山の記憶 (百名山・二百名山・三百名山)

山スキー、その他の山行もあります。

百名山の記録 飯豊山

2014年11月30日 | 日本百名山

 2008年9月11日、早暁松江を発ち、敦賀からフェリーで新潟へ。翌12日車を飛ばして川入の登山口に着く。途中道を間違えたりしながらも8時40分、川入キャンプ場の登山口をスタート。久しぶりに担ぐテントが重いが順調に進む。飯豊山は、東北らしいどっしりとした重量感のある山だからのんびりとやればいいと思いながら登る。

              飯豊連峰には多くの登山口がある。山小屋・避難小屋も多い。

     

            登山口に大きな杉の木と栃がある。橡の実が一杯落ちていた。

        

 下15里、中15里、上15里などと名付けられた地点のある長坂尾根をひたすら登り、横峰に着いたのが11時55分。この頃、先行者に追いつく。水場を過ぎ三国小屋が12時36分。天気は回復しつつあり大いに汗をかく。眺望も出てきた。

                       飯豊本山はまだまだ奥に

            

 三国山は、名前の通り新潟・福島・山形の境を表現した山だが、ここから飯豊本山を経て大日岳手前の御西岳辺りまでの長い尾根筋だけはなぜか福島権山都町に属している。地図を見ればよくわかるがおもしろい現象だ。

 足下に咲くウメバチソウやゴゼンタチバナの赤い実が目につく。4時25分、やっと切合小屋着。

          

 テントを張る元気もないので小屋泊まりとする。小屋の前には、休憩所や水場もありテントを張るには申し分なかったのだが・・・。

  9月13日

 4時20分、切合小屋を出て、6時25分飯豊本山に立ち、8時20分大日岳頂上。

             飯豊本山頂上 このすぐ近くに山小屋がありテントも張れる

         

                     大日岳頂上 何もない狭い頂上

         

                        御西小屋のテント場

           

 天気も良くなくて大日岳を踏んですぐに引き返す。御西小屋が9時30分。飯豊本山を再び踏んで本山小屋着が12時10分でした。切合小屋に帰ったのが13時20分。小雨模様の天気で帰ったら何もすることもない。午後、地元の人と思われる一団が登って来て小屋も満員状態になる。たくましそうなおじさんおばさんたちだった。天気が悪くなったので急きょ小屋泊まりにしたようだ。

                        夕陽が沈みます 

            

  翌14日 天気は回復した。5時15分、しめった靴を履いて下山。6時21分、三国小屋。飯豊山方面は晴れてきたが鳥海山、月山、大朝日岳などの山々は見えない。8時40分無事下山する。

                       朝の大日岳方面   

          

 結局テントは使わずじまい。まあ、山ではよくあることだが・・・。 一路、大朝日岳に向かう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

百名山の記録 月山

2014年11月26日 | 日本百名山

 2008年7月11日

 昨日、鳥海山を終えて羽黒山へ向かう。途中、しばらく最上川沿いに遊ぶ。古びた家を利用したソバ屋があり立ち寄る。ソバとうどんのセットを食べる。どちらも大変うまかった。

         

 近くに清川八郎の記念館があった。偶然に見つけたのだが大変良い勉強になった。清川八郎は幕末の人だが、坂本龍馬ほど有名ではない。しかし、「幕末は、清川八郎に始まり、坂本龍馬に終わる」と言われたほどの人物だ。清川家は、最上川の水駅(関所)を取り締まる家柄で、この辺りの名門。芭蕉は、最上川のこの水駅で船を降り羽黒山に向かい、月山、湯殿山と出羽三山を歩いている。

                      清川八郎 像

            

                        芭 蕉  像

           

    

             月山  鳥海山と違ってゆったりとしている

        

 出羽三山といっても、山らしいのは月山だけ。羽黒山と湯殿山はむしろ平地に近い所にある。すぐ近くまで車が入るので人も多い。羽黒山は三山の中心的な役割を担っている。湯殿山には、ご神体があり直に拝することが出来る。

