初めまして。近畿地区本部で副委員長をしています、田中(陽)です。
田村委員長とは同期になります。ということで、今日は若かりし頃の委員長の横顔など少しばかり。
私たちが採用されたのは昭和63年です。今では考えられませんが、この年までは、まだ男女別に研修のメニューや期間が設定されていた時代であり、Ⅲ種採用の男子(36名)は4月から9月初旬まで5か月間に渡り共同生活を送りました。少し前まで高校生だった男ばかりの集団ですから、まあ無茶苦茶なことばかりしたりされたりの毎日でしたが、田村委員長は、当時から独特の存在感を醸しており、なんとなく一目置かれる存在でした。
夏ごろに富士の麓で2泊3日の校外研修をした際には、防衛大学生や海外からの留学生などの前で堂々とプレゼンをこなしていました。当時の私からすれば「良く口が回るな」くらいの受け止めでしたが、今にして思えば、話の構成なんかも秀逸で皆が聞き入っていました。こうした素養も自然に身についていたということなのでしょう。精力的にオルグや交渉をこなす今に通じるものを感じます。
写真は、その校外研修の際のものです。もう28年も前になりますが、今の写真と比べても田村君あまり変わっていませんね。当時からおやじだったということかも知れませんけど(笑)。
今後ともよろしく。
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確かに覚えは、あるー!
あのとき思い出は、
『親父呼ばわりされたキャンプファイヤー』
かな(笑)
そしてプレゼンした記憶は、既に消えてる~
ま、口から先に生まれたってことで♪
ちなみに、ウチの書記次長には、
『今より優しくない』(意訳)と指摘されましたっ。