山の記憶 (百名山・二百名山・三百名山)

山スキー、その他の山行もあります。

 百名山の記録(その1.2) 宮之浦岳 (2007年)

2014年08月22日 | 日本百名山

 はじめに

一つの山に集中していた時代が過ぎ、多くの山々に目が向くようになった頃、いわゆる「深田久弥の日本百名山」と呼ばれる山々の幾つを登ったのか数えてみた。30座とちょっとだった。
  若い頃から、一山一山に集中的に通っていたのだが、そのころは、「深田久弥の百名山」は意識したこともなかった。
 退職も間近となり、古希の先輩と記念の北アルプス縦走を行った。白馬岳から槍ヶ岳までだが、テントと山小屋利用で8泊9日だった。退職の2006年は、単独の南ルプス縦走を行った。夜叉神峠から光岳までで、テントと山小屋利用の9泊10日の山歩きとなった。
 この頃から、登る山の内容より、山の数の方が気になりだした。そこで、本格的な「百名山対策」を考え、一応、南から北へと向かうことにした。南には宮之浦岳があるが、その途中にまだ未踏の百名山が4座あった。開聞岳、霧島山・韓国岳、祖母山である。まず、最南端の山に登り、帰りながら4座に登ることにした。
 これが、私の百名山登山のスタートです。以後、似たようなパターンを繰り返しながら2007年には新たに30座を終えることができた。
 2008年からは、主に東北、北海道方面と徐々に山の数を増やしていった。
  この記録は、私の山行の主に「百名山」を中心としているが、それと関係のない山行の記録も載せている。
  また、自分のこれまでの山行をこの際整理してみたいと思ったからでもある。そして、山とは全く関係のないような「お話」や「記録」なども入れてみた。

 

 百名山スタート


     宮之浦岳~開聞岳~霧島山・韓国岳~祖母山 

 
 2007年3月25日

 松江を発つ。三好から中国縦貫道に乗り、一路南へ。九州への山行は、「久重のミヤマキリシマ」見物以来ということになる。その時は、坊ヶツルでテントを張り、九重連山に登った。山一面を赤く染めて咲くミヤマキリシマの美しさに圧倒された。その時の記憶は未だ鮮烈である。
 百名山は、九州地方には六座あるが、その中の二座(大船山と阿蘇山)は既に登っていたので残りは四座ということになる。
 下関を過ぎ、いよいよ九州に入る。以前、今のように自動車道が整備されていない頃、連休のラッシュにぶつかり大変な目にあったことを思い出した。午前中に到着予定が、午後に大きくずれ込んでの九重入りだった。まだ、ツツジの季節には早かったが、下界のラッシュとは無縁な、ゆったりとした九重の山々を、大いに堪能できた。
 そんな思い出に浸りながら、九州自動車道を一路鹿児島港へと向かう。鹿児島港へは夕刻に到着する。駐車場を捜すのに苦労したが、近くの交番で親切な説明を受け港にある有料駐車場に入る。南の島々からの船が着き、人々がはき出されて行くのを見ていたら、何だか異国に来たような気持ちになった。異国情緒に浸りながら一夜を駐車場で過ごす。


 翌26日は朝から素晴らしい天気だ。雨の屋久島などとの言葉は何処かに飛んでいったようだ。8時30分発のフェリー乗り、屋久島宮ノ浦港着が12時30分(?)。下船後、バスの時間表を確かめて昼食とする。食事は「トビウオ定食」だったが、トビウオは我が山陰では、5月頃でないとお目にかかれない。噛みしめると、南の島の香りが口いっぱいに広がってきた。
  13時36分のバスに乗り、登山口となる白谷雲水峡を目指す。バスの中から、時折海を見る。バスから見る南国の海は、春のおぼろな光を浴びて、何処までも白く光っていた。 白谷雲水峡に着く。観光客の多さはさすがだ。ここから、島第一の観光ポイント「屋久杉」が近いからだろうか。


