年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

岡山へ

2015-08-09 00:00:00 | Weblog
 母親は、異常に思えるほど“戦争”の話になると唾が飛び散るほどに熱を入れて話しかける癖がある。どのようなことでも、いかなることがあり得ようとも戦争だけは、絶対あってはならない・・と喋っている。小学生の時に満州事変が勃発し、仁川女学校2年で支那事変、二十歳で大東亜戦争を経験している、とその悲惨な様子が頭から7~80年が過ぎても離れることがないらしい。

 長女で生まれてきたが、実は母親の三つ下に長男がいた。長男の“しんちゃん”は仁川商業学校に学び、卒業後家業の酒問屋を継ぐべく帝王学の勉強として別の問屋さんに就職したそうな。そして、このままでは日本がやられる…と軍国少年に成り切り、洗脳されたままの頭を持ち、周りの反対を押し切って自ら志願して戦争に行った。そして南方ニューギニアへ赴く途中、移送船が敵艦に沈没される。その数か月後に戦争が終わった。だから、想うのだろう。なんで行ったのか、と。ほとんどが形勢不利、この戦負けるだろうと冷静な市民意識があったにもかかわらず自ら志願して、そして骨になって帰るのではなく白木の位牌に身を変え両親や兄弟の下に帰ってきた。位牌のみが入った骨箱が手渡された時の、カラカラと鳴る骨箱の乾いた音を今でも覚えている、と言う。

 “しんちゃん”の下に妹が3人と弟が一人いる。その妹の二人ともすでに病気で亡くなり、一人は大阪にいて難儀な病気と闘っている。
 今日はその妹の一人娘であるH子を岡山に呼び、私の妹との3人で一番下の弟である、私たちの母方唯一の叔父を岡山駅すぐそばの病院に見舞うことにした。

 この叔父夫婦には子供がいないこともあって、どうなってるのかと気にかかる。叔母の電話では厳しい意見であったが、実際病院のベッドに見舞うと思った以上に元気そうであった。ピースサインにちょっと安心する。

 夕方帰途につく。早く帰らないと・・・明日の90分講演の原案をまとめておかないと。。。
 でも、今夜の対中国戦のサッカーを見たいし・・時間がないなぁ、どちらかと言えば講演の指導原案の方が優先順位では後ろになりそうで。それより、今4男が西日本医学生体育大会に出ておる。堺市のナショナルトレセンの試合どうなってるんやろ・・・、と掲示板を見れば

 オ~点を取ってるやないか、勝ってるやないか!