年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

忙しそうな

2016-04-20 00:00:00 | Weblog

 近頃ヒルメシ食った後になぜか突然睡魔が襲ってくる。ソファに横になるとすぐに撃沈。

 今日も午後の「こころ塾」出勤時間の前に、ちょっと横に・・・で寝入ってしまった。夢うつつ、飛び起きる。
 うつ病で難儀している人と接していると、日常生活の問題点として睡眠のことを上げる人が多く眠剤の利用者さんがほとんどである。私も多量に持っている。頻尿による前立腺の調子が悪くクリニックに行っており、毎月4週間28日分のお薬をもらっているが、昨年のこと、前立腺関係のお薬に加えて、夜中に2回はトイレに起きますね・・などとDrに云ったもんだから、じゃよく眠れるお薬もいっしょに出しておきましょう・・と毎回貰っておった。昨年2~3回は飲んだものの、以後飲んではいない。それが溜まっている。それで捨てるの嫌い・溜めるの大好きな性格が出てしまい、眠剤が溜まっておるワケ。なんだか捨てるのはモッタイナイ・・と思ってしまうものの眠剤を利用することなく夜中も起きることはほとんどない。・・・で、心配もしていることに・・活用の機会があるかも・・

 夜中にマグニチュード7以上の地震が来たらどうしようか・・起きることが出来るだろうか・・の現実的な問題。熊本から大分を震源地とする地震のニュースが増えてきたようで・・次はここかなぁ・・あぁ怖い。
 昨日から妻が東大阪・花園にある介護施設に一時入居している義母の所に行っているので、現在私一人。この瞬間大きな地震が来ても自分一人だから身動きが取れやすい。そこで考えているのは

 キャンプ道具を整理しておかねば・・と。テントがある、シュラフやマットもある、簡易ベッドもある。ガスコンロも白灯油利用のホエブスもコッフェルも出しておこう。飲み水タンクもあっただろうと思う。水道が止まっても昔覚えた水の浄化装置をつくれば何とかなるかもしれないし、一応野外道具は持っているので何とかなるだろう。オ~そうや、米も一袋5キロは置いておきたい。それに小麦粉がいるし塩もいる、醤油もいる。あとは地震が来ても山菜のシーズンだから山野草を喰えばよい。川には魚がいるから何とかなる。アァシマッタ・・肉関係がナァ・・。鳥や猪などを絞める学習をしておけばよかったなぁ・・と思うがもう時間が無い。近々サバイバル野外活動が始まるかもしれない。

 自家発電式ラジオを聞いていてもやっぱり、不安がつきまとうだろう。どうしょうか・・

 「こころ塾」へ行く。B型の就労事業所につき、利用者さんが作業をしている。顔なじみの利用者さんばかりである。その部屋にいつもお邪魔をして静かな空気を乱してしまう理由は、最近私指名の相談予約がなく、ヒマだからついつい冗談ばっかりのおしゃべりにみんなを引きずり込むようなことで・・。
 夕方は母親のいるJ病院へ。毎回マズイマズイ、美味くないと言い張る母親に、病院前のスーパーで買ったカツオのたたき持っていく。大ぶりに切ったカツオを3切れ口に入れた、夕食は全体の半分くらい食べただろうか。妻が食べさすと8~9割は口に入れるが私がスプーンで口に入れると半分がやっとかなぁ。

 夜もすぐに寝てしまう。枕元に置いているタブレットで横山やすし西川きよしの漫才を笑いながら見ていると10分もすれば瞼が重くなる。よって読みたい本が読めない。今読もうとしている本は、これ。

