山の記憶 (百名山・二百名山・三百名山)

山スキー、その他の山行もあります。

礼文・利尻そして早池峰(その9)

2018年09月16日 | ぶらり

 河原の坊駐車場から登山口の小田越峠まで登りの車道を歩くこと40分。やっと到着しました。ここで一休みする。早池峰山に登るのは二度目だから何も心配は要らない。登山口で山のパトロールか管理人かは知らないが色々と準備に忙しそうです。

                              下の写真は、下山したときのもの。ボランティアのかたからうす茶を頂きました。       

               

 登山口からしばらくは森林の中に延びる良く整備された道を行く。そして、樹林帯が尽きるあたりから緩やかな登りが始まるが、道は、大小の岩がゴロゴロしている中につけられている。途中で、昨夜駐車場で一緒になった老ご夫妻に追いつく。

 こちらは、花の写真を撮りながらで、ペースは遅いから、その内また追い越された。

         

 早池峰山は、蛇紋岩質だから、他の山では見られない植物も多いようです。

     ふれ帰ればかすかに登山口の管理棟らしきものが見える。薬師岳へは、その裏手から登る。

                        

               登山道の両脇の岩場には、色々と花が見られる。花を見ながらゆっくりと登ればいい。

                          

                            

                          

                        ここは、いわゆるハシゴ下あたり。

               

                   ハヤチネウスユキソウが咲いています。

            

             岩壁に懸けられた鉄バシゴ。此がなければ、一般の人は登れないだろう。

                  

                   早池峰山に咲くナデシコ。他のナデシコとどう違う?

                   

      ハシゴを登り切れば、頂上はもう近い。頂上には立派な避難小屋がある。以前は無かった。

        

                             頂上です。

                         

                      

  1917mの早池峰山は山陰の大山より高い。しかしアルペン的な感じはしない。ゆっくり楽しみながら登る山としてはいい山です。

                                                                                                                                                                                                  このシリーズおわり。

                  

 

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礼文・利尻そして早池峰(その8)

2018年09月14日 | ぶらり

 室蘭から函館に向かう途中、右手に有珠山、昭和新山などが見える。左手の海は噴火湾という。そして、その向こうに渡島駒ヶ岳が顔をのぞかせている。最近発生した地震は胆振地方を中心としているが、この辺りには活火山が集中している。起こるべきして起きた地震なのだろうか。 プレートが動いていて、それで地震は発生するという説はわかるが、もともと地震の予知は不可能だとかってある先生は言っていた。そのために、地震が起きてもいいような事前の準備に金をかけなければいけない。それが、地震予知ができるというグループが異議をとなえた経緯がある。今は、また元の考え方に戻っている。ここまでたどり着くのに膨大な予算をつぎ込んでいると思われる。

                          支笏湖から見た樽前山と風不死岳( 右 ) 樽前山は活火山

                     

 噴火湾と呼ばれるのは、多くの活火山がこの湾周を囲むようにしてあるから。

                                                                     道の駅にある宮沢賢治の碑

                                      

                           函館に近づくに従って、駒ヶ岳の姿はおもしろい様に変化していく。

          

 

                            

                                    大沼方面から見た駒ヶ岳

                             

                                     駒の形を連想させるのだろう

                   

 駒ヶ岳登山は、規制があるがやはり自己責任だ。これも活火山に入るらしいが、今は安定している。ただ、最近の様子を見るに、また規制が強くなるかもしれない。なにせ、胆振地震から外国からの観光客が激減し観光目当ての収入は100億円の減らしい。なぜに外国からの観光客が減ったかは、それだけ情報を得ることに長けている人たちの判断が速いからだろう。


 翌日、「道の駅恵山」を発ち青函フェリーで函館へ。そのまま、早池峰へ。

                                      恵山から函館へ

                              

  

 早池峰は、シーズンに入ると交通規制が始まる。だいぶ手前に駐車場もキャンプ場もあるが、車で奥まで入るには要注意。特に土、日。しかし、夜になれば問題は無い。これは、秋田駒ヶ岳と同じ。

