山の記憶 (百名山・二百名山・三百名山)

山スキー、その他の山行もあります。

夏の大山へ 予告

2023年07月26日 | ぶらり

暑い夏がやってきました。

明日27日、久しぶりに大山へ登ります。大山もそろそろ花が咲き乱れそうです。どういうルートで登る(歩く)かはここに紹介できませんが久しぶりに歩いてみます。

 できれば、大山オダマキを写真におさめたいとも思っています。クガイソウ、シモツケソウ、フウロ、コオニユリなど一年ぶりの再会が楽しみ。

 下山後すぐにブログにアップします。(ただし、その時になってみないとわかりません。

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四国八十八ヶ所札所めぐりを振り返って(その五)

2021年03月03日 | ぶらり

四国八十八ヶ所札所めぐりについて調べていたら、こんな本がありました。

                   

 歩いての本格的な四国八十八ヶ所札所めぐり。石川さんは、カメラマンです。ベトナム戦争など各地の戦場をカメラを手に駆け巡り、悲惨な悲しい多くの体験をしておられる方です。戦争の恐ろしさ、愚かさを肌で感じ取られた方です。

 多くの戦友(仲間のカメラマン)を無くしたむなしさから、四国八十八ヶ所札所めぐりをされたのだと思います。四国八十八ヶ所札所めぐりを徒歩でやる人たちは、理由は様々ですが、心の中に何かしらの苦しみ、葛藤、闇を持っておられるような気がします。この本を読む限り、石川さんが四国遍路で出会う歩き遍路の方々の心の中が少しは分かったような気がします。

 自分の四国遍路は自動車で、まあルンルンとまでは行かないにしても、観光気分といった感じで、それに少しばかり宗教に興味があるくらいか。今まで、山歩き(登り)をやってきた関係から、四国八十八ヶ所札所巡りもその延長線上にあると言った方が正しいかもしれません。

 だから、今度はテントを担いで本当に歩きをやろうかと思って色々調べ、準備に入ったところです。最近、そのためにザックを買いました。このザックは、担ぎもできるし、引きずることもできます。アスファルト道路は引っ張って歩ける優れものです。自分が、上高地から横尾までよくやる方法です。体力のなさを補なうために考え出した方法です。

                      おわかりでしょうか?

        

 四国遍路を歩きでやるには、山越えもあるためザックは担ぐ必要があり、体力が無いからアスファルト道路は引っ張って歩くことになります。そのため、温かくなってきたら大山一周を考えています。大山一周は、約75km位あり1泊2日でやれるはずです。(かってやっています。)

 四国遍路は、全長は1200kmくらい。一日30km歩いたとして40日ちょっとかかります。

    

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山とお寺 四国八十八ヶ所札所めぐり(その11)1月5日

2021年01月23日 | ぶらり

1月5日

 まずは第12番、焼山寺へ。このお寺も山の上にある。案の定、途中から雪が出てきた。ただ積雪というほどでもなく、薄らと積もっている程度だから不安はない。

 焼山寺へは、駐車場からしばらく歩く。きれいに掃き清められた感じの参道を進む。途中に、仏像が据えられていて厳かな感じだ。本堂横で一鐘し虚空蔵菩薩に真言を唱え、太師堂をまわってから納経所へ入る。

 墨書に御朱印をもらい外に出てから、呼び返された。何だろうと不審に思っていたら、墨書に点を入れるのを忘れたから、軸をもう一度出してくださいとのこと。

             真ん中、梵字に指で押したような薄い感じの点が2つあります。

                 

           墨書の担当は、必ずしも住職ではない。アルバイトもおられるようです。

焼山寺を終えると、一気に山を下ることになる。この後まわるお寺は、平地がほとんどだから、時間はかからないはずだが、町中のお寺は、道が狭くどう入っていったらいいやら苦労した。

 11番藤井寺、10番切幡寺 9番法輪寺 8番熊谷持 7番十楽寺 6番安楽寺 5番地蔵寺 4番大日寺

  3番金泉寺 2番極楽寺         1番霊山寺

                

