山の記憶 (百名山・二百名山・三百名山)

山スキー、その他の山行もあります。

風雪の大山 山スキーです

2011年01月17日 | 大山を滑る

 1月15(土)、大山にて新年会と合わせた山スキーです。折も折、山陰地方大山は、30年ぶりとかの大雪、強風、積雪、雪崩などのありがたくない天気予報が出ていました。山でのスキーは無理かなと感じながら、まあ、酒飲み会になってもいいやと思い出かける。純粋なテレマーカーの三島君を乗せ、とりあえず鈴木さんとの待合場所、ドングリ村に向かう。途中、ドングリ村を通過してしまうというハプニングもあったけど無事鈴木さんと合流し、彼の車に乗せてもらってとやま旅館着。ものすごい雪に驚きました。

     駐車場にて。翌朝雪に埋まって大変でした。鈴木さんの車で来て良かったです。

 

 旅館の手続きをした後、夏道に向かう。午後から強い冬型という予報なので登れるところまで登ろうと思いながら歩く。道はしっかり踏み固められていて問題はないのだが、異常な積雪なのでスキーコースの選定に戸惑いを感じる。雪崩には合いたくないから・・・。

                         15日の五合目付近か?

 

 とにかく6号の避難小屋まで行く。6号にはパトロールの人たちが休んでいたが、我々は、小屋の中に入って暫し休憩する。パトロールに加わっていた安来の岩崎君に合ってびっくり。天気は下り坂、視界もわるくなりそうなのでここから元谷へ滑り込むこととする。鈴木さんはショートスキー、三島君はテレマーク、自分はセミファット。雪は少し重いが滑るには問題はない。ショートの鈴木さんが一番軽やかに滑るには驚き。こんな雪質でもこれだけ滑れるのかと改めて感心する。途中からブリザードのような猛吹雪に遭遇して何も見えなくなったが、何とか元谷堰堤まで滑る。河原を滑り金門から参道を滑って旅館前までたどり着く。

 

 まだ時間も早いので、鈴木さんと中ノ原ゲレンデに行く。3.500円の半日券で3回ほど滑ったら吹雪だし前が見えないし寒い。それでもと思い、もう3回滑って鈴木さんを探すけど姿が見えないので結局トータル7回滑って宿に帰る。鈴木さんは先に帰っていたので安心した。夕刻、妹尾さんも到着してメンバーがそろう。四人で一升五号ほど酒を飲み盛り上がり、あちこちに迷惑電話をしてから寝る。

 翌日、冬型は益々強まり警報も出たようだ。旅館のご主人が、「今日は山へ行かないでしょうね」と強い調子で言われたけれど、五合目くらいまで行って様子を見ますなどと適当に答えて出かける。この天気でも、登山者はいるらしくトレースがあり助かる。二合目を過ぎたあたりで先行者に追いつくが、なんとラッセルに苦労しんでいた。後ろから様子をうかがっていたが、少しも進まないので代わることにする。三合目近くまで進んだがくたびれるやらあほらしくなるやらで止める。間もなく妹尾さん、鈴木さんがシールを着けて追いついてきた。自分と三島君はシールが使えないのでここから滑ることに決める。追い越したボーダーの若者たちはまだ先に進むらしい。こんな荒天では無理をしない方が良い。

                             16日三合目付近で

 

 しっかり雪の積もったブナ林の中を軽快に滑り、あっけなく水場手前の道路に降りる。なにかホッとした気分でした。とにかく今年の大山は雪が多い。スキーは遅くまで楽しめそうだから条件が良くなるまでは無理はしないほうがいいようです。特に、雪崩と道迷いに気をつけましょう。

                                  ここは嘘のように穏やかでした。

 

 全員シールを持ってきていたらもう少し上まで登れたかもしれない。15日はトレースがあるのにシールで登っているパーティーがいた。こんな時はツボ足が早いですよ。トレースがあるのにシール登高をされると足場がくずされて歩きにくくなります。トレースのない時は、シールが良いようです。(15日の写真は鈴木さんの提供です)

 

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関東周辺の三〇〇名山など その1 (年末年始の山行)

2011年01月12日 | 200名山・300名山

走に入るとなぜかそわそわします。若い頃は、ジングルベルの音を聞くと何とはなしに落ち着かなくなったものだが、近年クリスマスを家庭で過ごす人が多くなっているから、この時期街は意外と静か。不景気も影響しているからだろうか。例年年末から正月にかけて出かけることにしているので、出かけるまでに雑用を済ませなくてはいけない。団地集会所の門松作り、お世話になった方々へのソバ配り(ソバは自分で打ちますよ)など、我が家の掃除はそこそこにバタバタすることが多い。そんな中、いつも気になるのが山の天気。どこへ出かけるかは天気次第だが、特に山は天気です。

 年賀に今年の目標のひとつとして、富士山と槍ヶ岳登頂と大きなことを書いた手前とにかく富士山を目指さないと格好がつかない。12月29日お昼に松江を発つ。20時、東名高速の富士川SAで車中泊.

