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徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「女神の見えざる手」―天才的なひらめきと無敵の決断力は勝つためには手段を選ばず―

2018-01-07 12:35:00 | 映画


 明けましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願い申し上げます。

 世界史を紐解けば、いつの時代にも国や世論を巻きこむ逆転劇があるものだ。
 したたかで巧妙な戦略もある。
 時には巨大な勢力や政界をも敵に回して、善かろうが悪かろうが、かつてない結末を導こうとするものだ。
  
 政治や社会さえも、その未来を見通す知識と知恵で思い通りに動かす・・・、それがロビイストという職業なのだ。
 止まることを知らないスピード感で、誰もが予測不能な驚愕の結末を迎える。
 マリーゴールド・ホテル」(1910年)ジョン・マッデン監督フランス・アメリカ合作映画である。
 これは天才的な戦略を駆使して、政治を動かすロビイストの実態に迫った、社会派のサスペンスだ。
 見応えは十分だ。

 

 ワシントンD.C.で、スパークリング上院議員(ジョン・リスゴー)による聴聞会が開かれていた。
証人となっているのは、敏腕ロビイストとして名高いエリザベス・スローン(ジェスカ・チャスティン)でコール=クラヴィッツ&ウォーターマン在職中に手がけた仕事で彼女は不正を行なっていたとされ、その真偽が問われていた。

完璧を求めるエリザベスの仕事ぶりは、クライアントの要望を叶えるため、これはと思う戦略を立てたら一切妥協を許さなかった。
彼女の仕事ぶりは政治やメディアからも一目置かれており、社内でも「ミス・スローン」と呼ばれ、畏れられる存在だった。
眠る間も惜しんで、戦略の根回しや裏情報をつかむのを目的とし、私生活での交遊はゼロに等しく恋人ももちろんいない。
男性への欲望は高級エスコートサービスで満たしていた。
そして、聴聞会からさかのぼる3カ月と1週間前、本編は幕を開けるのだが・・・。

このドラマでは、アメリカの銃規制法案の賛成派と反対派が対立しており、スローンの小さなロビイ会社はこの法案に賛成の立場をとる陣営を支援していた。
ロビイストのスローンは、法案の議会可決をめぐって、彼らへの暗躍を見せ、息をもつかせぬサスペンスドラマとなった。
さすが、スローンも予期しなかった事件が起きたりする。
政敵の会話の盗聴や、スパイを潜入させることなど朝飯前だ。
次々と大胆な策を繰り出し、ついには過半数に近い議員の賛成票を取り付けるに至るのだが・・・。

自分の部下を道具のようにしか思わない、スローンの仕事と言ったら圧巻の徹底ぶりだった。
だが欠点もある。
スローンを駆り立てる動機については、よくわからない。不明確なことも多すぎる。
勝つためには手段を選ばぬ彼女の戦い方は、古巣や議員に影響力のある団体から反撃を食らうことになる。
先日だったかラスベガスで銃乱射事件があったが、タイムリーでもある。
アメリカでは何故銃規制が進まないのだろうかと思う。

これはしかし、その事の善悪を問うドラマではないので、いわばアメコミのヒロインをちょっと悪く可愛く見せるところに、スーパーウーマンの戦いを楽しもうといいう狙いもある。
フランス・アメリカ合作映画「女神の見えざる手」は、フィクションではあるけれど脚本はよく練られており、さすがは弁護士だったジョナサン・ペレラで、セリフはくどくどしく、俳優陣の喋りかたも少し早い。
観ているほうはそのあたりをクリアできれば、観て損のない映画である。
ロビイスト役のジェスカ・チャスティンはこの役なかなかハマっている。
しかしロビイストなる彼女らが、モラルや常識もなくその見えざる手で人々の心や巨大な権力すらを、自由に武器も使わずに危険な一線を越えて秘策を繰り出されたりすれば、日本はどうなってしまうだろう。
         [JULIENの評価・・・★★★★☆] (★五つが最高点
次回は日本映画「彼女がその名を知らない鳥たち」を取り上げます。


映画「ロスト・イン・パリ」―パリを舞台にしたとびきり遊び心満載のエレガントな喜劇―

2017-12-29 10:59:52 | 映画


 パリやブリュッセルで活躍中の現役道化師カップル、ドミニク・アベル&フィオナ・ゴードン夫妻監督、脚本・主演を兼ねている。
 優美な名演技を、体いっぱいに使って表現している。
 息の合ったパフォーマンスが、あちらこちらで笑いを誘う。
 映画的な身振りとはこんなことを言うのだろうか。