 案内板に目を通し、ザックを担ぐ。弥生杉を見物し、白谷白水峡を横に見ながら原始林の歩道を歩く。多くの下山者をやり過ごしながら、白谷山荘に着く。水もあり、時間的にもここで一泊とするのも良いのだが、先を急ぐことにする。多分、今夜はテント泊になりそうだと覚悟する。「もののけの森」を抜け、辻峠でしばし休憩。ここから、楠川歩道分岐まで下り、軌道敷の残る水平道をひたすら歩く。日も傾き夕暮れも迫った頃、大株歩道入口に到着。奥まった場所に立派な建物が見える。山小屋?と思い入ってみるに、何と環境に配慮した最新のトイレだ。あまりの立派さに、一瞬、ここを今夜の宿にしようかとさえ思ったほどだが、少々臭いが気になり止めることにする。
 大株歩道入口から急な登りが始まる。今夜の宿泊場所のことを思うと気が急くが、なかなか適当な場所に当たらない。天気も下り坂のようだし、ますます薄暗くなってくる。あせっていると大きな杉の木の下に出た。案内板に「翁杉」とある。すぐ近くに、板敷きの休憩用の台場があり一張りのテントなら張れそうだ。これぞ天助け、翁杉様々と感謝して重い荷物を降ろす。時計は18時20分を指していた。(翁杉はこの数年後倒れた)


 天気は下り坂だったのだが、雲の切れ目から月が出た。千古の時を経た大杉の下で持参した焼酎をチビリチビリ飲む。せせらぎの音が、人の話し声に聞こえる。酔いにまかせて巨木に話しかけてみる。月明かりの下で何も答えない大杉。この林の巨木たちが過ごして来ただろう悠久の時の流れが、今も静かに引き継がれているのを感じた。
 鹿児島港の雑踏の中から、深閑とした屋久島の原始林へとの変化の激しさに戸惑いながら眠りにつく。深夜、雨音を聞く。  (その1)

 

    27日は雨。暗いうちから人の話し声がする。早出の登山者たちの一団がやって来たらしい。聞くと、今朝早く白谷山荘を出発したとのこと。雨にもめげず、元気に登って行った。 簡単な食事を終え、テントをたたむ。雨に濡れたテントは重いが、快適な一夜を過ごせたことに感謝する。翁杉にお礼の挨拶をして別れる。
 すぐに、ウイルソン株の前に出た。とんでもない大きさの杉の木だっただろうが、今は枯れた株が残っているだけだ。株の中にテントでも張れそうだ。
 小雨の中、小さな上り下りを繰り返し、縄文杉に着く。木と板を組み合わせた台場には、既に多くの観光客が集まっていた。記念写真を撮り、先を急ぐ。間もなく、高塚小屋に着く。中は、停滞のための登山者で一杯だった。朝早くから行動していたと見えて、誰も寝袋に入りお休みの様子。二階は空いていたのだが、新高塚小屋を目指す。
 雨は相変わらず降り続け、一向に晴れる様子はない。一応の雨対策はしてきているのだが、気分は重い。水場らしき沢で、鹿に出会う。水を飲みに来ていたらしい。私も水筒に水を詰める。歩き始めるとすぐに山小屋が現れた。新高塚小屋だ。今日の歩きはここまでと中に入る。大きな小屋だが、一階は既に満員。大学生だろうか、ほとんどが若者だ。
 二階に上がり、寝れた荷物を整理する。湿った体が寒いので、お湯を沸かし、焼酎を温める。アルコールが胃袋に流れ込むと、急に空腹を感じピーナツをかじる。
  体も温まり一段落してから、外の様子を調べるため戸外に出る。雨は止んだようだが、一面の霧だ。先ほど聞いたラジオでは、明日は晴天らしい。宮之浦岳への道を確認し小屋に帰る。 (その2)

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日本200名山 荒沢岳

2014年08月12日 | 200名山・300名山

 今日も暑い一日でした。暑さには強いと思っていたが、今日はまいった。

 朝は5時に、伝の助小屋の近くにある登山口をスタート。疲れも溜まっているようなので余分な持ち物はなるべく減らすことにした。岩場が多いと聞いていたのでストックはやめる。それに、笠(日よけ用の山笠)もやめたがこれがいけなかった。他に、栄養補給が不十分だったらしくバテにバテた。

 荒沢岳は、日本山岳会編の300名山には入っていないが、深田クラブによる200名山には入っている。少しややこしい。300名山を目指す者にとっては荒沢岳は関係無いのだが、越後駒ヶ岳からこの山をみたら誰だって登ってみたいと思うだろう。

