山の記憶 (百名山・二百名山・三百名山)

山スキー、その他の山行もあります。

松江の水郷祭 宍道湖大花火大会で~すよ~。 

2014年08月31日 | 日本百名山

 花火を見るのは、大体近くの方が迫力はあります。しかし、離れて見るのも良いものです。 この写真は、山の中腹から撮ったものですが、如何でしょう。

           始まりを待つのはじれったい。 開始は8時だが6時過ぎから待つ。

 

                            月が出ました、月が出た ヨイヨイ。

 

                                    始まり始まり~

    

                               しばらくご覧あれ~。

 

  

  

  

 

 

 

 

 

  

  

  

  

 

 

                                         おしまい 

                  おもしろうて やがてかなしい 花火かな     

  


百名山の記録 両神山(2007年)

2014年08月30日 | 日本百名山

   毛木平から両神山への道は少々複雑であった。ナビを頼りとするのだが100パーセント信ずるわけにもいかない。私のナビに入るソフトは古く、新しくできた道路は載っていないことがあるからだ。だからナビの通りに進んでいると、時々回り道をしなければならないことがある。
 そんな体験があったったため、「ぶどう峠」と名付けられた大変な道路を、間違えではないかと思い途中で引き返したほどだ。
 ナビの通りに進めば良かったのだが、完全には信用していなかったために起きた間違えだった。地図にきちんと載っている「ぶどう峠」だが、峠を越すまでは不安でしょうがない。山あいの狭い道を祈るように越える。峠を越すと群馬県に入り、そしてまた峠を越し埼玉県に入る。国道299号線に車を走らすのだが、何だか大変な所にやって来たような気がした。山陰地方に住む者には、この辺りは全くの他国だ。見知らぬ国にやって来たような心細さを感じながらも小鹿野町に入る。
 今日は久しぶりに宿泊まりと決め、両神荘という国民宿舎に駆け込む。予約なしの全くの駆け込みだった。手続きを済ませ、まずは風呂。その後、洗濯機と乾燥機で汚れた下着類を洗濯する。長期の旅行には、風呂と洗濯は欠かせない。
 セルフサービスの夕食を済ませ、土産物コーナーで買い物をして早めに床につく。明日の天気が気にかかる。 
 

  9月2日(日)両神山

  朝は早めに目が覚める。山には雲が掛かっているが天気は良さそうです。日向大谷の登山口は宿舎を少し引き返した辺りを左に折れ、川沿いの道を進むことになる。幾らかの集落を過ぎると、両神山登山口の駐車場にぶつかる。駐車場のすぐ上に民宿があり、その前に登山道が延びている。
 斜面に沿った山道を進む。下の方には沢となっていて、せせらぎの音が聞こえ、途中途中に石碑やら仏像やらが置かれ、両神山の歴史を物語っている。カーブした道は途中2つに分かれ、河原へと向かう道を進む。沢筋に付けられた道も徐々に急登となり息も上がってきた頃、不動明王像の安置された所に出る。さらに登り続けると、清滝小屋が見えてくる。
 清滝小屋は、雰囲気が何処か雲取山の途中にあった三丈ノ湯に似ている。似ているのは小屋そのものでなく周囲の環境で、どちらも沢の中腹のひっそりとした所にある。

                                       


 

  いよいよ本格的な登りに入ると覚悟して進む。ジグザグの道に所々、鎖やロープが張られ斜度も増して来る。辺りは薄暗く、幾分霧も出てきた。今日の天気も期待できないのかと思っていたら、頂上から下りてきた男性が、頂上は素晴らしい天気ですよと励ましの声を掛けてくれた。どうも頂上は雲の上らしい。
 やっとの思いで神社の境内に到着。頂上は遠くないだろうと思いながらなおも進むが、道は細く険しくなる一方だ。その内、青空をバックに切り立った岩峰が現れた。どうもあれが頂上らしい。最後の鎖場を乗り越すと、岩のてっぺんに出る。ここが両神山の頂上。ゴツゴツした足場の悪い頂上なのだが、ここにも両神山山頂の標識が建っている。1723mのこの頂上は、剣ヶ峰と呼ばれている。
 汗で濡れたシャツを干していると、反対側の尾根から男性が登って来た。八丁尾根からの登りは、険しく危険なのだそうだ。この男性と話をしている間にも、次の登山者が登って来て頂上も狭くなったので早々に下りることにする。
 

                                  

  季節の頃は、アカヤシオの群落に出会えるはずだが、木々はもう秋の準備に入っていた。清滝小屋近くで華麗な花を見つけた。純白でロウのようなつやを持った花なのだが、名前が分からない。始めてお目に掛かる花だ。後で調べてみようと写真を写す。
 日のあまり差し込まないほの暗いような斜面の笹藪に、蜘蛛が糸を張り、その糸に付いた水滴が太陽の光で反射して美しい文様を見せていた。
 急な登山道も下りは早い。若者数名のグループと抜きつ抜かれつしながら駐車場にたどり着く。 
                                   

