山の記憶 (百名山・二百名山・三百名山)

山スキー、その他の山行もあります。

百名山の記録 両神山(2007年)

2014年08月30日 | 日本百名山

   毛木平から両神山への道は少々複雑であった。ナビを頼りとするのだが100パーセント信ずるわけにもいかない。私のナビに入るソフトは古く、新しくできた道路は載っていないことがあるからだ。だからナビの通りに進んでいると、時々回り道をしなければならないことがある。
 そんな体験があったったため、「ぶどう峠」と名付けられた大変な道路を、間違えではないかと思い途中で引き返したほどだ。
 ナビの通りに進めば良かったのだが、完全には信用していなかったために起きた間違えだった。地図にきちんと載っている「ぶどう峠」だが、峠を越すまでは不安でしょうがない。山あいの狭い道を祈るように越える。峠を越すと群馬県に入り、そしてまた峠を越し埼玉県に入る。国道299号線に車を走らすのだが、何だか大変な所にやって来たような気がした。山陰地方に住む者には、この辺りは全くの他国だ。見知らぬ国にやって来たような心細さを感じながらも小鹿野町に入る。
 今日は久しぶりに宿泊まりと決め、両神荘という国民宿舎に駆け込む。予約なしの全くの駆け込みだった。手続きを済ませ、まずは風呂。その後、洗濯機と乾燥機で汚れた下着類を洗濯する。長期の旅行には、風呂と洗濯は欠かせない。
 セルフサービスの夕食を済ませ、土産物コーナーで買い物をして早めに床につく。明日の天気が気にかかる。 
 

  9月2日(日)両神山

  朝は早めに目が覚める。山には雲が掛かっているが天気は良さそうです。日向大谷の登山口は宿舎を少し引き返した辺りを左に折れ、川沿いの道を進むことになる。幾らかの集落を過ぎると、両神山登山口の駐車場にぶつかる。駐車場のすぐ上に民宿があり、その前に登山道が延びている。
 斜面に沿った山道を進む。下の方には沢となっていて、せせらぎの音が聞こえ、途中途中に石碑やら仏像やらが置かれ、両神山の歴史を物語っている。カーブした道は途中2つに分かれ、河原へと向かう道を進む。沢筋に付けられた道も徐々に急登となり息も上がってきた頃、不動明王像の安置された所に出る。さらに登り続けると、清滝小屋が見えてくる。
 清滝小屋は、雰囲気が何処か雲取山の途中にあった三丈ノ湯に似ている。似ているのは小屋そのものでなく周囲の環境で、どちらも沢の中腹のひっそりとした所にある。

                                       


 

  いよいよ本格的な登りに入ると覚悟して進む。ジグザグの道に所々、鎖やロープが張られ斜度も増して来る。辺りは薄暗く、幾分霧も出てきた。今日の天気も期待できないのかと思っていたら、頂上から下りてきた男性が、頂上は素晴らしい天気ですよと励ましの声を掛けてくれた。どうも頂上は雲の上らしい。
 やっとの思いで神社の境内に到着。頂上は遠くないだろうと思いながらなおも進むが、道は細く険しくなる一方だ。その内、青空をバックに切り立った岩峰が現れた。どうもあれが頂上らしい。最後の鎖場を乗り越すと、岩のてっぺんに出る。ここが両神山の頂上。ゴツゴツした足場の悪い頂上なのだが、ここにも両神山山頂の標識が建っている。1723mのこの頂上は、剣ヶ峰と呼ばれている。
 汗で濡れたシャツを干していると、反対側の尾根から男性が登って来た。八丁尾根からの登りは、険しく危険なのだそうだ。この男性と話をしている間にも、次の登山者が登って来て頂上も狭くなったので早々に下りることにする。
 

                                  

  季節の頃は、アカヤシオの群落に出会えるはずだが、木々はもう秋の準備に入っていた。清滝小屋近くで華麗な花を見つけた。純白でロウのようなつやを持った花なのだが、名前が分からない。始めてお目に掛かる花だ。後で調べてみようと写真を写す。
 日のあまり差し込まないほの暗いような斜面の笹藪に、蜘蛛が糸を張り、その糸に付いた水滴が太陽の光で反射して美しい文様を見せていた。
 急な登山道も下りは早い。若者数名のグループと抜きつ抜かれつしながら駐車場にたどり着く。 
                                   

                                       (登山口9:00~清滝小屋11:25~頂上13:00~下山16:20) 

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