徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

文学散歩「茂吉再生」―生誕130年 齋藤茂吉展―

2012-05-30 09:00:00 | 日々彷徨


 初夏の日射しが眩しい。
 港の見える丘公園から、薔薇満開のローズガーデンを通り抜けて、神奈川近代文学館へ。
 イギリス館前の薔薇園の方は、大勢の人たちで賑やかだったが、こちらの方は静けさの中だ。

 近代日本を代表する短歌の巨人齋藤茂吉の、七十年の生涯を展観する。
   あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり
 明治・大正・昭和を、果敢に生きた茂吉・・・。
 ずいぶん、昔の人のような気もする。
 来年は没後60年になる。

 明治39年(1906年)に伊藤左千夫に入門後、「アララギ」が創刊されると、同人の中で中心的な役割を果たすようになり、編集も担当した。
 彼は中学時代から和歌に関心を持ち、精神科医となってからも、正岡子規の影響を強く受けて、作歌に熱中する青年時代を過ごした。
 その作品は、人生の一風景や強烈な人間感情を歌って、とりわけ処女歌集「赤光」は、初版発行の大正2年(1913年)当時に、歌壇にセンセーションを巻き起こした。

今回の特別展では、アララギ派の歌人としての茂吉の、少年時代に記した日記なども公開されている。
山形県の生家に保存されていて、未発表だったものだ。
これには、茂吉の少年時代のみずみずしい日常が垣間見える。

ほかに、敗戦後の歌稿や画など約400点を展示している。
茂吉の二男である北杜夫(平成23年10月急逝)は、茂吉が異常なほど神経質で粘着質な性格だったことに、さすがに辟易したと述懐しているが、よほど気難しいところがあったらしい。

この特別展で、ふと目にとまった一葉の写真がある。
それは、茂吉がバケツを下げている写真で、晩年の昭和22年(1947年)6月、「アララギ」会員二人と秋田へ旅行した帰りに、山形県大石田で写したものだ。
バケツは、この時期きわめて小用の忙しかった茂吉が、就寝時に愛用したといわれる「極楽」バケツで、当時彼の旅の必需品だったそうだ。

実生活における茂吉は、精神病院の経営に忙殺され、妻との間に苦しみを抱え、敗戦後は戦争責任を追及されるなど、度重なる試練にさらされた。
茂吉の短歌には、哀切な感情や人生の悲しみがこめられ、それらの歌を見直すことで、茂吉の生涯を支えた「歌の力」を感じ取ることができるのではないだろうか。
6月10日(日)まで、神奈川近代文学館で開催されている。
それから、次回の特別展は6月16日(土)から8月5日(日)まで、「中野重治の手紙―『愛しき者へ』展」が予定されている。