たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

丹後半島のレイライン その 12  天香語山命

2021-09-10 06:51:02 | レイライン
前回に引き続きます。  どう検証しようか?  

やはり、よくわかっているサタヒコの時代からさかのぼるのが一番かな?

とりあえず、もう一度、伊富岐神社に伝わるという天香語山命の家系を見てみましょう。

伊富岐神社の祭神が多多美彦命ですけど、=天火明命と解釈します。子が「天香語山命」なので

次のように書かれているのでしょう。


一御子・天香語山命
二御子・天村雲命
三御子・天忍人命
四御子・天戸目命
五御子・建斗米命
六御子・建田背命
七御子・建諸隅命
八御子・倭得玉彦命                              
九御子・若都保命

まず、誰がこの系図を持ち込んだのか?

サタヒコ=山代之大筒木真若王の時代には、伊富岐神社は、おそらくまだありません。

地理的にも、白髭神社、南宮御旅神社のさらに西になります。

さらに、サタヒコの時代には、他にこのような系図がありません。


この系図を持ち込んだのは、サタヒコの子の、迦邇米雷王(かこめいかづちのみこ)もしくは、孫の 息長宿禰王(おきながのすくねのみこ)

どちらかでしょう。

迦邇米雷王を調べると、古事記には、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
此王娶丹波之遠津臣之女名高材比賣
生子息長宿禰王
此王娶葛城之高額比賣 生子息長帶比賣命 次虛空津比賣命


この王、丹波之遠津臣(たにはのとほつおみ)の娘、名は高材比売(たかきひめ)をめとる。
生れた子は息長宿祢王(おきながのすくねのみこ)です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

迦邇米雷王の子である、息長宿禰王の妻は、河俣稲依毘売と葛城之高額比売

河俣稲依毘売は、何処の人かは分かりません。

葛城之高額比売は、アメノヒボコの子孫.

丹波地方とは関係がなさそうです。

すると、伊富岐神社は、迦邇米雷王の時代に創建と考えていいでしょう。

高材比売 本人か、その時代に丹波からやって来た人が、伊富岐神社に先祖を祀ったことになります・



さて、丹波之遠津臣(たにはのとほつおみ)とは誰でしょうか

九御子・若都保命のことかな?  「遠津」とは、港から遠いという意味かもしれない。

若都保命の「都保」は、「とほ」→「とお」で、同人物かも? とするのは、少し乱暴でしょうか?

まだこの時代、漢字はありませんからそういうことにしておきましょう・・・


若都保命は、伊富利部神社 (愛知県一宮市木曽川町) の祭神です。


訪問したことはあるのですけど、画像がどこかに・・・

すぐ近くを国道22号線が通っているのですけど、神社は静かな良い所です。


伊富利部神社の「いぶりべ」は伊福部氏(いおきべうじ/いふくべうじ)と同じでしょう。

彦坐王の時に丹波から一緒にやって来たのも伊福部氏です。

次回は、さらに踏み込んでいこうと思います。





コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 丹後半島のレイライン その ... | トップ | 丹後半島のレイライン その ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

レイライン」カテゴリの最新記事