徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

救われなかった幼い命―鬼母と行政のネグレクト―

2010-08-07 08:00:00 | 寸評

胸がかきむしられそうだ。
悲しくも、痛ましい。
大都会の真ん中で起きた、1歳と3歳の幼児(姉弟)虐待事件のことだ。

お腹が空いていたことだろう。
辛かっただろう。
苦しかっただろう。
悲しかっただろう。

多くの住民が近くにいながら、誰も幼い命を救うことができなかった。
こんなことがあっていいのだろうか。
子供の泣き叫ぶ声を聞いた人は、ひとりではない。
児童相談所へも、早朝、夜間と数回にわたって通報があったそうだ。
だが、様子を調べにきた職員は異変に気づかず、何事もなかったかのように戻ってしまった。
それも、5回も家庭訪問をしていて、何も気づかなかったのか。
呆れた話だ。

平成20年4月に、改正児童虐待防止法が施行された。
これによって、緊急の場合、家の中を強制的に立ち入り調査をすることが可能になっていた。
たまたま訪問した時には、子供の泣き声もしなかったので、不審に思わなかったらしい。
何としたことか。
もちろん、マンションの部屋に誰が住んでいるのかも把握できなかった。
それで、十分な調査をしたといえるのか。

子供が泣いているときはまだいい。
泣き止んだときこそ怖い。
そこを、どうして一歩踏み込もうとしなかったのか。
こうした事件が起きないようにするために、児童相談所はあるのだし、法改正まで行われたのだ。
まるで、子供の使いである。
もう、度し難い怠慢といわれても仕方がない。
これが、行政か。

育児放棄を示すネグレクトがあったにもかかわらず、行政は責任ある踏み込んだ対応を怠ったのだ。
そのことが、最悪の事態を招いてしまった。
昨年の児童虐待に関する相談件数は、4万件以上(!)にものぼった。
そのうち、虐待の疑われる家庭に強制立ち入りをしたのは、たった1件しかなかったというのだ。
これが、何を意味するか・・・。

児童相談所の職員は、いかなる事情があるにせよ、もっと積極的で真摯な対応をすべきだ。
もはや、人手が足りないとか、余裕がないとか言っている場合ではない。
児童虐待などの疑いのあったとき、いかにすばやく対応すべきかが問われる。
この事件があって、政府も地方自治体も重い(?)腰をあげたが、やることが遅すぎる。
やろうとすれば出来ることだ。それをやらないだけだ。
そんな行政でどうするのか。

この世に生を受けながら、子供たちが、安心して明るく平等に生きられる社会でなくてはならない。
そして、子供が唯一頼れるのはいつも母親だ。
母親がいなければ、幼い子供は生きる術がない。
子供を生きがいにして、身を賭して頑張っている母親もいる。
行政はもちろんのこと、そうした母親をまわりから支援し、助け合うような組織も場合によっては必要だ。
そうでないと、ネグレクト(育児放棄、責務怠慢)による悲劇は繰り返されることになる。