山の記憶 (百名山・二百名山・三百名山)

山スキー、その他の山行もあります。

残りの山々 日本三百名山

2013年05月26日 | Weblog

  日本名山巡りも残すところ11座となる。このうち、会津朝日岳は、現在登山道の崩壊のため登山禁止。さらに、景鶴山は自然保護のために入山禁止だ。

 そうすると、300名山をすべて登る事は不可能ということになる。それで考えたことは、「上記2座の代わりになる山を自分で選んで登る」です。どの山にしようかと現在進行形で、残りの山々10座を登りながら決めることにします(この時点では、そう考えていた)。

 残っている山

日本300名山   

    会津朝日岳 八海山 中ノ岳  白砂山  鳥甲山 佐武流山   餓鬼岳  カムイエクウチカウシ山

       景鶴山   朝日岳 浅草岳

 今後の予定は、梅雨が始まるまでに何座か登り、夏にはカムエクを登る。秋頃までには大体終わりそうです。どの山を何時登るかは、カムエク以外ははっきりしていない。気分まかせ、風まかせ、天気まかせになりそう。  

 カムエクだけは、熊が怖いのでなるべく人が多く登りそうな時期(7月下旬頃か?) にしたい。この山は、テント泊になります。

 そういうことで、今年の山登り、名山巡りは余裕がある。大体、今まで年に40座~50座登っていたから・・・。一時期、こんな山の登り方はアホらしく感じたこともあったが、ゴールが近づくとまんざらでもない。 そろそろ、カメラを担いでゆっくり山に登り写真を撮りたいと思う。

                          「   剣見るなら  赤谷(あかたん)尾根でよ  大窓小窓にね 三ノ窓  ヨカネ 

                                   『剣の歌』   早稲田大学山岳部部歌   作詞・作曲 不詳
    

 ことしの秋は、赤谷尾根あたりで写真か・・・。

   などと考えながら日本山岳会選定による日本三百名山登山ガイド(山と渓谷社刊)を見ていたら、妙なことに気がついた。それは、荒沢岳についてである。荒沢岳は、越後(魚沼)駒ヶ岳を登る折りすぐ横手に見える山なのだが、この山は日本三百名山には入っていないそうだ。しかし、深田クラブによる日本二百名山には入っている。この日本二百名山は、いわゆる深田久弥の百名山の次の百座をまとめたもの。つまり101座~200座までの100座である。

 ここで、少しだけ説明がいるように感じる。それは、百名山、二百名山、三百名山についての言葉の使い方・定義である。

          百  名 山   : 深田久弥による日本の名山百座。
 

         二百名山   : 深田クラブによる上記の百座以外の百座。 

      三百名山  : 日本山岳会による日本の名山三百座。 

 日本山岳会の三百名山が、201座~300座までの100座を指すのなら問題は無いのだが、これは、1座~300座の選定になっていて深田久弥の百名山も入っている。また、作成された後先でいえば、まず深田久弥の百名山が出て、その後、日本山岳会の三百名山が発刊されている。深田クラブによる二百名山は、そのまた後となっている。また最近では、岩崎元朗氏による新日本百名山も出ている。

  

  ここでまたまた気がついた。 それは、二百名山・三百名山という自分の言葉の使い方がおかしいということです。今まで、何の気なしに使ったいたのだが、よく考えてみればこの使い方はおかしいし、混乱を招く。深田クラブによる二百名山は無視して、「日本山岳会の三百名山を登る」とした方が良い。

 したがって、今後三百名山一本にしぼることとし、ブログのタイトルも変えることにします。(ただし、日本二百名山という言葉を使う場合は、この深田クラブ選定の山とする)  これで、 今までのブログを整理しないといけないな

 回りくどくなってしまったが、荒沢岳を登れば景鶴山を登らなくてもいいし、会津朝日岳の代わりに蒲生岳(只見三名山 浅草岳 会津朝日岳 蒲生岳)に登ればいい。このブログを書きながらそんな結論に達しました。 よくよく考えて見れば、桜島や浅間山などの山も頂上に立てないから、厳密な意味で三百名山すべてを登った人はいないのではないか?

