶことが出来るものだろうか。
オランダの新生ディーデリク・エビンゲ監督の初監督作品だ。
人生の素晴らしさと家族の大切さを伝えてくれる、オランダ流の人生のやり方がこのドラマで綴られる。
自分らしく生きるヒントが、自由の国オランダから届いた。
オランダ映画とは、これまた大変珍しい。
オランダの美しい村に暮らすフレッド(トン・カス)は、最愛の妻を亡くし、天使の歌声を持つ息子とは長いこと音信不通となっていた。
フレッドは周囲との付き合いも嫌って、毎週日曜日の礼拝以外は、単調な日々をひっそりと暮らしていた。
そんなフレッドのもとに、ある日、言葉を持たない奇妙な男テオ(ルネ・ファント・ホフ)が迷い込み、フレッドが慈悲の心から、食事を与え、家に泊めてあげたことから、男二人の奇妙な共同生活が始まった。
キリスト教の厳格な教義が支配する村で、村人たちは二人の共同生活を好奇の目で見守っていた。
ところが、村人との間に起きた衝突がきっかけで、ルールに縛られていた、フレッドの単調で振り子のような生活がざわめき始める。
そして、そのことと呼応するように、フレッドとテオは親子のような絆で結ばれていく・・・。
このドラマに登場する男性は、正反対の性格を持つ二人だ。
そんな二人が不思議な縁で結ばれていく。
じわじわと、どこか可笑しみが深まる光景の連続に、ストーリーテリングの妙が感じられる。
そして、フレッドのおのれの人生に対する“こだわり”がゆっくりと解かれていく。
孤独とは孤毒ではない。
人はひとりで生まれてきて、ひとりで死んでいく。
そう、きっと一人で・・・。
生きている時ぐらい誰かと居てもいい。
人は、孤独そのものを辛いと感じる時がある。
冒頭のフレッドのわびしい生活は孤独に映るが、そんな孤独を恐れる必要はない。
孤独というものを、しばしば否定的にとらえることがあるけれど、孤独の時間を持つまで、ひとり時間という、初めて、自分が自分と向き合うことができる時間のあることを、教えてくれる。
現実の社会に横たわる、様々なしがらみの中で、ともすれば自分を見失っている自分に気づくことがある。
定刻に起き、定刻通りに食事を済ませる。
規則正しいといえばそれまでだが、実に味気ない生活だ。
肉体的に生きていても、心は死んだ状態になっている。
妻に交通事故で先立たれ、息子に家出されたフレッドの人生の時間は、そこで止まってしまっている。
人には、自分たちを取り巻いている‘しがらみ’を手放して、‘ひとり’になり、自分と向き合う時間が必要なのではないか。
孤独の力とは、ひとりになり、しがらみを手放すことで、本当に大切なものが見えてくるということだ。
孤独というものを、決して否定的にとらえることはない。
孤独とは、そんなにさみしいものではない。
ディーデリク・エビンゲ監督のオランダ映画「孤独のススメ」は、自己の開放を描いた、一種の清涼剤のような小品だ。
[JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点)
次回は日本映画「無伴奏」を取り上げます。
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ね。
生きているからこその華でありたいものです。
ところがどっこい、そうは問屋が許さないもの、それが人生です。
華ある人生ねえ・・・。
人間死ぬときはみな孤独です。