                 もくぎょうを持ったまま眠り小僧さん

                   

                     平賀源内の墓 

                 

    平賀源内の墓は、偶然見つけました。八十八ヶ所札所めぐりのお寺ではありませんが・・・。

                      酒たち地蔵

                 

 何でこんなお地蔵さんがあるのだろう? 一応手を合わせて、拝んでおいた。

                真言は おんかかかび さんまえい そわか   

             明日は、四国八十八ヶ所では最も標高の高い、雲辺寺へ。                 

 

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山とお寺 四国八十八ヶ所札所めぐり(その10) 1月4日

2021年01月20日 | ぶらり

朝一番に23番薬王寺に参り墨書と御朱印をもらい、溝田さんと連絡を取り自宅へ向かう。教えられた中学校の近くでもう一度電話すると、すぐにやってこられた。

 何年ぶりの再会だろう。少し痩せられた(体がしまった)感じだったがお元気そうで安心した。自宅は閑静な住宅街といった感じですぐ前に中学校がある。船をお持ちだから、海の近くか河の近くに住んでおられるのかと思っていた。最近新しく家を建てられたようです。作業場の中には、様々な工具、機械らしき物が一杯。キャンピングカーは、以前のとは違っていた。3台目らしい。スポーツカーもあったが、あまり乗っていないとのこと。全体的に遊ぶのに忙しそうな感じを受けました。

 色々お話しして、失礼することにした。泊まって一杯やろうと誘われたけどはじめからその予定は組んでいなかったので次のお寺に向かうことにする。

 20番平等寺 19番太龍寺

              

太龍寺へはロープウエイを使うが、登山道もあり、途中までは車でも上れるとは知らなかった。溝田さんたちもたまに登られるようです。

 20番鶴林寺 19番立江寺 18番恩山寺 17番井戸寺 16番観音寺 15番国分寺 14番常楽寺 13番大日寺

大日寺を終えて12番焼山寺の近くまで来た。日も傾いていたので昨年も泊まった道の駅「温泉の里神山」で♨に入る。 

 途中、溝田さんから再度お泊まりのお勧めがあったが引き返すわけにも行かなかった。また何処かの山か、町でお会いできるだろう。

 明日はいよいよ、仕上げの日になるといいたいのだが、悪天気のためロープウエイに乗れずお参りできなかった雲辺寺が愛媛県に残っているから、もう一日余計にかかりそうだ。それに、そろそろ天候が怪しくなりかけている。松江に帰るタイミングを見ておかないと雪の中国山脈を越すことになりそう。

                                                   続く

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山とお寺 四国八十八ヶ所札所めぐり(その9)1月4日

2021年01月18日 | ぶらり

  

                  釈迦 入滅

         

お釈迦様は、北枕、右を横にしてお亡くなりになりました。紀元前のこと。釈迦は、一つ所に長く住むことはなく、教えを説きながら歩いてておられました。最後の旅は、故郷へと向かっておられたようです。

 釈迦の教えとは、「よく生きなさい」ということに尽きると中村元先生は言っておられます。

                       みくろ洞

               

               

 1月4日

 昨日、最御崎寺の後、空海が修行したと伝えられるみくろ洞を見る。みむろ洞は落石の危険があり今は中に入れません。近くに涅槃の釈迦像があり、その横に青年空海の巨大な立像があります。

 空海が修行を行った場所ではっきりしているのは、海岸に面したここ「みくろ洞」、奥深くけわしい山奥にある大龍寺などが知られています(自身の著書に書いてある)。空海という名前は、空と海の地での修行から得たと言われますが・・・。

 修行と言っても、生きていくのに基本的に必要な衣食住の確保はどうしていたのか不思議な気がします。衣と住はいいとして、問題は食です。釈迦は、午前中はお布施に歩き、午後から修行に入られたようです。1日1食が基本だったようです。