 昨日5月27日(月)、我が島根は梅雨入りだそうです。このブロブを書いている間(あれこれ調べていたので)に梅雨入りです。上信越方面の梅雨入りはどうだろうか? 6月2日(日)、は大山の山開き。2年ぶりに下山キャンプ場でテントです。あまり飲まないようにしよう。

 

 

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白髪門・朝日岳              

2013年05月22日 | Weblog

 尾瀬で大変な目に遭ったあと、谷川岳を目指す。白髪門・朝日岳の登山口は確認してあるので車は水上町の道の駅に止める。「水上町水紀行館」と名付けられたこの道の駅には、谷川岳に登る時や、天神平スキーの折に何度か車を泊めたことがある。 川沿いの散歩路は良く整備されていて、与謝野鉄幹・晶子などの記念碑もあり良いところです。

 5月9日(木)

 早朝、土合の登山口へ移動。写真を撮る人がいた。土合の駐車場から、朝日に染まる山脈を撮っているらしい。年配の方で、しばらく山の話をしてから別れる

                6時    登山口 橋を渡って対岸に

 

         松の木沢の頭  ここまで約3時間くらいか?

 

          松の木沢の頭に着いて愕然とした。   

 

 尾根に雪があるのはよいが、斜面の様子からしてアイゼンが必要では? ピッケルも無い。靴は、夏用だ。こんな装備ではあの斜面は危険ではないだろうか。滑落したら・・・。引き返そうかと暫し迷う。あまり乗り気もしなくなったが、いつもの調子で行けるところまで行く事にした。

 上の写真、左にある岩峰を乗り越えた辺りであきらめた。10分も歩けば白髪門頂上。

 

 目の前に、朝日岳が見える。もうたいした急な登りはなさそうだが帰りが心配だった。雪の斜面は、登りよりも下りが怖い。冬用のクツで、アイゼンはなくともピッケルでもあったら良かったのだが。それに、帰りはだいぶんバテているはずだからなおさら怖い。安全第一なので、潔く引き返す。もう少しすれば雪も溶け、花も咲くことだろう。また来ればいい。

                    朝日岳

                   天神平スキー場

  

            上の写真の続き  左の沢が一の倉沢

  

                         谷川岳

  

    引き返すことに決めてから、暫し谷川岳を眺めていた。何とも良い気持ちでした。雪の斜面を慎重に下り、花を愛でながら帰る。

             シャクナゲ                              タムシバ

                  

                               イワウチワ

         

        ここまで帰ってホットする。雪解け水の流れで顔を洗うと、桜の花びらが両の手の中にひとひら。

                    タイム:6時スタートで12時30分下山でした。

          

      これで、今回の名山巡りは終わりです。 残る200・300名山は12座くらいのはずです。

  

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志賀高原 横手山・笠岳(笠ガ岳)

2013年05月22日 | Weblog

 5月5日(日)

 昨日は運良く岩菅山に登れて一安心。横手山と笠岳はあまり難しくない山だと記憶していたので今日は気分的に楽。とりあえず、横手山登山口がある渋峠へ行くことにする。天気は良くて春スキーヤーなどの車が駐車場に止まっている。

 * 渋峠は日本の国道としては一番高い(2,172m)ところにある峠です。群馬県と長野県の県境にあります。ここは非常に寒いところで5~6月でも雪が積もる時があります(ネットで調べた)

 リフトはまだ動いていなくて,のんびりとしたムードが漂っていた。山スキーヤー四名ほど板にシールを貼り付けていた。何処に登るか聞いたら、横手山とのこと。頂上は、駐車場から30分ほどのところにあるようだ。道路脇に溶けずに残っている雪の斜面を適当に乗り越し、頂上を目指す。すぐ横にはリフトがあり、リフトに沿って歩く。

              下に渋峠の駐車場が見えます

 
     

          リフトを利用すればすぐです。朝の散歩がてらに歩く気分

      

              スキーヤーがシールで登って来ました。

    

                  横手山頂上 遙かに岩菅山が見える。

     

  志賀高原は、全体的には観光化された高原だが、スキー縦走などにはおもしろいかもしれない。横手山へは、登り下りに1時間ほどかかりました。

  横手山が早く片づいたのでもう一つの三〇〇名山の笠岳にむかう。笠岳は、志賀高原の山の中では一番目立つ山。姿形も良い。登山口は、熊ノ湯温泉の横手辺りからだが、ホテルの従業員の方が、今は雪でとても登れませんといわれた。雪があっても登るのがこの時期の山なのだが、もう一つの登山道へ回る。

