みなさま、ご無沙汰をしております。関東の《問題児》です。初の組合役員として、日々格闘をしておりますが、何せ昔からノンビリ屋で飲み込みも遅く、あまり要領のいい人間ではないので、中央本部や地区本部はじめみなさまには毎度ご迷惑とご心配をおかけしておりまして申し訳なく思っております。 m(_ _)m
さて、9月の全国の支部長・書記長会議の直前に一度投稿し、次の投稿はまだ先だろうと、何気なく過ごしていたら、
あっという間に12月!!
次回までには関西の方にも納得していただけるようなネタを何か仕込んでおきたいと密かに計画していたものの今のところ何も思い浮かばず・・・(><) やはり、日頃から問題意識を持って取り組んでいないと、こぅいう時に困るのですょね・・・(汗) 職場や組合員が抱える問題に対して敏感に対応しなければいけない立場にある者としてはお恥ずかしい限りでございます・・・。
明日6日(土)は、当地本管内の青年委員会総会と新入組合員学習会を予定しております。学習会の方は、私自身も《新入組合員》の頃参加しましたが、十数年後、それを主催する側の立場になっているとは当時想像もしておりませんでした。その頃と振り返ると、ほとんど成長してないですね(^ ^;) そりゃまぁ~”仕事”は覚えましたケド、挙動不審で人見知りでオドオドしているところは直っていないし、それどころか飲み会の後にこってり味のラーメンを食べる習慣がついて、ここ最近は体重が急増中(- -;) 入局した頃の体重は40kg台だったのに今や立派な(?)中年のオッサンになってしまいました。(当初は電話対応一つもろくに出来ない人間だったので、よく周囲の先輩方に注意されたものですが、あの頃の方がまだ謙虚な《少年》だったので、そう考えると、まだ【折り返し点】にも来ていないのに、私は早くも退化しているのか? )
そんなくだらない昔の回想は置いておきまして・・・。私が入局した頃の当地本の独自の課題といえば、何と言っても「大宮移転」だったのではないでしょうか? イベント開催等で、最近ようやく全国区の知名度(?)になった「さいたまスーパーアリーナ」がある「さいたま新都心地区」に関東財務局の本局が移転したのが2000年(平成12年)だったと記憶していますので、私の年次が、移転前の東京の大手町で入局式を迎えた最後くらいになるのかな、と思います。残念ながら(なのかは分かりませんが)私は当時ずっと事務所勤務ばかりだったので、大手町の時のことも、移転(引越し)のことも、移転直後の頃のさいたま新都心の様子も分からないので、全て経験された方から聞いた話になってしまいますが、それはそれは大変だったとのことです。
元々の発端は、東京への一極集中を是正するという観点から始まったもので、「行政官庁が民間に先駆けて取り組む! 」ということで計画され、ちょうどJR大宮駅の近くに広大な空き地(昔の国鉄の車庫の跡地)があったので、「あそこならいいだろう」(確かに大宮駅は通勤電車はじめ首都圏から東北、上信越、そして北陸方面に向かう長距離列車、新幹線が停車する全国有数のターミナル駅ですが・・・)という考えのもとに進められたものと思いますが、現場で働く職員にとっては大変な影響を与える問題であり、当初は反対していたという話は聞いています。
さいたま新都心地区には、財務局以外にも各省庁の管区機関の多くがありますが、財務局や関東信越国税局、経済産業局、厚生局、人事院関東事務局などが入居する1号館と、農政局や地方整備局などが入居する2号館は、かつては別の市で、1号館は旧与野市、2号館は旧大宮市だったということを知っている人は当地本の組合員でも知らない人がいるのではないでしょうか? そして当時の調整手当(今の制度ですと「地域手当」ということになるのでしょうか? )の基準では、大宮市と与野市では比率が異なっていたように記憶しています。結果的に「さいたま市」という一つの政令指定都市になりましたので、さすがに隣り同士の建物に勤務するのに調整手当が違うなんてことにはならなかったそうですが、何せ、
広大な空き地で周りに何もないところに庁舎移転する
ということでしたので、勤務時間の問題(当時の浦和・与野・大宮地区は、東京・大阪のような9時出勤の制度は認められていなかったと記憶しています)、調整手当の問題(入居官署によって支給率が異なるという上記の問題はなくなりましたが、そもそも東京からさいたまに移転することにより支給率は下がるため、事実上の「賃下げ」になり、そこをどうするか)、宿舎の問題(当時、埼玉県内では入居できる宿舎が少なく、若手職員(♂)が入るようなa型に至っては「全くない」という説明を聞いた記憶があります。庁舎を建てるスペースそのものはあっても、そこに勤務する職員を想定した宿舎配置計画がどこまで策定されていたかは・・・?? )、職場環境の問題(各省庁の管区機関が集まる合同庁舎が2棟もあるのに、当初は、職員食堂は1箇所のみで、後は中小規模のカフェテリアをちょこちょこと入居させる予定だったとか・・・。移転当初は居酒屋はおろかランチを食べる飲食店や弁当を買うコンビニも少なかったそうで、もしその当初計画のままだったら、私のように自炊もしていない独男はどうやって昼メシを調達したら・・・? ちなみに現在の新都心地区には「さいたま新都心」という、一応中距離列車も停車するような立派な駅がありますが、移転当初は駅がなく、隣りの駅から20分くらい歩いて出勤していたという話も聞いたことがあります。)その他諸々、中には(私が上で書いたことも含めて)真偽も定かではない都市伝説的なものもありますが、こうした重要なことから細かいことまで一つ一つの課題について、当時の組合の先輩方が問題点を洗い出し、当局と交渉し、改善が図られた結果が現在に至っているわけで、今の私たちが空気のように当たり前だと思っている身近な職場環境や勤務条件は、実は最初から与えられていた(与えられようとしていた)わけではなく、組合員が声を上げ、要求してきた結果としてあるものだ、ということを当時聞かされ、また実際に本局勤務になって改めて認識させられた思いがいたします。
思いがけず組合活動の一翼を担う立場になり、感じていることは、役員の方は、私たち組合員の労働条件や職場環境の改善のために日々本当に頑張っておられるということです。中央であれ地本であれ支部であれ、それぞれの立場で頑張っている人は頑張っているし、過去の諸先輩方のそういう地道な活動の結果を、現在の私たちは知らないうちに享受している部分があるという事実をより多くの方に知っていただければ、組合への加入促進につながるのではないか、そんなことを考えつつ、今日も一日頑張ってまいります!
朝からつまらない(中途半端な)昔話にお付き合いいただき、ありがとうございました・・・。
【関東・Toku】