 インドでは、古くから修行者にお布施をする(食べ物などを供える)習慣があったようですが、日本ではどうだったのだろうか。

 空海も、午前中は托鉢(お布施を受ける)に歩き、午後修行に入ったのだろうか?近くに町や集落があればいいのだけれど、どうも気になります。現在のように、コンビニがあるわけでも無い時代です。

 仏経修行に乞食道というのがあります。施しを受けながら生活していくという修行です。かの漂泊の詩人山頭火は、このスタイルで各地を巡り、多くの句を作っています。

                    暮れても宿がない もずが鳴く

            

 四国のお寺には、山頭火の句碑が多い。

 3日に高知県を終え、徳島県に入る。夕刻道の駅「日和佐」着。すぐ近くに23番薬王寺がある。

4日は早朝薬王寺に参る。墨書・御朱印は7時から始まる。どのお寺も、朝は早い。この後、阿南市の溝田氏と連絡を取り、自宅へ伺う。

 溝田さんとは、山旅の中で出会った。もうかなり前のことになっているが、時折連絡を取ったりしているし、氏のブログ(阿南市 溝田で出る)はいつも拝見させてもらっている。

 日本人としては、珍しい生活をしておられる。多分、ヨーロッパ当たりでは、こんなライフスタイルは多いかもしれないと思うのだが・・。

 すごいと思うのは、旅の範囲が桁はずれていて、国内のみならず世界が相手。それも海旅がすごい。ヨットで世界の海に乗り出すということなど一般の日本人には考えられない。四国育ちだから、そんな雄大な気持ちが培われたのか・・・?

 確かに、太平洋を眺めていると、車より船がほしくなるのはわかる。考え方も広くなるような気もする。仕事はほどほどに辞めて、奥方と日々の生活を楽しんでおられる。

 溝田さんと出会ったのは、100名山の途中で、荒海山登山の時。自分は登りにかかっていたが、溝田さん御夫婦は下山の中で、何かにつまずかれたらしく上から大きな声がしてびっくりしたのを覚えている。後で、氏のキャンピングカーでお話をしている。

 自分は、荒海山の後に七ヶ岳、牡鹿岳と登った。確か七ヶ岳登山口でもほんのちょっとだが顔を合わせ、最後に出会ったのは、この日の夕刻道の駅「たじま」。

 以後、今日まで会うことはないが、身近に感じられるのはいつもブログを拝見しているからだろうか。

                                                    続く 

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山とお寺 四国八十八ヶ所札所めぐり(その8)1月3日

2021年01月18日 | ぶらり

 ここで再度、墨書と御朱印について              

                    完成された軸          

               

      上は納経軸または御宝印軸(いわゆる軸)とよばれるもの、下は各寺院の墨書と御朱印

           

書き手によって、かなり違いが出ています。左は読みやすい。不動明王 岩屋寺。右は千手観音 雲辺寺 奉納の文字はどちらも読めない。

何が書いてあるのかに着いては、以前ちょっとふれましたが、分からない文字があるので、今回直接お寺さんに電話をして聞いてみました。

 この際、ここで整理をします。

 まず、墨で3つに分けて文字を書かれます。右に「奉納」、真ん中に「頭に梵字 その下が本尊名」、左に「寺院名」だそうです。そして、その上に御朱印を押されます。御朱印は、2つありますが、右が「第何番」の番号、真ん中にご本尊の印です。梵字の意味を聞くのを忘れましたが、多分ご本尊を表す密教のイニシャルだと思います。

 1月3日

 昨夜は、昨年同様、道の駅「やす」に泊まる。前が土佐湾に面して広々とした気持ちのいい駅です。高知の札所巡りも今日でおわりそう。締めは室戸岬になる。泊まりは、昨年同様、徳島県の日和佐道の駅「日和佐」。

 お昼に久しぶりに道の駅にある食堂に入る。鯨の刺身が珍しいのでこれをいただいた。鯨肉は以前、学校給食によく出てきたが、今では姿を消してしまった。

 今日は、30番善楽寺 29番国分寺 28番大日寺 27番神峯寺 26番金剛頂寺 25番津照寺 24番最御崎寺の7寺だった。

 24番最御崎寺は、室戸岬の先端にある。足摺岬の金剛福寺とは対照的。

                     本尊は、虚空蔵菩薩

             