  ここで、芭蕉はいくつかの句をよんでいる。

            有難や 雪をかをほらす 南谷  

            雲の峰 幾つ崩れて 月の山

            語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな 

 南谷には、羽黒山の別院があり、芭蕉はしばらくここで過ごした。今は、跡形もなく句碑が残るだけ。

 雲の峰・・・の句は、夜の月山の情景を詠んだものかと思っていたらどうも違うようで、月山にモクモクと涌く入道雲をよんでいるとある解説にあったけど・・・。

 7月13日

 羽黒山、湯殿山を訪れてから月山に向かう。月山へは、羽黒山からでも湯殿山からでもいろいろなルートがあるが、今回は月山へ直接登ることのできる姥沢ルートを採る。近くにスキーリフトがありスキー客も多い。スキーリフトを利用して登る事も出来るようだが歩くことにした。

              月山の頂上近くから振り返る。朝日・飯豊連峰が見える。          

          

  頂上には、社務所があり土産物を売っている。素泊まりが出来る建物もらしきものもあった。参拝者のための施設だろう。

        

                      遙かに見えるは鳥海山

         

 夏スキーで有名な月山。この日も残雪を求めて多くのスキーヤーがいた。

 奥の細道から、月山登山の箇所を抜き出してみました。名文です。

 八日月山にのぼる。木綿しめ身に引きかけ、宝冠に頭を包、強力というものに道びかれて、雲霧山気の中に、氷雪を踏みてのぼる事八里、更に日月行道の雲関に入るかとあやしまれ、息絶身こごえて頂上にいたれば、日没て月顕わる。笹を鋪、篠を枕として、臥て明るを待。日出て雲消えれば、湯殿に下る。(以下略)

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

百名山の記録 鳥海山

2014年11月26日 | 日本百名山

 2008年7月9日

 岩手の山奥から一気に日本海へ出る。象潟の道の駅で温泉に入り、汗を流す。ここから見えるはずの鳥海山は雲にかくれて見えない。海に面した道の駅の庭に傾国の美女と歌われた「西施」の像があった。

                象潟や 雨に西施が ねぶの花

 芭蕉がこの地を訪れたのは6月の半ば頃(陰暦)。その日も天気は良くなかったようである。近くにある干満珠寺に芭蕉の銅像と句碑がある。この当時周りは海であり、東の松島西の象潟と称されていた。夕刻、鳥海山へ向かう。途中、道端に植えられたネムノキを見る。

               象潟登山口    鉾立の大駐車場

        

                 駐車場の隅に車を停めて一杯

             

 7月10日

  天気は良くもないが悪くもない。良く整備された登山道を進む。人気の山だということに納得しながら黙々と歩く。夏も近いというのに残雪を見る。

            

                         チョウカイフスマ

          

  途中、御浜小屋で一休みする。管理人に、島根から来たと言うとすぐに大山の話が出た。あこがれの山の一つらしく、しきりにほめたたえておられた。東北や北陸辺りの人々にとって、大山は神秘的な山のようで人気も高い。

 七五三掛(しめかけ)から外輪山に登り着くと、七高山が姿を現す。これが頂上かと思う。

          

 七高山から引き返し、外輪山から下り雪渓に降り立ってから頂上を目指す。大きな石の塊を重ねたような頂上は意外に狭い。天気は思わしくなく日本海は見えない。

   写真左が頂上、右端が七高山。御室小屋が見えます。帰りは手前の千蛇谷雪渓を下ることにした。

   

  今回の山行もフィナーレがちかくなった。明日から出羽三山(羽黒山、湯殿山、月山)だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本百名山 早池峰

2014年11月24日 | 日本百名山

  もう一度行ってみたい、登りたい山はいくつかある。第一番めにあげたい山がこの早池峰。山陰の名峰大山より200mほど高い山なのだが心に残る山であった。

 2008年7月7日

 岩手山を終えて、早池峰に向かう。道路はきちんと整備されてはいるが、何だか山奥に入ったようで心細くなってきた。さらに進むと宿坊のような建物が数件あり、それからは人家も見当たらなくなってきた。天気も下り坂らしい。広場に出ると立派な建物があったが人の姿はない。河原坊の自然保護センターだった。車を降りてウロウロしていたらすぐ下に駐車場があり車が2台止まっていて幾分ホットする。それぞれの車には明日山に登る予定の男性が一人ずつ乗っていて、私の車を見つけてやってきた。彼らも、岩手山を終えてここに来たらしい。話は程ほどにして早く休むことにした。

 翌8日、天気は良くない。相変わらず早池峰は雲におおわれていて、姿を現さない。驚いたことに、バスや車が次々にやって来て昨日の静かさが嘘のようだ。天気の悪い中を次々と山へ向かう姿を見ていたら何だか登る気がしなくなり1日伸ばすことにした。