                                夜る夜ふけ 心臓の音を聞きながら 眠る

翌早朝に富士吉田に入る。富士スバルラインは今年も凍結のためアウト。ということは、1合目からの歩きとなる。ここ数年そうだが、少し前は大体5合目までは車が入ったものだ。一応駒返しの登山口まで行って見ると、車が3台止めてあった。この時点では、まだ富士山に登るつもりでいた。その後、河口湖、西湖周辺を見て回る。西湖は最近クニマスで有名になったから観光客が多いのかと思っていたら意外に静か。騒いでいるのは一部の人たちだけなのかもしれない。途中、一二ヶ岳登山口の看板を見つける。

         

 これが、そもそもの間違いのもと。夜、河口湖の駐車場でチビチビやっていたら、富士山登山より富士山周辺の山々を歩いた方がおもしろいのではないかと思うようになった。結局、翌31日は西湖と富士山を眺められる毛無山~一二ヶ岳縦走に切り替える。君子豹変とはこのことか。

                       毛無山からの富士山   

           

                                   

 河口湖から西湖に抜ける峠に「文化洞トンネル」があり、その入り口横に駐車場と登山口があります。8時50分スタート、すぐに足和田山と毛無山の分岐にさしかかる。足和田山も富士を見るには絶好地です。毛無山から縦走に入り、一ヶ岳、二ヶ岳とピークを超しながら11時50分一二ヶ岳到着。途中、雪のため危険な箇所もありました。前後に人はいないので慎重に歩く。一二ヶ岳に着き大安心。行動食をかじりながら写真を撮る。

                             西湖と富士山(一二ヶ岳頂上より)

       

      

 帰りは危険もあり、来た道を引き返す気にならないので頂上から尾根伝いに降りる。車道まで降り車まで歩く。14時10分トンネル着。

                    中央やや左のピークが一二ヶ岳

             

 下山後、近くの温泉「いずみの湯」に向かい疲れをとる。明日はいよいよ元日、天気は良さそうだが富士山はやめて金時山に登ることにする。

 2011年1月1日         明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

 金時山は人気の山らしい。元日と言うこともあるが登山者が意外に多い。特に高齢の方が目立った。頂上近くは雪が凍ってよく滑るので慎重になる。誰もだいぶん苦労しておられた。

              金時神社参道                                       

      

                            大まさかり

   

          富士山はどこから見ても富士山です。当たり前のことだが納得しました。

     

 頂上から縦走路を伝い下山する。金時神社~金時山~長尾峠~乙女峠~金時神社。9時20分スタートで12時20分帰着。下山後、温泉会館で汗を流すが、入浴者多く混雑。

 明日は乾徳山を目指すので富士五湖道路で大月まで出て、中央高速の勝沼から地方道を通って夕刻「道の駅 はなかげの郷まきおか」で車中泊。ガイドブックによると乾徳山はだいぶ手強そう。「頂上までは鎖場が2カ所ある。最初は高さ7~8m、手がかりをよく確認してよじ登る。次は高さ30mにちかい垂直の岩場で、岩の亀裂を足場にしてよじ登る。」とある。夏ならいざ知らず、雪がかかった岩場の登りはどうしたものだろうかと少し心配になる。

 2日朝8時、登山口に入る。登るにつれて雪が出てくる。昨日誰か登ったらしく、足跡が残っているので迷うようなことはない。2時間ちょっとで扇平につく。核心部はこれからだが、富士山がよく見えて天気は上々。気分も上々。

                    乾徳山周辺地図 乾徳山は奥秩父(埼玉県)の南部山梨県にあります

 

                   月見岩辺りからの富士は絶景

 雪も深くなり、岩場も出てくるがアイゼンは着けない。いくつかの岩場を越すと最初のクサリ場が現れる。斜度は確かにきついが、足場はしっかりしているので右手にある優しそうなクサリに取り付き乗り越える。さらに進むといよいよ核心部の岩が現れる。

 

 核心部の岩場は陽当たりがよく雪は付いていない。 よく見ると回り道も付けてあるのだがクサリを便りに登る。幾分腕力勝負だ。最初の2mほどを越すと幾分楽になり、スタンスも大きくしっかりとしてくる。ヨッコラショと頂上に顔を出したら、先客がいたのには驚いた。

                      乾徳山頂上 絶好の日和    

         

                          壮年のご夫婦もクサリ場から下山

           

