徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「KOTOKO」―病み壊れていく精神の痛苦な叫び―

2012-05-05 21:00:00 | 映画


 強烈な個性のアーティストの登場だ。
 この映画の鑑賞は、好むと好まざるとにかかわらず、衝撃の映像体験をすることになる。

 Coccoに心酔する塚本晋也監督は、ここで演技を超えた肉体表現を試みる。
 人が生きること、それがいかに苦しいことか。いかに困難なことか。
 企画、製作から、脚本、撮影、編集、出演まですべてに関与して映画を作り上げる。
 その創作スタイルは健在だ。
 彼の稀有な才能が、この作品で爆発する。
 それこそ、生きろ、生きろ、生きろだ。
 その声が、歌が、そして祈りが、叫び続ける・・・。








     
琴子(Cocco)は、ひとり幼い息子大二郎を育てている。
琴子はシングルマザーだ。

彼女には、世界が二つに見えている。
だから、うっかり油断すると、命にかかわる日々を過ごしている。
琴子は、いつも気を許せない。
彼女は、どんどん神経が過敏になってゆく。
大二郎に近づいてくるものを殴り、蹴り倒し、必死に子供を守ろうとする。
琴子の世界が“ひとつ”になるのは、歌っている時だけなのだ。

大二郎を散歩に連れて行くと、大二郎はいつも激しく泣き続ける。
琴子は、大二郎が喜ぶことなら何でもする。
外に出かけて、高台に立つ。
そこで、もし抱いているわが子の手を放したらどうなるか。
強迫観念が、琴子を追い詰める。
ついには幼児虐待を疑われ、大二郎は遠く離れた琴子の姉のところに預けられる。

琴子は、自分の体を傷つけることで確認する。
存在することの意味と、「生きる」ことの意味を・・・。
ひとりで毎日過ごす琴子に、小説家の田中(塚本晋也)が近づいてくる。
琴子が沖縄にいる大二郎を一度訪ねたとき、車内で彼女を見つめていた男だった。
田中は、バスの中で聞いた琴子の歌声に魅了されたという。
彼女は、彼を暴力で遠ざける。

琴子が遠ざけても遠ざけても、田中は、自分が傷だらけになりながらまたやってくる。
そうして、とうとう結婚指輪を携えてきた。
自分で答えを出すことができない琴子は、田中と二人で大二郎のいる沖縄を訪れる。
沖縄で、田中とともに穏やかに眠る大二郎を見て、琴子は「私は幸せになる」と心をきめる。

しかし・・・、琴子に憎悪と恐怖の遠い記憶が甦る。
一緒に暮らし始めた田中を縛り上げて、琴子はぼろぼろにする。
田中は無抵抗のままである。
制御のきかなくなった自分を忘れて、琴子が暴れる。叫ぶ。
田中は、「大丈夫です、大丈夫です」と繰り返しながら、血まみれの体で抱きしめる・・・。

まあ、こんな風なあらすじ(?)なのだが、主人公役のCoccoは、魂に共鳴する歌声、心を揺さぶるような詞、独特の世界観と他を圧倒する存在感で、登場する。
琴子には、世界が二つに見えているのだ、二つに・・・。
それでも、歌っている時だけは、世界がひとつに見える。
琴子には、誰よりも大切な幼い息子がいる。
彼を守りたいと強く思っている。
そう思えば思うほど、社会に対して過敏になり、神経のバランスが壊れていく。
琴子は、そういう女なのだ。
その琴子が、見知らぬ男から声をかけられる。
男は小説家で、ふと耳にした彼女の歌声に魅了されて・・・。
そして、やがて二人は一緒に暮らし始め、世界はひとつになったかのように見えたはずなのであった・・・。

琴子は、〈生きる〉ために自分の体を傷つける。
幼い息子を愛することで、精神の均衡を失い、病んでいく。
その彼女を狂ったように追いかける小説家は、まるでストーカーだ。
琴子は、現実と虚構の間を行ったり来たりして、彷徨い続ける。
わが子を溺愛(?!)するあまり、世界から遠ざかり、孤立していく。

こう見てくると、愛とは、子供とは、いったい何なのだろうか。
この世には、危険がいっぱいだ。
その危険から、子供を守ろうとする女の本能を、根源まで突き詰めると、子供は母親の一部となり、一体となる(?!)。
そこにまた、母親の新たな苦悩と煩悶が生まれる。
その時、女は歌うのか。

精神を病むとは、どういうことか。
映画とかドラマ性をどうこう言うより、この作品は、そうした人間の病める現代の狂気のアートだ。
大音響の効果音や、いたずらなノイズががんがん響いてくる。
観ている方は、大変な忍耐を要する場面だ。
狂気の連鎖、救いのない妄念・・・。
生を実感するため、自分の体を傷つける。
自傷行為とともに、女は壊れていく。病んでいく。
確実に、間違いなく、人間が崩壊していく。
そして狂う。狂いまくる。
人間は、こうした選択しかできないものだろうか。

塚本晋也監督映画「KOTOKO」は、母性への敬愛を描きながら、女の精神の内面を探り続ける構成で、作者が心の中で、子供が安心して未来を迎えられるようにしていくために、自分が何をしなければいけないか、深い悩みを抱える母親への警鐘は、去年の3.11大震災が引き金になっているようだ。
作品は映像そのものが衝撃的なので、その厳しさも半端なものではない。
みずからを傷つけて、血を流し、「生」を問う女性の内省的な暴力を、いったいどこまで昇華させようというのだろうか。
そして、昇華したのか、しなかったのか。わからない。
歌うことも踊ることも、祈りなのか。
・・・しかし、この作品、塚本ワールドの信奉者(?!)には大変申し訳ないが、精神の慟哭と再生の物語(?)としては、映像表現においても決して後味の良いものではなかった。
どう見ても不穏この上ないドラマで、上映中に逃げるように退場した観客が数人いたことが、この作品の本質をいささかたりとも物語っている。
     [JULIENの評価・・・★★☆☆☆](★五つが最高点