 それにしても、身体を通して人の魂を描くとすればそれも大したことで、人間の持つ本当の自由や生きる歓びについて語られる、めずらしい映画といえるだろう。
 ドタバタ喜劇のように見えて、ほろ苦い人生のままならぬ哀歓をそっと謳い上げている。




カナダの雪深い町から、未婚の中年女性フィオナ(ゴ-ドン)がパリにやって来る。

真っ赤な大きいリュックサックに、カナダの国旗をちょこんと立てて、おのぼりさんみたいだ。
フィオナは、何年も前に分かれたマーサおばさん(エマニュエル・リヴァ)との再会が目的だ。

そのフィオナがセーヌ川に架かる橋で、記念写真を撮ろうとして川の中に落ち、大事なリュックを失くしてしまう。
ホームレスのドミニク(アベル)がそのリュックを拾った。
彼はフィオナに一目惚れし、迷惑も顧みずマーサ探しを手伝ってやろうとする。
だが、マーサは亡くなったことがわかり、二人は葬儀場に行くのだが・・・。

くすくすと笑いを誘われるコメディだ。
古めかしさや懐かしさに斬新さを盛り込んで、パリを舞台に、軽妙で皮肉の利いた笑いが全編を包んでいる。
フィオナとドミニクが出会う場面での絶妙なダンスなども、お互いに言葉も通ぜず、それを逆手に取って、動きの良さで笑わせようとする。
彼らは本来現役の道化師だから、自分たちの頭のてっぺんから足のつま先までを使って演技することを心掛けているのだ。
人間の持つ深い部分というものについて、そうしたことで十分表現ができると監督は考えているようだ。

主演の二人はもともと舞台俳優だ。
二人のコンビの、歩く姿から身なりひとつまでが絵になっている。
それが、映画で情感あるアクションとして成り立っている。
リズム感があって、生き生きとしている。
身のこなし、ささやかな仕草のひとつひとつまで、よく見ていると面白く魅力的だ。
物語は一見単純に見えるが、細かい伏線が張られており、それなりの効果を期待していると意外な展開を見せたりして・・・。
マーサを演じるエマニュエル・リヴァはこの時88歳で、この作品が遺作となったそうだ。
フランス・ベルギー合作映画「ロスト・イン・パリ」は、サイレント映画のような趣を持ったリアルな作品で、なかなか面白く観られる。
       [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点

いろいろありましたが、今年も、もう間もなく暮れていこうとしています。
どうぞ、どちら様も良い年をお迎えになってください。

次回はフランス・アメリカ合作映画「女神の見えざる手」を取り上げます。


映画「ルージュの手紙」―血の繋がらない自由奔放な母と生真面目な娘の和解の物語―

2017-12-24 12:00:03 | 映画


 カトリーヌ・ドヌーヴカトリーヌ・フロの、フランスの二大女優が母娘好演する人間讃歌のドラマだ。
 可愛らしくてほろ苦い物語が、人生を彩るメッセージを観客に送り届ける。

 もしも、何もかも正反対の相手が突然現れて、自分を予想外の未来へと導いてくれるとしたら・・・?
 血のつながらない二人が、30年ぶりに再会し、そこに二人が見つけたものは何だったのか。
 マルタン・プロヴォ監督の洒落たフランス映画である。
 ほら、風まかせに生きる女が、笑いと涙をつれてやって来る。





パリ郊外・・・。
生真面目な助産師クレール(カトリーヌ・フロ)のもとに、30年前に父を捨てた継母ベアトリス(カトリーヌ・ドヌーヴ)が現われる。
父を裏切った身勝手なベアトリスを、クレールは許せずにいた。
ベアトリスが現われたのは、末期がんのためだった。
仕事のこと、息子のことなどで、クレールには悩みが増える。
娘は継母の失踪が原因が父が自殺したことを根に持ち、二人の関係はぎくしゃくする。
だが、ベアトリスとクレールは次第に相手のことがわかってくると、お互いに心を開き始めるのだった・・・。

この作品のテーマは、ひとつには理解と共感だ。決して大それた問題を扱っているわけではない。
ベアトリスは限られた時間を精一杯生きるため、今までの溝を埋めたいと考えている。
何のことはない、二人の女性が大人になって再び出会ったことで、互いに理解し合えるようになっていくというお話だ。

1943年生まれのパリジエンヌで、10代から映画出演の長かったカトリーヌ・ドヌーヴの存在感は断然だ。
彼女は、アルジェリア戦争を背景に若者たちの恋と別れを切なく描いた「シェルブールの雨傘」(1963年)に主演して、スターの座に就いたのだった。
そうだ。この人、世界的な女優としてすでに半世紀以上のキャリアを持っている。
まあずいぶんとお年を召した感じはする。
いかに、今という時間を濃密に生きているかがわかろうというものだ。

この作品は、カトリーヌ・ドヌーヴはまり役の作品であり、過去の恋に思いを馳せる女、強がりでいて孤独な女とか、女性が一生のうちで経験する様々な感情を繊細な表現で演じている。
母娘の絆の変化、切ないラストシーン・・・、行き詰まった日常から心を解放していく様子が、まるでドヌーヴ自身の生き方そのもののように人生を謳歌する‘母’役を演じているではないか。
真面目すぎるほどの娘役のカトリーヌ・フロともども、〈二人のカトリーヌ〉がこの作品を涙と笑いで彩っている。
マルタン・プロヴォ監督フランス映画「ルージュの手紙」は、やや深刻な題材を扱いながら、ポジティブな脚本もあってコメディ要素たっぷりの軽やかなドラマとして仕上がった。
この映画によれば、生きることは決して後悔せずに自分の道を歩むことだ。
それが、プロヴォ監督の人生讃歌だ。
       [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「希望のかなた」―故国を追われ北欧フィンランドに流れ着いた難民の心情―

2017-12-18 08:30:00 | 映画


 木枯しの吹きすさぶ、冬の本格的な訪れだ。
 今年も、間もなく暮れてゆこうとしている。
 時の流れのままに・・・。
 
この映画は、内戦の激化に伴う、シリアの深刻な内戦問題がテーマだ。
 フィンランド代表するアキ・カウリスマキ監督が、 「過去のない男」2002年)、「ル・アーブルの靴みがき(2011年)に続いて、優しさにあふれた人間讃歌を描き上げた。

 この作品は今年のベルリン国際映画祭で、銀熊賞(監督賞)受賞した。
 難民問題をユーモアで味付けした独特の作風で、意外性があって面白い。
 社会の片隅で、ひっそりと慎ましやかに生きる庶民の哀歓は、ここでも独特の手法で切り取る方法は生きており、人間の持つ小さな善意に心の救われるヒューマンドラマだ。




青年カリド(シェルワン・ハジ)は内戦の激化するシリアを逃れ、北欧フィンランドの首都ヘルシンキにたどり着いた。
望みはひとつ、生き別れになった妹のミリアム(ニロズ・ハジ)を捜し、フィンランドに呼び寄せることだった。
一方、現在の仕事と家庭に嫌気がさしていた初老の男ヴィクストロム(サカリ・クオスマネン)は、レストランの経営を始める。
ある日、店の外でカリドと出会い、一発ずつなぐり合ったのち、カリドを店に雇い入れることにする。
カリドは差別や暴力にさらされていたが、ヴィクストロムの救いの手で、自分の人生に希望の光がさし始めるが・・・。

気の遠くなるようなテーマを扱いながら、これが意外に温かな映画なのだ。
ヘルシンキの港にたどり着いたシリア難民、カリドの話と、初老のセールスマン、ヴィクストロムの話が並行して進められていき、可愛げのないこの二人の表情も飾り気がなく、ドラマでも結構強引な展開で彼らを引き合わせ、どこか可笑しくて優しい物語に仕上がっている。
こんな話が映画になるのかと思うと、案外ちゃんとそうなっている。

そもそもカウリスマキ監督という人は、登場人物など無表情で必要最小限の話しかさせない。
カメラも美術も、何となく無表情で無愛想で素っ気ない。ぶっきらぼうに見える。
それでいて、精緻な演出を見せ、ほんわかとした笑いを呼び込む。
現代の闇を笑いで包もうというわけか。

ヨーロッパに行きさえすれば希望がつかめるはずだと、難民の多くは地上の楽園を夢見ているかもしれない。
戦禍にのまれる前のシリアは、2011年各地で大規模な反政府デモが繰り広げられるようになるまで、シリアは中東地域の中でも治安の安定した国で、世界中から旅行者が集って来るほどだったのに・・・。
しかし、7年近くの月日、人々の生活は粉々に打ち砕かれてしまった。

人に優しさは大切だ。
収容施設で出会ったイラク人難民は、自分も苦しいはずなのにカーリドを助ける。
一方で、貧しいはずのカーリドは、物乞いの女性に金を恵む。
困っている人がいたら手を差し伸べる。それが人間だ。
名匠アキ・カウリスマキ監督フィンランド映画「希望のかなた」は、可笑しくて優しい映画だ。
この映画、とぼけたエピソードも挟まれている。周囲の中に怒りだってある。
日本料理を真似てお寿司屋さんが登場するが、この寿司の姿がもうとてつもなくでたらめもいいところで、馬鹿馬鹿しくて・・・。
去れど、難民問題は日本は遠い国だが、これは他人事ではない。
       [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回はフランス映画「ルージュの手紙」を取り上げます。


映画「婚約者の友人」―切なさとやるせなさが新たな謎の扉を開くとき―

2017-12-08 12:00:00 | 映画


 それは愛か、贖罪か。
 「8人の女たち」(2002年)、「危険なプロット」 (2012年)、「17歳」 (2013年)の、フランソワ・オゾン監がエレガントなちょっとしたミステリーを完成させた。
 モノクロとカラーの映像美が仕掛ける待望の最新作は、なかなかよく出来た映画だ。

 大戦の狭間で生まれる、切ない愛の行方が気にかかる。
 第一次大戦後のドイツとフランスを舞台に、謎と嘘が交錯する物語を、アート色に綴って興味深い。
 絶望し惑乱して、再生への希望に目覚めるとき・・・。
 長いこと挑戦的な作品を撮り続けてきた、フランソワ・オゾン監督の最新作だ。
 ミステリアスなドラマの展開は大いに気にかかる。
 手紙、音楽、色彩を巧みに使い分けて、映画としては秀作に近いが・・・。




1919年、戦争に傷痕に苦しむドイツ・・・。

今やっく者のフランツ(アントン・フォン・ラック)をフランスとの戦いで亡くしたアンナ(パウラ・ベーア)は、悲しみの日々を送っていた。
ある日、アンナがフランツの墓参りに行くと、見知らぬ男が墓に花を手向けて泣いていた。
戦前にパリでフランツと知り合ったと語る男の名は、アドリアン(ピエール・ニネ)と名乗った。

アンナの両親は、彼とフランツの友情に感動し、心を癒やされる。
だが、アンナがアドリアンに“婚約者の友人”以上の思いを抱き始めたときアドリアンは自らの“正体”を告白するのだった。
しかしそれは、それから次々と現れる多くの謎の幕開けに過ぎないのだった・・・。

フランスの若手俳優の中でも突出した存在のピエール・ニネが、繊細さの中に情熱を秘めたミステリアスな青年像を見せてくれる。
アンナ役はドイツ映画期待のパウラ・ベーアで、降りかかる謎と嘘を乗り越えて、自らの生きる道を見つけようとする姿を力強く演じている。
ヴェネツィア国際映画祭では新人俳優賞(マルチェロ・マストロヤンニ賞)受賞した。

映像はモノクロとカラーが交錯し、美しい仕掛けが何とも心地よく感じられる。
衣装と音楽にも凝っていて、ロマンティックでミステリアスだ。ドラマの根底には償いがある。
フランスの酒場で、フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」を大合唱するシーンがある。
この歌詞のなかに、「敵は我らの女房と子ののどを掻っ切る」という文句がある
ヒロインが婚約者の父母につく嘘が胸にこたえる。
だが、これが非戦のメッセージを込めたドラマといえるかどうか。

1919年というと、背景にはナショナリズムの台頭があり、終戦を迎えているというのに、ドイツとフランスは憎みあったままだ。
その中で、ドイツ人娘とフランス人青年はどう向き合ったか。そこが最大のポイントだ。
映画の中、アンナが口ずさむヴェルレーヌの詩、フランツの形見のヴァイオリンでアドリアンが弾くショパンの調べ、そして映画の謎のようにアンナがアドリアンと出会うエドゥアール・マネの絵「自殺」・・・。
ささやかな芸術が、絶望の渕に立つ心に寄り添うように、忍び込んでくる。
ややもすれば、人間らしさを失う戦争の時代、人は一篇の詩、ひとつの旋律に救われることもあろう。
円熟の俊英監督フランソワ・オゾンフランス・ドイツ合作映画「婚約者の友人」は、どこまでもその眼差しに慈悲の深さがこもっている。
芸術性もたっぷりな好感のもてる作品だ。
秀作だとの評もある。
           [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回はめずらしいフィンランド映画「希望のかなた」を取り上げます。


映画「最 低。」―三人三様の悩みを模索する女性たちの静かなる応援歌―

2017-12-03 12:30:00 | 映画


 「ヘヴンズストーリー」(2010年)、「64-ロクヨン 前編/後編」 (2016年)などの大作を世に問うた瀬々敬久監督が、骨太で誠実な家族の映画を丁寧に織り上げて見せた。
 それも、AV業界に生きる女性の悩みや痛み、女性の心理を赤裸々に描いている。

 人気AV女優の名を欲しいままにしている、紗倉まなの同名小説を映画化した。
 どんな作品だろうかと思われる向きもあるだろうが、AV撮影の現場の場面も絡みよりも女優の表情に焦点を当て、怒り、屈辱、悲しみ、あきらめといった、現代に生きる女性たちに共通のごくありふれた感情を素直に浮き彫りにする。
 これはもう、女性のための女性映画だ。




34才の美穂(森口彩乃)は子どもが欲しいと思っているが、夫にその気はなく、満たされない日々を埋めるため、AVに出演することを決意する。

祖母と母親と三人で暮らす高校生のあや子(山田愛奈)は、学校にもなじめず油絵ばかり描いていたが、ある日、母親の孝子(高岡早紀)がもとAV女優だったとのうわさが学校で広まる。
AV女優の彩乃(佐々木心音)は故郷と距離を置いていた・・・。

映画では、三つの物語が錯綜しながら進んでいく。
AV映画に出演する女性たちと、その事実、内容を知った家族の葛藤を絡ませて、あくまでも外面からそれらを俯瞰するかたちで映し出していく。
いまの日本で、この種の作品に出演することが、本人や家族にどんな影響をもたらすか。
そしてまた、職業の区別はないとしている、地方の問題性もしっかりととらえて社会的風俗批評を交えながら、瀬々監督は、もがきながら生きる女性たちを終始温かい視線で描き続けた。

群像劇の得意な瀬々監督は、観客を徐々に登場人物に寄り添わせていく。
三つのドラマをクロスさせていく構成も悪くない。
ただ、登場する女性たちが何故AVに出演したのかという点については深堀りがなく、彼女たちのちょっとした家族らとの会話の中など、示唆に富むエピソードが紹介されているだけだ。
もちろん、家族のショックの大きさとかその反応によって、傷ついていく女性たちの姿もたっぷりと描かれている。

これは重い話である。
周囲の視線を気にしなければ生きてゆけない、日本という国の息苦しさがのぞいている。
閉塞感のある社会で、いかに自分たちの生き方を模索していくべきか。
偏見のつきまとうこの世界で、そこに考えさせられる問題をはらんでいる。
瀬々敬久監督作品「最 低。」は、重層的に描かれる女性映画だ。
抱擁シーンとあれば不運(?)とは、この作品で納得だ。
それが男女ではなく、母と娘の抱き合うシーンが感銘を誘う場面だからだ。
映画の中、美穂とあや子が運命に導かれて出逢い、抱き合ってのち縁側に並んで横たわるシーンは印象的だ・・・。
出逢い、交わり、重なり合う女性たちの葛藤を描いて、見応えは十分である。
       [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回はフランス・ドイツ合作映画「婚約者の友人」を取り上げます。


映画「エンドレス・ポエトリー」―精神的自叙伝を空想で自由に操り異色の前衛的手法で描いた作品―

2017-11-26 12:35:00 | 映画


 
 チリ出身のアレハンドロ・ホドロフスキー監督の自叙伝的映画は、前作「リアリティのダンス」(2013年)では幼少期を扱っていたが、その続編となるこの作品では、彼自身の青年期の彷徨を描き出している。
 それも、多彩で奔放な想像力を見せて、とどまるところを知らないかのようだ。
 御年88歳、ホドロフスキー監督恐るべしである。





舞台は第二次世界大戦後の1950年代、チリの首都サンティアゴ・・・。

北部の田舎町トコピージャから、家族で移住したホドロフスキー自身の青年期が描かれる。
主人公アレハンドロ(アダン・ホドロフスキー)の父ハイメ(ブロンティス・ホドロフスキー)は、娼婦や酔っ払いがたむろする下町に居を構える。
独裁的に振る舞う父に反抗して、アレハンドロは母の実家に行き、従兄のリッカルドと意気投合し、芸術家志望の仲間たちと勝手気ままな生活を謳歌していた。

そんな折り、真っ赤な髪の豊満な女詩人ステラ(パメラ・フローレンス)と出会い、詩と酒と愛欲の日々に溺れる。
だが、リカルドが親との対立で首つり自殺したことから、真剣に生きることを決意し、詩人エンリケ(レアンドロ・ターブ)との友情を育む。
しかし、エンリケの恋人と関係したことに罪悪感を抱き、サーカスの道化師となって自分の人生を笑いの中で見世物に仕立て上げる。
そして、実家が火事で焼けたことを機に父との関係を清算し、ホドロフスキーはパリへ旅立とうとする・・・。

現実をもとにしていながら、自由な空想で彩り、精神的自叙伝を作り上げており、まあ何とも破天荒、どぎつさにエロスと血の刺激に満ちている。
サーカスとか人形劇といった、大衆的舞台芸能への嗜好もたっぷりと、ホドロフスキー的なテーマはてんこ盛りいっぱいだ。
詩人になることを夢見るアレハンドロだが、権威主義的な父ハイメとは進路をめぐって対立する。
のちに世界的な詩人となるエンリケ・リンなど若い芸術家たちと交流を深めるうちに、父から押し付けられる堅実な生き方という呪縛からも解放され、詩人への道を歩み出そうとする・・・。

極彩色な映像やクラシック音楽を意識し、自分の過去を幻想的に演出し、現在から過去を楽しく生きなおしたような長編映画だ。
現実が幻想と絡み合い、両者の突飛な世界観をたっぷりと、これでもかという風に、面白く見せつけようとする。
まさに、想像が想像を招く、極彩色のスペクタクルへの連打といった感じで、瑞々しさにあふれており、時空を超えた詩人の青春を描き切っている。
その世界は決して楽園のようなものではないから、どこかでいつも、生と死はせめぎ合いを演じている。
矛盾や錯誤も多分にはらみ、それでいて新しい現実を創造し続けようとする、意気込みだけは血気盛んだ。

この種の自伝的映画3作、4作も、ホドロフスキー監督の脳裡にはもう浮かんでいるようだ。
年をとっても生きることを全肯定する、特異な〈魔法〉に満ちた映画の制作欲は、まだまだ進化し続くのか。
これというルールのない、奇妙奇天烈に展開するマジックリアリズムの世界が全編を覆っている。
この作品で主役ホドロフスキーを演じているのは、ホドロフスキー自身の4男アダン・ホドロフスキーだ。
フランス・チリ・日本合作映画、アレハンドロ・ホドロフスキー監督の「エンドレス・ポエトリー」、自由な詩人への道を歩む主人公を描いて尽きない。
映画の好き嫌いが、はっきり分かれるような作品でもあるだろう。
       [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回は日本映画「最 低」を取り上げます。


映画「ノクターナル・アニマルズ」―心理劇と推理劇の照応に戦慄を覚える愛と復讐のミステリー・ドラマ―

2017-11-13 16:00:01 | 映画


 秋は一段と深まりを見せ始めている。
 暦の上では立冬も過ぎて、早くも冬将軍が駆け下りてこようとしている。

 映画は、ファッションデザイナーとしても活躍中の、「シングルマン (2007年)トム・フォード監督の最新作である。
 ヴェネチア国際映画祭審査員グランプリに輝いた、フォード監督独特の美学に貫かれた、甘美だが残酷な物語だ。
 タイトルの邦訳は「夜の獣たち」で、闇の中をうごめくぞっとするような展開が続き、なかなかスクリーンから目が離せない。
 上映時間1時間56分は、あっという間である。

 色彩や視覚効果に工夫が凝らされていて、観るものを物語の中に引きずり込んでいく。
 愛の不確かさとか人間の愚かさを突きつけるドラマが展開し、劇中で小説を映像化したり、芸中劇がモザイク模様のように絡み合って少し難解な部分もある。
 緊張感の溢れた心理ミステリーで、映画内小説と過去と現在が交叉する複雑な物語が紡がれる。


裸体の肥満女性が、恍惚の表情で誘いかけるように踊っている。
欲望で肥大化した、アメリカの隠喩のようだ・・・。
アートギャラリーのオーナーで、スーザン(エイミー・アダムス)は夫とともに裕福な暮らしを送っているが、精神的には満たされていなかった。
ある週末、20年前に離婚した元夫のエドワード(ジェイク・ギレンホール)から、彼の書いた小説「夜の獣たち」の原稿が送られてくる。
彼女に捧げられたその小説は、暴力的で、衝撃的な力強さがあり、スーザンは読んでいるうちにぐんぐん引き込まれていった。
原稿を読むスーザンは、エドワードとの別れを思い出し、彼女の回想シーンが重なり、エドワードの小説を映像にした劇中劇が入れ子構造の小説世界となって、並走を始めるのだった。

元夫の小説の中に、それまで触れたことのない非凡な才能を読み取ったスーザンは、エドワードと再会を望むようになる。
エドワードは、何故小説を送ってきたのか。
それは、まだ残る愛なのか。
いや、それとも復讐だったのか・・・。