 結局この日は、遠野の町~中尊寺~宮沢賢治記念館と時間をつぶして1日を終えた。

  9日は期待通りの好天。1日待ったかいがあった。小田越の登山口前まで車を移動してスタートする。この登山口前に少し狭いけど駐車場もあり、早く着けば駐車ができる。建物もあったが利用はどうだろうか。

                         小田越の登山口

            

                      雲も晴れ、山が姿を現す。

          

                       頂上付近から下を見て

          

                           貸し切りの頂上

           

                       花の早池峰にふさわしい 

              

                           オダマキ

                 

                        ハヤチネウスユキソウ

       

  頂上には、立派な避難小屋があるのでここで一泊すれば朝夕の素晴らしい光景に出くわすことができるかもしれない。またの日を楽しみにして山を降りる。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

百名山の記録  岩手山

2014年11月21日 | 日本百名山

 2008年7月7日

 南部富士の名を持つ岩手山は、ある面で津軽富士と呼ばれる岩木山とよく似ている。それは、山の形とか山の名前とかではなく、都市部からはっきりと眺められる点である。岩木山が弘前からから眺めることができるのに対し、岩手山は盛岡から眺めることができる。 ただ、岩木山が1625mなのに対して岩手山は、2038mだからこちらの方が400mほど高い。

 この日は、いくつかある登山口の中から手っ取り早そうな柳沢コースを選ぶ。駐車場の一段上に良く整備された広場がありここが登山口となっている。馬返しと呼ばれている。近くに、宮沢賢治の詩碑が建っていた。

                    鬼又清水  このすぐ下に駐車場

         

       

                                 

                         八合目避難小屋

                               

    

                     砂礫の登山道は登りずらかった

     

                     登山者の姿が見えます

       

 

                         岩手山頂上

      

                          火口壁の中

        

                        オオバキスミレ

          

 砂礫の登りを終えると間もなく岩手山の頂上薬師岳に着く。あいにくガスが出ていて眺望はない。火口壁をぐるりと巡り下山する。

 

     

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

百名山の記録 岩木山~八幡平

2014年11月20日 | 日本百名山

 2008年7月3日

 北海道を終えて函館より大間へ渡る。大間はマグロ業出有名だが本州最北端の地でもある。函館から大間へ渡ったのは、途中で恐山を見ておこうと思ったから。

                     本州最北端  大間より

          

                     啄木に詩碑があります

         

 少し寂しげな大間の街を過ぎて一路恐山に向かう。夕刻近く、恐山の寺院前駐車場着。人影もまばらで、寺院の門はすでに閉まっていた。

 7月4日 

 開門と同時に院内を見学する。火山性の土地に特有な、硫黄の臭いのする参拝道をたどり湖のほとりに出る。途中、カラスに襲われたが無事帰着する。所々にお供え物が供えてあり、それがカラスの縄張となっているらしい。霊場として有名ではあるが、あれはテレビなどの映像が作り出したものだと感じた。

 下北半島を南下し、一路岩木山へ向かう。

 岩木山・・・津軽富士の名を持つこの山は離れて見る限り確かに雄大な山であり、名山だ。登山口をさがしたがはっきりしないので、結局津軽岩木スカイラインを見つけて車で頂上近くまで上がる。丁寧なことに、ここからさらにロープウエイがあって、いよいよ頂上間近まで行けた。しばらく歩いて頂上へ。何とも妙な山登りだった。とりあえず頂上には立ったので次の山へ向かうこととした。

 日本海を横に見ながら南下し、この日は沢辺PA泊。

 7月5日

 白神ラインで山を越え八幡平へ向かう。八幡平もほとんど歩くことなく頂上に立つことが出来た。

                      駐車場からすぐの頂上

        

                           展望台 

           

  八幡平はほとんど通り過ぎるといった感じで岩手山へ向かうが、途中キャンプ場があったのでここでテント泊。蚊がいるので管理人さんに蚊取り線香をもらう。

           

