山の記憶 (百名山・二百名山・三百名山)

山スキー、その他の山行もあります。

大山 大の沢(ゼロ沢)

2016年02月19日 | ぶらり

本当は、昨日(18日)行くはずだったけれど二日酔いのため断念して、今日19日に変更。いつもより少し早めに起きて大山へ。おかげで南光河原の駐車場はいくらか空いていました。

 とりあえず準備をしてスタート。すこし先に、男女の若いボーダーたちが登っていった。自分は、いつものように南光河原沿いの道を行く。最近、また雪が積もったようで先行者の足跡はかなり深かった。

 一合目から二合目までがいつも長いように感じる。二合目から三合目は意外に早く、四合目五合目まではさほどに感じない。意外に疲れを感じるのが五号から六号だ。たぶん、、気分的なものだと思う。六号から七号も大変だが、七号5勺の草鳴社碑まで登ればもう着いたような気分ですごく楽になる。

              七号5勺より 登山者の姿が見える

       

  草鳴社沢側の出だしはきつそう。ここから反対側の元谷方向へボーダーが一人飛び込んだ。草鳴社沢の向こう隣にはぼたん沢がある。

      

 この日も、八合目あたりからガスと風で視界がない。先々週と同じような感じだ。小屋に入りコーヒーを涌かして食事。気温はさほど低くない。1時前、時折ガスが切れて視界が戻る。

 頂上から滑るつもりだったが、頂上付近の雪が飛ばされてあちこち板が出ていて危険なので小屋のそばまでおりてから準備にかかる。

 ガスの切れ目を狙ってスタートするが、すぐにホワイトアウトとなる。こうなると三半器官が狂うらしくてバランスがとれない。 待つこと数分、サッと視界が戻る。いよいよ大の沢へ飛び込む。しかし、雪面はいつもと違う。風で削られて、海に波が立っている様な有様。

 注意しながら滑り下ると、ところどころに石が転がっていて、それに雪が載っている。いつもの年と大きく違うのは、雪が少ないうえに、よほど激しい風が吹いたのか、雪が飛ばされて岩溝がむき出しになってことだ。そんな狭い所は、慎重に横滑りでおりる。スキーに来たはずなのに、なにか探検隊になったようで・・・。

 ノドの部分を突破し、やっと広い斜面に出る。雪は重く、あちこちで雪だるまが出来る。

   

                 雪崩れの心配はなさそうだが・・・ 

    

 大の沢(ゼロ沢)の雪解けは早いから、気温が下がりよほどの積雪がないと滑れなくなりそう。これは、一の沢も同じ。

 それでも、しばらく大斜面でのスキーを楽しむ。これだけ滑れたから満足だろう。まもなく、ブッシュが出てきて藪こぎになるが、下部は、左側のブナ林の中を滑り降りた方がいいようです。右手はとても滑れる(入れる)ような状態ではなかった。

                  今日も貸し切りの大斜面

   

       桝水のスキー場が見えるが、今日は営業していない。

   

 横手道まで滑り下り、ヒールフリーで雪道を行く。桝水あたりからスノーシュウやら山スキー(頂上からのものか?)やらの跡を見る。

 かって、雪の多い季節は、遅くまで沢筋を滑ることが出来た。しかし、そんな時には、この道にはもう雪がなくて板を担いで歩いた。若い頃のは話ですが・・・。 

 

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大山 一の沢

2016年02月12日 | ぶらり

 2月11日(木) 

素晴らしい天気でした。朝から夕刻まで、太陽が顔を覗かせて久しぶりに穏やかな一日を過ごすことが出来ました。山歩きとスキーに堪能する事が出来て充実した一日がすごせました。

 少し遅めに我が家をスタート。そのせいもあり、大山寺の駐車場は満杯。予定は、夏道から頂上を目指すつもりが、桝水スキーまで行く事になりました。

                               やはりここには、空きがあります

           

今日は、桝水から環状道路(ただ今閉鎖)をたどり一の沢を目指す。そして、一の沢より頂上のコースに決める。駐車場から大の沢(ゼロ沢)にデブリが見えた。

 スノーシュウで急がず、焦らずにスローテンポ。周りの景色を楽しみながら歩く。一の沢入り口までで一汗二汗。ここから堰堤工事でつくられた道をたどり、堰堤近くでブナ林の中に入る。雪質は晴天のためか少し重い。

                目指すは、あの岩峰の後ろあたりだが。

       

  ここらあたりまで来ると展望が開け、烏ヶ山から槍尾根、そして縦走路へと続く景色がすばらしい。何よりも、人がいないのがいい。

                 ここからの烏もいいが・・・。

       

                    まだまだ先は長い

          

          さすが根開けにはまだ早いが、どこか春の雰囲気が漂う。

        

  だいぶ登りました。しかし、だいぶくたびれた。ここで一休みしてエネルギー補給

    