                  笠  岳

  

 もう一つの道は、山田牧場へ抜ける県道66号線の途中にある。下の写真が山田牧場へ通じる道。雪が搔いて無いので橋のたもとに車をおいて歩くことにする。

                 ホテルの前辺りから雪が出た  

   

 地図にあるようにくねくねした道が続く。途中で、カモシカに出会う。ジッとこちらを見ていたが、間もなく姿を消す。熊でなくて良かった。

    カモシカに出会うのは二度目。大体ジッとしてこちらを向いている。初めて出会ったのは、皇海山に登る途中。公園のような広場に出ていたので作り物かと思った。ジッとして動かないからそう思ったのだが、何か変な感じなので近づいたら逃げた。雄の立派なやつでした。

  

 雪のくねくね道は、1時間30分ほどで峠に着く。ここが登山口。驚いたことに、峠の反対側の道路には雪がありません。下山する頃一台はいってきていました。

    熊の湯からの道は、この小屋のすぐ上辺りに出ます。

   

    11時30分 笠岳頂上 大変良い天気でした。すっぽんぽんになって大休止。 

  

    先ほど登った横手山。渋峠を越えれば本白根山や草津温泉だ。万座温泉もある。

  

これで志賀高原の三〇〇名山はすべて終わった。この後、谷川岳にある白髪門・朝日岳の登山口を調べに行き、再び尾瀬を目指したが、尾瀬についてはすでにブログで紹介済み。

                  千曲川沿いのフラワーロード 県道95号線

     

                                                            次は、白髪門・朝日岳です

  

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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志賀高原岩菅山

2013年05月21日 | Weblog

 今年の正月過ぎに、浅間隠山を登って草津温泉から志賀高原へ抜けようとしたが冬期通行止めでした。今回は、信州側から志賀高原に入る。ここには、岩菅山と横手山、笠岳がある。

 この日は、岩菅山へ向かう。前日登山口の確認に行ったが、手前の方でゲートが閉まっていて確認出来ずじまい。とにかく、ゲートからどれくらい歩けば登山口に着くのか知りたかったので登るつもりはなかった。ところめが、ゲート前に車が二台。一台はすでに人蔭もなかったが、もう一台の車に登山準備をしている男性がいたので様子を聞くことにする。登山口はすぐ近くで、自分はスノーシュウで登るという。この話を聞いて、本日登る事に決定。スノーシュウは持っていたが山スキーにシールを着けて登ることにした。先行者の足跡をたどれば頂上に着くはずだ。

          岩菅山と登山口。ここから、足跡を便りに登る。

   

 しばらく登ると、スキー場からの道にぶつかる。そこからは道もはっきりしてきた。楽勝かと思った。

              ここまでは、誠に順調でした。

   

 橋を渡り川に沿って歩くと急に足跡が無くなる。引き返してウロウロ。正解は、橋を渡ってそのまま真っ直ぐに林の斜面を登る。斜面は日陰なので雪も堅く、足跡がはっきりしなかった。登りきり、しばらく平坦な林の中を進む。急にアイゼンの後を見つける。他に誰か登っているらしい。しかし、また足跡を見失う。またまた、ウロウロする。どうもはっきりしないので大体の感じで歩いていると足跡発見。ホットしていたら、男性が下りてきた。朝早くから登っていたが初めての山なのでだいぶ迷ったらしい。アイゼンを着けていた。この辺りから、また雪解けの登山道が現れる。尾根筋に出てからは、足跡もはっきりとしているし、岩菅山の頂上らしき山が見えていた。

  岩と雪の斜面が気になった。アイゼンもピッケルも無い。登れるだろうか?ふと、不安がよぎる。

 

 尾根を詰めた所で、駐車場で出会ったスノーシュウの男性に追いつく。今日はもう登らないで引き返すとのこと。お茶を沸かしてゆっくりとしておられた。この男性は、時々この辺りに登りに来るとのこと。スノーシュウは要らなかったと反省しておられた。私は、スキーを途中デポしておいた。時間的に見て何とか登れそうなので先を急ぐ。尾根のピークを下り最後の登りにかかる。体調が良かったのか何度か休みはしたものの一気に頂上へ。雪が緩んでいたので兼用グツのキックがよく効いた。