                                       (登山口9:00~清滝小屋11:25~頂上13:00~下山16:20) 


百名山の記録 甲武信岳(2007年)

2014年08月30日 | 日本百名山

 9月1日(土)甲武信岳
            秩父多摩甲斐国立公園 奥秩父の北端・・・ 甲州 武州 信州・・・甲武信岳 

                                            毛木平駐車場にて 

                              

  翌朝、目覚めるとバスはもういなかった。客だけ降ろし、何処かよそに移動したものらしい。私は、急ぐ必要もなくゆっくり出かければいい。天気は雲は多いがまずますといったところか。コンビニで買った食料をザックに詰め、靴ひもを結ぶ。駐車場の片隅に登山道入り口があり、広い道が渓流沿いに延びている。朝のすがすがしい大気の中、爽やかな風に吹かれて歩く。天気のせいか、今日は体の調子が良い。グングン歩ける。川幅も狭まってきた頃、「千曲川源流」の標識に出会う。落葉に埋まるようにして、わずかな水の流れがある。源流とは、概してこんなものだ。


   急登を一気に登ると、甲武信岳へと延びる尾根に出る。この尾根の反対方向を辿ると、国師ゲ岳を経て昨日登った金峰山だ。甲武信岳の方から下山者がある。早い下山者だが、昨日は山小屋泊まりだったのだろう。
 狭くなった尾根道をなおも登ると、上の方が明るく開けて来て、話し声が聞こえる。団体客の皆さん方だ。意外に狭い頂上に、ひときわ目立つ標識がでんと建てられ、甲武信岳の文字が鮮やかだ。説明書によると、「頂上からの眺めは雄大で、奥秩父の山並みから南アルプス、八ヶ岳、浅間山、そして富士山を一望できる云々」とあるが今日は眺望はない。わずかに近くの山並みが伺える程度だ。 

                                 頂上は満員

                   


   近くで昼食を摂っておられた女性から、果物のお裾分け。ありがたく頂く。昼食を終え、写真を撮り下山する。立派な山道なので、帰りは早い。マラソンよろしく一気に駐車場に帰り着く。毛木平で一休みしながら、ふと物足りなさを感じた。それは、百山を登ろうと急ぐあまり「とにかく頂上を踏む」ことが目的になり、山そのものをゆっくり楽しむことをしていないからなのだろう。それにしても、「山は天気だ」とつくづく思った。                                          
                                                 (登山口7:30~頂上10:05~下山13:20)    


百名山の記録 金峰山(2007年)

2014年08月29日 | 日本百名山

    8月31日(金) 金峰山     金峰山・・・奥秩父の盟主

                 

   今日は朝から小雨がぱらつく。雨具をまとい行動食をザックに投げ込み金峰山登山のスタートだ。山一帯は風と霧に被われ視界は悪い。とにかく頂上までと歩き始める。大日岩の下を回り込み、シャクナゲの林を抜け千代ノ吹上に差しかかる。霧と風、時折雨粒が叩きつける。頂上も近いはすなのだが、視界がないものだから見当もつかない。尾根のピークに立つたと思っても、霧の中にまた新たなピークらしき峰が現れる。これが頂上かと登り着くと、まだ先にピークのような尖塔が現れる。山では良くあることなのだが気持ちばかりがせって呼吸が乱れる。花崗岩の大岩を幾つか抜けると、やや開けた平に出て、2599m「金峰山頂上」の標識を見る。晴れた日なら、絶景のパノラマの広がる天上のパラダイスなのだろうが、今日は残念無念この上もない。

               金峰山 この地点に頂上標識あり。 写真の岩の上はわからなかった。

 

                 

   写真を撮り、下山。途中、大日岩の大きさと、シャクナゲ林の素晴らしさには改めて驚かされた。
 大日小屋のテント場に帰り、濡れたテントをたたむ。もう一度花の季節に来ることができるのだろうかと思いながら山道を下る。
 頂上での天気は悪かったが、下山するにしたがって回復方向に向かい駐車場に着いて頃には青空も見え出していた。瑞垣山荘でコーヒー休憩をする。
 

   近くに「木暮理太郎」の碑があるというので行ってみる。それは、金山平にある金山荘の裏山にひっそりと建っていた。胸像というよりレリーフで、小屋のご主人の話では元の位置はもっと上の方にあったとのこと。金峰山をこよなく愛したこの山の先達は、訪れる人もいない白樺の林の中にひっそりと佇んでいた。
                                 

                          第三代 日本山岳会会長 木暮理太郎

                   

                                (出発時間不明 頂上10:15~テント場12:30~瑞垣山荘前14:30)

 ソバの花を横目に、甲信武岳に向かう。 
        

                    そばはまだ 花でもてなす 山路かな (芭蕉)  

 