降りて行く

2016-04-19 00:00:00 | Weblog

 何気ない日々を思う。

 異常のない日の範囲を想う。

 藤棚の下で何やら楽しそうに談笑し合うご婦人居り、噂話かもしれないし、また、なんぎ話を一人が話し二人が聞いているのかもしれない。このような毎日の時間があり。

 でも、降りていかないことには異常なことが内側に入ってこないような・・・
 今回の地震でも命と死がそれほど遠く離れていない所にあることを感じ入る。

 年老いていく母親の身体的な衰えを見ていても元気さに抗うことができないようで。

 地球のなすすべには到底対抗しえず・・

 命を低くしてみる、魂を少し落として考えてみるとついそこに死が潜んでいるようで・・
 そして命を考えてみようか・・と思ったりする毎日。

黄色から赤色へ

2016-04-18 00:00:00 | Weblog
 先月まで目についた花の色は黄色が多かった。でも近頃散歩をしていて目につくのは赤い色。
 従兄弟のケンちゃんがやって来た。そしてこの前、男だけで集まった私の父方の従兄弟会の様子を写真持参で話してくれた。

 私もぜひとも参加したかったけれど、会を開いた時にすでに計画していた仙台市の七郷中央公園仮設におり、久しぶりのみんなと顔を合わすことができなかったのが残念。

 とにかく楽しかったと・・・。震災前までは神戸・御影に住んでいたケンちゃん3兄弟が、今はそれぞれが別の地域に住みめったに顔を合わすこともなくなった。それで私ところの近所に住むケンちゃんが兄弟を呼び寄せ、あわせてこちらにいる従兄弟が集まろうと・・。すごく楽しかったという。泊まった道後のホテルでは夜遅くまで話し込んだと・・。充実した時間だったと。

 21年前の平成7年1月17日の神戸・淡路大震災でケンちゃんちは家が崩壊した。青木の店も崩壊した。これをきっかけに伯父さん伯母さんは、長男の住む遠く離れた県に住居を構えた。当時、震災時に高松に住んでいたケンちゃんが朝7時前に自動車で家を出て神戸の家に着いたのは夜中であったとか、家は倒れていて近くの避難所に行くと、知人がおり両親のいる場所を教えてくれた。顔を見た時はほんとに安心した・・などの話は何度もしてくれる。そのオジさんおばさんはすでに亡くなった。

 地震によってその後の人生が変化することを見ている。東北大震災に中越沖地震、神戸淡路大震災、芸予地震も怖かったと妻が言う。今回の熊本地震がどのように自分たちに影響を与えるのだろうか。
 黄色は注意、赤は止まれは交通信号であるけれど・・。

メタセコイヤの木々を抜けて

2016-04-17 00:00:00 | Weblog

 先月までは真っ裸であったはずの木も装い始めた。季節は正しく移り変わっているようだ。

 午後の久万高原教会では、礼拝後東北ボランティアの報告をさせてもらうことに。

 芝生のグランドに青ガエルが一匹春に誘われ散歩をしておる。

 熊本地震に心を痛めている。自然の容赦ない威嚇に自分たちには立ち向かう術を持ち合わせてはいない。
 仙台・荒浜地区の人からも石巻の仮設の人からも聞かされたこと。とにかく逃げること、早く逃げること、安全な場所に早く行くこと。そしてみんなで寄り合うこと。闘うことから逃げることが生き延びる目安になる。

 まず自分たちが出来ることは何かと考える。「祈る」ことから始めたいと・・・。癒されること、元の生活に早く戻ることができるようにと。平穏な日常を奪還できるようにと。
 入院中の母親の所には、毎夕訪ねておる。そして奥さんがスプーンでご飯を食べさせておる。今日は3男家族も自宅にやって来た。孫のAちゃんにご飯を口に運ぶのは、Aちゃんのお母さん。94才の母親も1歳4ヶ月のAちゃんもおんなじ。

心配である

2016-04-16 21:09:45 | Weblog

 早朝から近くにある自衛隊基地に発着するヘリコプターの轟音が大きく聞こえてくる。ニュースによると一昨日から続く熊本地震による被害に対して自衛隊出動が決まっており、しかもかなりの人数を投入すると首相が発表していたことと関係があるんだろう。東の方から飛んできて基地内に着陸し、飛び立つ方向は西の方角。