                         岩菅山頂上

   

                   皇族の方の登頂記念碑

  

       焼額山のスキー場か? 登山口の反対側に当たる。

  

  中央左のピークで男性に追いつく。私が頂上に登りまたこのピークに帰るまで双眼鏡でずっと見ていたそうです。その後ろに延びる尾根をたどるとスキー場の方に出るようです。今回の登路は、ピークから右下に延びる尾根。

  

 さっと登り、さっと帰る。先ほどの男性がまだいたのには驚いたが、それほど早く往復したことになる。帰りは、足跡を丹念にたどり無事帰着。まさか登れるとは思っていなかったので大ラッキーでした。これで、明日、横手山と笠岳に登ればしめたものだ。

 帰りに、発哺温泉に入る。ひなびた温泉でした。写真のホテルには、人影はありませんでした。入った温泉はこの山の後ろ辺りです。この温泉、地理的に不利なようで、志賀高原の中では寂しい感じでした。

  

 夜を、「道の駅 北信州やまのうち」で過ごす。丁度、志賀高原の入り口辺りです。

 

 

 

 

 

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戸隠山

2013年05月21日 | Weblog

 戸隠山の登山口は、戸隠神社奥社の左横手にある。遙か以前、職場の旅行の折、途中まで登ったことがあるのでうっすらとであるが記憶がある。その時は、アリの刀渡り、剣の刃渡りを越えた辺りから引き返している。この辺りが、戸隠山最大に難所。両側が切れ落ちていてバランスを崩すと助からないだろう。高度感もある。丁度、大山のらくだの背のようだが、実際は岩がしっかりしていて、しゃがめばホールド、スタンスは豊富で安定していて安全。

                駐車場前から見る戸隠山

     

                   険しそうです

     

 

 戸隠神社入り口、道路脇の無料駐車場に車を止める。朝から混雑していたが、バードウオッチングの会があるらしい。大きな杉並木の参道を進む登間もなく奥社だが参拝はやめて登山口に向かう。雪が残っていて最初から迷う。普段は、沢筋にあたるようで、道はこの沢を横切って延びている。間違えて沢を少し詰めてからおかしいと思い引き返す。スタート地点に立ち、改めて観察すると、沢の向こう上の方に雪解け後の道らしきものを見つける。雪の斜面を登ると、登山道にでた。この後、道ははっきりしていたが、一カ所変な所があった。

   この辺りの道がはっきりしなかった。振り返って初めて道(写真中央右下)がわかった。

  

 上の写真の左の岩壁と笹のきわをおりました。変だとは思ったが正しい道はその下にあった。どこかで間違えたらしい。

    行者さんの修行場所? クサリがあります。三朝の投入堂を思い出す。

  

             何と、先行者がいました。  

  

    いよいよ核心部です。素人ならビビルはずだ。しばらく見学とする。

  

         後で話したら、何度も登っている人でした    

  

          アリ刀渡り、アリの刃渡りを振り返って

  

   そして、頂上。後ろの山は高妻山。ここから見るといやに立派に見えます。

  

                   頂上からの縦走路 

   

 初めの予定では、同じ道を引き返すつもりだったが頂上で出会った若者に「縦走した方が絶対安全だ」と言われて縦走に切り替える。おかげで素晴らしい景色に出会えました。雪は幾分柔らかく、アイゼンは不要。

               ずっと高妻山が見えていました

   

         高妻山と戸隠山との分岐にある避難小屋

  

 戸隠の牧場から高妻山に登るには、左手の雪渓を詰める。かって、間違えて正面の滝をこえて藪こぎをし避難小屋に出たものです。後で思うと、結構やばかった。

  

    牧場まで帰り一安心。家族連れが散歩しています。

  

     タイム:7時15分駐車場~10時30分頂上~12時40分避難小屋 余裕を持っての下山でした。

 

  

 

  

 

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中山晋平記念館と善光寺など ( 朝雨のため山は中止 )

2013年05月20日 | Weblog

 5月1日(水)

 朝は雨模様。戸隠山はあきらめてこれから登る山の登山口を調べたり、記念館などを巡ることにする。 朝起きて気づいたのだが「差し歯」がない。おやっと思ったがよく考えてみると、差し歯は寝る前に外して容器に水と一緒に入れておいたのだが、それを忘れて水と一緒に外に捨てたらしい。車は、昨夜場所を移動させたので探しに行かないといけなが、その場所にはすでに他の車が停まっている。それでもと思い、他人の車の周りをじろじろと探したら、アスファルトの上に落ちていました。踏んづけられもせずラッキーでした。

 もう一つの失敗は、やはり昨夜寝る前に、食事につかったガスコンロとフライパンを車の下においていたのを忘れていて、バックさせようとしたら何か変。下りて車の下を見たらコンロのボンベはつぶれて液体がシュウシュウと。おまけにフライパンは変形。車に異常が無かったのは不幸中の幸いというものです。

            「 物忘れが激しくなる一方で、何となく憂鬱となる 」

 元気を取り戻して、中山晋平祈念館へ行く。

                       園児たちも来ていた

      

      曲が流れて シャボン玉が飛んでいます

  

         背くらべ 中山晋平作曲 作詞・海野厚

   

              砂山 北原白秋作詞

  

                 記念館の窓より

 

 

                         交流記念樹

  

  島根県は島村抱月。晋平は、抱月のもとに書生として住み込んでいた。一世を風靡したカチューシャの歌は、晋平が初めて作曲した作品。

 

カチューシャ-のうた

流行歌島村抱月相馬御風作詞中山晋平作曲抱月脚色によるトルストイの「復活上演の際の挿入歌松井須磨子らの歌唱により、1914年大正3)に大流行した。(ウキペディアより)

 この後、洗濯、散髪をしてから志賀高原岩菅山の登山口を確かめて「道の駅しなの」まで帰る。

 

 5月2日 (木)

 今日もなぜか観光の日とする。有名な善光寺に参り、近くにあった東山魁夷美術館を見学。

    善光寺は長野県にある有名なお寺です。
    無宗派の寺で山号は定額山。
   代々公家から住職を迎えていて、現在の住職も鷹司家の出身です。

   本堂は国宝に指定されています。
   日本の仏教が諸宗派に別れる前の644年創建とうとても古いお寺で、
   旧来の仏教には見られなかった女人救済の寺でもあります。
   その本尊は普段は厨子に納められていて、住職でも見ることはできない秘仏です。

   江戸時代には伊勢参りと同様に善光寺参りもブームになっていました。
   胴上げや牛に引かれて善光寺参りなどの言葉の元にもなっていて、
  その寺周辺の門前町のにぎわいはすごいんですよ                                  

                                                                                        ネットで調べました

              山 門です。  仁王さんがいて奥に本殿が

    

           門前町とはこのこと 土産物屋がずらりと

   

                    靖国神社は無くても良い?                                                                                                  

    

 

 帰りに、馬曲温泉に寄り火口ソバを食べる。田舎の露天風呂といった感じでした。景色は抜群。

   

馬曲と書いて、まぐせと読む。この日も「道の駅しなの」で車中泊。いよいよ戸隠山へ。

   

 

 

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黒姫山 

2013年05月19日 | Weblog

「道の駅千曲川」は、名前の通り千曲川沿いにある。川沿いには菜の花が咲き、道路を隔て反対側には桜並木がある。売店では、地元で採れる新鮮な山菜を売っていた。コゴミ、ウド、ノビル、アサツキ、行者ニンニク、それにカタクリの新芽等々。

 対岸に形の良い山が見えた。高社山というらしい。さらにその奥辺りが志賀高原か。

 4月30日(火)  

 朝小雨が降っていた。山はどうしようかとグズグズしていたが、一応登山口まで行く。黒姫山の登山口もいくつかあるが、黒姫高原からの登山道がはっきりしない。ここはスキー場になっいて登山口の案内標識もいい加減な感じだ。そういうことで、戸隠山方面からの登山口を探した。

           県道信濃信州新線の西登山口古池コースから登る

  

        登山口 車が一台止まっていた。登山者かとおもったが違うようでした

  

 このコースの近く(戸隠より)にもう一つ登山口があるが、途中で一緒になる。スタートが10時とは遅い気もしたがかまわず進む。しばらく行くと池があり、近くに水芭蕉が咲いていた。