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

百名山の記録 トムラウシ山

2014年11月20日 | 日本百名山

 2008年 7月1日

 十勝岳を終え、トムラウシ山へと向かう。望岳台の駐車場から見れば、トムラウシ山は十勝岳北東の奥深い位置にあるのだが、取りあえずトムラウシ温泉国民宿舎へナビをセットする。十勝岳を回り込むようにして南富良野町から新得町に入る。広々とした田園風景の中を行く。ダム湖辺りから山奥に入ったことを実感する。時折シカを見かける。対向車もなく、舗装も切れる。初めての山道を走る心細さはいつものことだが、目標が現れるまでは不安だ。間もなく、トムラウシ温泉の看板を見る。トムラウシ山登山口は近い。突然、ポッカリと切り開らかれた広場に出ると、そこがトムラウシ登山口の駐車場だった。草地の駐車場だがよく整備されていて気持ちよさそうだ。水場は無いが、きちんとしたトイレはある。奥に登山ポストがあり、登山者ノートをのぞいてみる。何時に出発し、何時に下山したのか、所要時間はどれくらいか等の情報入手に役立つからだ。
 草地に車を停めていると、すぐ脇に鹿児島ナンバーの車が到着し、運転手の方が降りて来られた。羅臼岳で出会った方だ。今日は、十勝岳を登り、こちらにやって来たとのこと。そういえば、望岳台で見かけたような気がする。明日一緒に登ろうと誘われる。のんびりと行きたいのだが、断る理由もないので承諾して早めに寝る。
 

 7月2日  トムラウシ山
朝は4時にスタート。北の夜明けは早い。既に出発している他のパーティを追うように歩く。鹿児島の男性とあれこれ話しながらいいペースで進む。何しろ、サロマ湖100kmマラソンに参加したというだけあって健脚だ。1時間ほどで、先行者に追いつき追い越す。間もなく水場へ到着。小休止とし、簡単な朝食とする。男性はおにぎり、私はパンをかじる。マラソンでは走りながら食べることもあるらしい。
 沢へ降りると、雪渓の登りとなる。先行していた女性のパーティを追い越す。雪は少々堅めだから確実なステップで登る。道が雪渓と分かれ、ゴロゴロした岩道を登り切ると前トム平に着く。眺望も開け、だいぶ登ったという感じだ。トムラウシ山は射程に入ったようだ。幾らかの下りと、苦しい登りの繰り返しの後、徐々に雪渓と高山植物の群れ咲く地帯に入る。南沼キャンプ場が見えてくると、頂上は近い。一本の道が、起伏の向こうに消えている。十勝岳への道だ。
 ナキウサギの声を聞きながら、8時30分、ついに2141mのトムラウシ山頂上に立つ。 まず目に飛び込んで来るのが、大雪山。たおやかに続く大小の起伏の果てに、なにものもさえぎることのできなくい高い、大きな山塊が大雪山だ。眼下には北沼が残雪をおいてたたずみ、天上の楽園の観がある。道はこの湖沼のすぐ横を走り、さ迷うように延びているのが手に取るようだ。この道は、あるいは天人峡へ、あるいは大雪山へ、あるいは沼の原へと続くのだが、どのコースも美しい北海道の自然を満喫させてくれることだろう。

         

   鹿児島の男性は、この後ニペソツ山へ登るといって早々に下山。私は、写真を撮るため北沼へ下りる。

                           北 沼

          

           

 
 北沼のほとりは勿論だが、この海原の様に広々とした土地には小ぶりではあるが多様な草花が咲いている。まるで花の絨毯だ。

       

        

           

 そんな中を、大雪からやって来たという方に出会う。今日は南沼にテントを張り、明日トムラウシ温泉に下りるとのこと。今夜はきっと素晴らしい星空を見ることができるだろう。
 北沼を周り、南沼キャンプ場を横に見て下山の途に着く。百名山を早く終え、頂上にこだわることのない山旅をしたくなった。
  14時15分下山。トムラウシ温泉へ直行する。久しぶりにきちんとした宿に泊まる。登山者のために洗濯機、乾燥機などの設備があり助かる。汚れた衣服を洗濯機に投げ込み、体は浴場で洗濯。風呂上がりの火照った体はビールで冷やし、洗濯が終わるのを待つ。
 明日は、友達に会うため札幌へ行くことにする。彼とは、大学以来だがどうしているのやら。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大山2の沢右俣 最奥部

2014年11月17日 | 最近の大山

 2014年11月16日(日) 

秋も深まり大山はこう晩秋から初冬といったところ。桝水から奥大線への環状道路も間もなく閉鎖されることだろう(11月いっぱいは大丈夫か)。

 今日11月16日(日)、久しぶりに2の沢を詰めてみた。大山寺周辺には、最後の紅葉を楽しもうとする人出賑わい、南光河原の駐車場は満杯状態。頂上へ向かう登山者も多い。