                    越後駒ヶ岳

  

             越後駒ヶ岳の稜線 右端に枝折峠

 

 登山口から水場を過ぎると急な登りとなるが早朝でもあり気分は良い。程なく前山に達し稜線に出る。広葉樹の中を緩やかなアップダウンが続く。右手には越後駒ヶ岳の長い稜線が。この稜線は木陰に恵まれないから今日の登山は大変だろう。ただ、枝折峠登山口の標高は荒沢岳のそれより高いから時間的には越後駒ヶ岳の方が短いと思っていたが、時間的には越後駒ヶ岳が10時間。荒沢岳8時間35分だ。違うガイドブックを参考にしているからかもしれないがこんなに差があるとは・・・。

                               頂上遙か

 

 前山から前ぐら手前までは日陰の道を行くので気分が良い。ハシゴや鎖場も問題は無い。そして、前ぐらを眼前に見るあたりから日差しも強くなった。

               このあたりはまだ涼しかった

 

                  右手上が前ぐら

 

         この基部を回り込む。 要所要所に鎖りがある。

 

             こんな感じです。(帰りに撮す)

 

 前ぐらを回り込んで再び稜線にでる。抜群の眺望が飛び込んで来たが頂上へと続く尾根を見て不安がよぎる。とにかく暑いのだ。日陰もなさそうで熱中症になりはしないかと心配になった。今日の体調のせいかもしれない。

 ちょっとした日陰を見つけては休みむことの繰り返し。へとへとになってやっと頂上にたどり着いた。

                     後ろに越後駒ヶ岳が

      

                       中央あたりが前ぐら

      

                      燧ヶ岳はどこからでも目立つ

       

                   越後3山 右駒ヶ岳で左中ノ岳。中央奥が八海山か?

 

                          ダム湖も見えます

    

 広くない頂上だがしばらく大の字になって休んだ後、昨日買っておいた弁当を食べる。少し元気がでたようなきがする。朝、バナナと菓子パンを食べたが、途中何も口にしていなかった。もう少しエネルギーの補強が出来るものを持ってくるべきだった。

 間もなく、人の姿が現れ始めたので入れ替わることにする。下山は格段に楽チンだが、前山あたりから足の筋肉がズキズキしだす。まだかまだかと思いながらやっと帰還。

 5時05分スタート。 頂上10時05分。下山が14時20分。9時間ちょっとのタイムだがイヤに疲れた。カモシカの湯に入り食事をとる。やれやれの一日でした。

 ちなみに、越後駒ヶ岳に登った折のタイムを調べたら、やはり9時間ほどでした。但し季節は秋。それにその頃は100名山を目指していた頃だから今より元気だったと思う。    

 300名山は残すところ6座。八海山と中ノ岳、それに佐武流山、鳥甲山、白砂山。仕上げは餓鬼岳の予定。八海山と中ノ岳は一泊の縦走になりそうだ。どちらかの登山口に自転車を置いておこうと思う。鳥甲山もこの方式で登ろうか。佐武流山は苦戦しそうだ。いずれにせよ、雪が降るまでには決着をつけたい。

                                  300名山完成に向けて ガンバロウ。

  

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日本300名山 浅草岳

2014年08月11日 | 200名山・300名山

 浅草岳登山口もいくつかある。どのルートから登るかで山の様相は全く違う。私がとったルートは新潟県側からでネズモチ平駐車場から。道の駅「いりひろせ」から大白川を経由し、浅草岳温泉を右手に見ながらどんどん進むと終着点がこの駐車場。だいぶん奥深いので幾分心配になったが広く立派な駐車場があり、トイレも完備している。先客がテントを張っていたがこの方たちは山登りではなく何かの仕事らしかった。

               森の中に駐車場が見えます

  

 8月4日(月)晴れ

  早めにスタートすることにする。暑いと余計に体力を消耗しそうだ。今日も良い天気になりそうです。そういえば昨夜星空がきれいだった。

  登山道ははっきりしていて何ら問題は無い。朝の空気が気持ちよく、汗をカキながらではあるが順調に高度を稼ぐ。振り返ると守門岳がどっしりとして。雲海もすばらしい。

 