   広々とした田園風景の中を抜け、毛木平に車を入れる。良く整備された広くて清潔な感じの駐車場に車が数台駐めてあった。 休憩所には、登山の注意やら山の説明やら何かと懇切丁寧な感じがし気持ちが良い。特に、清潔なトイレがあるのはありがたいことだ。
 駐車場に駐めてある車の前で男性が一人、用意した小さなテーブルに向かい食事をしておられた。どうも、焼き肉で一杯の様子。私の姿を見ると、自動車ごと駐車場の隅の方へ移動された。今は、あまり人と交わりたくないらしい。遠目にも、一人孤独を楽しんでおられる様子で近寄りがたい。
 私も、隅の方に車を駐め、持参のテーブに、ありったけの食料を広げる。まずは今日の一日に乾杯。夏の終わりの夕暮れ時。甲武信岳の麓に静かな時が流れる。
 夜半、大型バスが入って来た。甲武信岳へ登る団体さんの到着のようだ。バスの中で朝を迎え、早朝に出発する予定なのだろう。 
 


百名山の記録 瑞垣山(2007年)

2014年08月29日 | 日本百名山

瑞垣山   8月30日(木)

                 

 昨日は雲取山を終え、中央自動車道まで帰り釈迦堂パーキングで車中泊とした。朝から天気は思わしくないが、ナビに任せて瑞垣山へ向かう。瑞垣山への登山口には、瑞垣山荘があるからこの山荘の電話番号を入力すれば近くまで案内してくれることになる。お陰で登山口を捜す手間が省け、ロス時間が少なくて大いに助かる。
 ナビに導かれて瑞垣山荘前に着く。すぐ近くに登山者用の駐車場があり数台の自動車が駐めてある。ここから瑞垣山と金峰山への登山となるのだが、日帰りで2座は難しそうなのでテントを担ぐことにした。
 テントを担ぐと、それに付随した装備も加わるからちょっとした重量になる。ゆっくり一歩一歩と歩き始める。山登りの荷は軽い方が良いのだが、多少の荷物を担いでいた方が充実感を感じるのは何故だろう。山登りの魅力は単に頂上に立つことよりも、この充実感を味わうことにあるようだ。

  ゆっくりでも、休まず歩いていれば大体の時間で目的地につくものだ。意外に早く、富士見平に到着。山小屋があるので入ってみると、ガランとして誰もいない。管理人の書き置きがあり、所用でしばらく不在とのこと。小屋の使用について、幾らかの注意があった。 重い荷物を置かせてもらい、身軽になって瑞垣山へと向かう。途中、小川山への案内板を横に見てさらに進み、沢筋に出る。まもなく桃太郎岩が現れる。大きな大きな花崗岩の岩なのだが、おとぎ話に出てくる桃太郎の桃を連想させる。まさに桃太郎岩だ。ぱっくりと二つに割れているところもいい。急な登りが始まり、時折岩峰が姿を現す。

                

   瑞垣山の岩峰群だ。しばらく登ると、先行者に追いつき先に登らせてもらう。狭い尾根筋のような場所に出るが、周り一面は風化した花崗岩で、その上に幾らか腐葉土が積もっている。シャクナゲの林のような場所だ。間もなく頂上に飛び出す。迫力満点の花崗岩の頂上だ。霧が風にあおられ、時折下界が望まれるが、遠望はない。写真で見た覚えのある大岩峰が、霧の中からニョッキリと現れる。異様な感じさえする。
 先ほどのご夫婦らしき二人連れが登ってこられたが、頂上に着いた途端、水泳のタッチよろしく下山を始められた。眺望もなく、風も強く長くいてもしょうがないのはわかるが、それにしてもあっさりしているなと思った。

  記念写真を撮り、下山する。大小の岩がゴロゴロしている中に付けられた道を下りるのだが、大岩の下には、か細い木のつっかえ棒がなされている。多分、大岩が動き出さないようにするためだろうが、こんな大きな岩に対しては何の役にも立たないだろうということは一目瞭然だ。けなげという他はない。多分、誰かが杖に使っていた木の棒を立てかけたのが始まりなのだろうが、他の山では見かけないユーモラスな風景だ。

                                桃太郎岩 

                

                           つつかえ棒が見えないけど・・・。

 富士見平の小屋に戻り、今夜の宿泊場所について考える。小屋泊まりでも良いのだが人気のない小屋はあまり良い感じがしない。どこかから誰かに見つめられているようで何となく気が進まないものだ。この気持ちは、真っ暗闇の山小屋を想像してみるとよく分かると思う。
   天気は思わしくないが、とひかく次のテント場まで行くことにする。そうすれば明日の金峰山も近い。小雨が降る中、大日小屋のキャンプ地を目指す。瑞垣山では何名かの登山者に出会ったが、金峰山方向では誰一人会うこともない。とぼとぼと歩き、やっと大日小屋に着く。ありがたいことに、水場も近くテント場も良く整備されている。小屋は富士見平と同じく誰もいない。雨に濡れたテント場なので、排水の良さそうな場所を選びテントを張る。久しぶりのテント泊だ。

