ZENZAIMU(全財務公式ブログ)

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シンサイ

2015-01-23 23:46:52 | 主張

近畿からです

震災といえば、私は阪神大震災を経験しました。
平成7年1月17日5時46分
宿舎(当時は寮)で寝ていたところ、ゴーという音がしたような気がして布団の中で目覚めた次の瞬間、体が床にたたきつけられました。
それが縦揺れによるものだったなどとは、その時は気付かず、横揺れが始まってようやく大きな地震だとわかり、闇の中で揺れに伴う音しかしない恐怖がとても長い時間に感じました。
外に出るとまだ空は暗いはずなのに、西の方は朝焼けのような赤い明るさがあり、それが長田の火事だったのでした。
明るくなってからの、通勤路は、信号もつかず、道路はひび割れ、建物も爆撃でもあったかのようなありさまで、神戸の事務所もいくつかのフロアから煙が立っていました。(真珠検査署などで使用する薬品の化学反応から起こったのではないかと思います。)
須磨区の実家に帰ると、付近の家は地域まるごと全壊エリアとなっていました。
もしも、あの前の日の夜、実家で誕生会があって、そこで泊っていたなら、その場所は、、、、
もしも、起こった時間が勤務時間だったなら、国有財産台帳を保管する金庫の前の席にいた私は、、、
こうして書き込みすることもできていなかったと思うと、今でもぞっとします。

その年の夏、宮城(蔵王)で開催された定期大会に神戸からの代議員として出席し、あらかじめ支部長からもらった紙を理解しないまま読み上げました。
きっと、みなさんからの大きな支援を受けていたことへの感謝、がんばっていることの発表をしたのでしょう。
大きな拍手をいただいたことをよく覚えています。

神戸の震災からは20年が経ちました。
ちょうどその日は休日だったこと、早朝だったこともあってか、その前後の日でも職場で語られることはほとんどありませんでした。
私は、テレビなどで当時の様子が流れていることなどから、忘れたい、忘れてはいけない、忘れられないの複雑な気持ちでした。

震災に遭った方にはいろんな思いを持っていると思います。
私たちは日頃の仕事や組合活動のなかでも同じだと思います。
東日本大震災の後、「絆」という言葉が使われていましたが、今はあまり聞かれないようになった気がします。
流行りで済まされることではないと思っています。
程度は人によって違うかもしれませんが、あの時のこと、その時の思いを忘れず、心身を大事にできることをできるだけやって、みんなで助け合い、その力を合わせてよりよい環境に結び付けられればと願います。

シンサイさんの生まれ年が自分の採用年ということに驚いたカツジュウでした。