 2の沢入り口に駐車してスタートしようと思ったら、カメラザックを背負った男性がそうそうに下山してこられた。2の沢の写真を撮りに暗い内からやって来たけど、どうも天候加減が良くなく写真にはなりそうもないので下りて来たそうです。ちょっと長話をしだったが、写真や山のことを話した。

                       南壁全景

   

 最近まで行われていた堰堤工事のため立派な道路が沢の奥まで続く。道路が尽きた辺りから、赤いテープが丁寧に誘導してくれる。以外に踏み跡がはっきりしている。結構人が入っているということだろう。

                笛吹山より 中央2つの沢が右俣と左俣(別の日に写した写真)

 

 2の沢は、奥で二俣に分かれる。左俣は最近稜線まで詰めたので、今回は右俣に向かう。

         ここが2の沢右股の最奥部。地獄の入り口のようです。

    

 

      

                        奥は深い

        

       ここでストップ。雪の中に足跡がありました。ここで引き返したらしい。

      

                      後ろを振り返ると・・・。

       

                 遙か奥に見えるのは稜線です

 

        どん詰まりをのっこせば、稜線までは何とかいけそうな感じだ。

         

  2の沢左俣を詰めると弥山頂上とラクダの背の間辺りに出る。左股を詰めると剣が峰の弥山寄りに出るようです。

 落石と雪崩の危険(季節による)さえクリアー出来れば意外と易しそうな気がするが?。ヘルメットに、若干の登坂用具は必要だろうが・・・。

      若くて元気な人は、挑戦してみてください。年寄りでも良いけど。

   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

百名山の記録 十勝岳

2014年11月13日 | 日本百名山

2008年7月1日 十勝岳 
  今日は朝から気持ちよく晴れた。昨日の幌尻岳の天気が嘘のよう。ここ十勝岳へは、美瑛町の白金温泉の奧、望岳台から登ることにする。十勝岳、美瑛岳を正面に見晴るかすこの望岳台には、整備された駐車場とトイレがあり車泊をする我々に取っては大変有り難い。 昨夜から、数台の車が夜明けを待っていた。早立ちの登山者も多く、明るくなると同時に出発してもいつも先行者はいる。
 4時40分、望岳台をスタートする。ガラガラ石の体積の中に付けられた道を、頂上へと歩く。望岳台から始まる登山道には、植物の姿はあまり見られない。この辺り一帯がお花畑に変わるのは、後何世紀が必要なのだろう。

              

               

 不毛の地を行くようだ。最近使い出したダブルストックで黙々と登る。ストック利用の功罪はあるが、使い慣れると手放せなくなる。「転ばぬ先の杖」ではないが、登り下りで何かと重宝する。特に、下りにおける膝の保護には良いようだ。
 ジグザグの登りを繰り返しながら歩く。先行していたご夫婦が一息入れておられた。女性の方は元気そうで、男性の方は苦しそう。よく見かける光景だ。

                   

 一登りすると、十勝岳の頂上らしきピークが現れ、その頂きに向かって延びる登山道がハッキリと見えてくる。広がる砂礫と残雪。他の山ではあまり見かけなかったが、「月の砂漠」を行くような不思議な光景だ。砂礫地帯を過ぎると、溶岩が冷えてできた赤茶けた岩の急登となり、間もなく稜線に達する。視界は開け、雲海に沈む富良野の町を背に頂上までは一頑張りだ。

 8時45分、2077mの十勝岳頂上に立つ。

 雲海は富良野方面に発達しているもの、素晴らしい天気だ。今日はいうこともないほどの眺望に恵まれて十勝連峰はもとより、日高、大雪の山々は手に取るようだ。先ほど、息を切らして歩いた登山道に数名の登山者の姿が見える。彼らも間もなくこの頂きに立つことになるだろう。
 この度のコースからはずした富良野岳は、すぐ後ろ南西方向に、反対方向の北東には美瑛岳、美瑛富士、トムラウシ山と続き、それら山々の遙か彼方に、今なお白き雪を残す大雪山が大きな山裾を広げてドッシリとそびえ立つ。いつか近い将来、この遙かな山脈の連なりを、果てから果てまで歩こうと思う。 
  山頂もにぎやかになってきた。美瑛岳に登って望岳台へ下ろうと頂上を後にする。登りと同じような岩の道をしばらく下ると、砂礫地帯に入る。鋸岳を回り込み、砂礫帯を滑るようにして駆け下る。右手斜面に残雪が光る。おもしろいように高度を下げ、一息ついて後ろを振り返ると、男性が追いかけるようにしてやってくる。先ほど、頂上で話を交わした方だが、まさかすぐ後ろに付いておられるとは知らなかった。それにしても早い足取りだ。どうも十勝岳のパトロールの方らしく、慣れた足取りで追い越して行かれた。

