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山の記憶 (百名山・二百名山・三百名山)

山スキー、その他の山行もあります。

線の記

2021年02月26日 | 山の本紹介

点の記は新田次郎。線の記は?

 隣のおじさんに借りました。剱岳に最初に登頂した人は誰か?。長年にわたって調べた結果分かったことの記録です。

剱岳を登る人は多い。岩の殿堂とも言われ山になれない人に取っては難所でしょう。点の記では、最初に登った人は、長治郎雪渓からのように書いているが、線の記では、早月尾根だ。

 どちらが正しいか、多分、線の記を読む限り早月尾根だろう。しかし、本当のことは分からないのではないかと思う。

これは、単なる想像ではなくて実際に剱に登った体験、感覚からそう思う。早月尾根は、かなり以前(平安時代頃)には山伏たちによって登られていたようだ。「点の記」も「線の記」も、現在の一般ルートから頂上を目指すコースを「無理だ」として除外している。本当に無理なのかは自分自身が登ってみなければ分からない。

              

 現在、剱沢を起点として多くの人が登っているこのコース。お盆休みなどには、お祭り騒ぎで難所では順番待ちも甚だしい。そのため、かなり以前から安全対策を兼ねて登攀ルートの整備がなされている。確かに、今では誰でも(?)登れるようになってきた。しかし、昔はどうか?本当に手も足も出ない岩壁だったのだろうか?

 全くの素人は別にして、いくらか山の岩をよじた経験のある者なら鎖や、ハーケンなどに頼らなくてもあのコースは登れると思う。それだけホールド、スタンスがあるからだ。

 自分の経験を少しお話しします。

 もうかなり以前、剱に最初に登った時のこと。一般ルートで剱沢に入り、いわゆる「カニのたてばい」までいきました。話には聞いていたけど、やはり登るのには順番待ちです。かなりの人数で混雑模様。しばらく眺めていたが、ふと左手斜面を見ると登れそうな岩壁があります。それで、ガレ場を少し詰めてその岩にとりつきました。後で思えば無謀な行為です。しかし、特に困難な箇所はなくていわゆる「カニの横ばい」のすぐ右手にたどり着きました。そこから頂上はすぐです。

 自分は、一応岩の経験はあるけどこの新ルート(?)はさほど困難なものではなかった。(今は登れるかどうか自信がない・・・ 

 言いたいことは、山伏と呼ばれる人たちは、様々な修練を重ねておられるようです。その中の修練に危険な岩壁を登ったりすることもあったと思う。危険な岸壁の洞に、仏様が安置されているのを見かけたことがあります。こんな危険な所に良くもまあ・・・。感心させられたことがありますが、山伏と呼ばれる人たちは危険な行為を(・・・修行)通して心身を鍛えていたようです。

 そんなことを思うと、剱の岩(カニのたてばい)など何でも無いのではなかろうかとつい思ったりします。

「線の記」はよく調べられた良書です。作者(筆者)の地道な検証の結果、古い時代には、山伏たちは早月尾根から剱の頂上を目指していたことが示されます。奈良・平安時代には、仏経の影響は大きくて、山伏と呼ばれる修験者たちにも影響を及ぼしていきます。仏経の法具・宝具、仏像などを、あの遙か彼方にそびえる頂上に置いてみたいと思うのは至極当たり前のことだったかもしれません。だた、その行為には絶えず「生と死」ギリギリの場が待っていたことでしょうが・・・。

 「点の記」は、作家により書かれた作品。作家とは、どうしても空想力を働かせて、面白く作り上げなければいけないという使命があります。「線の記」の作者は、作家ではあるけれど、歴史的な事実を調べ上げて実証的に物事を積み重ねていくタイプ。どちらも面白いです。 山に関心のある方は、是非一読を。 


大山頂上からスキー

2021年02月26日 | ちょっとそこまで

2月25日    

 今日は大山頂上からスキー。「素晴らしい天気に恵まれて快調に頂上まで」と言いたいところだが、3時間ほどかかった。ただ、夕べあまり酒を飲まなかったので体調は良かった。

            五号目付近 風もなく穏やか。ブナ林も根開けが始まっている。

                

                  6合目の避難小屋が見えてきました

              

 6合目でアイゼンを着ける。頂上からのスキーは、少し雪が緩んでからのほうがいい。朝早い時間帯では、雪面がガリガリしていて滑るのに面白くない。その日の状況にもよるが、放射冷却がおきた日は昼を過ぎてからがいいようです。ただ、滑るコースにもよるから登りながら雪面の様子を確かめることが大切です。

 

        8合沢にスキーヤーとボーダーがいた。       スキーヤーのほうが先にすべるが・・・。

             