      朝早いとこういう風景に出くわす。雲海がきれいだった。

 

  桜ソネ登山口からのルートとぶつかると頂上は近い。

 

 頂上近くの稜線にはまだ残雪があり冬の名残をうかがわせる。涼しくて気持ちがよい。

  浅草岳のもう一つの顔。こちらは荒々しい。

 

                    頂 上

 

  展望は素晴らしいが、山の同定が出来ない。越後3山などもみえるはずだが。

 

  左奥の燧ヶ岳はわかった。 会津や越後の有名な山々が見えているはずだ。

 

 5時にスタートして頂上が7時10分。9時50分に下山しました。何名かの登山者とすれ違う。浅草岳温泉で汗を流そうと思って行ったら休館。営業は、土、日だけか?。

 道の駅「いりひろせ」でめずらしいぞば(ごっぽうそば)を食べる。つなぎに おやまぼくちの葉(繊維)を使っているそうです。しかし、そんなに変わった味はしなかった。ソバはソバか。

 この日魚沼から銀山ロードを通って銀山平まで行き「かもしかの湯」で汗を流す。「尾瀬三郎」の前の駐車場で車中泊。明日は荒沢岳。

 

  

 

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 蒲生岳と河井継之助館 会津朝日岳登山口の下見 

2014年08月10日 | 200名山・300名山

 8月3日(日)快晴

 会津のマッターホルンの異名を持つ蒲生岳。小ぶりな山だがなかなかスリルがあった。なめてかかると命に関わるとはこのこと。

    駐車場からの写真。中央に岩場がある。

  

 暑い日でした。この写真を撮っている駐車場に車を置きスタートする。写真にある道路をしばらく行くと蒲生岳登山口の標識があるので左折すると廃駅となった只見線の蒲生駅を見る。線路を渡ってすぐに登山口に着く。

 

 登山道入り口にありました。きっときれいなことでしょう。

 

 木陰の中を気持ち良く登っていたが間もなく日にさらされて・・・。暑いこと限りなし。後ろを振り返ってみたらかなり高度を稼いでいることがわかる。写真下あたりに駐車場が見えます。

 

 なおも登るとあの岩壁の基部に着く。道はここで二手に分かれるのだがルートを間違えた。見上げる岩壁はたいしたこともなさそうなので直登してやろうと年甲斐もなく取り付いた。しかし、フリーでは危険だと感じてどうしようかと岩にへばりついたまま停止。見上げる終了点は4~5m程上でホールドとスタンスは結構ある。ボルトも見えた。但し、落ちたら終わりだろう。こんな所で死んでもしょうがないので鼻毛ルートに逃げる。

 

   これが鼻の穴です。下から松の枝が鼻毛のように見えたとか。

 

             頂上が見えてホットした

 

 益々暑くなるのでそうそうに下山。奥に会津朝日岳が見えるようです。

 

 この辺りは、数年前の豪雨の被災地。川の氾濫が凄かったようです。最近やっと復旧したような感じです。それにしてもこの暑さの中、登山道の草刈りをしておられた。登る者にとっては大変助かります。心より感謝、感謝。

 近くに河井継之助館があるのでいってみる。入館料300円。お金をおろすのを忘れていて300円があるか財布を見たら100円玉が3個ある。何とは入れました。

 

  これが官軍を悩ませたガトリング砲。ただし、模型です。

  

   これは、アームストロング砲の玉。鉄の塊ですね。こんなものがぽんぽん飛んで来れば松江城なんかすぐに壊れそうです。長さは30センチくらいはありそうです。

  

             山本五十六の文章もあります

    

 「米100俵」とか「ならぬものはならぬのです」などどいう言葉は、長岡藩のものとして有名ですね。

 近くにお墓があった。ただし、本墓は長岡にあるようです。

  

 「ラストサムライ」の記念館を見てから会津朝日岳登山口へ行く。

  

   それでもと思い進んでいくといよいよアウト。車を置いて歩いて登れないものかと思うが・・・。案外、登っている人もいるのでは。とにかく情報が入らない。

  

  最後に、浅草岳登山口へ。明日は浅草岳です。

 

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渡島駒ヶ岳から立待岬と函館山

2014年08月09日 | 200名山・300名山

 7月31日(木) 

 途中洗濯をしたり買い物をしたりしてモラップキャンプ場に着く。ちょっと早めの到着だったが木陰にテントを張ったりしてノンビリしていたら落合君が到着。再開するのは2年ぶりか?

