山の記憶 (百名山・二百名山・三百名山)

山スキー、その他の山行もあります。

200名山 東北編その1 白神山 森吉山 秋田駒ヶ岳 姫神山

2009年12月13日 | 200名山・300名山

  白神岳、森吉山、秋田駒ヶ岳、姫神山

10月1日(木)、函館より青森へ。連絡船は14時に出航する。青森まで意外に時間を要したが、船の速さとはこんなものだろう。しかし、料金は高かった。青森港からしばし街中を走り、ナビに導かれて青森インターから東北自動車道に乗り、浪岡インターからは国道101号線に入る。鰺ヶ沢に出るまで幾分気を使う。見知らぬ街の夕暮れ時は何かと心細い。

 五所川原を過ぎ、鰺ヶ沢に着く。後は大間街道を海岸沿いに南下すればいい。青森界隈は100名山などの折りに訪れたこともあるが、1,2度では何も分からい。      しかし、この大間街道は海岸沿いの一本道なので幾分記憶に残っている。遅くなったので道の駅「ふかうら」で車中泊とする。ここには風合瀬という美しい名前の海岸がある。「かそせ」と言う。以前通過した折、心に残った名前だ。道の駅は人気もなく静か。

 翌2日(金)、大間街道を南下し、青森から秋田に入る。白神岳登山口駅を目標にして、やっと早朝の白神岳登山口駐車場に着く。この日、天気は曇り。駐車場に車を止めて準備をしていたら、妙な感じの人たちが集まってきた。話を聞くと、地元の案内人グループの研修会だそうな。道理で一般の登山者とは感じが違うはずだ。

 登山口は、駐車場を数分登ったところにある。7時25分スタートする。

 

 日本海が見えます。

 

 避難小屋は頂上のすぐ近く。頂上付近からの写真です。立派なトイレもあります。

 

 10時10分頂上。

 

 立派な避難小屋です。ここに泊まれば素晴らしい朝夕の景色が見えることだろう。

 

 白神岳の頂上から、前には日本海が、そして、後ろには哀しいまでの山また山の白神山地を見ることになる。秋色濃い山道を下る途中、いくつかのパーティに出会う。山自体はどちらかというと楽な方だが、群馬県からやって来たという一団はだいぶ苦しそう。たぶん寝不足のせいだろう。12時40分駐車場まで下山するが、間もなく雨が降る。雨の中、次の山森吉山へ向かう。途中、クマ牧場とマタギの里資料館を見学する。

 東北(秋田)の田園風景。島根とはずいぶん違うのが面白い。

 

 クマ牧場。

 

 エサをもらおうとして様々なジェスチュアーをする。俺にくれと両手をたたいてアピールするクマ。

 

 マタギの里資料館では、マタギについての認識を新たにすることができた。彼らの生態(言葉が悪いか?)について書かれた小説2編が「直木賞」を受賞している。一編は、「黄色い牙/志茂田景樹著」で他の一編は「邂逅の森/熊谷達也著」だ。この資料館でそのうちの一編「邂逅の森」を購入する。とにかく面白いので停めた車の中で読みふけった。クマとの壮絶な戦いは迫力がある。また、彼らは大雪の中でもクマを追って行動する。雪山のノウハウを熟知しているのだ。一読をお勧めします。

 この日は、とりあえず森吉山登山口まで行ってみることにする。こめつが山荘前に登山口があるが、夕暮れ時なのでひっそりと静まりかえり、時折霧が流れる。登山口の確認を終えてから、温泉をざがす。温泉は少し引き返した所にあったが、それは何と駅の中。温泉つきの駅は珍しい。駅前には食堂もあり、ここで夕食を摂る。話し好きのおばさんを相手に酒を飲み、幾分酔っぱらう。駅前の駐車場で車中泊とする。森吉山はかってはスキー客で賑わったそうだが、今はリフトの撤収がおこなわれているとのこと。スキー客の減少やら温暖化も影響しているらしいいが・・・。ただ、阿仁スキー場のゴンドラだけは稼働しているとの情報を得て結局こちらのコースから登ることに決める。

 3日(土)、少し雨っぽい天気だがゴンドラの始発を待って頂上を目指す。頂上へはゴンドラから約1時間。湿原が続きます。ただ、今は花はない。

 

 立派な山小屋。中でパトロールの方が休んでおられた。

 

 頂上の標識が見えてきます。

 

