徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「樺太1945年夏 氷雪の門」―よみがえる幻の名作―

2010-08-19 07:15:00 | 映画
現在の、ロシア領サハリンと呼ばれるかつての樺太・・・。
1945年8月15日の終戦の混乱の中で、この地で多くの日本人が亡くなった。
この年の8月6日、9日と、広島と長崎に原爆が投下された。
同じ日に、ソ連は「日ソ不可侵条約」を一方的に破り、満州に、そして樺太に侵攻したのだ。

故村山三男監督映画「樺太1945年夏 氷雪の門は、ソ連の侵攻作戦のただなかで、最後まで通信連絡を取り、若い生命をなげうった、電話交換手9人の乙女たちの悲劇を描いた、真実のドラマだ。
この作品では、1974年製作当時で5億数千万円を超える超大作として話題を集めた。

しかし、劇場公開時、ソ連大使館の圧力によって、公開中止となり波紋を呼んだ。
そして、唯一残された一本のフィルムが、36年という時を経て、2010年デジタル処理を施され、ついに劇場公開となって、陽の目を見たのだった。
いわば、幻の名作である。

この作品をおいて、日本映画の中で樺太を扱った映画はない。
樺太と沖縄は、ともに戦場となり、多くの民間人が戦争に巻き込まれたが、沖縄戦と違って、樺太戦というのはほとんど知られていない。
沖縄戦の犠牲となったのは、ひめゆり部隊であった。
この作品に描かれる、真岡郵便局の電話交換手の女性たちの悲劇は、あまり知られていない。
しかも、これは「終戦後」に行われた戦闘であった・・・。

1945年夏、樺太西海岸にある真岡町・・・。
太平洋戦争はすでに終結を迎えようとし、戦禍を浴びない樺太は、緊張の中にも平和な日々が続いていた。

しかし、ソ連が日本への進撃を開始していた。
真岡郵便局で働く電話交換嬢たちは、ソ連軍の侵攻と、急を告げる人々の緊迫した会話を、胸の張り裂ける思いで聞いていた。

8月15日終戦後、ソ連が樺太に侵攻、8月20日真岡町の沿岸にソ連艦隊が現れ、艦砲射撃を開始した。
町は、突然戦場と化した。
逃げまどう人々、鳴り止まない電話・・・。

でも、彼女たちは、最後まで職場を離れようとはしなかった。
そこには、班長の関根律子(二木てるみ)をはじめ、取り残された9人の乙女たちがいた。
たった一本残った、電話回線から聞こえてきた声は・・・。
 「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら・・・」

史実によれば、ソ連軍が真岡に上陸したのは8月20日であった。
日本軍は、停戦交渉のために派遣された軍使が射殺され、やむなく郊外で自衛戦闘を開始した。
8月22日には知取というところで、停戦協定が成立した。
それにもにもかかわらず、ソ連軍は南下作戦を続行したのだった!
南の沖縄だけでなく、北の樺太では終戦記念日である8月15日を過ぎても、ソ連軍の執拗な戦闘は続いていたわけだ。
このことを映画化して公開することなど、ソ連軍が待ったをかけた理由は明白だ。

作品の製作に携わった監督、プロデューサーをはじめ、メインスタッフのほとんどは鬼籍に入り、出演者には故人となった島田正吾ら、あまたの有名人が名を連ねている。
忘れ去られようとしていた史実が、ここにある。
当時、文部省選定、日本PTA全国協など各種団体の推薦も受けていたこの作品の、貴重な一本のフィルムが、再び産声をあげたのだ。

(北海道の稚内に、失われた樺太をはるかに望んで、厳しい風土に耐えて生き抜いた、樺太民島と乙女たちの悲劇を象徴するかのように、いまも建つ二本の塔と女人像がある。
それは、「氷雪の門」と言われている。)
戦争への怒りと、平和への願いをこめて・・・
残念ながら、この地を訪れたことはまだない。