  一杯やりながら一時を過ごす。落合君は「前立腺肥大」だそうでビールは飲めないのでノンアルコールのビールを飲んでいたが、そのうち日本酒を少し飲んだ。年をとると色々な病気がでてくるのは、抵抗力が弱くなることに原因があるが、一番の問題は食事の質と量それに運動だと思う。食事については、野菜と魚を中心として、炭水化物類は少なめに。それにアルコールも・・・。あまり人様に言えた柄ではないのだが。

                   支笏湖と風不死岳

 

           家族連れのキャンパーが多かった。

 

 この日は、それぞれのテントで休む。北海道のキャンプ場は、安くて静か、それにきれいで風景も良く落ち着く。

 8月1日(金)

  落合君と別れて渡島駒ヶ岳に向かう。この山は、しばらく入山禁止だった。以前いったときは、正に門前払いの状態だったのであきらめていたが、最近、途中まで登れるとの情報を得て向かうことにした。

  登山口の案内に、登山時間の制限があり、午後は3時とあった。まあ、大まかな制限だろうからと勝手に判断して登ると、小学校の児童たちがゾロゾロ下りて来た。暑さのせいかそれぞれにだいぶ疲れた様子。

              馬の背 (一般の人はここまで)

  

 一般の人はここまでらしいが、一般の人とはどういう人のことなのかなと考えながらとりあえず丸山(写真左手)を目指す。

                    地割れか?

 

               丸山より剣が峰

 

 ここからがおもしろそうなのだが時間の都合もあり下山。

       砂原山の上に雲がかかり良い感じでした。

  

 下山の途中、もうすぐ登山口といつたあたりで足を滑らせて尻餅をつく。ここの道は、砂でざらざらして滑りやすい。この時、ハッと気がついた。何とサイドバックがない。

 どうも忘れてきたらしい。何で~と思ったがしょうがない。また登り返す事になった。今までの疲れが一気に出るようだし、情けないやら・・・。どこに忘れたのかさっぱり記憶がない。馬の背にあれば良いがと密かな期待を抱いて登り返したが「ない」。丸山がやけに遠くに見える。もう一度あそこまで行くしかない。

 

 結局、丸山に置いてあった。写真を撮った折にこしからはずしたらしい。

                イワギキョウとタルマエソウが咲いていました。

     

 渡島駒ヶ岳を2往復した後、函館山を目指す。今日は、函館山の頂上駐車場で夜を過ごすと決めていた。ところが、何か知らないが函館の街はごった返している。浴衣などを着た人がゾロゾロと歩いている。ナビをたよりに函館山に向かうも、凄い人出と宵闇の中、道がわからなくなって結局、「立待岬」の駐車場に行く事にした。この岬は、函館山の後ろに当たり津軽海峡や函館の街も見える。きれいなトイレもあって良いところです。

 暗くなってからの到着。車の中でごそごそしていたら何かゴロゴロと凄い音がするので一瞬魂消た。何事かと外に出てみたら「花火」の音。

               函館開港150周年記念の花火

  

 函館山にすこしかくれるものの、花火を見ることが出来ました。

 翌日、日の出を見てから改めて函館山へ。

 

 函館の街が朝霧にかすむ。夕べは花火見の客でごった返していたことだろう。いかなくてよかった。

 

                 ブラキストンの碑 

 

 ブラキストンラインで有名。津軽海峡がそのラインにあたり、本州と北海道との動物の著しい違いを示すライン。

 この日、函館港から青森に渡り、東北自動車道で南下。一路会津を目指す。

 

 

 

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日本200名山 カムイエクウチカウシ山(その2) カムエク

2014年08月09日 | 200名山・300名山

 課題の山でもあったカムエクを下りて8の沢でキャンプ。他に、数張りのテントもあり心細さはない。今日下山した人たちはほとんど帰って、新しいメンバーを見かける。カムエク登山は、日程的には2泊が無理もなくて良いようです。1泊ではちょっときついかも・・・。