  右手から、横手口沢(下部)、一の沢、二の沢が見える。エネルギーの補給を終えてスタート。先ほどまではすぐに休まなければならなかったのが、幾分長続きするようになった。

              横手口沢(右)と一の沢との間の尾根より。

        

 横手口沢は、一部土が出ている箇所があった。このままでは、間もなく滑れなくなりそうです。

                そして、やっとこさで頂上へ。        

       

 人影もまばら。時間を聞いたら4時だった。10時頃に桝水をスタートしたから、約6間近く係った勘定になる。

 それでも、まだポツポツ登ってくる人がいる。松江から来たと言うテレマーカーもいた。少しばかりお話をして、一の沢を目指しゴー。

 幾分重たくなった雪の沢を滑り、無事堰堤まで下る。夕陽が岩峰を染めかけていました。

     

 最近滑った跡がありました。2名のボーダーらしい。

 一の沢は、大山の沢の中で一番早くに雪が溶ける。それで、今日はチャンスだと思い滑ることにしたが、他の沢も今年は雪が少ないそうだった。今後、降雪や冷え込みがなければどの沢も地肌を表し始めそうだ。落石や、底雪崩なども発生しそうだ。

 

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吾妻山 リングワンダリング(その2)

2016年02月07日 | ぶらり

 2月5日

 今日は、吾妻山へ行く。昨日大山に登ったので二日続きはどうかなと思っていたが、天気は良さそうなので行く事にした。目的は、最近(1月28日)迷ってしまった大膳原の現地調査と頂上からのスキーです。

 今日も登山者の姿は見られないが、最近登ったらしい足跡が残っている。そういえば、山仲間の妹尾さんや三島さんたちも日曜日頃に登ったらしい。

 沢沿いの流れは、雪解けの水をせわしそうに運んでいる。

                  一月の川一月の谷の中 

                                   ( 飯田龍太 )

 この句は、NHK俳句 四季の名句120選という冊子の中にありました。

 それにしても、このまま春になってしまうのではないかと思わせるほどの雪の溶けようです。

 1枚写真を撮ってやろうと思い、カメラを向けたが何か変だ。なんのことはない、メモリーカードを入れるのを忘れていた。  

 先日の大山では、カメラそのものを忘れたが、今日はメモリーカードを入れるのを忘れた。 なのでブログには写真はありません。あしからず・・・。

 昨日の大山登山とボタン沢滑降で今日も元気に歩けるか心配したが、体の調子は良かった。やはり、体は常に動かしておくものか。

 そうこうしながら、横田別れに着く。烏帽子の方から真新しい足跡があった。どうも、広島県民の森から、出雲峠~烏帽子と越えて吾妻山に登ったらしい。

 大膳腹に出ると、広い雪原の向こうに吾妻山が見え、頂上にあるキャラボクも見える。誰か人がいるようにも見えたが、これは違いました(後で分かった)。

 早速、先般の道迷いの実態を調べるが、足跡はすべて消え去り痕跡すら無い。迷った折のトレースが、かすかに残っているのではと期待していたがダメでした。

 それで、大体歩いたと思われるあたりをたどってみることにする。はじめの標識は、頂上に向かってやや左方向を示している。その標識通りに進めば、絶対頂上に着かないのだが、2番目の標識で調整が行われていて、この標識通りに進めば頂上に着くことになる。

 それで、その標識に従って進むと、何とまた足跡が出てきました。今日は、視界が利くのでこの足跡の意味が了解できました。 つまり、この足跡の人は、はじめから標識に従わないで真っ直ぐに頂上を目指した(頂上から下りて来た?)ものです。その足跡に従ってしばらく進むと、山小屋方向からの足跡が現れ、やはり頂上に向かって(或いは下りて来て小屋に向かった?)います。そうすると、今日は、自分を入れて3名の登山者がいる勘定になります。そんな事を考えながら、足跡に従って頂上へ登りました。てっきり頂上に誰かいるものとばかりおもっていたら、頂上には誰もいません。広島側の方へおりたのかと思ったが、そちら側への足跡はなくまたまた狐にばかされたのかとおもいました。

 頂上では、今まで滑ったことのない尾根筋を少し滑った。このコースを行くと、前方左手に今はやっていないが、ドルフィンスキー場が見えて来る。一滑りしたら天気模様がおかしくなってきたので頂上まで引き返し、いよいよ大膳腹めがけてゴー。貸し切り状態の斜面を気持ち良く滑り下る。

 この日、吾妻山に自分を入れて3人いると思っていたのは間違いで、自分以外にもう一人しかいな勝ったようです。スノーシュウの跡は、行きと帰りのものでした。

 先般のリングワンダリングは、どうも私の近くにもう一人誰かが歩いていたのが原因のようです。深い霧の中なのでそれがわからず、おまけに方向感覚も狂っていて人様の足跡を自分のものだと勘違いしていたようです。