     風はないので必要以上の補強はいらないが、雨対策のためにもきちんと張らないといけない。いい加減に張ったため、ひどい目に遭ったことも過去しばしばあった。立山から薬師へ抜ける折、スゴ乗越の小屋の脇で幕営したことがある。物置の屋根を利用させたもらいフライは使わなかったら、テントの中に水が溜まった。フライを使わなかったことが主な原因だ。ただし、フライをしたからといって大丈夫だとは言えない。フライとテント本体との間に多少の隙間ができていないと雨がしみ込むことになる。要は、たるみがないように均等にピンと張ることだ。そうすれば、テントの性能は100パーセント発揮できる。
 溝こそ切らなかったが、ほぼ満足できる設営を終え、テントの中に入ると。なぜか心が落ち着く。山小屋とはひと味違った心地だ。
    百名山をスタートさせてからは、宿泊はもっぱら車中泊だが、やはりテントが落ち着く。テントを利用した山旅は、人にできる最高の形態なのかもしれない。その点、最近山々からテント場が少なくなりつつあるのは残念なことです。
 ひっそりと静寂に包まれた奥秩父の山間にぽつねんと居る自分。大いなる自然の懐の中で、淡い過去のあれこれを思いながら、時の流れに身を任せるのもいいものだ。テントを打つかすかな雨音、梢を騒がす風の群れ。明日は金峰山。
              (瑞垣山荘前11:40~山頂14:15~富士見荘15:35~大日荘テント場17:00)


 百名山の記録 雲取山(2007年)

2014年08月28日 | 日本百名山

  駐車場まで下りて身支度を調え車を走らす。青梅街道は、大菩薩ラインとも呼ばれ山梨県と東京都をつなぐ山間を走る国道。部分的には大変嶮岨な道が続く。山が押し寄せてきそうな威圧感を感じながら渓谷沿いの道を下ると、やや開けた感じのする丹波山村の中心地に入る。集落は川を挟んで寄り添うように展開している。登山口を捜すのだが、百名山を持つ村にしては珍しく標識にぶつからない。うろうろしている間に日も暮れて、仕方なく「のめこい湯」の駐車場に車を入れることにした。湯場は川を隔てた対岸にあり、この駐車場から良く整備された道でつながっている。

 お風呂へ行くと覚しき親子に「雲取山」への登山道について聞くと、「お祭」から林道に入り、その終点から歩けばいいとのアドバイスをもらう。親切にも、道路の様子をわざわざ携帯電話で調べてくれた。どうも道路関係の仕事に従事している人らしく、途中の道路工事の様子など細かく教えてもらう。
 また、この近くには雑貨屋があるだけで、買い物は奥多摩辺りまで出ないといけないなどいろいろと教えられた。食料も尽きかけていたので、夕暮れの青梅街道を下ることにする。奥多摩湖の周囲を周りながら街に入る。しばらくして、奥多摩駅前に着く。東京の奥に、奥多摩という地があることは知っていたが、それにしても山奥の街だと妙に感心したりする。食堂で夕食を済ませ、コンビニで買い物を済ませ、また「のめこい湯」の駐車場まで返る。川向こうの湯場の温泉に浸かりホッとする。今日からしばらくは自動車での泊まりが続きそうだ。蒸し暑く寝苦しい夜を過ごす。
 
 8月29日(水)
 翌朝、青梅街道の「お祭」より林道に入る。丹波山村から雲取山へは、お祭りからと鴨沢の2つが主な登山口のようだが案内板などが少なくどうも良く分からない。
 林道は狭く、対向車でもあったらどうしようかと神経を尖らしながら進む。幸い朝早いためか山から下りてくる人もない。山道は渓流沿いに付けられ、眼下には奥多摩の清流が流れ落ちている。釣りにはいい環境だろうと思った。
 間もなく、駐車場に到着する。先発者のものだろうか、既に2台の車が駐めてあった。さっそく身支度を調えスタート。奥深い深閑とした山道が、素晴らしく整備された山肌を縫い、水源をしっかりと管理しようとする東京都の姿勢が垣間見られる。
 

  「三条の湯」は渓流沿いに登った登山道の途中にひっそりとして建っている。今日は客もいないらしく、人の気配もない。静かに通り過ぎることとし、しばらく行くと、いよいよ本格的な登りに入る。素晴らしい広葉樹の森を登る。途中下山者に出会うが、このルートを利用する登山者はそう多くはないようだ。三条ダルミで尾根に出る。見晴らしの利きそうな場所ではあるが、あいにくの天気で眺望はない。
 最後の急登を越すと明るく開けた頂きに出る。雲取山の頂上である。立派な避難小屋があり、そのすぐ後ろを斜めに登ったところに、一等三角点がある。これは、一時代前の三角点で歴史的な価値のある珍しいものらしい。
 頂上からは、今日は何も見えない。天気が良ければ、富士山、奥多摩、奥秩父などの山々が見渡せるそうだ。写真を撮り、下山にかかる。

                                  頂上は人の姿なし

                                 

