山の記憶 (百名山・二百名山・三百名山)

山スキー、その他の山行もあります。

野麦峠

2017年10月12日 | ぶらり

                               

10月3日(月)

 涸沢から上高地~沢渡まで帰り、山小屋旅館ともしびへ。横尾のテントを撤収しキャリーに多量に残った食料などを積む。天気さえ続けば蝶ヶ岳へも登りたかったがどうもしばらく天気は下降気味。サッサと下山。

 上高地の小梨平キャンプ場で一休み。正月にテントを張ったあたりには、やはりテントが張ってあった。

               昨夜の大雨は嘘のよう                         流木

                 

 近くに、毎年半年あまりテントを張り絵を描いておられ方がおられるのでのぞいて見た。45年近くもここで絵を描いておられて、有名人となっている。映画俳優の「竹下景子」さんも訪れておられる。サイン帳に写真入りの記録があった。俳優は、ヨーロッパ旅行の旅先からもこの絵描きさんに手紙を出したりしていた。

 ともしびで温泉に浸かり、その後ソバを打つ。正月来の約束なので1㎏ほど打った。このソバは、泊まり客などにも振る舞われた。ここの宿は、色々な人とお話ができて何かと楽しい。

 翌4日(火)

 早朝に出発して野麦峠に向かう。松江への帰りルートとしては、松本経由にするか、高山経由にするか二通りあるが、野麦の資料館を見たいので高山経由にした。

   野麦越え

 製糸工場での生糸生産は、当時日本の輸出において大きなウエイトを占めていた。「外貨を獲得して軍事力の増強を図る」、具体的には戦艦を購入することが当時日本の喫緊の課題だったようです。工女達の汗と涙は、結果としてそんな目的のために流されていたわけで・・・。 諏訪地方に製糸工場が多かった理由は、水力というエネルギーが手に入れやすかったとい理由もあります。飛騨側(富山県側)から、北アルプスの裾野を越えて出稼ぎに行く少女達は、当初は農家の「口減らし」対策として、そして製糸産業が外貨獲得の重要な一端をになうようになるに従い貴重な労働力として見られるようになって行きます。「100円工女」とは、最も優秀な工女で、当時米一俵が4円の時代にこれだけの稼ぎを持ち帰る娘を持った農家の親たちはどんな気分だったか。

                  春に出掛け、冬に帰る。行きも帰りも雪の峠が待っている。

                  

        資料館の中の一部。もんぺでも穿けばよさそうなものを・・・。このスタイルでは、吹雪の日は大変です。

          

            右のサインに1979とあります。この頃の大竹しのぶは本当に可愛かった

          

                         道祖神 横の穴蔵のようなものは避難所

                   

                    優秀な工女に与えられた賞状。こんな人はまれでしょうか?   

                  

                                   笹の実

                  

 野麦とは笹の実のこと。当時の貴重な食料源だったようです。会津磐梯山の歌に、「山に黄金がなり下がる」という一節があるが、この黄金が笹の実のことだとは知らなかった。

        野麦峠にあるお助け小屋。当時の復元。高山方面から諏訪まで約140キロ。それを3日で歩いたようです。

                 

 ちなみに、伯耆大山一周は、約70キロ。その二倍の距離に相当する。ある日、ここを一周したことがあるが、1日では無理で途中で野宿をした。大山寺を早暁に発ち、香取から三本杉、地蔵峠を越えて鏡ヶ成についたのが夕刻時だった。ここで泊まれば良かったのだが、無理をして歩いていたら日も暮れていよいよ真っ暗闇となってしまった。ようやく奥大山に着いたのが8時か9時頃だったと思う。

 テントも何も無かったので、軒下で一夜を過ごしたことがある。1日歩けるものと軽く考えていたのがいけなかった。大体に、1日に歩ける距離は40~50㎞ぐらいが良いところか?

    野麦峠を越えて高山側に下るとすぐに「野麦」という集落がある。そこに、日本一のコブシの巨木がある。春にはどんな花が咲くのだろう。

            

 この日は、このまま松江まで帰った。夜12時近かった。

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紅葉の涸沢 その2

2017年10月10日 | ぶらり

                       横尾からしばらく歩くと屏風岩が正面に見える。

                   

     屏風岩に取り付いているクライマーの姿は見えなかった。しかし、以前、山中間とここを登攀した頃が懐

 

                       涸沢岳と涸沢槍(この辺りの紅葉はまだ早かった)

                  

                            五六のコルから見る朝日                  

                  

     富士山が見える。八ヶ岳連峰、南アも見える。               クライマー達は五峰に消えた。

                

                        これは、前日の土曜日。日曜日にはテントの数は半減していた。

              

                    今回の目的の写真だが、少し時期が早かったようだ。又来年 ?