  河原の坊駐車場まで何とか入れた。夜中、車が一台入ってきた。上の建物は早池峰山の紹介などの案内センター。管理も兼ねているが夜は無人だ。

                       

                                                           いよいよ明日は、早池峰登山だ。

 

  

 

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礼文・利尻そして早池峰(その7)

2018年09月07日 | ぶらり

 天塩のしじみはかって蝦夷の3絶と呼ばれたほどの名物。しかし、食べ損ねた。(コーナーで、土産用に袋詰めしたシジミを売っていたので、松江に帰ってからみそ汁で食べたが宍道湖のシジミと同じような味だった。)それで、周辺をドライブすることにした。近くには、サロベツの原野がある。車を飛ばして見物。少し後戻りすることになる。その後、また天塩に帰る。(北海道の長い川は、1位石狩川268km、2位天塩川256km、3位十勝川156km)

                                                                 サロベツ原野駐車場にて とにかくだだっ広い

                            

 天塩の海岸にある公園でまた松浦武四郎の碑に出会う。武四郎と天塩との関係は深いようです。武四郎は、「天塩日誌」に天塩川遡行の詳細な記録を残している。蝦夷地は、当時は松前藩が支配していて、要所要所に出先機関があったようです。此の天塩にも松前藩の侍がいて班の支庁のようなものがあったようです。当然、アイヌも暮らしていて、武四郎は此のアイヌの人達の協力を得ながら探検を行っています。

                   

 その後、いよいよ札幌に向けて車を進める。北海道の日本海側はのどかだ。オロロン街道との呼び名が付いる。オロロンとは天売島に生息するオロロン鳥から名なずけられたのだろうか。此の島へは、羽幌町からフェリーが出ている。以前より、一度行ってみたいと思っているがなかなか実現しない。羽幌から苫前~小平~留萌~増毛と南下する。途中、いくつかの道の駅があるが、温泉施設を併設する道の駅が3つほど続くのが良い。

 その内の「風Wとままえ」で汗をながした。海を見ながらゆったりと出来たのはよかった。なにせ、この時他に客は一人もいなかった。小平町は、かって鰊で栄えた町。そういえば此の街道沿いには、鰊漁で栄えたらしい町が多いようだ。「道の駅 鰊番屋」というのもある。  

 200名山の暑寒別岳へは、留萌から分かれる。暑寒別岳は、途中に雨竜沼湿原がある。此の湿原は尾瀬を小さくした様な湿原。登山口にキャンプ場があるが、ここから暑寒別までが長い。あのときは、朝も暗い内からスタートしたが、「熊に注意」の看板もあり怖い思いをした。

 かって留萌から稚内まで、鉄道が走っていた。始めて礼文島へ渡ったときは留萌から汽車に乗った。朝一番の汽車だったので、通学の高校生達で満員だったのを覚えている。前夜は、留萌駅の前の寿司屋で酒を飲み過ぎて泊まる宿も無く、近くの空き地にテントを張った。確か、駅の資材置き場の隅だったと思う。

 夕暮れが迫る頃、「道の駅石狩」に着く。

                

 翌朝、石狩川河口に行ってみる。北海道一の長蛇でもある石狩川。三橋三智也の石狩川ばん歌など思い出す。

                                 君と歩いた石狩の

                                 流れの岸のいく曲がり

                                 想い出ばかり心に浮かぶ

                                 ああ、初恋の想かげよ

 確かこんな歌詞だったと思う・・・・?

                                           石狩灯台

                  

                                            石狩灯台記念碑

 

                      

喜びも悲しみも幾年月」は、佐田啓二・高峰秀子による感動の名作。歌もまた良かった。 

                      1      おいら岬の 灯台守は

                            妻と二人で 沖ゆく船の

                            無事を祈って灯をかざす 灯をかざす

                            

                       4     星をかぞえて波の音きいて

                            ともにすごした幾歳月の

                            喜び悲しみ目に浮かぶ 目に浮かぶ

 

                                    ハマナスは赤が一般的だが、白もある。

               

 この日は、札幌をぬけて支笏湖を巡り渡島駒ヶ岳を仰ぎみて、「道の駅恵山」泊。翌日青函フェリーで青森に渡り早池峰へ。

 

                  

 

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