     

                       登山道に雪解け水が・・・

      

                        大きなしなの木

     

 雪解け水の流れ落ちるのを聞きながら登る。途中、根曲がり竹の密集地を過ぎる。「採るな」の標識があった。そのうちに雪が現れ始めて登山道が読めなくなる。この時期よくあることだが、特に帰り道で間違えるとあわてる。

                中央の尾根を右手より登って来ました。

        

   雪は緩んでいるのでアイゼンは要らない。もぐりもしないから輪カンも不要。写真は頂上からのものです。

      目の前に妙高、燧、焼山が見えます。天気がパッとしないのが惜しい。

      

           寂しそうな頂上。 ガスで下界が見えないのが残念。

      

   ほこらには、七ツ池竜王 大毘沙門天王 黒姫弁財天 とあります。

     

   登   10時にスタートして、11時40分新道分岐 14時05分頂上。

   下り  しなの木15時20分 新道分岐15時55分 駐車場16時55分

  帰り、踏み跡を見失いアワをくった。ウロウロと探し回ってやっと見つける。この日は、「道の駅 しなの」に泊まる。

                悠然と 山をみる 蛙かな (一茶)

 の句碑があった。正面に黒姫山が見えるのだが、天気が悪い。

 

 

 

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平標山と仙ノ倉山

2013年05月19日 | Weblog

 仙ノ倉山へは、平標山を登らなければならない。登山口は、神楽スキー場や苗場スキー場から近い三国街道沿いにある。

         登山口にある駐車場 奥にトイレと地図がある。近くに温泉もある。

        

                       案内板にあった地図

  

 4月28日(日)

 前日夕刻に平標山登山口着。翌28日は雨。仕方がないのでちょっと遠いが信州信濃まで行ってみる。信濃は、一茶の生誕地でもあり記念館もある。他に、高野辰之(おぼろ月)や中山晋平(船頭小唄)などの生家も近い。山では、戸隠山、黒姫山そして志賀高原(岩菅山、笠岳、横手山)などが近い。信濃川沿いの道路に植えられた菜の花が盛りだった。雨も止み晴天となる。

 翌29日(月)

 久しぶりの天気だ。この日は、数組の登山者がいたので何となく心強い。登山ルートは、二つあり、登りは平標山避難小屋経由が一般的らしいが、私はなぜか直接平標山に登ることにした。駐車場から鉄塔が見えていてすぐに着きそうだったが急な登りの連続でだいぶバテた。視界が広がると、後ろに苗場山を見ることが出来た。

              尾根には雪が・・・ しかし、アイゼンは要らなかった

              

         中央のピークが平標山 その後ろに苗場山が見える(仙ノ倉より)

        

      苗場スキー場が眼下に。神楽スキー場は営業していたが苗場は全然ダメ。

      

                     平標山頂上 最高の天気

      

             左端の尾根筋に平標の避難小屋が見えます。

  

              平標山からみる仙ノ倉山 (奥のピーク)

  

                       カメラを替えて

  

                谷川岳方面(中央屋や右が谷川岳)

 

          カメラを替えて(中央左が谷川岳 その右手が白髪門と朝日岳?)

  

                  雪の文様がおもしろかった                       

                           仙ノ倉山頂上

       

 平標山まで登って帰る人が多かった。仙ノ倉までは近いのにもったいない。下山後、近くの温泉に入り「花の駅 千曲川」へ移動する。明日は、黒姫山。

 タイム:6時50分登山口~9時50分平標山~10時50分仙ノ倉山

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今年の尾瀬 平成5月25年4月~5月

2013年05月18日 | Weblog

 4月25日(木) 

 尾瀬に入るために戸倉に到着。事前の調べで翌26日が鳩待峠への道がオープン。鳩待峠には駐車場があり混雑期以外は一般車も入れる。

 翌26日(金)