                                                              原三角測点

                                   

 

 

 


 

 途中、道を整備する方に出会う。一人黙々と働いておられたが、どうも三条の湯を管理している方らしい。うっそうとした山の中、一人での生活はまさに孤独との戦いだろう。こういう方のお陰で、我々が安心して山へ行けるのだと思う。
 駐車場に帰り着きホッとする。そのためだろうか、ストックを置き忘れたまま出発してしまった。長年使用していたものなのだが、だいぶ後で気がついたため、しようがないとあきらめる。

                                                    (林道奥登山口8:00~14:50下山)
 のめこい湯に浸かり、一休みしてから瑞垣山へと向かう。


 百名山の記録 大菩薩嶺(2007年)

2014年08月28日 | 日本百名山


    2007年8月28日(火)~
   大菩薩嶺~雲取山~瑞垣山~金峰山~甲武信岳~両神山~蓼科山~霧ヶ峰~美ヶ原
   

2007年8月28日(火)
 

   前日、同期の退職者仲間と富士山に登り、夜は山梨県石和温泉泊。山歩きを続けているとめったなことで旅館などには泊まらないのだが、たまにはいいものだ。
 翌朝一同と別れ、大菩薩嶺を目指す。国道20号線から県道215号線の峠道に車を走らす。途中上日川ダムで休憩を取り、ダムの管理人の方から大菩薩嶺に関して丁寧な説明を聞く。
 ダム湖のパンフレットにある写真は、大菩薩嶺からのものらしく富士山を後景にした美しいものだった。 
 

  幾重にも曲がりくねる道もやがて峠に差しかかりるとロッジ長兵衛荘の建物が見えてくる。登山の駐車場はそう広くはないが、今日はかなり暇らしい。小屋脇に流れる水を汲ませてもらいスタート。すぐに登山道は2つに分かれる。私は尾根づたいの道を行くことにする。 しばらくは車道を横に見ながら歩く。すうに本格的な登りとなる。自然保護を訴える看板や脇道へ入るのを規制するロープの張られた道をジグザグと進む。曇りがちの天気だけれど視界はあるようだ。一息ついて目を上げれば、昨日登った富士が遙かに見えてくる。 急登にあえぎながら頂上らしき岩場に出る。雷岩と名付けられたこの地点からの眺望はすばらしいの一言。

   本当の頂上は、ここからしばらく行った林の中にあり、2057mの大菩薩嶺と記した標識が建っている。雷岩まで引き返し休憩とする。眼下に先ほど車を駐めた上日川ダム、そしてその遙か彼方に、幾重にも連なる山脈を前衛にして富士山がゆったりとした姿を際だたせている。
     

                  

    風もなく穏やかな日よりだ。シーズン中なら大変な人出で賑わうことだろうが、今日は至って静かであり、登山者もあまり見かけない。富士の姿を堪能した後、いわゆる大菩薩峠と名付けられた峠に向かう。緩やかな下りには、親不知ノ頭とか賽の河原などと呼ばれる場所があ。しかし、名前の割には何と言うこともない山路だ。間もなく介山荘に着く。改装が始まっているらしく、数名の大工さんが忙しそうに働いておられた。

                                       大菩薩峠

                   


 ビールを飲みながら、「中里介山」の世界を思い起こしてみるけれども何もかも遠い世界のことのように思える。
 売店で日本百名山の「のれん」を買い、介山荘脇の山道を下る。途中、資材を乗せた軽トラックに出会う。道一杯ギリギリの幅の道を小屋まで上がるらしい。恵まれた自然と歴史・文化の詰まったこの山は、都心に近い手軽な山として、今後ますますフアンを増やしていくことだろう。富士山の喧噪を思い出しながら静まりかえった山路を下った。
                                            (登山口10:40~大菩薩嶺12:10~下山14:30)

  大菩薩嶺の次に予定した山は「雲取山」だ。地図によればこれより国道411号線に出て、いわゆる青梅街道を東京方面へ向かうことなる。


 百名山の記録 霧島山(韓国岳)から祖母山(2007年)

2014年08月26日 | 日本百名山

  翌4月1日は韓国岳に登る。

  登山口から頂上まで全てがガスの中。頂上の標識を確認しすぐに下山。五里霧中とはこのことか。とにかく何も見えず、下山後風呂に浸かり一路次の山祖母山を目指すこととした。
 途中、宮崎県高千穂峡を見物し、民俗資料館に立ち寄ったら学芸員の方が、祖母山に登るなら北谷登山口からが一番と大いに進められたのでそうすることにした。祖母山は、宮崎県、熊本県、大分県の3県にまたがる山なので、誰も「オラが国の山」という意識が強いらしい。


 祖母山に近い小高い丘に、ウエストンの記念碑があった。宮崎県五カ所の三秀台だ。ウエストンの祖母山登頂を記念して建てられたものだが、ウエストンは北アルプスに登る前この祖母山に登ったらしい。宮崎県とウエストンとの関わりはよく分からないのだが、何か強いつながりがあったのだろうか。
 山間に開かれた道を進むと、間もなく北谷登山口に到着。トイレ付きの休憩所と駐車場の整備された閑静な場所に車を駐める。この駐車場を今夜の宿泊所とする。夜半雨音を聞きながら眠る。