                                 美瑛岳から見る十勝岳

                  

 「後から追っかけられるのは、何か落ち着かないから先に行ってもらうにこしたことはない」などと思っていたら、なんとまた一人新手が現れる。これも早い。どんどんと近づいて来て、サッサと追い越して行かれる。まるでマラソン大会の様だ。
 美瑛岳の少し手前辺りから、高山植物が顔を出す。パトロールの方が、「花は美瑛岳の反対側を下った辺りがよい」と教えてくれていたので取りあえず頂上を目指す。
 砂礫帯から岩場に移り、ちょっとした岩場を回り込むと頂上へつながる登山道へ出る。この辺りで、美瑛富士を経てトムラウシ岳方面へと続く道と分かれる。汗を拭きながら9時40分、2052m美瑛岳頂上。

         

 先ほど追い越していった2名の方が休んでおられた。 一人はこの地域のパトロールの方、もう一人は、今日中にもう一山登るとのこと。狭い岩の頂上だが、見晴らしは抜群だ。先ほど登った十勝岳とそのすぐ後ろには富良野岳。反対方向に目をやれば、美瑛富士は手に取る程近くに。縦走路が豊かなアップダウンを繰り返し、その先にはトムラウシへ岳がそびえ立つ。大雪山は心持ち近づいたようだ。

           

 写真を撮り、早々に下山にかかる。最近、ダブルストックを多用することが多くなって来た。特に、下りでの使用は膝への負荷が少なくなるのでよい。2足歩行から、4足歩行への逆進化だ。
 雪解け水が流れる、ちょっとした流れで一休みする。緑の木陰に吹く風が、爽やかに心地よい。若者が二人やって来て、今から美瑛岳に登り十勝岳へと縦走するとのこと。
 河原を過ぎると、エゾコザクラの群落に出会う。青空を背景として斜面一帯に咲き誇る様に感動する。この辺りを「雲の平」と呼ぶらしい。

                       エゾコザクラ

       

                       イワヒゲ

       

 美瑛岳分岐から、朝来た道に戻り望岳台へと帰り着く。近くにある白金温泉の湯に浸り、今日の一日を反芻してみる。雄大な十勝岳、秀麗な美瑛岳。脳裏には、遙かトムラウシと大雪の山々が見え隠れする。
  思えば、シリベシ山に始まった百名山「北海道版」も残すところトムラウシ山一つとなった。机上でのプランが実行に移され、その一歩を踏み出すときに感ずる不安と期待。未知の山々に対座する自分というものの存在を確認する張りつめた緊張感。これらは、山登りが我々に与える喜びなのだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雄阿寒岳と雌阿寒岳(その2)

2014年11月12日 | 日本百名山

2008年6月28日 雌阿寒岳 
 5時30分、登山口にあるポストの登山者帳に名前と下山時刻を記入してスタート。今日も針葉樹の森の中を行く。北海道の針葉樹には、エゾマツ、トドマツなどがあるが、見分ける方法は木の肌と樹形で分かるとのこと。
 アカエゾマツの林には、マイズルソウやゴゼンタチバナが目立つ。マイズルソウは山陰の大山でも見かけるが、ゴゼンタチバナはない。この花の南限は本州中部あたりであろうか。6時05分、3合目。ハイマツ帯に入りイソツツジを目にするようになる。すっかり晴れ上がった青空の下、火山特有の砂礫の道をひたすら登る。今日はコンデションも良いらしく、息は上がるのだが、あまり苦しくは感じない。6時55分、7合目着。左下遙かに、オンネトー湖の青が見える。火口壁の間に、赤沼が見え出すと頂上は近い。

             