 NHKテレビは24時間の地震の放送を流している。被災された方々はさぞや不安な時間を送っているだろう。それに生活できる水や食料、衛生面もトイレなど心配である。

 想像以上にひどい状態であることが映像を通してわかる。私が最も気にかかることはPTSDを含むメンタル面である。厚生労働省が緊急時のメンタルケアについて
 このような文章を出している。
 一般の人が支援することにおいて医師や看護師、臨床心理士など専門家以外の支援者に注意を促している。下手に介入しないこと。治すなどの行為はもってのほか。自分たちができることは、見ること⇒聴くこと⇒つなげる(専門家など)ことである。私も東北に通って思うことは、対象者との信頼関係を築くことができない間は介入することはダメだということ。所詮英雄気取りで励ますなどのことや傾聴などのことはあつかましすぎる逆効果。支え合うこと・寄り添うことの重要性を言っている。
 南海トラフ地震について防災を子供に教えている元小学校教員T君から電話あり。別府から佐田岬を経由し伊予市の実家を通る活断層が動く可能性は否定できないと・・・。
 2回目の心細い夜を抱えることとなる。

モッコウばら咲く

2016-04-15 20:26:02 | Weblog

 自然の脅威からどのように身を守ればいいんだろう。昨夜の熊本地震がよそ事ではない感じを受ける。自分のいる場所が砂上の楼閣を連想してしまう。人間社会のひ弱さを確認してしまった。
 本日の釈放前の9人相手にお喋りした冒頭は熊本の地震のこと、そして先週行った3.11東北大震災のことである。
 で、頭ヨレヨレで作ってみた。 ボケ防止にちょうどいいんじゃないのなどと奥さんに茶化されながら作ってみたが・・・いつものように、これはあくまで気休めみたいなもの。実際はこれ以外の話になることが前回までは多かった。でも本日は出来る限り忠実にお喋りをしようと・・・。

 言葉を伝えることの難しさを常に思う。表現の仕方を考える。身振り手振りを交えて。自分が言葉に出しても聞く相手は、何を考えているのかはわからないもどかしさがある。そもそも自ら希望して学ぶ場所ではない。あくまで釈放される前に居て、それぞれの人がそれぞれの今後の遣り過ごし方法を秘めながら私の前にいるんだろう、と考えるのが安全だろうと思う。だから土足で相手の中に入っていくような錯覚を受ける。オマエの話なんぞ聞きたくもないワ・・と考える人に対して、心のドアを一発で開いて、本音で話したいと思っている。
 争いのない、穏やかな、緩やかな社会を見たいし作りたい、そのような空気の中で過ごしたいというのが自分の基にある。少し前に犯罪を犯し捕まり懲役中の人が私の前に常にいて、彼らの明るい希望を何とか作り出せないものかと思う。

 どうすればいいんだろう?先日生家まで訪ねた宮澤賢治の詩ではないが・・

 熊本地震のこと。被災者の所にいない自分がすること、大切なことは面白がることでは全くなく、心を寄せること。お悔みを言う、頑張れと励ます、不足する物質や義援金を送ることの前にしたいことは、まず静かに祈ることから始めたい。早く癒されますようにと。
 宮澤賢治は、みんなが幸せにならなければ自分は幸せにはならないと考えた人。但し、「みんな」の中の最初に私の場合家族があるようで・・・
 骨折により母親が先週した手術後、朦朧としているのか、早く迎えに来て欲しい、とか長生きしすぎた、などと私や妻や妹にしゃべることを聞くには、沈黙するのみ。

緊急地震速報

2016-04-14 00:00:00 | Weblog
 夜の9時半前に机の上に置いていたスマホに聞いたことがない着信音が鳴った。開けるとかなり強い地震が来る・・と。

 ちょうどその時は、明日の講演のことで何をしゃべろうかと、ほとんど動かない頭の中、グルグル回っていた時であった。で、導入は自然災害のことから入ろうとレジメを作ってみた。
 自然災害に抗うことは出来ない。ただ身を守る最低のことは出来ようが。そのことをついついおろそかにしてしまっている。災害に遭えば致し方ないなどと人ごとのように無責任に思うが、現場を目の前にすれば体が震えるに決まっておる。

 数週間ぶりに隣町の公園へお弁当持参で。すると桜の花もすっかり散っておった。今日の午後は歩くと暑い暑い汗が出るよ・・と云いながらグランド周回コースを杖を突きつき歩いている奥さんも1周するごとに上着、セーターを脱いでおる。私はベンチでごろんと仰向けになって青い空に白い雲の流れを見ておる。

 段々と緑が多くなってきた。先々月までの寒風吹くころは誰も公園に来る人を見かけなかったけれど、温かさに比例して散歩の人たちが増えた。老夫婦であったり赤ちゃん連れの若い家族であったり。そして今日は駐車場に数台のバスが止まっているのを見つけた。ベンチに座っている高校生に、どこの高校ですか?と聞くと、小松高校ですと云った。何年生?3年生です、と。お~、千の風の秋川さん、サッカーの川又選手の後輩さんやね・・ハイ。来年の今頃はどこにいる予定よ・・たぶん東京です・・お~そうかいいね・・などと誰彼つかまえてのお喋りに奥さんからお叱りを受ける。

食事介助

2016-04-13 00:00:00 | Weblog
 あんた・・どこに行ってたんか・・などと云う。おっかしいなぁ・・妻の説明によれば、本人が入院しているワケは理解できなくても昨日までは私が東北に行っていることを覚えていたらしいけれど、今日夕方入院先のJ病院へ行くとそんなことを聞いてきた。で、仙台に行ってきたと話しかけると、あっ、そうだった・・などと思いだすような按配である。豚マンが食べたいと云う。J病院の前にあるスーパーに買に行こうすると・・もうすぐ晩ごはんが来るから・・いいよ・・と。

 私のいない間奥さんが毎日晩ごはんの食事介助に来ていた。美味しくないからもういらない・・とわめくが、そこは長男のお嫁さんには抵抗ができない体と心。いつも8~9割をスプーンで口に持っていき食べさせておる。これが妹だとすぐに口をふさぐからどうしようもない。胃の中に食べ物を入れることが元気につながり、チュウブから栄養源を入れるようだと今一つ元気が出ない。年初めなど、ヘルパーさんが拵えてくれるご飯がおいしくないから食べない・・などと幼児のように駄々をこねていた時には、日ごと体力が落ちていたようにも思った。
 食べ終わると、いつものように60歳をとっくに超えているわが子に対して94歳の母親は、細かいことを言ってくる始末。散髪をしなさい、みっともないなどと。散髪代をあげるから行っておいで・・とも。お茶屋さんの玄関の花も春の花。

 2週間ぶりの「こころ塾」である。近頃私指名の相談事はトンとない。よって何もすることはない。今日は統合失調症の患者さんが遠隔地から難儀な話をしてくるのを聞いただけ。今塾では改正労働安全衛生法によるメンタルヘルスチェックで忙しい。担当者は九州から東北の事業所まで出張している。このメンチェはかなり細かく分析される。例えばある部署での人間関係の問題から仕事能率がダウンしていることや、パワハラや近い将来ウツが出るであろう予測など、分析能力が高い・・ことが特徴。

 他に4年前に立ち上げている就労支援Be型事業や、相談事業として相談プランを立てたり、それぞれ担当者がいての12人いる専門家集団でもある。中でも私のような売り上げが望めないような直接電話相談やブースに来ていただいての相談などはほとんどサービス事業だから売り上げがないので皆の前では隅っこに立たねばならない…と考えることは民間会社で刷り込まれた価値観やものの見方からくるのだろうと・・一人で苦笑する。デモ、でも行政側での相談コーナーや、病院関係や保健所などによく相談をする利用者さんは、「こころ塾」が一番丁寧に話を聞いてくれるし情報を与えてもらえる・・などと褒めてはくれるが・・、面映いこと。

 傾聴傾聴などの講習をしたり資格を持ったりする機会や人に会う。しかし、皆さん人の話を聞くことが辛いのかもしれない。カウンセラー?さんが意見を言っておるのは、ご自分の都合により早く切り上げたいのかもしれない・・などと反省している。

身体はナマの状態

2016-04-12 00:00:00 | Weblog

 さっそく出勤する日である。刑余者相談相手は3人が予定されている。
 受刑者の仕事のことで釈放前の不安を少しでも軽減できればいいと思ってやっている。・・が、なかなかうまくゆかないことが続く。例えば仮釈放される刑余者に協力雇用事業主さんに来所戴き面接をする。そして採用を願う。これら一連の流れがうまくいかない。うまくゆかないことの筆頭は刑余者側の都合がある。面前では、やりますやりますとは言ってくれるが・・いざ・・となると・・ジツハ、となってうまく事が運んでくれない。頭が痛い。痛いのは昨日までうろちょろ遊んでいたつけが回ったのだろう。
 3名の内、一人は就労支援を辞退した。一人は仕事先は自分で探すと云ってきた。事件を引き起こした元の人たちと縁が切れないのだろうか・・再犯させないようにしなければならない・・のに。焦る。

疲れ果てた・もう帰るよ

2016-04-11 00:00:00 | Weblog
 昨日は歩き疲れた・・その上に数回の温泉入浴が効いたのか。肌に油っ気が無くなった。

 正しい日本の風景を見て

 正しい日本の朝飯を食って

 高村光太郎記念館では迫力ある塑像をたくさん見せてもらったし、

 花巻市内のレトロ感あふれるマルカン百貨店が全国どこにもある凋落傾向で近々閉鎖される張り紙も見たし、

 妹推薦の高権ラーメン屋さんでは
中華そばも食ったし
 さぁってと、もう帰ろうか・・・

 こちらは在来線のある花巻駅。ここから高速バスを使い

 岩手県から退散しようと



眠りながらやっと到着したのは仙台駅。

夕刻ながらもさっさと布団で眠りこけ・・たのが昨日。そして今日は・・

 今朝早くに仙台空港から上がって関空へ、そしてその足で義母が入院する奈良・畝傍御陵前の病院へお土産持ってお見舞い。

で、自宅には遅い便で帰ることにした。大変ハードで実りある厳しい1週間であった・・・と。明日は仕事日。新入りさんの研修があるようで・・困っておる。今更新入りさんの教育だなんて、自分に似合わないが・・。
 それより母親はどうなんだろうと・・手術の経過は・・

 新聞を読んでいるとトップに能島の記事が出ていた。

 東北で瀬戸内の島の記事を読むのもなんだかおかしいが・・何年前になるんだろうか母と二人でお弁当持って、この村上水軍の根城の島に上陸したことがあった。満開の桜を見ようと。当時まだ透析中の弟に話しかけると、二人で行っておいで、僕は寝てる方がいいから・・と快く送りだされた・・。能島で母親は、きれいね~きれいね~と一人で喋っておった。
 毎日入院先の病院へ行き晩ごはんを食べさせていると妻が電話口で面白そうに話してくれる。少しボケがあるのか・・何で私がここにいるのか・・と毎回尋ねるのだそうだ。でもオトーさんが東北に行っていることはちゃんと知っているよ~だと。
 5年前の仙台空港も震災が無かったかのように映る。時間は、人も自然も変える唯一のツールになるんだろう。

「道程」  高村光太郎

僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため


 誰もが知ってるこの詩の最初は

どこかに通じている大道(だいどう)を僕は歩いているのじゃない

僕の前に道はない

僕の後ろに道は出来る

道は僕のふみしだいて来た足あとだ

だから

道の最端にいつでも僕は立っている


何という曲がりくねり

迷い まよった道だろう

自堕落(じだらく)に消え 滅びかけたあの道

絶望に閉じ込められたあの道

幼い苦悩に もみつぶされたあの道


 から「道程」が始まる。