 8合沢は、頂上からのコースでは一番ダイナミックなコース。その分危険性もある。スキーヤーが先にスタートしたが最初のターンを失敗して転倒。大分流されていた。心配したが体は大丈夫だったようです。

 それを見ていたボーダーは、びびったのか一向にスタートしないので見物は諦めて頂上に向かう。このコースでは、かなり前のことだが死傷者が出ている。転倒して流されて立木に激突したらしい。ヘリコプターがブンブン騒いでいた。あのとき自分は縦走して元谷に降りたが、そこで救助に向かった人を見かけた。

                       アイゼンを着ける

                 

                    9合目付近 頂上小屋が見えてきた。

             

             縦走路                   弥山沢方向 

               

ちょうどお昼に頂上着。ジュースとおにぎりで軽く昼食を済ませ、雪の状態を確かめるために一滑り。ゼロ沢方向に滑り板を担いで登り返す。あまりきついので練習はこれで終了。

                    ここを滑る 遙か島根半島と日本海(右)

         

 この日は、桝水側(夏道登山道側 いわゆる新ズリ)に滑った。途中、雪が切れていて大変な目に遭ったがなんとか滑り降りた。部分的には面白かったけど南斜面は雪解けは早いから要注意。

                         雪の中の地蔵さん

                     

 最後は道路を歩いて駐車場まで。静かな静かな林の中を滑るのはいいものです。誰かが滑った跡があった。かなり上級者のようでした。(自分よりも・・・。

 急斜面に滑り込むのにためらいが出てきたようです。多分年のせいかもしれない。そんなことを思いながら帰った。

      

  


四国八十八ヶ所札所めぐりを振り返って(その4)

2021年02月15日 | ちょっとそこまで

四国八十八ヶ所札所36番札所に青龍寺(高知県)があります。

このお寺の名前青龍寺は、空海が中国に渡って学んだお寺の名前です。その折の師が恵果。恵果は、当時中国密教の頂点に立っていたお坊さんです。空海と恵果の出会いの実情はよく分かりませんが、恵果は空海の到着をひそかに待っていたようです。

 恵果は、空海との初めての出会いにおいて「待っていました」と言ったとか・・・? 日本を出る前の空海は、日本ではまだまだ無名に近い存在で、中国行きの学僧に選ばれただけでも不思議なくらい・・・。よほどのパトロン(お金を出す人)がついていなければ行けなかったようです。同じ学僧に最澄がいますが、この方は当時の天皇から信頼もされ、大いに期待を寄せられて出航されたようです。

 最澄が天皇から期待されていたのは、理由があります。当時、仏教は聖徳太子以来国の教えとなっていて仏教を行う僧侶たちは、今で言う最上級の国家公務員でした。しかし、仏教の興隆とともに寺院・僧侶の力が増し結果として堕落も始まっていたようです。

 ここで、本当の仏教とは何か、天皇は最澄に期待したのが日本の仏教の改革です。それなのになぜ無名だった空海が一躍中国において有名になったのか。ここの辺りから、空海という人物の凄さが感じられます。

 当時の船は、海が荒れるとまともな航海ができず、無事に目指す港に句着くには運も幾分作用していたようです。鑑真和上のお話は有名ですね。

 空海や最澄の船も嵐に遇い名も知れぬ(?)港に着きどうしたものかと大いに迷い、困っていたようです。そこで、空海は当時の天皇に手紙をしたためます。

 一筆啓上ではありせんが、字体、文面の素晴らしさ、凄さにトギモを抜かれた役人は、すぐに天皇に届けました。このおかげで、一行は天皇のお墨付きをもらい中国において自由に希望通りの行動が許されることになります。

 問題は、なぜまだ若くて無名の空海が、それほどまでに中国の言葉を自由に使い、素晴らしい文と筆を駆使できたかということです。空海が中国に行くことになる数年前、彼の行動はよく分かっていません。以前彼は、官僚を目指し今で言う「大学」に入っていますが、なぜか1年もせずに中退しています。そして、自然の中で修行を始めたようで、和歌山から奈良そして四国山地の山や海辺を歩いています。

 不思議なのは、中国の文字や言葉、書や文章の工夫などいつどこでどのようにして身につけていったのか?天才といわれるゆえんがこの辺りにあるようです。この辺りが、釈迦と似たところを感じますが、とにかくよく分かりません。

 空海は、修行の結果として超能力を身につけたと言われています。その修行に虚空蔵求聞事法があると言われています。この法をマスターすれば、無限の記憶力を得ると考えられています。

 虚空とは、この宇宙のこと。蔵とは倉(物を入れるところ)。虚空蔵菩薩とは、無限の物を入れられる(入れている)能力を持つ菩薩さんのことです。この菩薩の真言を100万回称えると超記憶力が得られるとされています。

      真言は、ノウボウアキャシャ キャラバヤオン アリキャ マリボリ ソワカです。 

               室戸岬にある御厨人窟(みくろど) 24番最御崎寺が近い

                 

 

 

 


大山スキー日和 R3/2/11~12

2021年02月12日 | ちょっとそこまで

 久しぶりに岳友と大山へ。旅館泊まりでゆっくりとした大山。

11日、昼からドングリ村で落ち合いとやま旅館へ。車を置いて今日はゲレンデスキーを楽しむ。

                中ノ原スキー場のてっぺんより。

             

 2時間ほど滑り帰る。たまには、旅館泊まりもいい。ゆっくり風呂に入り一杯。夕食でまた一杯。部屋に引き上げてまた一杯。就寝は10時過ぎになった。

 翌朝、夏道から頂上を目指すが、自分は所用のため途中から7合沢に入り早めに帰る。

                       5合目付近 

        

      

         7合目付近 自分はここから左の沢(7合沢)に滑り込む。妹尾さんは頂上へ。

             

        元谷小屋まで滑り込み、林道を通り車まで帰る。途中、8合沢を滑るスキーヤーを見る。

               

        北壁全景 夏道からの登山者は多かったが、様々なルートから頂上を目指す山男たちがいた。

         

 いい日和で頂上から滑りたかったけど、歯科医の予約があって2時までには帰らないといけなかった。大変残念です。

 またの機会に・・・。

 


今日は日曜日なのだ それで大山頂上からスキーと思ったが

2021年02月07日 | ちょっとそこまで

大山登山が今これほどまで人気になっているとは知らなかった。

2月6日(土)夕刻、南光河原駐車場に入る。この時点では誰もいない。一杯飲みながら夕食を終えていつものように車中泊。

シラフに入って寝る。朝方3時頃トイレ。この頃から車が入りだしたようです。7時前にはもう満杯状態、長らくこの駐車場を利用しているが、こんなことはかって経験したことは無い。

 そう広くない駐車場だから仕方が無いのだが・・・。

夕べは、少し飲み過ぎた。3時にトイレに行ったとき、ふと登山用具の忘れ物に気づき登山を諦めてシラフに入った。7時頃、駐車場を出て我が家に帰る。(駐車場代金は、千円取られた。)

帰り道、いろいろ考えたことがある。

 一つは、大山登山・スキーの異常な賑わいのこと。多分コロナの関係で暇な人がここに集まるからだろうか。大山のスキー場は営業を停止したゲレンデもあるけど、今年は客が多い。また、登山者に関しては、かなり以前から増加傾向にあったけど、今年はとみに多い。

 それで、コロナと山頂小屋のことが気になった。コロナにかかっていても症状の出ない人が山頂小屋に入ったらどういうことになるのだろう。あそこでマスクをしている人は見かけない。確か頂上小屋にもマスク着用の注意はあったように思うけど・・・。

 山陰地方のコロナはあまりひどくないから、県外の人が沢山やってくるようです。いいことなのかどうかよく分からない。それで思った。ひまな者は、土曜日、日曜日には大山にはいかない。平日の静かな山を登り、滑ればいいと。

 我が家に帰り、炬燵にあたり朝から飲みながらこのブログを・・・。

 

         

 もう一つ思ったことは、あまり高価な酒は飲まないこと。なぜかというとうまいからつい余計飲む。これは食べ物全体についてもいえる。健康でいたければ、うまいものはあまり食さないこと。うまければ余計に食べるということもあるが、「おいしいものは、基本的に体に悪い。」 最近特にそう思う。

 

 


四国八十八ヶ所札所めぐりを振り返って(その3) 

2021年02月04日 | ちょっとそこまで

各お寺さんのご本尊は、お寺によって違う。同じ宗派なのだからご本尊も同じでなけねばいけないような気がします。確かに弘法大師は、真言宗のお寺には必ずおられる。しかし、ご本尊となるとそれぞれ異なるのは気になる。

 いっそ仏教だから、お釈迦様をご本尊にすれば良さそうにおもうのだが・・・・。真言宗では、お釈迦様は釈迦如来として祀られているが、意外と少ない。真言密教では、ご本尊は大日如来ということになっていて、釈迦は大日如来が地上に姿を現したもの、いわゆる化身という考え方のようです。