肥満の女性が、半裸で踊る冒頭のシーから度肝を抜かれる。
赤いソファに横たわる全裸の女性死体をはじめ、ちょっと悪趣味ではないかと思われるような映像が・・・。
これは、虚飾に満ちた現代アート界への何らかの警鐘か。
スケールは大きいとは言えない、古典的なメロドラマのような作品なのに、一瞬も飽きさせないところに感心する。
これはまた、監督の恐るべき手腕だろうか。

エドワードから届いた小包を開くとき、スーザが紙の端で指を切る場面がある。
ここは、その中の小説でやがて彼女に牙をむくものであることが暗示されている。
彼女が愛用する黒いドレスは、地位とプライドを失うまいとする女の防御心の表れだ。
様々なショットが強く訴え続けるヴィヂュアュアルで、衣装の装飾にひとつひとつのメッセージが込められているかのようだ。

元夫のエドワードの小説は、復讐劇で、それはスーザンにとって戦慄的なもので、悪夢のような虚構が彼女を惑わせ、苦しませ、恍惚と官能を呼び覚まし、愛の記憶にのたうち回るヒロインと化していくかのようだ。
現在のスーザンの虚ろな姿、元夫エドワードとの過去、エドワードの書いた小説世界(中味再生パート)は、暴力的なミステリーを漂わせている。
この劇中劇の主人公であるトニーと著者のエドワードは、ジェイク・ギレンホールの一人二役で、トニーの妻をアダムスによく似た女優のアイラ・フィッシャーが演じている。
こうしてみるとキャスティングは絶妙だが、現実と虚構の境界線があいまいになる。
観客は、ここは自然に身を任せるしかないだろう。

トム・フォード監督アメリカ映画「ノクターナル・アニマルズ」は、一見、謎解きには難解な要素もあり、観る者の潜在意識に負うところの多い、非常に珍しい作品だ。
映画は全編にわたって、緻密に構成された繊細な世界観に満ちている。
背筋がぞくぞくするような作品だが、スタイリッシュな余韻がいまでも静かに残っている。
芸術性は思ったよりも豊かだ。
          [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回はフランス・チリ・日本合作映画「エンドレス・ポエトリー」を取り上げます。


映画「愛を綴る女」―運命の男性を追い求める鮮烈な愛の旋律―

2017-10-29 17:00:00 | 映画

 故あって、しばらく映画からもパソコンからも遠ざかっていました。
 久しぶりです。
 秋も深まりました。
 これからも、いつもマイペースですのでどうぞよろしくお願いいたします。
 今回はフランス映画です。

 イタリア人作家ミレーネ・アグスのベストセラー小説「祖母の手帖」の設定を1950年代に置き換えて、フランス南部を舞台に、17年に及ぶひとりの女性の自由への希求と理想の愛の行方を、ストイックかつ官能的に見つめた問題作である。
 本編は「愛と悲しみボレロ」1981年)、「ヴァンドーム広場」(1998年)などの作品で知られ、女優としても活躍中のニコール・ガルシア監督映画化した。

 愛の真実を求めるとき、女の愛は狂気の果てに結ばれるのか。
 ヒロイン役のマリオン・コティヤールがドラマ全般を牽引する。
 「エディット・ピアフ  愛の讃歌」(2017年)で、アカデミー賞主演女優賞など数多くの賞に輝いた知る人ぞ知る名女優だ。
 この作品は、ときに幻想性もはらんだ多様な愛の本質に迫ろうとする力作だ。



フランス、プロヴァンス地方の小さな村で暮らすガブリエル(マリオン・コティヤール)は、教師として働く青年への恋に破れ、両親に言われるがままに、寡黙で真面目なスペイン人労働者のジョゼ(アレックス・ブレンデミュール)と結婚する。
彼女は流産し、それをきっかけに腎臓結石と診断され、治療のためアルプスのふもとの療養地に向かった。
そこで、温泉療法を始めるうち、戦争帰還兵のソヴァージュ(ルイ・ガレル)と出会い、運命を感じるのだった。
二人は恋に落ち、そして・・・。

運命の愛などとよく言うが、愛を激しく求める求めるヒロインを、マリオンがときに危うさともろさを感じさせる絶妙の演技を見せる。
実に説得力がある。
いつもながらの、1975年生まれのこの女優の演技は特筆ものだ。
こうした究極の愛の形に、でも現代人は観ていても共感できるものだろうか。少なからず疑問も感じる。
個人個人の恋愛観や人生観が試される一作だ。