         真言は、ノウボウアキャシャ キャラバヤ オン アリキャ マリボリ ソワカ

 虚空蔵菩薩は、十三仏では一番最後に出てこられます。ちなみに十三仏の一番目は不動明王、有名な閻魔さまは5番めで、地蔵菩薩の化身とされています。悪人には怖いが元々は優しい。

空海の異常な能力は、この虚空蔵求聞持法の修行の結果だといわれる。何でも、真言を100日間、100万遍となえるといものです。1日1万遍、10日で10万遍、100日で100万遍だ。

                                                   続く

              

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山とお寺 四国八十八ヶ所札所めぐり(その7)1月2日

2021年01月18日 | ぶらり

            字が小さくて読みづらいけど、面白いことが書いてある。

      

1月2日

 今回の札所巡りも中盤にさしかかった。いよいよ高知県に入る。太平洋側に出て太平洋を望むと、何か妙な気持ちになります。逆に、太平洋側ばかりを旅していて、日本海に出るとやはり妙な気分になる。今までの知識や経験が心に微妙な影響を与えるからだろうと思う。太平洋は漠然とではあるが「広い」というイメージで、日本海は故郷につながっているという「郷愁」のような感じがわく。

 今日は、39番延光寺からスタートして足摺岬の突端にある38番金剛福寺へ。この間が56km。高知にある八十八ヶ所札所めぐりのお寺は間隔が広いから移動時間も余計にかかる。 

                       38番金剛福寺   

                   

 金剛福寺へは車が入らない。少し手前からシャトルバスが出ていて、それに乗ることになるが自分は歩いて行く。20分くらいで着く。足摺岬は、室戸岬と並んで四国が太平洋側に突き出る代表的な岬だ。灯台もあり地図で見ていると何かワクワクしてくる。この気分は何だろうと思う。他国のイメージが広がるからだろうか。

 ただ、岬の灯台としては迫力に欠ける。島根県の美保関灯台や日御碕灯台の方が遙かに見栄えはいい。今の灯台は大体が役割を終えているのが残念な気がする。灯台の歴史には、言い尽くせない様々な物語があったことと思うが・・・。

 足摺岬の突端はぐるりと回れるように道路もついているが、車が入れないのはどうしてだろう。お寺参りの車は入れないのか、それとも通過するだけならいいのかよく分からなかった。(通過するだけなら良かったかもしれない)

 金剛福寺から、37番岩本寺へも97kmとこれも長い。急ぐ必要は無いけどとにかく退屈だ。

                    36番青龍寺への石段

                 

青龍寺とは、空海が唐に渡り、教えを受けたお寺の名前から来ている。170段の石段。

 この後、35番清瀧寺 34番種間寺 33番雪蹊寺 32番禅師峰寺 31番竹林寺まで。昨年も確か、竹林寺で日が暮れた。今年は逆回り(逆打ち)をしているけど、これは偶然なのか。

 「札を打つ」という言葉があるが、今は「札を納める」です。以前は、準備した札をお寺の柱や壁などに打ち付けてまわっていた名残です。自分は、正式な巡礼の作法を守っていないので札の準備はしていません。軸に墨書と御朱印をもらうとき500円を支払いますが、その折お寺側から2枚の札を逆にもらえます。

                    これがそのお札です(買うと一枚が100円)

          

                                             続き

   

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山とお寺 四国八十八ヶ所札所めぐり(その6)

2021年01月17日 | ぶらり

今日は元日。令和も早3くも年目を迎えます。(令和は、良くないことが続くきますが、今年こそは良い年になるように)

 最初に訪れる寺は51番石手寺。88寺の中でもちょっとユニークな感じがする。元日ということもあるのだが朝から人出が多い。寺院とその周辺に多くの露店が開かれている。人出が多いから露店があるのか、露店があるので人出が多いのか?これによく似たお寺は徳島県にある23番薬王寺だ。本尊は、ともに薬師如来だ。薬師さんはなぜか人気がある。

           真言は   オンコロコロ センダリ マトウギ ソワカ

 愛媛県は伊予の国。温暖な気候。石手寺は道後温泉にも近いから人出も多いのだろうか?

