徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「闇の列車、光の旅」―運命の旅路の果てに―

2010-08-01 12:00:00 | 映画

人は、何故命を賭けて国境を越えようとするのだろうか。
中米ホンジュラス、メキシコからアメリカへ――
この物語では、不法移民という問題を通して、国境を目指す、少年と少女の魂の触れ合いが描かれている。

キャリー・ジョージ・フクナガ監督の、アメリカ・メキシコ合作のロードムービーである。
サンダンス映画祭監督賞ほか、いくつもの映画賞を受賞した作品だ。
先進国の抱えている、「不法移民」の問題は、21世紀の現代でも様々な厳しい現実をのぞかせている。
ここに描かれるのは、衝撃の真実だ。

中米ホンジュラスに住むサイラ(パウリーナ・ガイタン)のもとに、長い間別居していた父が戻ってきた。
アメリカから強制送還された父には、どうしても実現させねばならないことがあった。
それは、サイラを連れてもう一度アメリカに行き、向こうにいる家族と一緒に暮らすことであった。

サイラは、迷ったあげく、豊かさを求めて、父と叔父とともにグアテマラとメキシコを経由して、アメリカのニュージャージー州を目指すことになった。
しかし、それは長く危険な旅路であった。
移民たちがひしめき合う列車の屋根の上で、サイラはカスペル(エドガー・フロレス)という少年と運命の出会いをした。
彼は、強盗目的で乗り込んだギャングの一員だった。
だが、サイラに暴行を加えようとするギャングのリーダーを殺し、サイラを救ったのだ。

裏切り者として追われる身となったカスペルと、彼に信頼と淡い恋心を寄せるサイラは、行動を共にすることになった。
国境警備隊の目をかいくぐり、組織の待ち伏せを交わしながら、二人は命がけで国境を目指すのだった。
いろいろな困難があっても、サイラとカスペルはそれを乗り越えようとする。
いつしか、二人の間にはかけがえのない絆が結ばれていたのだった・・・。

しかし、衝撃の結末を迎えるとき、一筋の光が差し込むのだが、それはどんな困難が立ちはだかっても、生き抜くことの強さと美しさを感じさせてやまない。
ドラマで描かれるギャング団には抵抗があるが、いまや世界中に十数万人とも膨れ上がった、少年ギャングたちのごくありふれた日常だときいても、にわかには理解しにくい。
でも、それが現実なのだ。
内戦があり、戦争孤児が生まれ、不況と貧困、暴力による支配が生み出した、現実社会の縮図だ。

人の命が犬の餌ほどの価値しかない!
そんな絶望の淵に追い込まれる若者がいる。
さらに、十代にも満たない幼い子供をも誘惑し、ギャングの優秀な殺し屋に育てるのだ。
こうして、いまもなお次世代ギャングが増え続けている。
もはや、これは架空の物語などではない。

そして、危険を冒してまでも、豊かさを求める違法移民はあとを絶たない。
このドラマでは、それまで見ず知らずの関係にあった二人が、同じ列車で北上することで運命を共有する。
貧困を背景として、暴力の突出と違法移民・・・、それだけでドキュメンタリータッチの社会派ドラマとも思える。

それにしても、本物の走る列車の屋根の上での集団撮影は、ハラハラの連続である。
この映画「闇の列車、光の旅」では、不法移民と旅を共にするリサーチで、移民たちの過酷な現実、無邪気な少年を凶暴な殺人者に変貌させてしまう、実在のギャング組織をえがいてる。
確かに衝劇的なリアリティには目を見張るが、観る側からすると、少年と少女の心の奥にまでもっと入り込んで欲しかったという気がする。

この、日系アメリカ人監督の作品となる長編デビュー作は、かなり粗削りな面も多いが、鮮烈な切れ味は、次作に十分な期待を持たせるものだ。
気鋭の映画監督の描く、中米移民の不幸な現実は、平和や豊かさとは無縁の世界で今も起きていることだ。
ドラマの中には、中南米の‘いま’が息づいている・・・。