前回に引き続きます。 どう検証しようか?
やはり、よくわかっているサタヒコの時代からさかのぼるのが一番かな?
とりあえず、もう一度、伊富岐神社に伝わるという天香語山命の家系を見てみましょう。
伊富岐神社の祭神が多多美彦命ですけど、=天火明命と解釈します。子が「天香語山命」なので
次のように書かれているのでしょう。
一御子・天香語山命
二御子・天村雲命
三御子・天忍人命
四御子・天戸目命
五御子・建斗米命
六御子・建田背命
七御子・建諸隅命
八御子・倭得玉彦命
九御子・若都保命
まず、誰がこの系図を持ち込んだのか?
サタヒコ=山代之大筒木真若王の時代には、伊富岐神社は、おそらくまだありません。
地理的にも、白髭神社、南宮御旅神社のさらに西になります。
さらに、サタヒコの時代には、他にこのような系図がありません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/e6/627519d9f04356fbcf9bc0ab782e9e1c.jpg)
この系図を持ち込んだのは、サタヒコの子の、迦邇米雷王(かこめいかづちのみこ)もしくは、孫の 息長宿禰王(おきながのすくねのみこ)
どちらかでしょう。
迦邇米雷王を調べると、古事記には、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
此王娶丹波之遠津臣之女名高材比賣
生子息長宿禰王
此王娶葛城之高額比賣 生子息長帶比賣命 次虛空津比賣命
この王、丹波之遠津臣(たにはのとほつおみ)の娘、名は高材比売(たかきひめ)をめとる。
生れた子は息長宿祢王(おきながのすくねのみこ)です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
迦邇米雷王の子である、息長宿禰王の妻は、河俣稲依毘売と葛城之高額比売
河俣稲依毘売は、何処の人かは分かりません。
葛城之高額比売は、アメノヒボコの子孫.
丹波地方とは関係がなさそうです。
すると、伊富岐神社は、迦邇米雷王の時代に創建と考えていいでしょう。
高材比売 本人か、その時代に丹波からやって来た人が、伊富岐神社に先祖を祀ったことになります・
さて、丹波之遠津臣(たにはのとほつおみ)とは誰でしょうか
九御子・若都保命のことかな? 「遠津」とは、港から遠いという意味かもしれない。
若都保命の「都保」は、「とほ」→「とお」で、同人物かも? とするのは、少し乱暴でしょうか?
まだこの時代、漢字はありませんからそういうことにしておきましょう・・・
若都保命は、伊富利部神社 (愛知県一宮市木曽川町) の祭神です。
訪問したことはあるのですけど、画像がどこかに・・・
すぐ近くを国道22号線が通っているのですけど、神社は静かな良い所です。
伊富利部神社の「いぶりべ」は伊福部氏(いおきべうじ/いふくべうじ)と同じでしょう。
彦坐王の時に丹波から一緒にやって来たのも伊福部氏です。
次回は、さらに踏み込んでいこうと思います。
やはり、よくわかっているサタヒコの時代からさかのぼるのが一番かな?
とりあえず、もう一度、伊富岐神社に伝わるという天香語山命の家系を見てみましょう。
伊富岐神社の祭神が多多美彦命ですけど、=天火明命と解釈します。子が「天香語山命」なので
次のように書かれているのでしょう。
一御子・天香語山命
二御子・天村雲命
三御子・天忍人命
四御子・天戸目命
五御子・建斗米命
六御子・建田背命
七御子・建諸隅命
八御子・倭得玉彦命
九御子・若都保命
まず、誰がこの系図を持ち込んだのか?
サタヒコ=山代之大筒木真若王の時代には、伊富岐神社は、おそらくまだありません。
地理的にも、白髭神社、南宮御旅神社のさらに西になります。
さらに、サタヒコの時代には、他にこのような系図がありません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/e6/627519d9f04356fbcf9bc0ab782e9e1c.jpg)
この系図を持ち込んだのは、サタヒコの子の、迦邇米雷王(かこめいかづちのみこ)もしくは、孫の 息長宿禰王(おきながのすくねのみこ)
どちらかでしょう。
迦邇米雷王を調べると、古事記には、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
此王娶丹波之遠津臣之女名高材比賣
生子息長宿禰王
此王娶葛城之高額比賣 生子息長帶比賣命 次虛空津比賣命
この王、丹波之遠津臣(たにはのとほつおみ)の娘、名は高材比売(たかきひめ)をめとる。
生れた子は息長宿祢王(おきながのすくねのみこ)です。
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迦邇米雷王の子である、息長宿禰王の妻は、河俣稲依毘売と葛城之高額比売
河俣稲依毘売は、何処の人かは分かりません。
葛城之高額比売は、アメノヒボコの子孫.
丹波地方とは関係がなさそうです。
すると、伊富岐神社は、迦邇米雷王の時代に創建と考えていいでしょう。
高材比売 本人か、その時代に丹波からやって来た人が、伊富岐神社に先祖を祀ったことになります・
さて、丹波之遠津臣(たにはのとほつおみ)とは誰でしょうか
九御子・若都保命のことかな? 「遠津」とは、港から遠いという意味かもしれない。
若都保命の「都保」は、「とほ」→「とお」で、同人物かも? とするのは、少し乱暴でしょうか?
まだこの時代、漢字はありませんからそういうことにしておきましょう・・・
若都保命は、伊富利部神社 (愛知県一宮市木曽川町) の祭神です。
訪問したことはあるのですけど、画像がどこかに・・・
すぐ近くを国道22号線が通っているのですけど、神社は静かな良い所です。
伊富利部神社の「いぶりべ」は伊福部氏(いおきべうじ/いふくべうじ)と同じでしょう。
彦坐王の時に丹波から一緒にやって来たのも伊福部氏です。
次回は、さらに踏み込んでいこうと思います。
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