 49番浄土寺には、空也上人像が納められているが、開帳はされていないのが残念。浄土宗踊り念仏を通し「南無阿弥陀仏」を広く世に広めた僧として有名だが、この人はあくまでも浄土宗であり、真言宗ではない。88ヶ寺巡りで気づいたことだが、これらのお寺は、はじめからすべてが真言宗とは限らないようです。寺それぞれに複雑な歴史的な事情があるようだ。ただ共通点は、弘法大師空海が錫をとめたということで、どの寺にも必ず大師を祀る太師堂がある。

               太師堂の中 大師さんがおられます

            

 大師堂の前で「南無大師遍照金剛」ととなえるのですが、最近(?)堂の前に紐がぶら下がっています。この紐は、太師堂のなかにおられる大師とつながり、参拝者が紐を握ることによって大師とつながります。

 そういえば、高野山奥の院におられる大師は、どのようにお過ごしでしょう?没後千数百年が過ぎていますが・・・。

 ちなみに、大師という称号は、没後年ほどしてから100年ほどしてから、当時の天皇から授かったもの。だから、「南無大師遍照金剛」と称えるのは、没後100年の後となります。それまでは、「南無遍照金剛」だったようです。

 現在でも、そうとなえる派があるようです。

 南無とは、あなたに帰命しますの意。遍照金剛とは、大日如来を意味するようですが、これは、空海が中国に渡り、師の恵果から授けられた名前のようです。恵果という人は、インドから中国へ渡って密教を広めた僧。空海は、この恵果から密教のすべての教えを授かることにより、密教の正伝は日本へ渡ることになります。

この日は、51番石手寺 50番繁多寺 49番浄土寺 48番西林寺 47番八坂寺 46番浄瑠璃寺 45番岩屋寺

     44番大宝寺 43番明石寺 42番仏木寺 41番龍光寺 40番観自在寺まで。 

                    境内に立つ11面観世音菩薩

                 

 これで、愛媛県を無事終了して高知県に入るのだが、徳島県阿南市在住の溝田さんから携帯に新年のあいさつが来た。

 徳島県に入るには、後2~3日はかかりそうなので、そのときお会いすることにした。溝田さんとは、山旅の折2度ほどお会いした。当時はまだ100名山に関しては溝田さんの方がたくさん登っておられた。はじめにお会いしたのはどこの山だったか山名は忘れたが部分的なことは覚えているので一度調べておきたい。

                                                続く

 

 

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山とお寺 四国八十八ヶ所札所めぐり(その4 ちょっと立ち止まり)

2021年01月13日 | ぶらり

                       軸の写真( 部分 )

             

 四国八十八ヶ所札所めぐりは、真言宗の寺院巡りだ。真言宗とは、弘法大師空海が中国に渡り、恵果から引き継いだ密教の教えだが、密教とは文字通り秘密の教えであり、呪文を称え護摩を焚くといった儀式的な傾向が強い。

 日本のインド仏教学者の第一人者でもある中村元博士(故人)は、密教がバラモン教に似ていると指摘している。護摩を焚き火をおこして呪文を唱え神・仏に祈る形式は、バラモン教のやり方だ。お釈迦さんは、このバラモンの教えを克服して新しい教えを説いた。それが後に仏教と呼ばれることになる。

従って、弘法大師が持ち帰った密教・真言宗とはある意味において今までの仏教を否定する危険性がある。なぜ密教(真言宗)が、当時の天皇や貴族たちから支持を集めたかというと、当時の仏教は鎮護国家を目的としているし、特に密教はその神秘性と圧倒的な荘厳(派手さ)にあるのだと思う。