 記録を調べると、日帰りの猛者もいるが、これはヒュッテを朝2頃にスタートすることになるからたいへんだ。よほど体力に自信のある人に限られる。

                30日(水)朝のテント場

 

                   早朝の釣果

 

             様子をよく知っておられる方らしい

 

 釣り師たちは、ヒュッテ近くの川を中心に釣りをしている。聞いたら、人の方が多いとか?。山屋は、さらに山奥でのんびりとしながらも釣果を上げている。カムエクに登るなら、8の沢でテントを張り釣りを楽しむのが最高だろう。こんな山は日本にはそうない。絶対の穴場だろう。今度北海道を訪れたら、ここで釣り三昧といきたいものだと思った。

         テント場から下流方向。帰りがスタートする。 

 

 河原から離れた道もあるが途中で消えることも多い。目印となる赤テープや踏み跡が色々あって混乱するが、要は下流に向かって進むこと。

 

 歩いている内に何だか見たような所に出た。まだまだこれからと思っていたのでまさか7の沢に着いたとは思わなかった。

 

  後は、チンチン自転車で苦もなくヒュッテ着。お疲れでした。この後、ピョウタン滝のある山岳センターへ。

             かって登山者を震撼させた熊の剥製。

 

          もっとでかいやつかと思っていたが・・・。

 

                                 説明です

 

             館内の展示にある遭難の記事

 

 最後の手記が痛ましい。詳しくは、パソコンで調べてみてください。本当は、見ない方が良いかも・・・?

 このセンターには、他に北海道での冬山遭難の手記なども展示してある。

 この日は帯広へ出て道の駅「しほろ温泉」へ。夕刻道東自動車道に乗り大学時代の落合君と連絡を取る。明日、支笏湖にあるモラップキャンプ場で落ち合うことにした。

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日本200名山 カムイエクウチカウシ山 (カムエク)

2014年08月08日 | 200名山・300名山

 いよいよこの山に向かうことになった。北海道にはもう何度も渡ったが敬遠し続けていた山だ。理由は、一つだけズバリ「熊」。あの惨劇の記録や手記を読んだため、トラウマのようになっていた。北海道の他の山々ではさほど気にはならないのが不思議。しかし、もう恐れているわけにはいかない。今度こそ必ず登るぞと言う気持ちで松江を出発した。

 7月27日 敦賀発01:15分発苫小牧行きに乗船。到着は同日20時30分。退屈な時間が続く。この日海はしけていた。明るくなるまでベッドの中で過ごす。

   朝食はバイキング。控えめな食事にしました。

  

   夕刻、北海道に近づく。津軽海峡を横切り苫小牧港へ。途中、船は大揺れだった。ぶらぶらしていたら酔いそうになったのであわててベッドに帰り横になる。

  

 港で船から出ると外は暗い。この港(苫小牧東港)の近くには何もない。人も、車も下船と同時に散って行くのでとり残されそうな気分になる。知らない土地の夕暮れ時は特にそうだ。

 自分は、近くの道の駅で車中泊と決めているのでとりあえずそこへ向かうことにする。「むかわ」という道の駅だが、ここで泊まるのももう何度目だろうか。温泉があり、朝風呂もあるので利用客は多い。

 翌28日、日高自動車道、国道237と走り中札内へと向かう。

 途中通過する新冠は名馬ハイセイコーがでた町。サラブレッドロードとか、天馬街道等の標識が目に付く。

   

     途中寄り道をして馬を見る。本当にいい風景です。何か癒される感じがする。

   

 そして、カムエクの駐車場ともいえるヒュッテ前に到着。まだ陽は高い。

  

 ここに駐車する人は、山へ登る人の他に釣り師も多い。犬を連れた男性がいたので話すと、犬連れでカムエクに登り、頂上でテント泊をするという。星空を見たいとのこと。犬がいれば熊も近づかないですねと聞いたら、いつか熊を見かけたとき、この犬は固まってしまい吠えることはおろか動けなくなってしまったといわれた。熊に吠えかかるのは、アイヌ犬とか特別に訓練された犬らしい。