 広い雪野原に印されたスノーシュウの足跡を見ながらそう納得した次第です。

   スノーシュウの跡は、どちらが前なのか後ろなのか間違えやすいです。

 

 

 

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大山 ぼたん沢のスキー

2016年02月05日 | ぶらり

 2月4日

 大山は今年始めて。出雲の妹尾さんを呼んで出掛けました。8時30分、ドングリ村で落ち合い南光河原の駐車場へ。

 平日500円なのでここに停める。河原沿いにトレースがあったのでこのコースをたどったがすぐに分かれることになった。仕方がないので、少しはまりがちな雪の中を我慢してトレースをつけながら夏道まで歩く。

 二合目で休んでいたら、スキー板を引きずりながらやって来た出雲の鈴木さんと出会う。偶然だが、これで昨年の白山メンバーがそろった。

              六合目 雪が少なくて小屋は出ている

         

 7合目あたりから視界が悪くなり、少し風も出てきた。頂上までは、ポールをたよりに歩くことになった。

 頂上小屋入り口の温度計は、4度をさしていた。小屋の中はさほど寒くはなかったけど長くとどまる気はしない。外は相変わらずホワイトアウトの状態なので板を担いで下山。

  八合目あたりから視界も回復して、ぼたん沢の素晴らしい斜面が現れた。

                    準備をして入る。               

       

           これはチャンスだと、鈴木さんと滑り込む。

   

      この沢、出だしは少し急だが雪の状態もいいので不安はない。

    

 ぼたん沢を滑るのは初めて。後半ブッシュに悩まされるが、鈴木さんは鼠の様にチョロチョロと滑っていくので追いかけるのがやっと。

 無事道路まで降りる。板を外してしばらく歩くと例の水場に着く。ここで、鈴木さんと別れ南光河原の駐車場に帰ったら、既に妹尾さんは到着していた。六号目から、元谷へ滑り込んだそうです。なかなか、おもしろいコースでした。

  カメラを忘れたので、写真は鈴木さんのものをメールで送ってもらいました。 なんか、いい写真でしょう。       

 

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 3+1  単独行

2016年02月02日 | ぶらり

  最近ちょっと調べたいことがあり図書館に行く。加藤文太郎著単独行を2冊借りる。我が家に帰ったら、もう1冊が出てきた。かなり以前購入して忘れていた。

 さらに、新田次郎著「孤高の人」まで出てきた。

 調べたかったことは、文太郎の大山登山のことで、彼が山を始めて間もない頃、大山から船上山まで縦走している(らしい?)。その折りの、大山縦走路の苦労を書いていた様な記憶があり、この度改めて「単独行」を読み返してみることになった次第です。

 ところが、大山と、船上山には登っているのだが、詳しいことは何も書いてない。確か、大山縦走路のナイフリッジのすごさに「馬乗りになって越さなければならなかった」というようなことを記していたように思っていた。

 長い間、そう思い続けていたが、どうもこの記憶は何かと混同していたらしい。

      左から、二見書房(我が家の本)、朋文堂(三版本)、山と渓谷社

        

朋文堂版は、昭和21年発行本だけあっていかにも古書といった感じだ。なにやら臭いもするし、紙は変色して活字もよみずらい。

 山と渓谷社は新しく、平成12年出版。新しい本ほど、気が利いていて、他にはないデータ、記録と言ったようなものが載っていておもしろい。

    その一つは、

       加藤、吉田両君遭難事情及び前後処理 加藤君捜査後援会

            A 出発より行方不明まで
            B 死体発見より帰還まで

    もう一つが、

       夫、文太郎の思い出  加藤花子

 この花さんの手記がなんともいえない。

 「 6日の明方、うとうととしてしまいました時、私の編んだセーターを着て、元気のない彼   が手ぶらで帰って来まして・・・」

 花子さんの見た夢は、あまりにもリアルで「そんな事もあるんだなあ ~」とちょっと気味が悪くなりました。正夢というものがあるとしたら、まさにこのことだ

  もう少し科学が進歩したら、人間のテレパシー能力の解明が進むだろうか。

 話を戻して、文太郎の大山登山へ。

 文太郎の単独行には、「大正14年10月、大山、船上山」としかなく、どうしたこうしたとは書いてない。

 それで、何か他の本で読んだのかと思い、「新田次郎著、孤高の人」と「深田久弥の日本百名山」などを引っ張り出してみたが何処にも見当たらない。

         

 やはり記憶違いかなと思うが、案外、文太郎の単独行のどこかに大山縦走の事を思い出して記していたのかもしれない。

  加藤文太郎

               1905年 兵庫県浜坂町に生まれる。

  生まれながらの単独行者といわれ、超人的な山行は、藤木九三をして「国宝的存在」とまで言わしめている。

               1936年1月 槍ヶ岳北鎌尾根にて不帰の人となる。

 

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