               ご本尊はキンキラキンに飾られて荘厳である。

       

 お釈迦さんは、権力者に近づくこと嫌われたし、形而上学的な話(死んだらどうなるのかなど)はされなかった。しかし、天台宗の最澄や真言宗の空海などは全く違う。この辺のことは、なぜなのかよく分からないのだが、多分に聖徳太子から続く鎮護国家のための仏教という考え方から抜け出せなかったのだろう。この反動は、後に法然・親鸞、日蓮、道元などの新しい教えによって現れてくる。

                      墨書と朱印

            

 各寺で墨書と朱印をもらうわけですが、ある時ふと考えました。一体何が書いてあるのだろうかと・・・。上の文字が読めますか。

            

 墨書は、真ん中に本尊名、左に寺院名が書かれるようです。右手に何が書かれているのかは、まだ解明していません。朱印は、右と真ん中に押されます。右には八十八ヶ所札所の番号、真ん中は本尊の像印です。

 さらに付け加えますと、墨書の本尊名のうえに梵字が一文字書かいてあります。本尊を表す梵字イニシャルだろうと思います。

                                                  続く

 

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山とお寺 四国八十八ヶ所札所めぐり(88番~86番)

2021年01月08日 | ぶらり

 全国の主な山々に一区切り着いたら、四国八十八ヶ所札所めぐり体験をしてみようと以前から考えていた。ただし、その頃はまだ元気だったので歩き遍路をやってみようかと思っていたが・・・。

昨年度、とりあえず下見を兼ねて1番寺の霊山寺から88寺の大窪寺まで(順打ち 1300キロ)を車でまわった。8泊9日かかった。

今年は、逆打ちで88番大窪寺から1番の霊山寺まで、軸を完成させながらまわることにした。軸とは、掛け軸のことで、まわるお寺ごとに印と墨をもらいます。最後には、真言宗総本山の高野山で仕上げです。

途中、歩き遍路の人を見かけました。本来なら、自分もザックを担いで、野宿をしながらまわればいいのですが、これをやると2ヶ月はかかりそうで、体力的にもきつそうです。それに、なまなかな覚悟ではできそうにありません。有名人では、菅元首相がやっておられますが、これも1番から24番最御崎寺(ほつみさきじ 室戸岬)まで、全体の四分の一。

 野球の清原選手(元)もやっておられますが、完成させたかどうかはしりません。とにかく中途半端な巡りではない。遍路宿を利用すれば、自分でもなんとかなりそうな気はしますが、2ヶ月近く歩き続けるなどゾッとします。

今年は令和2年12月28日に我が家を発ち、午後遅くに88番の大窪寺に着く。前の土産物屋で「軸」を買ってお寺に参ってから納経所に入り、「印と墨」をもらう。軸は色々あって、安くて1万5千円ぼど、高い物は3万円~4万円くらいだったように記憶している。

違いは、軸に描いてある飾りの絵によるそうです。

 一番安いのを持って納経所にいきました。初めてのことなのなのでどんなことなのか分からず、大分緊張しました。しかし、相手の方はなれたもの、軸を広げ、決まっている所に文字を入れて、その上から印を押します。墨も印もぬれているのですぐきは巻き込むことはできない。乾燥させるためドライヤーが準備してあります。乾燥を終えてから巻き戻して終わりとなります。ただし、500円支払わなくてはなりません。このとき、お寺の札を2枚(2種類)もらいます。

( 終わってから考えて見るに、このお札(1枚100円)だけを集めてしかるべき紙に貼り付け表装するか、額にでも入れれば立派なものができあがりますよ。)

 この日は、後2寺院をまわり時間切れ(5時で終わり)となり、近くの道の駅で温泉に入り車泊。今年も、年末は車の中で過ごすことになりました。我が家にいるよりも変化があり結構楽しい。

                        88番 大窪寺                     

                

 この日は、88番大窪寺、87番長尾寺、86番志度寺の3寺院で墨書と御朱印をもらう。

                                              続く

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