年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

再びの

2009-11-13 00:00:00 | Weblog
 どうにも止まらないでいる。藤沢周平の世界からどうも抜けきるることができないでいる。今までにぼんやりした時間の毎日が多いとき、自分の散漫になった集中力を焦点化するために適当な本をみつくろってガァ~っと一気に読んで行く方法で今まで凌いできた。そうすると自分の平常さが戻ってくるように感じられると同時に、それらの本から何時の間にか離れていったのが今までの経験である。ところが、藤沢文学だけは、藤沢周平の世界から未だに足を抜けることが出来ないでいる。なぜだろうかと考えた。多くの読者、ファンからは、目線が庶民に置いているからいいのだとか、また市井の隅っこに光を中てているから良いのだとか言われている.確かにそうだけれど私が読んでいてゾクゾクする部分は、藤沢周平の持つ、正義に対する見方、男女の愛情とはいかなるものか、また生き切ることについて、仏教本にある「色即是空」の「色」について多様な表現をしていることが、自分にとって、学ぶというより自分にとって確認されると感じるからだろうと思う。ブックオフで古びた文庫本を漁っておる。
 社会の片隅にいる人たちの就労支援をしている。何とか良い智恵がないだろうかと、午前中に商工会議所の専務理事を尋ねた。専務理事のK君は同級生につき、遠慮なく早速広い部屋のソファに座り込んで、何か、いい智恵ないか、と聞いた。呼び名のチカエさんは、言った。アホ~・オマエ・ワシにそんなアタマがないことくらいわかっとるやろ。苦労中のチカエさんは、人なつっこい大きな顔して何も頭に浮かんでこない様子であった。今、障害者を含め就労に苦戦している方達の多くが、社会の中の「色」から弾かれているように映る。人と人とが繋がっているのが市民生活だと教えられているけれど、弱者や異端者は、なかなか市民の輪の中に入れてもらうことが難しいし、そしてそのような人たちを育てようとする魂があるものの表に現われることが少ないように思う。弱肉強食とは言い表す適当な表現言葉と思うが・・・強者の中にいてニコニコと手を繋がられる弱者が同じようにニコニコとできる社会が出来ないものだろうか。