 頂上です。ゴンドラから約1時間。ガスが出て視界悪し。

 

 

 森吉山のご神体。冠岩。

 

 頂上は写真左奧。ガスに煙る。今年の紅葉はあまりパットしなかった?。

 

   ゴンドラ山頂駅。シーズンだけの稼働なのかよく分からないがこの日の土曜日は運行していた。

 

  この日の200名山はハイキングのような感じで終わる。100名山の岩木山でもそうだったが、ゴンドラなどを利用して登った山は何か味気ない。それに、後ろめたさのようなものを後々まで引きずるものだ。しかし、これもしょうがないと割り切るより他はない。そんな思いを残してマタギの山を下り、国道105号線阿仁街道から田沢湖畔に車を回す。まずは、今夜のパーキングを探さなければならない。

 湖畔には、どこでもそうだがパーキングがあり、運が良ければキャンプ場もある。この田沢湖も例外ではなかったのだが、明日のことを考えて秋田駒ヶ岳登山口まで行くことにする。くねくねとしたやや狭いと思える道に入る。これで本当に登山口まで行けるのかと心配。夕暮れ時だからよけいに焦る。対向車でもきたらどうなることかと思いながらも、無事8合目登山口の駐車場に着く。立派な建物があるが人気はない。花の山として有名なこの秋田駒も、シーズンが過ぎると閑散としてなぜかうら悲しい。はっきりしない天気が続くこの頃、夕暮れ時はいつも霧だ。その霧が折からの風にあおられて吹きすぎる。まさに幽界にでも来たかのようだ。今日も車中泊、早めに寝る。

 翌日の8合目駐車場

 

 25日(日)、5時50分登山開始。駐車場には数台の車。昨夜遅くやってきた登山者のものだろう。今日も天気はパッとしない。頂上辺りはガスに覆われて皆目見当がつかない。時折下界が顔をのぞかせる。しっかりした登山道なのでとにかくその道をたどることにする。登山道は山を巻くようにつけられているので歩きやすい。ひと登りすると傾斜は落ちるが相変わらず視界不良。男岳への標識に導かれ頂上へ。

 ガスの合間に車道が見える。

 

 男岳頂上。ここが秋田駒の頂上かと思っていたら・・・。

 

 頂上にある湖。ガスの中、突然姿を現す。まさに幽界をさまよう感じ。下北半島の恐山を思い出させる。

 男女岳(おなめ岳と読むが女目ともある)1637mの頂上。秋田駒ヶ岳には男岳、女岳があり、さらに男女岳がある。下調べをしてなかったので男岳が主峰かと思っていた。湖があることも知らなかった。

 横岳に着いたあたりから視界も良くなり、田沢湖が見える。周囲の山々も幾分見えてきたがよく特定できない。森吉山、岩手山、早池峰山など視界の中にあるはずなのだが。

 写真右手が男女岳、中央やや左に男岳。焼森から写す。花の時期はまさに天上の楽園だろう。

 

 9j時20分駐車場着。この駐車場を出るためには、定期バスの後ろについて出るという規則になっている。そのため、勝手に出ようとしたらしかられた。定期バスがスタートするまでしばし待機する。いずれ、マイカーの乗り入れは禁止となるような気がする。乗鞍や上高地のように・・・。

 秋田駒ヶ岳への車道から解放され、一路盛岡方面に向かう。姫神山が目当てなのだがその前に寄りたいところがある。渋民村にある啄木記念館だ。秋田街道は、盛岡辺りで津軽街道と奥州街道に分かれ、渋民村はこの奥州街道(陸羽街道)にある。渋民村という呼び名は、旧の呼び名かもしれない。地図には渋民としか載っていない。岩手山が姿を現す。100名山だけあってやはり大きな山だ。その点、姫神山はか細い感じがする。

     啄木の 育ちし街にそびえ立つ おおきなる山 富士かとぞ思う

 

 記念館の前の啄木像。教師時代の子供らと。奧が旧小学校と住んでいた家。それぞれ復元したものです。

 

 啄木が使用したオルガン

 

 資料館裏の高台にある歌碑。ここから岩手山がよく見える。

        さわやかな小春日和の 姫神山 薄霞していともやさしき

 

 姫神山と登山口駐車場

 

 

 

 

 頂上からは岩手山がよく見えます。啄木の好きだった山は姫神山か岩手山か?    

 そういえば、岩手山の登山口には宮沢賢治の歌碑があった。それに、なぜか芭蕉の句碑まであったが、これは、俳句研究会の人たちが建てたものらしい。

 姫神山頂上から見る岩手山。

 

 駐車場付近に咲いていた月見草。ちょっと時期はずれなのだが・・・。

 

 これはウメバチソウです。島根県では、船通山で見かけます。

 

 リンドウ。この花も近年少なくなってきました。

 

 姫神山は早く終わった。近くにまだ200名山はあるが里心がついたので帰ることにする。東北自動車道滝沢I.Cから北上Jctまで南下し、秋田自動車道で秋田港に向かう。秋田港からフェりーで帰る予定が、何と出航は隔日とのことで、明日まで待たねばならない。フェリーをあきらめ、日本海沿いをさらに南下道の駅象(きさかた)で車中泊とする。ここで泊まるは3度目か?。海沿いにあり、温泉がある。鳥海山が望める。

 象潟は、芭蕉奧の細道でも有名。

             象潟や 雨に西施が ねぶの花

 海岸に西施の像がありちょっとした観光地になっている。西施とは、古代中国の美女。傾国或いは傾城(けいせい)の美女とされる。その美女を見下ろしながら温泉に浸かり、湯上がりのビールで一人乾杯する。明日は松江に帰れそうだ。

 これで、09年度の200名山は打ち止めとする。次年度2010年は、50山くらいは登りたいと思う。2011年に200名山を終え、その後は、300名山に向かう予定です。

 2010年1月1日は、富士山頂。その後、各地のスキーゲレンデを巡り、チャンスがあれば各地の山々の頂上に立ちたいと思っています。

 よいお正月をお迎えください。

 門松を作ってみました。まあまあのできばえでしょう?口を開けて笑っているような感じがいいですね。コツは竹を斜めに切ること。チェンソーで切りました。

 

 

 

 

 

 

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最近の大山 12月8日です

2009年12月09日 | 最近の大山

 12月8日(火)の大山頂上。晴れ時々ガス。3合目辺りから雪。暖かかったせいかアイゼンは不使用。ゆっくりと登っていい汗をかきました。帰りは米子ハイツの温泉に浸かる。300円也。この温泉は最近3時からでないと入れない。

 

 

 頂上より2の沢を見る。しっかり雪が着けば登れる。

 

 小屋近くにウサギの足跡。ピヨンピヨンとウサちゃんも大山登山か?

 

 ドングリ村から。

 

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200名山北海道編その3

2009年12月06日 | 200名山・300名山

 芦別岳、夕張岳、駒ヶ岳  

 日高山脈の秀峰2山(カムエクとペテガリ)は、事前の情報収集不足のため登れず一路次の山々を目指す。日高山脈に沿って南下する。途中、太平洋を見る。久しぶりに海を見たような気分になるが、同じ海でもなぜか日本海とは受ける感じが違うのはなぜだろう。 この日は移動で一日が過ぎる。やはり北海道は広い。太平洋岸の道の駅「三石」で風呂に入り車中泊。風呂付きの道の駅には大変助かる。ついでにコインランドリーもあれば言うことなしだ。マイカーで長旅をする者は誰でもそう思うだろう。 

 28日(月)芦別岳登山口のキャンプ場に着く。長い移動だったがその間今までには見なかった新しい北海道を見たような気がする。驚かされたのは牧場とそこで育てられている馬だ。広々とした牧場の中で、美しい姿をしたサラブレッドが悠々と育てられている様は一見に値する。田舎道の途中で、元農林大臣中川一郎の墓地標識を見た。こんな所にひっそりと葬られているのかと思うと哀れな感じがした。 

  キャンプ場。無料だが快適です。近くに富良野スキー場が。

 

 29日(火)、7時スタート。天気曇り、幾分風。紅葉の中を登る。

 呻吟坂のプレートが。 

  

 頂上は雲の中に隠れているが稜線のちょっと上の方です。

 

 険しい山、岩峰の多い山だとのイメージはあるがガスのため要領を得ない。登山道(新道)はきちんとしている。

 

 岩尾根のてっぺんが頂上。視界不良のため山の良さを知ることができなかった。

 

 頂上からしばらく降りるといつものように天気が良くなる。中央左手奧に富良野の街が。スキーで何度か訪れた街。まさかこんなに近くだとは思わなかった。富良野スキー場から反対側に十勝岳を見た記憶がある。

 

 芦別岳への道は新旧2つあり、現在では主に新道が利用されている。しかし、これは安全第一のためであり、地元の方々は結構旧道を利用されるようだ。後で聞いたのだが、旧道のユーフレ小屋から覚太郎コースの景色は素晴らしいとのこと。特に、秋の紅葉時分にはぜひ進めたいと、夕張岳で出会った女性の言葉でした。

 この日は、朝7時に登山口をスタートし、11時10分頂上、13時55分キャンプ場着となった。すぐにテントをたたみ、富良野の街を抜けて夕張岳に向かう。芦別岳と夕張岳は同じ山脈に並ぶのだが、登山口が山脈を隔てて反対側にあるので移動も大変。それでもこの日、明るい内に夕張岳登山口の駐車場に着く。森閑とした自然の中で一夜を過ごす。(北海道の方は、ほとんどが日帰りなので朝方に姿を現すことが多い。あたりまえのことだが・・・。)

夕張岳登山道の道路規制。知らないと大変なことだ。運が良かった。1日違いで入れないところでした。

 

  30日(水) 晴れ。6時30分スタート。しばらく行くとすぐに馬の背コースと冷水コースの分岐にぶつかり案内板が設置されている。夕張岳ヒュッテを見ておきたいので馬の背コースを行く。すぐにヒュッテにつく。季節はずれのせいか誰もいない。 

 

 ヒュッテの前から登山道に入る。後はいつものようにひたすら登る。まだ人の姿もないので静かなものだが、クマのことが少々気になる。北海道の山ならどこもそうなのだが、人の姿が無いということはその分だけ原始に近いような気分になる。シーズンには駐車場もないほどの人で賑わうそうだが、そんな雰囲気など思いもよらない程に静まりかえっている。クマに関しては、大雪の縦走時に糞をよく見かけたが、姿を見ることは無かった。他の山ではクマ出没の看板はよく見かけたものの、姿はおろか糞のかけらも見なかった。それでもと思い、クマ避けスプレーは持参していた。もちろん、鈴と笛も。ひとしきり登ると冷水コースとぶつかり、間もなく視界も広がりだして望岳台に達する。途中、シラネアオイの群生地の標示あり。シラネアオイが咲くのは雪解け後の初夏頃から盛夏にかけてだから、今はもう姿形は失せて一面は荒れ野のよう。頭上に迫るのは前岳。芦別岳が見える。前岳を回り込むと、景観が目に飛び込む。これが夕張岳の良さだろう。

 中央奧が昨日登った芦別岳。

 

 頂上はまだ遙か先なのだが、何とも気分のいい登山道が続く。湿地帯に入り、さらに蛇紋岩特有のガレ道を行くようになると頂上は近い。

 雲が掛かるのが頂上付近。

 

 

 頂上直下に神社があり、この前を一息頑張れば頂上。

         

 

10時15分、頂上着。すぐにガスにおおわれ、視界不良。ここ数日頂上での好天に恵まれないのは残念だが登れただけでもよしとしなければいけない。

 頂上よりの景観。中央辺りが前岳。まだ晴れていた。この後ガスが。

 

 下山途中で何人かの登山者とすれ違う。ここも人気の山なのだ。帽子にたくさんの登頂記念バッジ(私の方が断然多いけれど)を付けた女性としばしお話。昨日登った芦別岳のことを聞かれた。この時期は、新道よりも旧道の方が遙かに素晴らしいとのこと。自分たちはいつも旧道から登りますとのことだった。なんだか損をしたような気になったものだ。13時15分、駐車場に帰り着く。

 すぐに夕張市へ移動する。途中閉校となった学校の前を通り過ぎる。財政難のせいなのだろう。「さようなら○○小学校」の文字が痛々しい。案内書にあったユーパロの湯で汗を流す。前の広場に大煙突が。

 

 

 

 すぐ近くに映画「幸福の黄色いハンカチ」のロケ地があるというので行ってみる。それは、ちっとした高台にひっそりと残っていた。財政破綻の折、撤去の話が出たそうだが・・・。

 

 ロケに使われた建物(当時の炭鉱労働者の住宅か?)がそのまま記念館となって残されている。中に高倉健と倍賞智恵子のマネキン人形がいる。黄色い紙にはフアンの言葉が記されている。

 

 

 

 懐かしい映画です。

 

 この日は高速のPAに泊まり、翌1日駒ヶ岳を目指すことにする。またまた長い移動となる。

 10月1日、太平洋岸沿いに車を走らす。この道を行くのも2度目となる。たぶんもう一度は通ることになるだろう。駒ヶ岳は見る方向によって山の形が大きく異なる。普通写真で見るこの山は、親指を立てたような形である。しかし、長万部方面から見るこの山は、駒ヶ岳1131mと砂原山1113mを対にして見ることになるからその二つの頂を結ぶ稜線が美しく特徴的である。しかし、どちらから見るにしても秀麗という言葉が似合いそうだ。ただ残念なのは、登山規制があること。

  

 

 大沼からの駒ヶ岳

 規制にあるとおり、一人での登山はできない。いつかチャンスが訪れたら登れることもあるだろう。私の200名山は、この後、津軽海峡を渡り東北編となる。それは、白神岳、森吉山、姫上山である。

 09年の北海道はこれで終わった。来年2010年は早めに北海道に渡り、残雪と花々を堪能したいと思う。もちろん、今回登り残した200名山カムエクとペテガリ、それに300名山も。

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200名山北海道編その2

2009年12月05日 | 200名山・300名山

 天塩岳、石狩岳、 

 22日(火)、道の駅サンフラワーで朝を迎える。昨夜、雨が降ったらしい。ナビに導かれて手塩岳に向かうが、洗濯物もたまったので旭川のコインランドリーに入る。 北海道に来て、第一回目の洗濯だ。午後4時、天塩岳登山口着。立派な山小屋があるが無人。中はきれいに整頓され、たき火もできる。人のいない山小屋はあまり良い感じがしないので、やはり車に寝ることにする。小屋にランプでもあればいいのだが、夜は真っ暗闇となるのでいやなのだ。この点、テントの方がまだましだ。      

 古い話になるが、かって、大山(鳥取県)元谷に古い山小屋があった。今ある小屋は新しくできたものだが、かってはもう少し下手の宝珠尾根側にあった。若い頃の山はいつも大山だったのでこの小屋はよく知ってはいたが、あまり泊まる気にはならなかった。何か独特の、山小屋の隠された迫力のようなものを感じていたからだ。 ある日、なぜかこの小屋に泊まることとなった。夜遅く友人と2人で元谷に入った。ちょうどお盆だった。二間あったように記憶している。造りは頑丈だったが無人小屋なので明かりなどありはしない。日が暮れれば、その時点で真っ暗闇。ちょうど、滝谷出合いの小屋に似ている。 この小屋については、色々な話があった。しかし、そんなことは誰か山の先人たちの造り話と気にはしていなかった。夜は深々と更け、物音一つ無い。しかし、なぜか寝付けずただただ悶々としていた。目は、明けても閉じても見えるものは同じ闇だけ。ただ、時折、かすかに物音が聞こえる。それは、動物の歩く足音なのだろうか。ポキ、ポキ小枝を踏みしくような音だ。色々な妄想が頭をよぎる。すぐ隣に寝ているはずの友人は、本当にいるのだろうか。寝息もない、寝返りも打たない。もしかしたら死んでいるのではないだろうか。などとあらぬ事ばかりが頭をよぎる。 意を決して声をかけると、すぐに返事があった。「トイレに行こう」と誘いヘッドランプの明かりを頼りに外に出る。当然、小屋の中にもトイレはあるのだが、あまり使うことはなかった。 外はブナの林。ヘッドランプの明かりに、巨大なブナの木が魔物のような影を付けて無言で立っている。早々にすませ寝床に潜り込む。 朝、人の声で目が覚める。何で騒いでいるのかなと思った。出て見るに、朝早い登山者が、首つりを見つけたのだ。そう、小屋のすぐ前でぶら下がっている。昨夜小便をしたあのブナの木で。 どうもそれ以来、山小屋は怖いところだというイメージが心の奥底にできているらしい。 

 写真後ろに山小屋が。素晴らしい小屋ですよ。

 

 23日(水)、5時30分歩き始める。5時は暗いのだが、5時30分ともなると明るくなる。しばらくは沢の流れに沿って進む。この流れは、天塩川源流のそれらしい。古くは、この沢をつめて頂上に達したようだが、今は新しい道が開かれていて旧道分岐から前天塩岳に登ることができる。ただ、標高700mの登りだ。 幾分紅葉の始まった山道をひたすら登る。7時50分、前天塩岳頂上。

 

白く枯れ果てたハイ松が痛々しい。眺望抜群の頂上なのだが、遠山には雲がかかり幾分残念。近くの山々に始まりつつある紅葉を楽しみながら尾根を歩く。9時05分天塩岳頂上に立つ。

 

ここから見る前手塩岳の紅葉は美しい。ゴゼンタチバナの草紅葉も期待していたのだが、時期が悪いのか知らないがこれというものにはぶつからなかった。

 頂上より。右下に避難小屋が見える。 

 

意外に早い頂上だったが、余裕を持ってブラブラ下る。立派な避難小屋があったが水場はないようだ。まあ、あまり贅沢は言えまい。これくらいの距離なら担いで登ればすむことだろう。丸山というなだらかな山から別れを惜しみ下山する。 11時55分、愛車にたどり着く。今朝は見なかった車が数台停めてある。やはり人気の山なのだろう。 午後より青空が広がり始めたのは少し残念だが、次の山に期待を託して車を走らす。目指すは、石狩岳。

 24日(木)、昨晩は層雲峡駐車場で車中泊する。無料駐車場なので気分が良い。観光客でごった返してはいたが、温泉にも入れたし、気分のいい食堂で食事もできゆったりとした時間を過ごせた。層雲峡は、大雪山へのもう一つの登山口だが、旭日温泉側より観光客は多い。ここからもロープウエイが出ていて、黒岳までは短時間で行ける。 さらに、銀泉台へのバスも出ている。大雪山に詳しい人は、バスで銀泉台まで行き、白雲岳~北海岳~黒岳とつないぎ、最後はロープウエイで層雲峡に帰るコースを取るらしい。銀泉台から白雲岳まで意外に早いと白雲荘の小屋番に聞いた。 この日は、観光で時間をつぶし、夕刻石狩岳登山口に移動し車中泊とする。

 石狩岳、ニペソツ山への道路標識。両山の登山口はここを入って間もなく分かれる。  

 

 25日(金)、5時30分スタート。風弱く曇り。沢音を聞きながら歩く。道ははっきりとしているのでまず迷うことはないが、ここは北海道。ヒグマは怖い。笛を吹いたり、声を出しながら歩く。小さな沢を渡るといよいよシュナイダーコースの始まり。

 

外人さんの名前を付けた登山道は珍しい。それだけ特徴(急登)のある道だということか? しかし、この程度の登りなら、全国各地ざらにあるからそう気にしないでいい(?)。問題は天気だ。8時10分尾根分岐に立つ。

 シュナイダーコースと石狩岳との分岐

 

シュナイダーもクリアーしたのでホッとしたのだが、一面のガス。頂上など見えはしない。よくあることだとあきらめながら尾根道を進む。9時45分、石狩岳頂上。

 狭い頂上です。

 

 相変わらず何も見えない。  石狩岳から沼ノ原を経由して化雲岳~天人峡へのルート、または、化雲岳~ひさご沼~トムラウシへのルートがあり、思うにこれらのコースは、楽園中の楽園を堪能できる北海道ならではの超贅沢なものらしい。花の時期、紅葉の時期はどんなだろうかと思っただけで胸が高鳴る。 そんなことを考えていたら、一瞬ガスが切れて、視界が広がる。今登ってきた尾根道が見渡せる。見ると、シュナイダーコース分岐近くにテントが。登山者もポツリポツリと見える。写真を撮り下山とする。

  中央下辺りの黄色いテント。その手前がシュナイダーコース分岐。後ろの山は音更山、ユニ石狩岳か?

 

 途中、数名の登山者と出会う。みな地元の方らしい。シュナイダーコースへ下る道を間違えたりしたが、徐々にガスも消え、下山とともに天気は良くなっていく。

 シュナイダー分岐から頂上が見えた。下山と共に天気は良くなる?

 

 樹林の合間からニペソツ山が姿を現す。明日はニペソツ山だが、天気はどうだろう。 

 

12時15分、無事下山。ますます天気は良くなる。このパターンは昨日と同じだ。意外と早い下山なので、近くをうろついてみる。石狩岳登山口横の車道を山手にしばらく進むと温泉がある。しかし、車は途中までしか入れない。道が流れで分断されているからだ。ライダーの男性が2名、クツを脱いで渡ろうとしていた。秘湯に浸かろうというのだ。私の車を見て、「その車ならこの川を渡れそうだ」という。水量もそう多くないから渡って渡れないことはないが、何かあったらいやだから引き返す。秘湯はいくらでもある。 すぐ近くに幌加温泉があるのでそちらへ行ってみる。この温泉も秘湯といえば秘湯だろう。宿の前まで車が入る。本当にひなびた温泉で、商売気のなさそうなばあさんが客と何か話していた。かってはニペソツ山への登山口として賑わったらしいが今はあまり利用されていないらしい。 秘湯には余り興味がないので、糠平温泉まで移動しホテルの温泉に浸かる。近くに資料館などあり見学する。夜は、国道273号線幌加の駐車場で車中泊。翌朝早めにニペソツ十六の沢登山口に移動する。 

 26日(土)、5時40分スタート。今日は少々歩く覚悟で出発する。なにせ、北海道では、「ニペソツ山に登らなければ北海道の山に登ったとはいえない」と言うそうだが、昨年、トムラウシ山に登った折、遙かにニペソツ山を見ながらこの話を聞いた。 気合いが入っているせいか調子よく高度を稼ぐ。結局この頂上に着いたのが10時で、下山下のが14時10分だから休み時間も入れて8時間30分掛かったことになる。一般に北海道の山はおおらかな感じの山が多いのだが、その中でもこのニペソツ山やトムラウシ山などは、幾分趣が違う。ただ、険しさにおいては北アルプスの方が遙かに勝るのだが・・。 8時40分、いよいよニペソツ山が姿を現す。その後、一度姿を消し再び現れ出すとと頂上は近い。天気は良いが、風は寒く、鼻水をすすりながらひたすら頂上を目指す。人気の山だけあって、前後に人の姿を見ることが多い。10時に頂上に立つ。昨日登った石狩岳はもう目に前。表大雪は雲がかかり見えないのは残念。 頂上は狭く、すぐ足下から断崖絶壁となって崩れ落ちているので結構迫力がある。頂上での憩いを堪能した後、下山とする。久しぶりに山らしい山に登った気分になった。途中何度か腰を下ろして休んだ。 これで大雪山系の200名山は終わり、明日から日高山脈の山々を目指すことになる。帯広市近くの道の駅「しほろ温泉」で汗を流し、ここで車中泊とする。 

        ニペソツ山 ここから頂上までは意外に早かった

 

  登って来た道を振りかえると・・・。

 

                                                           27日(日)、今日はカムイエクウチカウシ山の登山口までとする。カムイエクウチカウシ山、通称カムエクである。かって福岡大学の学生3名がクマに襲われ命を奪われた山としても有名。日高山脈には100名山では幌尻岳、200名山ではこのカムエクとペテガリ岳があるが、なぜか200名山の方が何かと面倒。原因は、登山口までの足。その時期時期の新しい情報を入手しておかないと大変なことになる。 カムエクについては、例えば登山口までの道路事情が以前とは異なっていることなどだ。ペテガリ岳にしても同じようなことがいえる。この日は、とにかく車で入れるところまで行くことにする。

 

帯広市から、中札内村に入り札内川に沿ってさかのぼるのだが、途中、「幸福駅」とか花畑牧場(田中義剛氏の経営で有名)などがある。コインランドリーもあったので2度目の洗濯をする。 日高山脈山岳センターに立ち寄る。山に関して何か情報でも得られるかと期待したのだが、担当の係員が不在なため断念。川沿いは改修工事が進んでいるらしい。 改修間もないような道路を走り、トンネルを抜けると間もなくバリケードで行き止まりとなる。車が数台停めてあるのは登山者のものだろうか。ここは釣り師も多いようだ。 カムエクへは、ここから歩き始めることとなるが、以前はもっと奧まで車が入ったようだ。その証拠に、道はまだ奧へと続いている。ただ、これより先へは落石が多く、入れませんとのこと。 少し引き返すと、札内ヒュッテという山小屋が道路脇にある。無人小屋だが、立派なものだ。小屋に置いてあった雑記長に、この小屋を朝早く出発し、カムエクに登ってその日の内にここまで帰ったとあった。ただし、文章の端々から、かなりの困難が予想され、かなりの体力が必要と思われた。普通一泊か、2泊のコースで、徒渉がある。さらに、よくクマが出没する場所でもあるらしい。 結局、今回はカムエクとペテガリ岳への登山はやめることにした。ペテガリへの登山口は分からずじまいだった。来年、300名山と合わせてゆっくり登ることにする。  

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