  頂上におられたご夫婦、登りは回り道から上がられたそうだが下山はクサリ場から。何度か登った山だと言っておられたけどたいしたものだと感心する。360度の眺望だがどれがどの山なのかよく分からない。金峰山や甲武信岳、国師ヶ岳や雲取山など見えるはずだが・・・。

 帰りはやはり楽でした。途中山ガールもどきが数名,ガイドらしき人と登ってきた。天気が良いから特に問題はないかな?。この日は、8時にスタートして11時20分頂上、13時50分下山でした。この後、 三富の温泉白龍に入り夜は中央自動車道双葉SA泊。明日は、深田久弥終焉の地茅ヶ岳を目指すことにする。 (つづき)

 

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 関東周辺の三〇〇名山など その2(年末年始の山行)

2011年01月11日 | 200名山・300名山

 ガイドブックをみてハッとした。茅ヶ岳は深田久弥終焉の地なのだ。標高1704m歩行時間4時間、レベルとしても初級者向きの山ということになっている。中央高速の韮崎辺りからよく見えるが、その奥には雪を頂いた八ヶ岳が控えている。この辺りは南アルプスも間近なので運転をしているとついキョロキョロしてしまう。甲斐駒ヶ岳を先頭に連なる南アルプス連峰は何度見ても飽きない。

 韮崎SAで夜を明かし、だいぶ明るくなった街を抜け深田記念公園に向かう。ここには駐車場とトイレ、近くに久弥の記念碑がある。記念碑は、茅ヶ岳を正面に見据えているようだ。久弥の死は脳出血で突然だったらしい。数名のグループの案内で途中まで楽しく登っていたようだ。68歳の生涯はちょっ短いか。

                   

 公園の入り口に車を置く。早い登山者たちのものだろうか、すでに車が2台止めてあった。天気は上々、トイレを済ませ出発。しばらく荒れ加減の林道を行くとアスファルトの道路に出たのでびっくりする。この道路を横切ったところが登山道の入り口だ。ごろごろ道をしばらく行くと大きな石の間から水がしたたり落ちている。女岩の水場だ。

      

 この横手から本格的な山道になる。道はミズナラやコナラの葉っぱで埋め尽くされているが案外はっきりしている。急なジグザグ道を登り詰めると尾根筋に達して、さらに行くと久弥終焉の碑がある。高さ40㎝くらいだったろうか、小さなものだが久弥の同行者の一人が建てたものらしい。ここから頂上は近かった。

                                                    茅ヶ岳頂上 後ろ遙かに八ヶ岳が・・・

  

 さほどの標高はないが眺望は抜群。八ヶ岳、南アルプスはもう指呼の間と言っても良い。特に南アルプスは近く、甲斐駒ヶ岳、千丈岳、鳳凰3山は手に取るようだ。位置の関係から北岳が見えないのが残念。少し寒いので早々に下山する。登りとは違う道だが最後は同じようなところに着いた。近くに久弥の碑があるので見に行く。

              百の頂に百の喜びあり                             茅が岳遠望(にせ八ツとも呼ばれる)

                         

                                 久弥についての解説(読めるかな)

 

 百名山を極めたら、最後はこの山に登っておくべきか?それにしてもいい山でした。頂上で会った人に、近くの温泉を聞いたら「百楽の湯」があるということなので行く。広いブドウ畑の続くだだっ広くも見渡しの良い場所にありました。百楽とは、今にして思えば久弥の記念碑にあった言葉とも通じているのだろうか。湯船から、鳳凰三山と甲斐駒ヶ岳それに八ヶ岳が望める素晴らしい温泉でした。外に出たら茅ヶ岳、振り返れば富士山が・・・。

 風呂上がりで気分を一新し、一路四六のガマで有名な筑波山へ向かう。筑波山は、一度大学時代の合宿で登っているはずなのだが、あの時は頂上まで登っていないような記憶があるので再度チャレンジすることにした。近くに大学時代の友人であり、何十年来几帳面に年賀はがきを送ってくる小俣君がいるので会いたかったこともある。正月明けのラッシュがはじまりつつあるので、この日は談合坂SAで車を停めることにした。広い駐車場だが人と車で一杯でした。

 1月4日、早朝にスタート。とにかく東京を早く抜けたいので暗い内から動く。ちょうど明るくなった頃に常磐自動車道に入ることができホッとする。土浦北ICで降り、筑波山駐車場に着く。今日も天気は快晴、ルンルン気分で歩く。ケーブルカー横の登山道をポツポツと歩く。歴史に彩られた山らしく、登山道に転がる石ころ一つ一つにも何か趣がありそうな気がした。昨年はテレビで「坂本龍馬」が人気だったが、明治維新の曙となった舞台のひとつがここ筑波山だということを知っている人はどれくらいいるのだろうか。