 7時35分頂上に到着。今日も360度の眺望が得られた。昨日登った雄阿寒岳、すぐ目の前には、阿寒富士。驚かされたのは、青沼の美しさだ。頂上より稜線通しにわずかに下ると、まん丸い青沼が現れる。小さな池なのだが、そのまん丸な形と美しい青の色合いに思わず息を飲む。不毛の大地に、青く輝く宝石を置いたようだ。

 
        

 青沼を右手に見ながら、阿寒富士に向かう。ザクザクとした砂礫の道を下ると、阿寒富士とオンネトーとの分岐に着く。阿寒富士の頂上に向かって、ジグザグと踏み跡が見える。 砂礫のもろい登り道だから、何とも歩き辛いが一歩一歩確実に進む。約25分程で頂上に着く。時計は8時25分だった。

            

         

 ここから望む雌阿寒の姿は、雄大そのもの。雄阿寒岳が背景に小さく見える。緑豊かで端正な雄阿寒岳に対し、今なお噴気を出し続ける雌阿寒岳は荒々しくエネルギッシュな迫力に満ちている。
            

          

 阿寒富士と雌阿寒岳への分岐まで下りる。この辺りには、コマクサをはじめメアカンフスマ、メアカンキンバエなどが荒涼とした砂礫地に赤、白、黄色の美しいアクセントを付けて目を楽しませてくれる。

        

 オンネトーへと下る途中、登ってくる小学生の一団に出会う。1年生から6年生までの一団だが、人数からいって近くの分校の生徒たちだろう。低学年は途中で引き返すそうだ。 登ってくるのを、道の隅の朽ち木に腰掛けて待つ私を見つけて、不思議そうな顔をしていた。1・2年生の幼い生徒たちがチョロチョロするので引率の方々も大変そう。
 最近、学校の行事の中からこのような活動がなくなりつつある。授業時間確保とか安全面での心配とかいろいろとあるのだが、残念なことだ。このような生きた自然の中での体験が肥やしとなり、教育の基礎・基本となる土台の部分を形成していることに気づくべきだが、今の教育現場は違う方向へと進んでいるように感ずる。
 樹林帯を抜けると、オンネトーキャンプ場に前出る。ここからオンネトーの湖畔沿いに今朝方出発した登山口まで国道を歩くことになる。
 オンネトーは、青々とした水をたたえた実に美しい湖だ。頂上の青沼も美しかったが、近づく事はできなかった。また、百名山では、草津白根山の湯釜が神秘的で美しいのだがこの湖がミルキーブルーなら、オンネトーはコバルトブルー。それも、水際まで近寄れる。水底に沈んだ倒木が手に取るように透けて見える。必見の湖だと思う。湖面に映し出された雌阿寒岳と阿寒富士が、豊かに吹き抜ける風に揺れてた。
    

         

 写真を撮っていると、木陰に休んでおられた男性から、「小学生たちとどの辺りで会われましたか」と聞かれた。教育委員会の方らしく、生徒たちの登山の安全を心配して待機しているとのことでしばらくお話をする。
 11時20分、雌阿寒岳登山口に帰着。イオウの匂いの強い温泉に沈。今日の疲れが癒されるような心地がする。

 明日は懸案の幌尻岳だ。風光る大地、どこまでも続く原野、北海道の田園は広く果てしない。本土は今梅雨らしいが、ここは梅雨を知らない別天地だ。夕刻幌尻岳登山の駐車場に着く。
 幌尻岳は課題の山だ。十分な下調べもしないでいたものだから、北海道に到着してからこの山の難しさを知り当惑する。
 一つは、時間のかかる山だということ。もう一つは、徒渉があるということ。ガイドブックを良く読んでおけば良かったのだが、今となっては仕方がない。現実的な対応をするしかない。
 山小屋利用も考えたが、小屋から頂上までの時間と、帰りを考えるてテント泊と決める。また、沢歩き用の履き物がないため、運動靴で代用し、沢でのズボンは雨具を使用することにした。心配なのは水量と水温であるが、これは沢に入って見なければ分からない。
 幌尻岳の駐車場は車道の途中にあり、車はここでストップで、ここからさらに2時間程度歩かないと沢に入れない。夕暮れの中、明日の準備にかかる。
 そうこうしていると、車が1台到着する。群馬県から来たという親子で、母親と大学生らしい息子の二人づれだ。明日早朝に発ち、一日で終えるという。幌尻岳が、日帰りも可能だと、この時始めて知った。夜半、もう1台車が到着する。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする