点の記は新田次郎。線の記は?
隣のおじさんに借りました。剱岳に最初に登頂した人は誰か?。長年にわたって調べた結果分かったことの記録です。
剱岳を登る人は多い。岩の殿堂とも言われ山になれない人に取っては難所でしょう。点の記では、最初に登った人は、長治郎雪渓からのように書いているが、線の記では、早月尾根だ。
どちらが正しいか、多分、線の記を読む限り早月尾根だろう。しかし、本当のことは分からないのではないかと思う。
これは、単なる想像ではなくて実際に剱に登った体験、感覚からそう思う。早月尾根は、かなり以前(平安時代頃)には山伏たちによって登られていたようだ。「点の記」も「線の記」も、現在の一般ルートから頂上を目指すコースを「無理だ」として除外している。本当に無理なのかは自分自身が登ってみなければ分からない。
現在、剱沢を起点として多くの人が登っているこのコース。お盆休みなどには、お祭り騒ぎで難所では順番待ちも甚だしい。そのため、かなり以前から安全対策を兼ねて登攀ルートの整備がなされている。確かに、今では誰でも(?)登れるようになってきた。しかし、昔はどうか?本当に手も足も出ない岩壁だったのだろうか?
全くの素人は別にして、いくらか山の岩をよじた経験のある者なら鎖や、ハーケンなどに頼らなくてもあのコースは登れると思う。それだけホールド、スタンスがあるからだ。
自分の経験を少しお話しします。
もうかなり以前、剱に最初に登った時のこと。一般ルートで剱沢に入り、いわゆる「カニのたてばい」までいきました。話には聞いていたけど、やはり登るのには順番待ちです。かなりの人数で混雑模様。しばらく眺めていたが、ふと左手斜面を見ると登れそうな岩壁があります。それで、ガレ場を少し詰めてその岩にとりつきました。後で思えば無謀な行為です。しかし、特に困難な箇所はなくていわゆる「カニの横ばい」のすぐ右手にたどり着きました。そこから頂上はすぐです。
自分は、一応岩の経験はあるけどこの新ルート(?)はさほど困難なものではなかった。(今は登れるかどうか自信がない・・・ )
言いたいことは、山伏と呼ばれる人たちは、様々な修練を重ねておられるようです。その中の修練に危険な岩壁を登ったりすることもあったと思う。危険な岸壁の洞に、仏様が安置されているのを見かけたことがあります。こんな危険な所に良くもまあ・・・。感心させられたことがありますが、山伏と呼ばれる人たちは危険な行為を(・・・修行)通して心身を鍛えていたようです。
そんなことを思うと、剱の岩(カニのたてばい)など何でも無いのではなかろうかとつい思ったりします。
「線の記」はよく調べられた良書です。作者(筆者)の地道な検証の結果、古い時代には、山伏たちは早月尾根から剱の頂上を目指していたことが示されます。奈良・平安時代には、仏経の影響は大きくて、山伏と呼ばれる修験者たちにも影響を及ぼしていきます。仏経の法具・宝具、仏像などを、あの遙か彼方にそびえる頂上に置いてみたいと思うのは至極当たり前のことだったかもしれません。だた、その行為には絶えず「生と死」ギリギリの場が待っていたことでしょうが・・・。
「点の記」は、作家により書かれた作品。作家とは、どうしても空想力を働かせて、面白く作り上げなければいけないという使命があります。「線の記」の作者は、作家ではあるけれど、歴史的な事実を調べ上げて実証的に物事を積み重ねていくタイプ。どちらも面白いです。 山に関心のある方は、是非一読を。