 4月2日

 今日の天気もあまり芳しくないようだ。天気予報によると曇り時々雨とのこと。それでも、祖母山の方角には薄日が射し、かすかに青空も見える。
 7時スタート。風穴コースを行くことにする。北谷登山口から祖母山への道は2つあり風穴コースは険しいコースとされているが、近道らしい。季節的がら花らしい花も見かけずただひたすら登るばかりだ。沢を渡り、杉林の中に付けられた山道は徐々に険しさを増してくる。ガレ場のような岩の積み重なる道の途中に「風穴」の標識があり、巨岩の隙間の奥に風穴があるらしいがとにかく先を急ぐことにする。
 ササのトンネルを抜ける辺りから視野も開けてくる。スタートから約2時間、やっと祖母山の頂きに出てホッとする。天気は何とか持ちそうだ。
 さほど広くはない頂上からの眺望の中に、古祖母山、大崩山などが見渡せる。風やや強く薄雲り。マンサクの黄色い花がわずかに春の訪れを告げていた。
 帰りはやはり風穴コースを辿ることにする。空身に近い下山は早い。沢近くまで下りた辺りで登山者のグループに出会う。地元山岳会の方たちだろうか、ニッカーズボンにチロリアンハット、洒落たチョッキにザックはミレーか。各人それぞれにダンデーな装いの年配の登山者の一団だった。
 

 11時駐車場着。100名山の九州編はこれで全て終わった。九州にはまだまだ登ってみたい山は沢山あるのだが、今回はこれまでとする。
 帰路の途中、岡城址を見物する。古城に散る桜吹雪は、ひそやかに季節のうつろいを告げていた。

                                                                                                                        


 百名山の記録(その4) 開聞岳・霧島山(2007年)

2014年08月25日 | 日本百名山

 2007年3月30日

 標高924mの開聞岳。100名山の中では2番目に低いのだが、異国からの長い船旅を終えて帰ってきた人たちに与える感動の大きさはいかばかりだろう。それは、私たちが富士山に出会ったときのものに共通するいい知れぬ心の昂ぶりに似ていることだろう。
 登山口は、この「かいもん山麓ふれあい公園」の登山者用駐車場から少しばかり離れた所にあった。
 7時10分スタート。天気は上々、のんびりと登ることにする。この日まで、開聞岳についての知識などほとんど持っておらず、いとも簡単に頂上に達するものとばかり思っていたのだが、いけどもいけども着きそうにない。予想以上に時間が掛かり、その内息も上がってくるし何か調子がおかしい。後で気がついたのだが、開聞岳の登山道はゼンマイのように山を一周して付けられている。一般的に登山道というものは、尾根筋とか沢筋に沿って付けられており、直登とジグザグが普通の形なのだがここのそれは違う。

 蚊取り線香のように、ぐるりと円を描いていて、こんな登山道を歩くのは初めての経験だ。思いの外苦戦しつつ、9時30分に何とか頂上に着く。天気は良さそうなのだが、風とガスの中に期待していた眺望は得られない。宮之浦岳はどの方角だろうか。視線は遙か彼方にあてもなくさ迷うばかり。がっかりして腰を下ろしていると、「開聞岳登頂1000回」を目指すという男性に話しかけられる。何でも、40才の頃から始めて、今回で六百数十回目だそうだ。せっかく登頂したのだから頂上の神社(祠)へ案内してやると言ってヤブの中に案内された。素人にはちょっと分かりにくい場所ではあるが、古びた祠があり拝礼の方法を教わって柏手を打つ。久しぶりにか敬虔な気持ちになったような気がした。
 私を案内してくれた方は、地元の方なのだが、話しぶりからしてどうも神社関係の人のようだった。間もなく、飛ぶようにして下りて行かれた。

 11時50分、登山口着。公園の芝生の上でしばし休憩する。天気も落ち着いたのか春の陽気が気持ち良く、キンポウゲとシロツメクサが風に揺れていた。
 近くの物産館で手打ちのソバを食べる。のんびりとした時間を過ごした後、次に目指す霧島山に向かう。
 霧島山とは、霧島山群のことであり幾つかの山々の総称である。その最高峰が韓国岳だ。しかし、深田久弥の100名山では高千穂峰を中心としているから少なくとも韓国岳と高千穂峰には登らなくてはならない。また、天孫降臨の伝説の地でもあるので、霧島神宮への参拝も欠かせない。
 そういうことで、まず霧島神宮に参拝し神様に登頂のご許可を頂くこととする。霧島神宮に参拝するのはこれで2度目。ニニギノ命を祭るこの地は神道が持つあの独特の雰囲気がいっぱいに張りつめているのを感じさせられる。
 参拝を済ませ、高千穂峰の登山口となる高千穂河原の駐車場に移動する。ここは、旧霧島神宮の跡地でもあるのだが、広い駐車場にビジターセンターがある。ただし、夕刻のこの時間帯は深閑と静まりかえり人一人見えない。
 車を置き、周囲を散策する。鳥居の後ろに大きくそびえる御鉢と呼ばれるなだらかな山は、実は火口のふちの部分だ。山頂はここから見えないのだが、あまりにも立派で優美な山のカーブに、てっきりこれが目指す高千穂峰だと思ってしまった。

