年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

散歩を再開する

2015-12-25 00:00:00 | Weblog

 今年の4月10日に猛烈な腰の痛みに襲われた。その日は大阪から私を訪ねてこられた人と一緒にご飯を食べカラオケを歌い気分よく過ごしていた。10年以上刑務所に入っていた人である。刑余者の就労支援担当者として、60歳もとっくに過ぎた彼をどのようにすれば住居とご飯が食べることができるだろうかと考えた。「わたし」は追い込まれた。どうすれば出口が見つかるだろうかと。過去に犯した大きい罪をもつ彼に対してどのように寄り添うことが人としていいのだろうかと・・。唯一救われたことは「わたし」より年齢が上の彼が明るく「わたし」に対して振舞ってくれることであった。

 結果、何とかいろんな人の協力を頂いて大阪の協力雇用事業主さんにお世話になり住む所と食べるための「しごと」にたどり着くことができた。たどり着いた後も彼は、以前と同じく明るい表情でよく冗談を言っていた。南国生まれがそうさせるのだろうか。4年も前のことである。
 4月10日は飲み過ぎたのだろう。かかりつけの医者からは暴飲暴食禁止と宣告されて20年以上の時間が経つ。でも、彼の表情を見ると「わたし」の方がうれしくなり飲めないお酒をたくさんいただき、スナックでは彼と競うように昔の歌をうたった。そしてついに腰が・・・。
 夜半這う這うの体で家にたどり着き、妻に担がれるようにして横になりマッサージしてもらったまでは良かった。けどそれから立っても横になっても激しい痛みが続いた。夜も眠れないまま整形外科に行くと先生から脊柱管狭窄症だと説明を受けた。その時の先生の表情は、なぜか「わたし」に勝利宣言をしているかのようであった。「わたし」に敗北感を受容させるかのようであった。痛み止めのロキソニンを出してもらい、電気治療などの日々を送った。少し下半身の痛みが薄れたのが夏頃、並行して痛みの代わりにしびれ感が増してきた。今も変わらない。

 そして、ほとんどの私の友人知人ご近所さんが「わたし」に忠告してくれる。痛くともそれに抗って身体を動かしなさい、散歩をすればよい・・と。でも4~50m歩くごとに腰と足を伸ばしてしびれを取るようにしながらではあるが、先日から妻を伴い散歩を再開している。妻が2本の杖を持ち歩き、私も山歩きようのmonbellトレッキング杖の2本を持って40~60分歩いておる。私の方が置いてきぼりを食うほどに歩くスピードは遅い、途中道路に横になりたい衝動に駆られることがしばしばある。「わたし」を嵐の中に放り込み一瞬の痛みを忘れさせるようにして自然の息吹に自分を向わせることになる。

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