     多くの参拝者や登山者に踏みしめられた道です                            男体山の頂上神社

                     の

 

                                        ガマの油 

  

 男体山から女体山を回り雑木林の中を下る。女体山側からはロープウエイもある。筑波山神社まで降りたら「がまの油」の演技(口演、講釈)が始まっていた。これは、油を売るのではなく芸を見せるのが目的らしい。よく切れそうな刀の刃を腕に押しつけてこすると切れて血が出ます。そこにがまの油を塖ってタオルで拭くと、あ~ら不思議、血は止まり傷跡ひとつ残っていません。一種の手品のようだが、なかなか迫力があっておもしろかったです。

 夕刻、小俣君と駅で待ち合わせ。約40年ぶりの再会でした。近くの酒場で乾杯。この年になると、もうあの世とやらに行った人も多いが、お互い健康で何よりです。まあもうしばらくはがんばれそうですね、小俣君。

                              ホテルの窓からも富士山が見えました

              

 ほどほどに飲んで別れる。明日は、東京都は青梅にある御嶽山と大岳山登山が待っている。

 1月5日、快晴。ホテルを立ち東京でしばらく時間をつぶし青梅に向かう。東京の高速も乗ってしまえばよその高速とそう変わらないなどと思いながら八王子ICで降りる。青梅は東京の田舎街、青梅街道は小説「大菩薩峠」でも有名。近くに百名山の雲取山と大菩薩嶺があるので百名山行脚の頃を思い出す。御嶽山登山口は、山上集落の御岳平から始まるが、そこまではケーブルカーを利用することになる。今夜は御岳平の旅館に泊まることになるので事前に電話を入れるが皆断られる。頼む時間帯が悪いらしい。どうしようかと悩む。近くの道の駅といっても方向違いだし遠い。今夜は車泊まりかと思いながらそれでもともう一軒に電話を入れたらOKが出た。間もなくやって来たケーブルカーにのり約6分で山上集落へ。何か雰囲気が高野山に似ている。

駒鳥山荘という民宿(?)にお世話になり、大変親切なおもてなしを受ける。調子に乗って酒を五本も飲んで満足して寝る。翌日は8時の朝食で手作りのヨーグルトをご馳走になった。すごくいい感じの宿でした。

 いい季節にまた泊まりたい気もするが、もう行くことはないだろうな。御嶽山の神社に参拝してから大岳山に向かう。途中、滝やらロックガーデンやらがあり秋の紅葉時分はさぞ素晴らしい景色となるだろう。大岳山の頂上からまたまた富士山を仰ぐ。

         

 これで年末から年始にかけての山は終わりです。一二ヶ岳は二百名山でも三百名山でもないが、他の山々は三百名山には入っている。三百名山をおえるのに今年を入れて2年はかかりそう。それまで気力・体力が持続するか・・・?

下山後、苗場スキー場に移動してスキー。関東地方の天気が嘘のような雪と風。それでも根性で滑り、リフト券のもとをとってから神楽スキー場に移動する。神楽スキー場は、苗場に比べると多少田舎じみているがスキーヤーに必要な施設などきちんとしている。近くに温泉も食堂もあり、駐車場内には売店やトイレがあり、消雪機能も充実している。ここに暗くなってから到着。まだスキーヤーの車が多数残っていたが、夜更けとともに姿を消した。がら~んとした夜の駐車場に雪が舞い散る。

                                 この侘びしさがいいのかな お休み

 翌日は嘘のような好天気。シニア割引でゴンドラに乗る。2年前の春、ここから苗場山に登ったことを思い出す。

                  苗場スキー場(揃いすぎていておもしろくない。金持ちの遊び場といった感じ)

     

              かぐらスキー場(こちらの方が雄大で野趣があって良い。駐車場は無料で整備もいい)

    

 神楽スキー場で思い切りスキーを楽しんで車に帰る。すぐ近くの温泉につかり一路松江を目指すが一気には帰れない。関越自動車道を後戻りして上信越自動車道、長野自動車道と乗り継ぎ中央自動車道の恵那SAで泊。翌日大垣市に立ち寄り芭蕉の足跡を訪ねる。

                大垣は芭蕉が奥の細道を終えた地です。市ではこれを「むすびの地」と名付けています。             

                  

      「 行く春や鳥啼魚の目ハ泪 」の出立の句に対して「 蛤のふたみに別行く秋ぞ 」は、結びの句とされています。

 

 大垣市では、ミニ奥の細道があり、芭蕉の句碑巡りができます。 

 夕刻松江に着く。久しぶりに帰ったふるさとは雪の下でした。

 

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