                        

 これから流行るスタイル? 上高地から横尾までキャリアーに荷物を分けて運ぶと楽。幾分長期の山行にはいい。横尾をベースに涸沢、槍、蝶ヶ岳など集中登山をするには食料のデポが必要だ。担ぐにきつい体力のない者は、こうしてベースまで運んでおけばいい。ツエルトでもかけてテント場の隅の方にでも置いておけば良いでしょう。自分は、料金を払い横尾にもテントをはったが・・・。               

                

  

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紅葉の涸沢 

2017年10月08日 | ぶらり

 涸沢の紅葉は日本一とよく聞くが、まだ真っ盛りのものは見たことがないので行くことにした。

 松江を朝3時30分に発ち、沢渡の駐車場にクルマを置き徳沢まで入りテント。登る人、帰る人ととにかく賑やかだ。

 翌7月30日(土)

 横尾まで行ってベース用のテントを張る。余分な荷物はここに置いて涸沢へ。横尾の本谷橋あたりから俄然ラッシュとなり 、行く人来る人が狭い登山道にあふれる。おかげでスローペースになってこちらとしては良かった。

 涸沢で水を補給して目指す五・六のコルへ。荷が重たくなったせいもあるが、ここからさらにスローペースになり、休む回数が増える。この登山道は、奥又白の池~上高地へと続くが踏み跡がはっきりしない箇所もある。五・六のコルのテント場は狭くて先行者がいたらこまるが・・と思いながら登る。

                        五・六のコル やはり先行者がいてツエルトが2張り。

                        

 それでもまだ余裕もあり、テントを置いたまま六峰に登る。上の写真左に奥又白の池が光る。テントも見えました。

 10月1日(日)

 暗い頃から岩登りが数パーティやって来る。はじめの組は、まだ暗いのでヘッドランプを点けて登っていたが、間もなく明るくなってきた。次々と登っていったが、女性もいた。まあ、このルートは初心者向きだから大丈夫だろう。

                       写真のテントは自分が担ぎ上げたもの。                             

                   

                            北尾根の影が涸沢に・・・

               

                               朝日を浴びる涸沢岳とザイテン

                     

        今日もまた六峰に登り写真。その後涸沢まで下山しテントを張る。途中紅葉真っ盛りの涸沢に堪能した。

                  

            

                            中央左が五・六のコル。その左が六峰。六峰に登ると槍が見える。

                

 この日は涸沢でテント泊。翌日から天気は下り坂。朝雲間から太陽が穂高から涸沢岳一帯を照らし素晴らしい朝焼けとなった。その後、小雨も降り出してきた。涸沢小屋の食堂はいつも超満員だったが、この日は少し空きがあったのでラーメンを食べてから横尾に下る。横尾のテントに入る頃雨脚が激しくなり、夜はテントをたたく雨音がものすごかった。梓川の流れの音も激しそうで洪水になりはしないかと心配しながら寝た。

  翌日天気は回復したがパッとしないので蝶ヶ岳は止めてかえることにする。上高地からタクシーで沢渡まで帰り「山小屋旅館ともしび」に入る。素泊まり3,000円なり。夕食1,000円ですき焼きだった。味もボリュウムも満点でよかった。久しぶりにご主人と話しながらの一杯が最高に良かった。この山小屋旅館、昨年から今年の年末年始の頃は、客も無かったせいか釜トン入り口まで送迎のサービスがありました。冬は、釜トン入り口までのバスがあるが、時刻が限られている。その点、携帯で電話すればすぐに迎えがきたのには大いに助かった。

                     (「新山の記憶 パート2」の編集がうまくいかないので、しばらくこのブログに投稿です)                                          

 「秋の涸沢」第二弾を間もなく投稿します。

 

 (  4日 早出して野麦峠の資料館による。野麦についてはもうしばらく後で・・・。 )

 

      

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