 2007年3月31日
 6時40分スタート。少し前に若者が一人頂上に向かっており、さらに、私の後に親子連と思われる2名が準備を整えていた。鳥居の前から横丁に続く登山道は、しばらくはきれいに整備されて歩き良いのだが、間もなく火山特有のガレ場となる。御鉢の端に着いた頃、先行していた若者が引き返してきた。「早いですね」と声を掛けたら、「風が強すぎるので下山します」とのこと。御鉢の端に立つと、周囲の景色が開け、霧島山群の山々が一望できる。進行方向彼方に、厳かに座しているのが高千穂峰。今にも雲を呼びそうな気配だ。反対方向に目をやると、中岳、新燃岳は泣きそうな気配。韓国岳は黒い雲にすっかり被われ姿は見えない。富士山の烈風を思わせるような風が、ごうごうと鳴り渡り山はご機嫌が悪いらしい。ふと見ると、先ほどまで後に付いてきていた親子連れが安全第一とばかり引き返していく。さあどうしようかとしばらく思案したが、ここが頑張りどころと決心し、吹き荒れる風の中、御鉢の縁、馬の背を慎重に歩き始める。火口はポックリと大きな口を開き、アリ地獄が獲物を待つかのような形相だ。左の斜面は、これはもう絶壁をなして切れ落ち、頂上から流れ落ちるような傾斜が谷となり、沢となって彼方へと延びている。
 ストックを頼りに御鉢を抜けると緩やかな下りとなり、小さな祠の前に出る。この頃から風も収まり、いくらか安堵するが雨の心配は相変わらずだ。頂上辺りに掛かる雲が、風に流されて凄い迫力で威圧する。かって、最初の神宮はこの場所にあったらしい。いわゆる原神宮の地であり、登山口にある神宮跡は古神宮と呼ばれているらしい。
 頂上はもう目の前だからとにかく急ぐ。後ろを振り返るともう何も見えず全くのガスの中。8時頂上に着く。ガスの中に「天の逆矛」を見つける。もっと大きなものかと思っていたが意外と小振な矛であった。柄の「人面」も間近に見ながら柏手を打ち、拝礼の後下山することにする。

 先ほどのまで荒れていた天気もいつの間にか穏やかとなり、高千穂峰に見守られるようにして下山した。お陰で貸し切りの高千穂峰を体験するとになった。神様に感謝、感謝。
 頂上から40分程で駐車場に帰り着く。あっという間の出来事のようだった。まあ、こんな100名山もたまにはいいのではないかと思いながら、ザックや体に付着した砂を落とした。砂はパラパラと、足元に落ちて広がり、少し赤茶けて見えるそれは霧島山の誕生の歴史をうかがわせた。


 百名山の記録(その3) 宮之浦岳(2007年)

2014年08月23日 | 日本百名山

2007年3月28日 屋久島から開聞岳へ

  4時30分 新高塚小屋をスタート。星空が見える。予報通り良い天気となりそうだ。昨日確認しておいた道を行く。ヘッドランプの明かりを頼りにしばらく行くと、暗がりの中に光るものを見る。ライトの明かりかと思ったら、何とシカの目玉だった。夜、動物の目が光るのは知っていたが、突然のことでなのでビックリする。シカも驚いたらしく何処かに行ってしまった。明るくなってきた頃、平石岩屋というところに出、間もなく日の出を迎える。
  時計は、6時を少し回っていた。雲の中から、太陽が顔を出す様は雄大そのものだ。雲がなければどんな日の出だったのだろう。新高塚小屋から宮之浦岳繋がる道は、宮之浦岳歩道と呼ばれ、ほぼ尾根筋の見晴らしのよいコースだ。暗闇の中、ひたすら登ってきたのでそれまで何も見えなかったが、いよいよ宮之浦岳らしきピークや永田岳の岩峰が現れはじめた。歩道には、薄い氷が張り足もとが危うい。昨夜はかなりの冷え込みがあったようだ。屋久島が亜熱帯から亜寒帯までの気候を持つことを、身をもって体験させられた。 永田岳を右に見ながらヤクザサの中の道を進むと、分かれに出る。焼野三叉路というそうな。ここで荷物を降ろし、空身で永田岳へ。
                                                                