 釈迦の教えは、数百年後大きく二つの潮流となり、一つの流れが中国経由で日本にやってきたいわゆる大乗仏教。この教えは、表面的には釈迦の教えを基本としてはいるが、実際は違う。仏教学者の中村元さんは、その著書の中で、このことを指摘しておられます。大乗仏教、特に真言宗は仏教ではあるが釈迦仏教にあらず、異質のものであるとする考え方を時々目にすることがあります。インドで誕生した仏教は、現在インドでは廃れてしまい、仏教以前の過去の教えであったバラモン教に先祖帰りした感があります。密教の儀式は、バラモン教の儀式とよく似ているようです。

 バラモン教では、ブラフマンという絶対的な存在(神?)があり、人が誕生するときにこのブラフマンの一部(アートマン)が体に宿り、死ぬとまた元のブラフマンに帰ると信じられています。釈迦が否定したのは、この構図、構造、その実態的なものなどでそれが仏教という宗教となったという経緯があります。

 現在のインドの多くの人々は、死ねばまた元いた場所に帰れる(帰りたい)と信じているとある本で読んだ記憶があります。生まれ変わりの思想も、こんな考え方の中から生まれてくるようです。

 日本でも似たような考え方の宗教がある。それは、浄土系の教えだけれど、この教えは、「死ねば阿弥陀様の元にいける、いわゆる往生して仏となれる」という信仰だ。浄土系の信者は、日本で一番多いとされているから、考えようによっては日本もインドもそう違わない。

 昨日4日、初めて中村元記念館にいった。同じ島根県にいながらいくことがなかった。場所は八束町で、いわゆる大根島の支所の2階にある。静かな環境で落ち着いた感じがする。一見図書館のようだが、本の貸し出しはないかわりに読書室がある。

 職員(?)の方が2名でおられたが、客は一人もいなかった。さすがに仏経関係の資料・書籍は多く圧倒された。今後しばらく通うことになるかもしれない。

 

                                                 (その3)

 

                   


四国八十八ヶ所札所めぐりを振り返って(その2)

2021年02月02日 | ちょっとそこまで

四国八十八ヶ所札所めぐりは、本来なら「歩き遍路」です。現在、歩き遍路をされる方は少ないように思う。

 歩き遍路にも、二通りある。宿舎利用とテント利用。若者は大体ザックを背に巡っているが、彼らが泊まるのは何処だろう。テント泊まりならたいしたものです。お年寄りや女性のかたは宿舎利用のようです。

 宿舎利用なら、自分もできそうだけれど結構「金」はかかりそう。歩き遍路は、大体40日~50日はかかるようで、1日1泊1万円としてもそれ相応のお金が必要。その他いろいろな必要経費もあることだろうから100万位は用意しておかないといけないだろうか?

 自分が今後四国八十八ヶ所札所めぐりを歩きでやるなら、多分宿舎利用とテント利用になりそうです。重いザックを担ぐのは大変だから、ザックは軽くして「引っ張り」を利用する。「引っ張り」とは、昔風に言えば「リヤカー」のことで、今風に言えば「キャリアー」だ。(アウトドアー用の自転車利用もある)

 最近、上高地から横尾にはいるのキャリアーを利用しています。横尾から穂高や槍に入るときは、横尾のキャンプ場に要らない物はデポしておき、ここからは担いで登ります。このやり方だと、体力的にかなり楽です。上高地~横尾間は多少の登り下りと、デコボコ道もあるけど、すべての荷を担ぐことに比べれば楽。10㎏担ぎ、20㎏引っ張りブラブラ歩く。

 他の登山者は、妙な顔をして見ますが、横尾までならこの方法が正解でしょう。自転車が入ればもっといいけど、自転車の進入は小梨平キャンプ場の手前ぐらいまでです。(シーズン外は分かりませんが・・・) 

 さて、話を四国八十八ヶ所札所(お寺)に戻します。八十八ヶ寺それぞれには、それぞれのお寺の歴史や由緒に関するご本尊がおられます。真言宗では、ご本尊は大日如来ですが、八十八ヶ寺で大日如来を祀っているのは6寺のみです。ただし、弘法大師さんは、どの寺にも祀ってあります。

 八十八ヶ寺で祀るご本尊の累計は以下の通り。

   観世音菩薩 29寺  薬師如来 24寺  阿弥陀如来 9寺  大日如来 6寺  釈迦如来 5寺

   地蔵菩薩 5寺  虚空蔵菩薩 3寺  不動明王 3寺  大通知勝如来 1寺  毘沙門天 1寺

   弥勒菩薩 1寺

   そして、阿弥陀如来 観世音菩薩 不動明王 薬師如来 地蔵菩薩の5仏を祀るお寺さん(37番岩本寺)がある。

                         37番 岩本寺

                                               

                                                   (その2)