相手役を務める二人の男優も悪くない。
死の影をまとったかのような美青年役のルイ・ガレル辛抱強い夫役のアレックス・ブレンデミュールともどもにいい味を出している。
このフランス映画
「愛を綴る女」は、ストイックで官能的な愛を見つめた物語だ。
総じて実に寡黙で静かなラブストーリーだ。静かすぎて退屈なほどでもある。
しかしこの退屈が、人間の心を狂わせるのだ。
本来愛というのは、愛し愛されたいというシンプルな欲望に過ぎない。
ニコール・ガルシア監督の大胆な設定が、功を奏している気がする。
愛の表現、その揺らぎまでもたおやかな演出に徹し、緻密で美しいラブストーリーとして仕上げている。
小品ながら、男女三人の行く末から目が離せない作品だ。

マリオン・コティヤールが上手いことを言っている。
「人は、自分自身でいることを周りから否定され続けると、気が狂ってしまいかねない。」
けだし名言である。
       [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「オン・ザ・ミルキー・ロード」―ファンタスティックで奇想天外な愛の逃避行―

2017-10-09 17:00:00 | 映画


 世界三大映画祭を制覇した 「アンダーグラウンド」(1995年)、「黒猫、白猫(1998年)などの旧ユーゴスラヴィア出身の現ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエヴォ出身、名匠エミール・クストリッツア監督による9年ぶりの新作だ。
今回は、主演も務め、戦争の終らない架空の国を舞台に、恋人たちの壮大な逃避行を描いた。

戦争の愚かさ、情熱的な恋、狂祭のダンス、温かなユーモアをいっぱいに詰め込んだ秀作と言っていいかもしれない。
これらはすべて、エミール・クストリッツア監督のエッセンスだ。
全編セルビア語が使われており、予測不可能なストリーテリングに、映画終盤まで圧倒される。




戦火の中にある架空の国・・・。
右肩にハヤブサを乗せたコスタ(エミ-ル・クストリッツア)は、村からの戦線の兵士たちにミルクを届けるために、毎日銃弾を交わしながらロバに乗って前線を渡っている。
国境を隔てただけの、すぐ近場同士で続く殺し合い・・・、この戦争はいつ終わるとも見当がつかない。
そんな死と隣り合わせの状況下でも、村々にはのんきな暮らしがあった。

母親と一緒に住んでいるミルク売りの娘ミレナ(スロボダ・ミチャロヴィッチ)は美しく活発な魅力があり、村の男たちはメロメロだ。
そのミルクの配達係に雇われているのがコスタだ。
ミレナはコスタに思いを寄せているが、コスタの方は彼女の求愛に素っ気ない。
そんな折り、ミレナの兄ジャガ(マノイロヴィッチ)のところへ、イタリアから流民の美女(モニカ・ベルッチ)がやって来る。
流民の彼女は、しかし、戦争の悲惨を経験しているコスタと惹かれあい、二人は村から愛の逃走へと勝負に出る・・・。

リアリズムと幻想性が融合した、愛の寓話である。
通常の人知を超えた、ハヤブサ、蛇、蝶、蜂、ガチョウ、鶏、クマといった動物が神話のようにあふれて活躍する。
それはまるで動物映画のようでもあって、賑やかな生命力にあふれている。
これらも、本物の実写にこだわり続け、撮影は三年もの長期にわたって行われた。
動物たちや自然とのコミュニケーションも健在だから、圧倒的な愛とエネルギーで、特異なワイルドを構成する鬼才エミール・クストリッツア監督に、熱狂するファンが多いのも理解できる。

当然、ドラマの奇想にも溢れていて、なおかつ、繊細と悲しみを帯びている。
全編を彩る特製なバルカン・ミュージックも、クストリッツア監督息子ストリポールとあって、様々な挿入歌ともどもこれまた映画を一段と盛り上げている。
作品はエネルギッシュで深みもある。
セルビア・イギリス・アメリカ合作映画「オン・ザ・ミルキー・ロード」は、緊迫した戦闘と牧歌的な村の生活と愛がこんなにもユーモラスで可笑しく、不条理溢れる描写が異色で魅力的だ。
人間の多くの戦いを俯瞰する動物や島、聖書や民話のような世界が展開し、まさに暴力の中に描かれる平和と愛がこんなにもユーモラスで、可笑しく、しかも何ともも哀しい作品に観客は翻弄されるばかりだ。
悲劇と喜劇が混然一体となって描かれる、異端児監督の不思議な詩情さえ感じさせる作品だ。
この寓話的世界の底流に流れるものは、戦争と迫害に対する自由と愛の尊さだろう。
面白い映画だ。こんな映画もあっていい。
         [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回はフランス映画「愛を綴る女」を取り上げます。