 しばらくして、若い男性がやって来た。非常に興奮していた。カムエクの帰りかと思ったがコイカクシュサツナイ岳方面から引き返してきたそうで、昨夜の豪雨でほとんど遭難状態だったとのこと。ものすごい雨に見舞われテントをたたんで引き返したけど、途中沢にながされた。さいわい緩い斜面だったそうで必死で這い上がり、ツエルトをかぶって夜を明かし、今日28日、水が引いたので下りて来たと興奮気味に話した。手から腕、足には赤黒くなった傷跡だらけ。大事な装備も流されたけど、リュックだけは必死で持ち上げて帰ってきたそうです。とにかく生々しくて凄い話でした。まあ、生きて帰れたからよかったようなもの。さらに、カムエクから5名のパーティが帰ってきた。彼らもさんざんな目に遭ったらしい。増水した川の恐ろしさを口々に語っていた。 27日は、日高連峰は集中的に降ったらしい。それにしても、今日28日は素晴らしく晴れている。川の水も引いて明日は絶好の登山日和になりそうだ。車から自転車を下ろして、7の沢出合いまでいってみる。歩けば2時間位かかるが40分ほどで着いた。犬を連れた男性は、ここでテントを張るとのこと。

 7月29日(火)

 今日の予定は、8の沢出合いにテント等をおいて頂上に登り、又ここまで引き返してテント泊。長丁場になるので自転車を用意し朝早くにスタートすることにした。3時過ぎに起きて4時にスタート。自転車での登りはきついので押して歩く。7の沢へは5時前に着いた。犬連れの男性がテントをたたんでいた。朝の挨拶を交わして札内川に入る。犬連れの男性とはこの後前後して歩くことになった。カムエクには以前登っておられるのでこちらとしては心強い限りだ。

      流れがきつくて深いところはだっこして

    

 犬の歳は、12~13歳くらいだそうです。老犬だろうがいたって元気で常にご主人の先を歩く。川の流れがきつくなると渡るのをいやがって山手に逃げ込んだりしたが、ご主人がだっこのポーズをとると素直に抱きかかえられた。 何ともほほえましい。この犬、薬で病状をおさえていて今度発病すれば終わりだろうと言っておられた。そのため、犬と最後の山登りを計画されたようです。

 そうこうするうちに8の沢出合いに着く。7時でした。テント等を置いて頂上へ。

      

 8の沢を詰めると残雪の向こうに滝が現れる。3股と呼ばれる意味がよくわからず写真右手の滝の基部まで行くがどうもおかしいので左手に移動する。

  

  

 これが左手の写真。よく見ると3本の滝が流れ落ちている。但し、真ん中は水量が少ない。

 

 ルートは、写真右手の滝の右側を行くことになる。山と渓谷社の「日本200名山登山ガイド」と「日本300名山登山ガイド」の説明が曖昧ではないかと思う。

 「日本300名山登山ガイド」には、「3段に分かれている滝の左岸の巻道を選ぶ。」 とある。 そして、「日本200名山登山ガイド」には、「三股は、真ん中の沢左岸の巻道に取り付く。」とある。

 右岸、左岸は、上流から下流を見ての表現で地図的な表現なので問題はないが、「3段に分かれている滝」の表現がわかりにくかった。3股の意味と3段の意味が混同する。今でもよくわからないが、写真右手の滝は、3段に分かれているらしい。 そして、「真ん中の沢の左岸・・・」の表現は絶対おかしい。そんなところを登れば遭難間違いなしだろう。

 これを読まれた方は、一度確かめてみてください。 

 そして、11時丁度に8の沢カールに出る。右手に遭難碑。この日は、水も流れていてキャンプには最適な日和でした。熊の気配など全くなかった。丁度、4名のパーティーが下りて来て水場で休んでいた。彼らは、8の沢出合いを朝4時30分位にスタートしたそうです。

  

 カールからひとがんばりで稜線に出るが、ここからハイマツの道、岩場と登りお花畑を過ぎると頂上だった。

               ピラミッド峰

 

         真ん中のピークがカムエク

 

            頂上直下のお花畑

 

                    頂上にて

 

 天気にも恵まれ念願のカムエクに立つ。感無量といった感じでした。なにかもう300名山が終わったような気分になりました。12時50分。14時25分、8の沢カール。15時50分、雪渓に降り立つ。8の沢出合いが18時でした。

 

   

  

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