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徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」―真実によって自由になる未来を守るため苦悩しながら戦ったジャーナリスト―

2018-04-09 12:00:00 | 映画

 

 アメリカの歴代政権が隠してきた、ベトナム戦争の実情を記す機密文書の報道をめぐる、政府と新聞の戦いを描いている。
 スクープしたニューヨーク・タイムズが異例の差し止め命令を受ける中、入手した文書を公表に踏み切ったワシントン・ポストに焦点を当て、新聞ジャーナリズムの使命を問う迫真の展開だ。

 政府が必死になって隠そうとする秘密を、報道機関が突き止め、国民に提供する。
 現代の日本でも、今やそんな報道はある新聞など日常茶飯事だ。
 勿論、それを快く思わない政治家も大勢いるわけで・・・。(苦笑)
 この映画は、1971年のアメリカを舞台に、巨匠スティーヴン・スピルバーグ監督が、メリル・ストリートム・ハンクスの二人の名優を主演に、真実を伝えるべきか否か、悩む新聞人の実話を重厚なタッチで描き切っている。

 

ベトナム戦争が泥沼化していた1971年・・・。
ワシントン・ポストは、戦況を客観的に分析した国防省の最高機密文書の全容を、特報すべく準備をしていた。
時のニクソン政権側が、記事差し止めに動き、経営に圧力を加えるのは明らかであった。

夫の死に伴い、専業主婦からワシントン・ポスト紙の社主となったグラハム(メリル・ストリープ)は、経営陣から軽んじられていた。
ニクソンは、国の安全保障を脅かすとして、すでにニューヨーク・タイムズの差し止め命令を裁判所に要求、一方、記者の奮闘で文書を入手した編集主幹ベン・ブラッドリー(トム・ハンクスは即座に記事化を命じる。
ライバル紙のニューヨーク・タイムズに先を越され、ワシントン・ポストとしてはこの全貌を公表しようと奔走する。

報道の自由は報道しかないとひるまないブラッドリーだったが、最後の決断はグラハムに委ねられる・・・。

政府を敵に回してまで、本当に記事にするのか、信念をかけた彼女の決断は・・・?
報道の自由は、合衆国憲法修正第1条の定める民主主義の礎だ。
報道機関の仕えるべきは国民なのだし、断じて統治者ではない。
近頃、どこか何か勘違いをしていないだろうか。
日本の統治者も、このことはよくよく心得てほしいものだ。

ドラマの中で、政権幹部と懇意で報道を躊躇するグラハムが、新聞社の矜持を自覚し、堅固な志操の経営者へと華麗な変身を遂げていく様が爽快に描かれている。
この映画の背後には、トランプ政権の誕生があったことは間違いないようだ。
主要な舞台は、新聞社やグラハムの自宅だ。
真実に迫っていく面白さにはもう一工夫が欲しいところだが、グラハムとブラッドリーこの二人のジャーナリストが、心をひとつにして戦っていくシーンが胸を熱くするのだ。
一介の専業主婦だった女性が、国家を揺るがす重大な決断を迫られ、その戸惑い、苦悩を名優ストリープが細やかに演じる。
メリル・ストリープは、急ピッチではないがたおやかに成長する強い女を演じて上手いし、トム・ハンクスは硬骨漢の役ながらちょっと格好よく役になりきっている感じがする。
二人はさすがと思わせる。

政治家はよく嘘をつき、それを糊塗しようといろいろあの手この手のよくない手段を講じて、時々ニタニタなどしながら平然としている。
国民を何と思っているのか。
出まかせの言い訳け、公文書の平然たる改竄と隠蔽、そう思うと日本もアメリカも同じではないか。
何もかも、すべては歴史が証明してくれる。
責任逃れにああだこうだと汲々としている政治家は、この映画、一本筋金の入った気骨ある力作をどう観るだろうか。
メディアが真実を追求する。
新聞社の輪転機が唸りをあげて動き出す。
民主主義は勝たねばならない。
権力側に阿るのではなく、このアメリカ映画「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」は、力強い脈動を感じさせる重厚な一作だ。
この作品、まず面白くないはずがない。観て損はないはずだ。
自分のことをよく書かない新聞を名指しで決めつけ、権力者の言いなりとなるテレビや新聞にニンマリしている政治家の姿をよく見かけるのだが、国民にどう映っているか。
驕れるものは久しからずである。
        [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回はアメリカ映画「レッド・スパロー」を取り上げます。


映画「素敵なダイナマイトスキャンダル」―昭和のアングラカルチャーを描いた豊饒で寛容な青春グラフティ―

2018-03-31 13:00:01 | 映画


 1970年~1980年代、写真家・荒木経惟らが連載人に名を連ねた伝説の雑誌「写真時代」というのが あった。
 その雑誌の編集長を務めた末井昭の実話をもととしたエッセイを、「南瓜とマヨネーズ」(2017年)永昌敬監督が映画化した。

 雑誌「写真時代」は、過激でエロティックな写真で人気を集めていたが、この作品の原作者末井昭は、母親が男とダイナマイト心中したことでも知られる人物だ。
 壮絶な体験を主人公が駆け抜けた、この昭和の時代を描いたグラフティで、アダルト雑誌の散乱する中で、ときには卑猥な言葉も飛び交って、雑駁で不思議な世界の雰囲気を醸し出している。
 確かに、非日常的なことが日常になると、エロティシズムもエロティシズムとは言えなくなる。
 この雑駁なドラマも、今を生きる人間に参考になるようなことも、もしかするとあるかもしれない。



バスも通らない岡山県の田舎町に育った末井少年は、7歳にして母親の衝撃的な死に出会う。
その後都会に憧れ、大阪の町工場に集団就職したが、軍隊のような労働環境に絶望し、上京する。
キャバレーの看板書き、イラストレーターを経て、小さなエロ雑誌の出版社へ。

そして、末井昭(柄本佑)編集長としてエキサイトマガジン「ニューセルフ」を創刊し荒木経惟と出会い、さらに彼のもとには赤瀬川源平、嵐山光三郎、田中小実昌ら錚々たる表現者が集まって来た。
だが、「ニューセルフ」は廃刊になっても、末井は懲りずに、警察とのいたちごっこを繰り返し、新雑誌を作っては廃刊となり、「写真時代」を創刊する。
それは、既存の写真雑誌で排除するような写真ばかりを乗せることをモットーに、35万部まで発行部数を伸ばした。
エキサイティングな‘異端’が大ヒットし、末井昭はひとつの時代の寵児となっていったのだった・・・。

この映画は、末井昭の人生と言葉に感銘を受けた冨永監督自身の持ち込み企画で、7年越しの想いが叶い、念願の映画化となった。
大らかで猥雑な時代の中で、様々な人との出会いと別れを繰り返し、夢と現実とのはざまで自分らしく生きる術を身につけ、主人公の屈託を優しく描き出してゆくのだ。
エンディングでは、原作者の末井昭と母富子役の尾野真千子がデュエットする、主題歌「山の音」がちょっとした聴きものだ。

ダイナマイト心中という衝撃的な母の死・・・。
この数奇な運命を背負って、転がる石のように生きていた末井青年は、昭和後期のアンダーグランドカルチャーを牽引した伝説の雑誌にたどり着いたのだ。
その生き様が、ここには青春グラフティとして描き出された。
何ともざらざらした手触り感の、様々なエピソードをいっぱいに詰め込んで、少々粗っぽい編集に目をつむるとして、「ストリーキング」も圧巻だ。
これぞC級映画の快作となるか。いやいや・・・。
刑事と編集長の論争は面白かった。
冨永昌敬監督映画「素敵なダイナマイトスキャンダル」は、「タブーなき物語」として、ハチャメチャながらこの作品も半ば成功しているのではないかとも・・・。
      [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
次回はアメリカ映画「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」を取り上げます。


映画「ロング,ロングバケーション」―半世紀以上連れ添った夫妻がたどる人生の軌跡とその旅の果て―

2018-03-15 16:30:00 | 映画


 「人間の値打ち」 (2013年)、「歓びのトスカーナ」(2016年)イタリアアカデミー賞受賞した、名匠パオロ・ヴィルズィ監督が、人生のクライマックスを謳うロードムービーを、アメリカを縦断するルート1号線を舞台に描いて見せた。
 人生も夫婦も、予測不可能だ。
 それは結構厄介だし、笑いもあれば涙もある。
 二人は、残りわずかな夫婦の時間を、最後の旅で彩るのだが・・・。

 

 

夫婦生活はもう半世紀である。
妻エラ(ヘレン・ミレン)は、全身に散っているが、末期がんを抱えて闘っている。
元文学教師のジョン(ドナルド・サザーランド)は、アルツハイマーが進行中だ。
二人はとても仲が良く、止めようとする子供たちを振り切って、“キャンピングカー”でアメリカ縦断の旅に出ることになった。

70代の夫婦が、ボストンからフロリダへ。
国道1号線を南へ、行く先にはジョンの敬愛するヘミングウェイの家がある、フロリダのキーウエストを目指すのだった。
実はこの日、エラはジョンを息子に託し、入院するはずだった。
老夫婦の道中は、トラブルとハプニングの連続で、二人は楽しかった思い出をたどる。
しかし、トラブルさえも満喫し、かれらの旅路の果ては・・・?

この作品は意外なラストを用意している。
二人のロードムービーには、楽しい思い出や苦い思い出がいっぱいで、イタリアから招かれたパオロ・ヴィルズィ監督の面目躍如といったところで、映画的には古いハリウッドのイメージと思いきや、とっこいラストはしばし呆然とする展開で・・・。
はしゃぎすぎたそのあとにドカンと重いラストを持ってくるなんて、よくある手法ではある。

作品にはユーモアや希望が溢れていて、とても明るい。
だが、エラの最後の選択には考えさせられてしまう。
彼女は末期がんで死をいつも覚悟しているが、認知症が進むジョンのことは気がかりでならなかった。
ジョンの記憶はいつも曖昧で、隣にいるのは誰かとか、妻を乗せないで車を発車させたり、エラはエラで絶望と希望の狭間を行ったり来たりしている。
アメリカ東海岸の、穏やかな陽光のもとに繰り広げられる愉快な旅は、次第に哀切を帯びてくる。

ヘレン・ミレンドナルド・サザーランドの名優二人の演技は心にしみて、あとに深い余韻を残すことになる。
パオロ・ヴィルズィ監督イタリア映画「ロング,ロングバケーション」は、映画として上手いつくりだが、深刻さを笑いの中に閉じ込めて、夫婦の心の深い部分をそっとなぞるような佳品として心に残るに違いない。
どんなに仲の良い夫婦でも、いつかはめぐりくるかもしれないこういう話は、辛い話である。
        [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「女の一生」―ある女のささやかな人生の四季をときに残酷に描いて―

2018-03-10 04:16:25 | 映画



 フ ランスの文豪自然主義文学モーパッサンの名作に、気鋭ステファヌ・ブリゼ監督が新たな息を吹き込んだ。
 若い娘が、妻になり、母になり、そして・・・。
 19世紀のフランスを舞台にした、女の転変の物語である。

 ステファヌ・ブリゼ監督は、綾なす光と影を背景に、過去と現実の人生を鮮烈に描きながら、リアリズムに徹した詩情を交えて、逆境におかれた女性の苦悶の人生を描いている。

 

 

1819年、フランス・ノルマンディー地方・・・。
十代のうら若き女性ジャンヌ(ジュディット・シュムラは、修道院の寄宿学校から5年ぶりに屋敷に戻ってきた。
ジャンヌは野菜の苗に水をかけながら、両親や乳姉妹として育ったロザリ(ニナ・ムーリス)をはじめ、懐かしい人々と再び美しい農園で暮らせることに胸を膨らませていた。

近くに越してきた子爵ジュリアン・ド・ラマール(スワン・アルロー)が、男爵の父(ジャン=ピエール・ダルッサン)を訪ねてくる。
麗しい風貌のジュリアンとジャンヌはすぐに打ち解け、急速に惹かれあう。
ジュリアンは資産を失っていたが、裕福な男爵夫妻はジャンヌの気持ちが大事だと考えていた。
ほどなく二人は結婚し、ジャンヌも幸せの絶頂にいたのだったが・・・。

世間知らずの男爵令嬢ジャンヌは、このドラマの中で人間関係の残酷さに様々な傷を負いながらも、自らの人生に理想を抱いていた。
夫となったジュリアンは、現代でも通じるキャラクターだが、彼は夫として2度に渡る不倫をし、その代償も大きい。
物語は全編を通して、ジャンヌの視点で展開していく。

余計なセリフはすべからく削ぎ落とされ、セリフの途中で場面が転換し、決定的な瞬間や結末を画面に投影させずに次の場面に進んだりするから、少しわかりずらいところもある。
ドラマが時系列で進んでも、過去は現在と交錯し、とくに幸せに過ごした過去の回想シーンは幾度も登場する。
恋愛、結婚、出産、子育て、親の死・・・。

夫の不貞に苦しみ、息子を溺愛するが、ジャンヌは財産も失っていく。
女の人生の転落が描かれる。
人間の生きる意味、個の尊厳が問われる。
失意の中に、ふと去来する幸福な記憶が喚起されて・・・。

裏切られても、蔑まれても一生懸命に生きる主人公を描いて、そこに重なるノルマンディーの四季の風景が映像としても美しい。
ヒロインのジュディット・シュムラは初々しい17歳から年老いた40代後半まで演じていて、なかなか絶妙な演技を見せる。
信じがたい夫の不貞の陰で、ジャンヌの人生に対する夢は、結局次々と打ち砕かれていく。
やや古風でスタンダードなスクリーンが、ジャンヌの生きる狭い世界を象徴しているかのようだ。
ステファヌ、ブリゼ監督フランス映画「女の一生」は、人生の四季を描いて繊細だ。
フランス古典文学の格調を感じさせる一作である。
この作品はこれまでも、世界中で幾度も映画化されており特別な新味には乏しい。
世間知らずのお嬢さまが、様々な経験をして大人になっていくプロセスを描いており、結構この映画は文学的な香気の濃厚なドラマではある。
       [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
次回はイタリア映画「ロング,ロングバケーション」を取り上げます。


映画「空海―KU-KAI―」~美しき王妃の謎に挑む~

2018-03-01 17:20:00 | 映画


 中国王朝最大の謎に挑む映像叙事詩である。
 夢枕獏「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」を、カンヌ国際映画祭などで常連の中国のチェン・カイコー監督が映画化した。

 チェン・カイコーというと「さらばわが愛 覇王別姫」(1993年)、「始皇帝暗殺」(1998年)などで知られるが、この作品は歴史をさかのぼる1200年以上も前の、絢爛豪華な映像と謎解きに驚愕の真実をさぐる冒険奇譚だ。






1200年以上前の中国長安・・・。
この国際都市で怪事件が起こる。
都の役人や権力者が、次々と不可解な死を遂げる。
遣唐使として居合わせた空海(染谷将太)は、詩人白楽天(ホアン・シュアン)ととものその謎を追う。
彼らの行く先々には、いつも黒猫が現われ、この妖猫に導かれるように、長安を走り回るうちに楊貴妃(チャン・ロンロン)の死にたどり着く。

玄宗皇帝(チャン・ルーイー)に愛された美女楊貴妃は、半世紀前に非業の死を遂げていた。
空海と白楽天は、当時唐にいた阿倍仲麻呂(阿部寛)が、一部始終を目撃していたことを突き止める。
楊貴妃の死の裏に何があったのか。
そして、ときどき姿を見せる不思議な力を持った妖猫の正体は何か。
・・・絢爛たる長安の街で、やがて二人は驚愕の事実を知ることとなる・・・。

これは、日中合作の伝記ファンタジー以外の何ものでもない。
悪く言えば、通俗的な娯楽作品だが、これだけ大仕掛けなセットを組める監督も大したものだ。
原作は「妖猫伝」そうだが、世界的巨匠はただ単に不思議な猫の物語を描きたかったのか。
美術や映像は煌びやかで見事なものである。
しかし、ここまで豪華なセットを見せられると、何か飽きを感じて途中で間延びがして食傷気味ともなる。

空海がどんな修行や体験を積むものかと期待した。
タイトルのわりにはパッとした活躍の場面はない。
全編を通してみると、まるで怪しい猫が主人公みたいだ。
製作費150億円という大作で、長安のセットは東京ドームの8個分だそうだ。
映像と謎解きは興味津々で、日本語の吹き替えのキャストも豪華だ。
だが、これで日本公開版はすべて吹き替え版なのか。
中国語版で観られないのはいかにもにも残念だ。
タイトルの「空海―KU-KAI」も弱い。

CGを駆使して壮大な夢を描いているが、やたらと頼りすぎている。
そんじょそこらでちょこっと撮れるようなお話の映画ではない。
だから、国境を越えた日中合作映画、チェン・カイコー監督の「空海―KU-KAI―美しき王妃の謎」にはかなりがっかりした。

広大なオープンセット、最大1000人のエキストラ、「長恨歌」の話と圧倒的な映像もともかく、知的な好奇心も大いにくすぐられるのだが、歴史ドラマとしてもファンタジックなミステリーとしても作品としては消化不良だ。
CGを多用したファンタジーというのも相性がよろしくないようで・・・。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
次回はフランス映画「女の一生」を取り上げます。


映画「長江 愛の詩(うた)」―現実と幻想の垣根を超えて大河の流れが象徴的に物語るのは―

2018-03-01 17:16:48 | 映画


 悠久の長江を語る、壮大な叙事詩だ。
 世界最大の三峡ダムが完成するなど、中国社会は大きく変貌を遂げつつある。
 ヤン・チャオ監督が、長編一作目の「Passages」(2004年)に続いて、10年の製作期間を費やして完成させた長編第二作だ。

 比類のない映像世界が圧巻だが、長江は壮大で幻想的な叙事詩のように描かれている。
 この映画は見方にもよるだろうが、現実と虚構、現在と過去が交錯する、なかなかの深遠なラブストーリーでもあるようだ。
 ベルリン国際映画祭では銀熊賞受賞した。




ガオ・チュン(チン・ハオ)は、他界した父親の跡を継いで、老朽化した貨物船の船長になった文学青年だ。
富豪の顧客から、怪しげな積み荷を運ぶ仕事を請け負って、長江をさかのぼる旅に出た。
彼は機関室で、「長江図」と題された手書きの詩集を発見する。
それには、ガオの父親が1989年に創作した幾つもの詩が書かれていた。
ガオはその詩に誘われるように、上海から長江を上流へと向かったが、彼の行く先の港でミステリアスな女性アン・ルー(シン・ジーレイ)と出会う。

二人は出会いと別れを繰り返し、恋に落ちる。
出会うのは、詩に出てくる港ばかりである。
しかし、三峡ダムを境に彼女は港に現れない・・・。

この作品の撮影監督は、「黒衣の刺客」(2015年)などで知られるアジアを代表するリー・ピンビンで、詩的な映像の数々は見応え十分だ。
三峡ダムの完成で、逆に失われた生活や風景に想いをはせ、変わりゆく長江を象徴させる女性として、この女性を登場させていたのだろうか。
2009年に完成したダムは経済発展に大きく貢献したが、上流では水位上昇などで140万人が家や土地を失った代償も大きかった。
美しい景観さえもダム湖に沈み、水質汚染は進んだ。
本編は、中国の今を象徴するかのような映画である。
ファンタジックな山水画の世界に、そうなのだ、現実が溶け込みかけているような・・・。

映画の中に登場するアン・ルーという女性は何者か。
「長江図」とは何か。
はっきりした答えは映画の中にはない。
全ての謎をそのままに受け止めて、想いをめぐらす(?)旅でしかない。
見方によっては、いやまさにこれは一篇の愛の物語か。
何もかもが混沌としていて、理由めいた解釈を求められない。
迫力のある映像詩が続くが、登場人物たちの立場や行動はあいまいで、何を考え、どんな問題を抱えているか。
作者は何を一番言いたいのか。
ヤン・チャオ監督中国映画「長江 愛の詩(うた)」は、山や谷や川が何かを雄弁に語りかけてくるのだ。
現実と幻影が交錯する神秘的な映像詩である。
         [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
次回は日中合作映画「空海―KU-KAI―」を取り上げます。


映画「はじめてのおもてなし」―困惑のち失笑しやがて感動をもたらす難民受け入れで知る幸福とは―

2018-02-07 16:00:00 | 映画


 寒い冬に、心までほっこりと温めてくれるドイツ映画だ。
 あちらでは、400万人が笑って泣いた大ヒットだそうで、難民の受け入れという時事ネタを取り入れたコメディである。
 難民問題を柔らかに扱っており、人生にとって大切なことは何か、あらためて気づかせてくれる作品だ。
 いまの時代に必見の作品かも知れない。

 日本人とドイツ人の近似性(?)が多分に垣間見えて面白い。
 押し寄せる難民への嫌悪感や、本音もストレートに描かれている。
 難民への偏見の根深さも語られ、サイモン・バーホーベン監督は、先進国の価値観や家族関係のねじれをヨーロッパの混沌の中に解りやすく描き出している。


ミュンヘンの閑静な住宅地・・・。
ハートマン家のディナーの席で、アンゲリカ(センタ・バーガー)は難民の受け入れを宣言する。
教師を引退して、生き甲斐を見失った彼女は、夫リヒャルト(ハウナー・ラウターバッハ)の反対を押し切って、ナイジェリアから来た難民の青年ディアロ(エリック・カボンゴ)を自宅に住まわせる。
家族は初めてのおもてなしに張り切るが、大騒動が起きてしまう。
さらに、ディアロの亡命申請も却下される・・・。

天涯孤独の青年ディアロを受け入れたことで、近隣住民の反発や家族の大喧嘩の中で、外国人との文化や習慣の違いによるハプニングの連続に笑いつつ、難民問題や国際社会における真の“おもてなし”についても考えさせられる。
崩壊寸前の家族の前で、難民青年はどうしたら幸福な明日を手に入れることができるか。

ハートマン家ひとりひとりのキャラクターが上手に描かれている。
若者の集まる店に通ったり、フェイスブックを始めたりする父、仕事も子育ても一段落して物足りなさを社会活動で埋めようとする母、31歳になっても自分探しを続けている娘やワーカホリックの息子といったら、日本だって例外ではない。

この作品、騒動が起きてもその引き金を引くのはディアロではなく過激な友人とか狭量な隣人らで、ハートマン家の事情が絡んでいる。
ということは、難民問題そのそのもは、難民を取り巻く人々がみんな抱えている問題の産物なのだ。
人は簡単に変化に対応することは出来ない。変わることができないでいるのだ。
そう、現実にまともに向き合うことができない
サイモン・バーホーベン監督は、そんじょそこらのどこにもいそうな迷える人々の言動をリアルにに活写しており、笑いと親近感で観客をドラマに引き込む。
ついでに、監督はアンゲリカ役のセンタ・バーガー実子である。

ドイツ映画「はじめてのおもてなし」には多くのエキストラも登場している。
現実の深刻さを忘れて笑ってしまう。
まさに、ドイツ社会の今を家族の物語に託して描いている。
喜劇が人の心を開くとはこのことであって、笑いから人と人とをつなぐ絆を発見することになる。
いささか古風かもしれないが、本質的には心を打つ優しい映画であることに変わりはない。
まあ、映画を観て笑ってばかりいる場合ではないが・・・。
映画は映画として笑えても、ドイツ政局の最重要テーマとなっている難民問題は、笑うに笑えぬ実に深刻な現実を抱えている。
それこそ焦眉の急だ。
         [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回は中国映画「長江 愛の詩(うた)」を取り上げます。


映画「花筐 HANAGATAMI」―死を運命づけられた中で輝いていた青春の美しさと切なさ―

2018-01-31 12:00:00 | 映画


 この映画は、戦争前夜の死を運命づけられた中で、青春の美しさと切なさに向き合うときを描いている。
 1936年に発表された檀一雄の原作をもとに、大林宣彦監督が40年以上前に脚本を書き、長いこと映画化を切望してきた作品である。
 時代と社会世相の描写は、細緻で、反戦のテーマもはっきりしている。
 大林監督の、ロマンと美術の到達点と思われる映画の出来栄えで、がんと闘いながら青春の儚さと戦争の愚かさを謳い上げている。
 彼の映画美学の集大成といってもよい。

 祖父から孫の代につながる、ある一家の日常を描いた群像劇だ。
 ドラマの中には、不思議な世界が散見されて、それこそが大林ワールドなのだが魅力はたっぷりだ。
 大林監督「この空の花―長岡花火物語」(2011年)、「野のなななのか」(2011年)に続く本作「花筐 HANAGATAMI」は、彼の戦争三部作の最終章だ。



1941年春・・・。

アムステルダムに住む両親のもとを離れ、唐津に住む叔母江間圭子(常盤貴子)の家に、17歳の榊山俊彦(窪塚俊介)は身を寄せていた。
雄々しい鵜飼(満島真之介)、虚無僧のような吉良(長塚圭史)、道化者の阿蘇(柄本時生)といった個性豊かな学友たちから刺激を受け、肺病を患ういとこの美那(矢作穂香)らと青春を謳歌していた。
その彼らにも、戦争の足音がひたひたと迫って来ていた・・・。

空に巨大な月が現われる。
海面は煌々と明かるい。
現実にはあり得ない前衛的な風景である。
ファンタジーを見ているのだ。

抒情性の豊かな映像の中に、前衛的な風景が次々と繰り出される。
若者たちには悲哀感と焦燥感が漂っている。
まもなく戦争が起きると、自分たちの短い生を感じている。
ともに暮らす彼らが、戦場で命を落とすかもしれないという思いを抱いていて、彼らの青春を痛切なものにしている。
映像は、さながら戦争の犠牲となった若者達への鎮魂歌だ。

青春の輝きの中にも、悲劇はある。
太平洋戦争前夜が舞台である。
当時の若者たちは、肺結核の血や戦争の応召に死の影とロマンを見出しながら生きていた。
ドラマはまるで筋書きのないのないドラマのように展開し、モンタージュ、コラージュといった動画の手法を駆使し、終盤まで責め立てる。
ドラマの中に登場する彼岸花と薔薇の花びらは、当然死の象徴であろう。
前面に悲壮感が漂い、現代は戦前だとの危機感は、大林監督も感じ取っているのではないか。
登場する唐津くんちに見る躍動感には、死のイメージが鮮烈に感じられる。
遊び心のある美術や映像にも、仕掛けどころ満載で実に力強い。

もともとは8ミリ映画を撮っていた少年が、自主映画、CM、商業映画へと転じた大林監督の多様性か。
彼の全作品群の集大成をなすものではないだろうか。
闘病中の大林宣彦監督が完成させて、渾身の新作は2時間50分を飽きさせずに見せる。
嘘は嘘とそれらしく描きながら、平和という現実の世界に絶対に実現しないものを映画の‘大嘘’から出たまこととして描きたかった、大林宣彦監督80歳にして、作品「花筐 HANAGATAMI」は若々しいリリシズムさえ感じられる大作だ。
       [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回はドイツ映画「はじめてのおもてなし」を取り上げます。


映画「嘘を愛する女」―知り尽くしていたはずのその愛は嘘か本物か―

2018-01-24 19:00:00 | 映画


 実際にあった朝日新聞の記事から着想を得て、気鋭の中江和仁監督が構想20年をかけて、この作品を完成させた。
 これもまた、ある愛(?)の物語である。

 もしも、同棲相手の素性が全て嘘であったらどうするか。
 そうだ。ちょっと怖い話だ。
 この物語は、映画企画コンペで優勝し、映画化にこぎつけたいきさつがある。
 まあ、観ても損のない映画ではなかろうか。







食品メーカーでヒット商品の開発に力を注ぐ、キャリアウーマンの由加利(長澤まさみ)は、同棲5年目を迎えた心臓外科医の恋人、桔平(高橋一生)との結婚を真剣に考えるようになった。
そんなある日、刑事2人が自宅を訪ねてきて、桔平がくも膜下出血で意識を失い、病院へ搬送されたという。
ところが、身元確認の過程で、桔平の職業や名前のすべてが嘘と判明したのだ。
由加利は桔平の正体を調べようと思い、探偵の海原(吉田鋼太郎)を雇い、彼が書き溜めていた小説を手掛かりに、小説の舞台となっていた瀬戸内へと向かうのだった。

会社の由加利と研修医の桔平は同棲5年目だ。
幸せの中にあったが、意識不明となり、名前も職業も嘘だと分かった。
由加利は桔平の過去を探る旅に出る。
愛した人は本当は誰だったのか。
由加利という女性は自分本位で、周囲を顧みずに突き進む女性のようで、共感を呼びそうな役どころではない。
本当に嫌な女であろう。

設定はミステリアスで興味深いのだが、謎を解明していく過程はいささか物足りない。
登場人物の設定に重厚感はない。
うすっぺらで、嘘をついていた桔平の理由も何だかすっきりとしない。
ドラマはそんなこんなで全容がもたついているように見える。
暗いテーマを扱いながら、笑いを織り交ぜていくあたりはいいとしても、3時間近い上映時間は間延びしてどうも・・・。
でも、なかなかの実力派俳優陣をそろえているだけに、ドラマをしっかりと支えている感はする。
物語の展開もちょっと窮屈な感じがあったりして、そうかと思うとほどほどにしなやかな余韻を持たせたり、演出には中江監督の鮮やかな手腕の見せ所も大いなる救いだ。

ドラマにはファンタジックな要素や回想シーンなども多々加わって、面白おかしい場面もある。
ヒロイン由加利は難しい役どころだが、演出によく答えて長澤まさみの熱演が光っている。
しかしまあ、結論からいってしまうと、中江和仁監督映画「嘘を愛する女」は一見ミステリアスに見せて、観終わってみると人間模様を濃密に描いた、結構純粋で素直なラブストリーではないか。
        [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
次回は日本映画「花筐 HANAGATAMI」を取り上げます。


映画「彼女がその名を知らない鳥たち」―最低な男と女のある究極の愛の物語―

2018-01-15 17:00:00 | 映画


 沼田まほかる の同名小説を、「凶悪」1913年)白石和彌監督が映画化した。
 ひとりの女性をめぐるスリリングな愛憎劇は、多少の息苦しさを見せながら、わざとらしさと滑稽さをない交ぜにした男女のコメディとして、結構笑える作品になっている。

 厭な女、下劣な男・・・、つまりは最低な人間しか登場しない。
 それなのに、このドラマの展開は常に「愛とは何か」と突きつけてくる。
 ミステリアスな趣もふんだんに・・・。
 出演する役者の底力をうかがわせるのは、目を見張る十分豪華な(?)キャストであろうか。
 勿論主要人物のキャラクターもそれぞれ極端で、人間が本質的にもつ闇や愚かさに迫りながら、どこかに光を感じさせる作品で、原作者のベストセラー、ミステリーの面白さも躍如だ。



十和子(蒼井優)は仕事も家事もせず、怠惰な生活を送っていた。
15歳年上の献身的に尽くす男、陣治(阿部サダオ)と暮らしながらも、8年前に分かれた黒崎(竹野内豊)のことが忘れられないでいる。
下品で不潔な陣治に十和子は嫌悪感を隠せないが、ある日、黒崎の面影を持つ水島(松坂桃李)という妻子ある男と出会い、彼との情事にのめりこむ。

そんなある日、黒崎が行方不明になっていると刑事から知らされる。
どんなに罵倒されても、十和子のためだったら何でもできると言い続ける陣治が、執拗に自分を追っていることを知った十和子は、黒崎の失踪に陣治が関わっていると疑い、水島にも危険が及ぶのではないかと脅え始めるのであった・・・。

この映画には、嫌な女十和子、下劣な男陣治、ゲスな男水島、クズ過ぎる男黒崎と・・・、共感度0%の登場人物しか出てこない。
何だか、肌にまでまとわりつくような不穏で不快な空気が漂うが、物語はどうやら究極の愛に向かって着地していく。
予想を超えるラストは、誰も裁くことができない。

とにかく、嫌な奴ばかりが揃いも揃ったものだ。
彼らのファッション、表情、ベッドでの振る舞い、雑然とした室内にも細やかなリアリティがあり、俳優陣の演技も説得力がある。
人間の汚さなるものを散々見せておいて、どんでん返しのように、美しいラストシーンを用意しているのだ。
しかし、このドラマは誰もが共感できるかどうかは疑わしい。

白石和彌監督「彼女がその名を知らない鳥たち」のヒロイン、十和子は一見性格破綻者に見えるが決してそうではなく、過去も現在も彼女が黒崎という男に支配されているからだ。
この映画で、甘える猫のような女、きつい大阪弁で人を罵倒する所帯じみた女、ミステリアスな愛人といった、いろいろなタイプの大人の女を選びわけ、様々な表情をものの見事に使い分けて主人公に挑戦し続けた蒼井優に拍手を送る。
この作品に観る、はかなげな危なっかしさを見せる役柄hが、彼女の女優としての力量を広げたことは間違いない。
映画は欠点もあるが、日本映画としては面白く観ることができる。
劇中で十和子が眠り着くまで陣治がマッサージを施すシーンで、胸に手を伸ばしたことに十和子が苛立ち、「あんたみたいな不潔な男にそんな触り方されたら虫唾が走る!」と彼を罵倒するセリフもなかなかだ。
おもろうて、やがて悲しきドラマかな。
         [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回は日本映画「嘘を愛する女」を取り上げます。