 早めにゲート前に移動する。ゲートの前にテントが張ってあった。他に車は見当たらず変な感じだったが間もなく軽が一台やって来てゲート前に止めた。話をすると尾瀬のガイドさんだった。今年の尾瀬の雪解けが早いそうでいつもは残っているスノーブリッジも無くなり至仏山からのスキーも例年のようには滑れないとのこと。10時にゲートが開き、鳩待峠2番乗りしたが天気は良くない。1日目2,500円、2日以降は1,000円の2日分の駐車料金を払う。小雨交じりなのでどうしようかと車の中でグズグズしていたら、スキーヤーやボーダーはお構いなしに至仏山目指してスタートしていく。それではとこちらも準備を始めてスタート。今日は、至仏山で山スキーをやって、明日尾瀬に入ることにした。

 1時間ほど登った頃、雷鳴がとどろきみぞれ交じりの雨。先発隊が慌てて引き返してきた。尾根筋は放電現象があったらしい。ほとんどが適当なところからUターン。自分は、来た道を滑って車まで帰る。朝方会ったガイドさんが、ずぶ濡れになって引き返してきた。何でも雷に追いかけられて命の危険を感じたらしい。その内、濡れそぼったスキーヤーやボーダーたちも帰ってきた。

 天気は良くなりそうにもないし、寒さが身にしむ。温泉まで引き返して、夕方また戻ってこようと思い温泉まで下りたが、鳩待峠でよるを過ごす気がしないので戸倉で車中泊とする。

 27日(土)

 朝から雨。この日尾瀬では雪が積もったらしい。おもしろくないので片品にある大王桜を見物に行く。

 

 

                吹雪の中でも咲く桜は初めて

 

 近くに気持ちの良い温泉があり、湯に入って前後策を考える。結局、尾瀬は後回しにして仙ノ倉山を目指すことにした。

 尾瀬へは、再度、5月6日(月)に入った。至仏山荘で2泊したがやはり天気に恵まれなかった。2泊目の朝、晴れ間がのぞいたので出てみることにした。しかし、間もなく雲に被われて視界不良となる。よっぴ橋まで行ってみようと頑張るが、途中で池糖の中にズボリと落ちた。何せ一面真っ白で何処が道なのかわからない。おまけに雪が緩んでいた。へそくらいまでつかってやっとの事で這い上がった。ズボンを脱いで水を搾りたいのだがふきっ晒しの尾瀬ケ原。ズボンと靴はグショグショで「ちんちんが」凍傷になりそうだった。泣き泣き鳩待峠まで帰り着く。これで、春の尾瀬は終わり。

               天気が良かったのはほんの一時でした

      

                  間もなく視界不良となる

      

 思えば、100名山の燧ヶ岳と至仏山に登ったときも天気は悪かった。相性が悪いのかな?。まあ、また良い日に行くことにしよう。

                                                尾瀬終わり

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良と一茶

2013年05月17日 | Weblog

佐渡から新潟に渡り尾瀬を目指すのだが、途中寄り道をする。弥彦山を見ておきたかったことと良さんと一茶に会ってみたかったから。弥彦山はいい山だが、全くの観光地。歩くことなく頂上に立つことが出来そうです。この山が有名なのは、眺望にあるのだろう。

「 越後平野日本海沿いに連なる、俗に弥彦山脈と呼ばれる山並みの主峰。北は角田山(482m)、南は国上山(313m)に連なる。弥彦山自身も、北に位置する多宝山(634m)との双耳峰である。一連の山と共に佐渡弥彦米山国定公園に指定されている」 ウキペディアより

                       ここまで車が入る

           

                    ご丁寧にケーブルもある

           

 この日は、近くの道の駅に泊まり翌朝良の住んでいた五合庵を訪ねる。

    

           

              「たくほどに かぜがもてくる おちばかな」

      

     

                      良さん

      

   

 良は、子どもの心に仏を見ている。これが彼の悟りの根っこになっている。天気が良ければ托鉢をし、雨が降れば読書三昧。えらい人です。

 五合庵をのぞいた後、一路信州へ。一茶の生家と晩年を暮らした家(土蔵)を訪ねた。

                古い街道と町並み (模型です)

        

                  一茶生家 街道沿いにありました

       

            晩年を過ごした家 生家は火事で焼けたので・・・

       

       

                        黒姫山

       

 良と一茶はほぼ同年代の人。良が5歳ほど年上。お互いの交流は無かったようです。

 どちらも苦労人。

 いよいよ明日から山登りと思っていたが、天気が思わしくない。

 

 

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