ZENZAIMU(全財務公式ブログ)

本ブログは全財務労働組合中央本部及び地区本部役員が持ち回りで掲載しています※PC版表示にすると背景がおしゃれになります

沖縄にて

2012-05-17 21:44:17 | 日記

 1952年4月28日、サンフランシスコ平和条約が発効され、本土が連合国による占領から独立するなかで、沖縄だけが引き続き米軍支配下におかれました。1952年以降、日本国内の米軍基地が縮小されるなかで、沖縄基地は拡大・増強され、今では日本の国土面積のわずか0.6%を占める沖縄に、米軍基地の75%が集中するようになりました。1972年5月15日、前年に調印した沖縄返還協定により、沖縄が日本に返還された際、「核抜き・本土並み返還」が約束されていたものの、未だその約束が果たされたとは言い難い現状となっています。サンフランシスコ平和条約発効60周年及び沖縄返還40周年の今年、私は「沖縄の今」を平和行進に参加することで感じてきました。以下のキーワードから、沖縄の現状を紐解いていきたいと思います。

 

 ・Yナンバー

 行進初日、辺野古を出発し、金武町にあるキャンプハンセン第2ゲートを終着とする行程のなかで、宜野座村から金武町にかけてよくYナンバーの車を目にしました。これは米軍人が所有する普通乗用車のナンバーで、頻繁に目撃することが出来ました。このナンバーをよく目にするということは、それだけ米軍人が多く居住・生活する地域ということで、Yナンバーが列をなして走行する光景を目の当たりにして、日本にいて日本ではない、そんな錯覚に陥りました。とくに、私の生活している北海道には米軍基地が存在しないため、基地のある町にYナンバーあり、ということをはじめて知りました。また、当該行程では軍用車両を見かける機会も多く、大型車両の迫力に圧倒されました。

 

 ・地位協定

 二日目の夜、沖縄戦に女子学徒隊として、日本兵の治療に携わった中山きくさんの講話をお聞きした際、地位協定によって、米軍人は不当に護られているというお話をお聞きしました。日米地位協定では、米軍人が起こした事件について、公務中であればアメリカ合衆国軍隊に第一次的裁判権を持つとしており、日本の司法では裁けない、つまり不起訴処分となってしまいます。1995年には大規模なデモに発展するきっかけとなった少女暴行事件や、2004年には米軍ヘリ墜落事件が発生していますが、こういった様々な事件の中でこの地位協定が被害者救済・全容解明の壁となり阻んでいます。米軍人による事件・事故が依然として無くならない沖縄で、この地位協定の存在そのものが基地撤去運動の起爆剤になっている気がしました。

 

 ・MV22オスプレイの普天間基地への配備

 行進最終日は世界で一番危険な基地と呼ばれている、普天間基地の外周を行進しました。普天間基地の周辺は住宅・商業地域となっているほか、13の学校教育施設が存します。先述した米軍ヘリ墜落事件の事件現場となった沖縄国際大学も普天間基地の周辺にあります。軍用機による爆音被害だけでなく、演習に係る事件・事故等の懸念がある中で、普天間基地にMV22オスプレイが配備されようとしています。この軍用機は、ヘリコプターの揚力から航空機の推進力・飛行力に切り替えることができるため、燃費が良い(航続距離が伸びる)、垂直離着陸が可能(滑走路が無くてもよい)というメリットがあるそうですが、開発段階での墜落事故多発により未亡人製造機と揶揄されているぐらい危険な代物だそうです。今年の4月11日にはモロッコで米軍海兵隊が訓練中に同機による墜落事故を起こしています。沖縄の人たちにとってオスプレイ配備とは、米軍ヘリ墜落事件の再発を助長することであると捉えています。私もそのとおりだと思いました。何故、オスプレイを配備する必要があるのか理解できません。

 

 5.15平和行進に参加して、肌で沖縄の現状を感じてきました。日本とアメリカの関係・歴史、米軍基地のあり方や基地問題と向き合う沖縄の皆さんの事等知らない事が多すぎて、刺激的な毎日でした。そして、今後も沖縄の抱える課題に自分自身が向き合っていけるように、もっともっと沖縄の事を知りたいと思うようになりました。貴重な経験をさせていただいた関係者の皆様、特に沖縄国公労の皆様に感謝と御礼を述べさせていただきたいと思います。本当ありがとうございました。また旧国公総連共闘組織、そして、全財務を代表して共に参加していただきました皆様、本当お疲れさまでした。・・・肌で感じたといえば、日焼け止めを一切塗らなかった私は、沖縄の日差しをたくさん浴び、真っ黒に日焼けをし、今では皮が剥けて大変な事になっています。いてて。【大将】


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ご苦労様でした! (ダーツ師)
2012-05-19 00:18:26
行進お疲れさん!
紫外線強かったでしょ!?

私事ですが、僕の祖父の兄が陸軍兵士で、沖縄で戦死していたことを最近知りました。
しかも僕が二年前の平和行進で見学してきたまさにその場所で、さらに見学当時の僕と同じ28歳という若さで亡くなってたという事実は、大変ショッキングなものでした。

沖縄の悲惨な過去は他人事でないと改めて思い知らされます。
返信する

コメントを投稿