   ヤクザサの中の道は、水による浸食が進んで歩きづらい。頭上に見上げる岩の上には、すでに数名の登山者が休んでいる。白っぽい岩肌が、青空をバックに美しく、早く、早くと気がせかされる。息を継ぎながらやっとの思いで大岩の上に立つ。 7時50分であった。風は強いが、快晴そのもの。眼下に、永田港であろうか、集落が見え、その向こうは、果てしなく広がる青い海だ。月に35日も雨が降るといわれる屋久島で、こんなに素晴らしい天気に恵まれたことは運が良いとしかいいようがない。ただ感謝。 
 
 頂上での憩いを終え、下山にかかる。しばらく下りた辺りで、窪みを飛び越えて着地した瞬間、足首が「グギッ」と鳴った。しまったと思ったが、その時はもう遅い。あまりの痛さにその場にしゃがみ込んでしまった。痛みが遠ざかるのを待ちながら、足がどうかなってしまったのではないかという不安に襲われた。しばらくの後、恐る恐る足を動かしてみる。骨折はなさそうだが、足首が痛む。ストックで何とか立ち上がるが歩くのはどうだろうか。軽く左足に体重をかけてみる。ゆっくりなら何とか歩けそうだ。
 焼野三叉路まで帰り着き一安心。ゆっくりなら何とか歩くことはできそうだ。一歩一歩と宮之浦岳を目指す。9時20分頂上着。

   先ほど登った永田岳は目の前だが、そちら方向の海は見えない。反対方向に遠く開聞岳が見えると、後から来たパーティーのガイドらしき人が説明しておられたが、目の悪い私にはボヤッとかすんだ島影らしきものを認めたに過ぎない。こんなに天気が良いのも珍しいとのこと。痛い足を引きずりながら花之江河を目指す。気温も上がってきたらしく、凍っていた登山道に水が流れはじめる。
 基盤が花崗岩だから、降った雨はそのまま流れ下り、ある沢では滝となって飛沫を飛ばし、ある沢では河岸を大きく浸食し、青く澄んだ流れはついには大海原へと流れ込むのだろう。名山、名瀑の島、屋久島といったところか。
 宮之浦岳1935mから、栗生岳1867m、翁岳1860m、安房岳1860m、投石岳1830m、そして黒味岳1832mと続く1800m級の山々を登ったり、巻いたりしながら11時50分花之江河に到着する。足の方は思ったほど傷んではないらしく、なんとか歩くことができた。

 
  花之江河とは、変わった名前だと思っていたが、こじんまりとした湿地帯だ。黒味岳を背景に絵はがきのような風景を形ちづくるこの楽園は、シャクナゲの咲く頃に華麗に美しい姿を見せてくれるに違いない。
 木道の上でお茶を沸かす。小屋を出てから、食べ物らしきものを口にしていないのでここで休憩とする。シカの親子がこちらの様子をうかがいながら草を食べていた。のんびりとした午後の一時を過ごした後、淀川小屋に向け出発する。尾根歩きから、原生林の林の中を歩くことになる。13時40分、淀川小屋に着く。足が痛む。淀川小屋も無人小屋だが、宿泊者のザックが幾つか置かれていた。
 
     最後の一頑張りで、ついに車道に出る。淀川小屋登山口だ。時計は14時30分。しかし、バス停まではもうしばらくの歩きだ。これでもう歩くのは終わりと張り切って下ると、何ということだろう、すぐ目の前をバスが発車して行ってしまった。もう数分早かったら間に合ったのにと後悔する。次の駐車場まで歩くが、観光客を乗せた貸し切りバスばかりで乗せてもらえそうにない。仕方なく、近くに止まっていた予約済みタクシーの運転手に、タクシーを一台呼んでもらうことにする。
 ここの駐車場前には、紀元杉の巨木があり、それを見物するために多くの観光客がやってくる。年を経た古木の例に漏れず、その体には何種類かの異なる木々を根付かせている。何やら、「八岐大蛇」を連想させる。見物客にお年寄りが多いのは、バスを降りてからほとんど歩く必要がないからだろう。
 ガイドの説明を聞き、ぐるりと巨木の周りを巡り、記念写真を撮っては帰っていく。そんな、光景を見るとはなしに見、ガイドの話を聞くとはなしに聞きながら車を待った。
 しばらく待たされたが、タクシーが来た。案内慣れした運転手さんに宿泊所をきめてもらい、屋久島の自然や歴史のお話を聞きながらお宿に直行。途中、猿の親子を見る。本土のサルに比べるとちょっと小柄で、おとなしい。これは、観光客がエサを与えないからだと運転手さんのは言う。なるほどと思った。
 

     この日は、安房の民宿「杉の子」に泊まる。したたかに地酒の焼酎を飲み眠り、翌29日、宮之浦港より鹿児島港へ帰る。
 屋久島では、結局3泊したことになるのだがさすが世界遺産登録の島のことだけあって気持ちのよい山旅ができた。もしまた訪れる機会があればその時は花の時期だろうか。
 駐車場の支払いを済ませ、一路開聞岳を目指す。夕方遅く、開聞岳登山口の駐車場に到着。車中泊とする。

                                                              (その3)